はんことネイルとその他いろいろ -15ページ目

はんことネイルとその他いろいろ

「兼々業主婦」あらため、消しゴムはんことネイルと日々のことをいろいろと…

今日は、母校の高校の閉校式でした。


先日、高校時代の友人と会ったとき、閉校式の日に遊びに行ってみようか、と話していましたが、

結局みんな予定が入り、遊びにはいけませんでした。

高校の建物を今後どのように使用されるか、まだ発表されていませんが、

自分の出身校の名前がなくなってしまうのは、

本当に本当にさびしいです。


今月いっぱいはまだ名前は残っているようなので、

それまでに遊びにいけたらな~、と思っています。



今日は、久々にお出かけしてきました。

ダンナの、怒涛の20日間連続勤務が昨日で途絶え、

急に今日はお休みになりました。

ダンナに子供をあずけ、高校を見に行くか、とも考えましたが、

ダンナ的には待ちに待った休み、

家族でおでかけしたがっていたので、

泣く泣くあきらめました。


少し大きめの公園に行くことも考えましたが、

つーが4月から保育園で使用する通園バッグを早めに用意しておきたかったので、

またまた買い物にでかけました。


しかし、仕事の疲れがたまっているダンナと、

なぜか昨日から鼻水鼻づまり、くしゃみ、目のかゆみに苦しめられている私は、

買い物もあまりはかどらず、

ヘロヘロになってかえってきました。



そう、この私の症状、花粉症にそっくり。

アレルギーテストで花粉も出ていたので、

今まではなんとか花粉症にはならずにすんでいたけれど、

そろそろヤバいみたいです。



せっかく春が近づいてきたのに、

嫌いな冬につづき、春も苦手な季節になってしまうのか。

そう考えるととっても憂鬱です。


早めに耳鼻科に行かなきゃ。



2003年9月30日(火曜日) 入院2日目


いよいよ出産の日です。


朝7時頃に検温。

その後、浣腸(何度やっても慣れません)。


手術なのでもちろん食事はなし、水分もとれません。


パジャマから病院服(うすっぺらいガウンみたいなもの)に着替え、

9時半頃から点滴開始。

これから翌日の夕方まで点滴しっぱなしというので、

それだけでかなりのプレッシャーでした…


手術室に移動する少し前に義母がきてくれ、

そのあとすぐにダンナとお姉ちゃんになるしーが到着。

手術の前に会えてよかった、と安心するのもつかの間、

娘が38度の熱だと聞いてびっくり。

風邪なのか、母親の入院・出産に何かを感じ取ったのか。

お世話をしてあげられないのが、心苦しかったです。



そんな娘を病室に残し、手術室へ移動。

なぜか全裸(!)にさせられ、手術台へ乗せられます。


まず、おしっこの管を通し、ひざ下に布(なんだかよくわからない)をつけられ、

帽子をかぶされました。

体にはバスタオルがかけられていましたが、

その後、手術用の布(よくドラマとかで見るようなもの)と交換。


看護士さんたちは、これまたドラマでよく見る光景

~手術前の手洗いや消毒に忙しそうです。

私は、そんな光景を目の当たりにして、かなりのキンチョー。


そのうちに先生も現れ、

いつの間にか横向きにされて、腰椎麻酔(痛いです)。

足の先からだんだんしびれてきて、しばらくしてお腹のほうの感覚までなくなってきました。



上の子のときは、この麻酔があまりきいていなくて、

手術中、何をやっているのかよくわからないけれど、

とにかく痛くて、看護士さんの手に爪のあとが残るほど握り締めていました。

なので、今回は麻酔をしっかり効かせてもらうよう、お願いしておきました。



触られているのはわかるけれど、痛みは感じない。

腰椎麻酔なので、意識ははっきりしている。

胸のあたりで布が張られ、手術の様子はみることはできませんが、

声ははっきり聞こえる。

そんな状態の中で、手術は始まりました。



なんとなくお腹を切っている感覚はありました。

そのうち、グイグイ引っ張られたり、

お腹の中でごちゃごちゃ何かをしているのが伝わってきました。

なんともいえない、このへんな感覚。

上の子の時ほどではないけれど、

やっぱり少し痛かった。


赤ちゃんを出してもらっている間はとても長く感じました。

看護師さんの「血圧25の40です」の声に驚いたりもしました。

(25って…低すぎ。私は死ぬのか、なんて考えたりもしました)


それからしばらく痛みに耐えていると、

「スルッ」と何かが抜けるような、胃のあたりがスッキリした感じがした途端、

「生まれましたよ」の声。

10時45分。

なかなか赤ちゃんの泣き声が聞こえてこなくて、心配しましたが、

やがて、少し低めの産声。

痛い、と思いながらもやはりうれしく、涙が流れてきました。

この瞬間は、感動的です。



でも、それからがきつかった。

子宮の洗浄だと思われる様な、音と痛み。

これが今回の手術の中で一番痛かったです。

「痛い」だの「うー」だのうめいていたら、結構うるさかったらしく、

「もうすぐだからガマンして!!」と先生に怒られてしまいました。


あまりにもうめいていたようで、ここで麻酔追加。

多少の手足のしびれと、少し気分が悪くなって吐き気もあったけれど、

そのうちに眠ってしまいました。



気がつくと、手術は終わり、病室に運ばれている途中でした。

部屋にはダンナとお姉ちゃんになったしー、義母が待っていてくれました。


赤ちゃんがどんな状態なのか気になるけれど、自分では見にいけないので、

ダンナにデジカメで赤ちゃんの写真をとってきてもらいました。

保育器のなかで号泣。

(ここの産院は、元気な赤ちゃんでも丸一日は保育器の中で過ごします)

本当に生まれてきてくれたんだな~、とまたまた感動。

でも、麻酔のせいか、あまり目を開けていられませんでした。


そのうち、「おかあさん、バイバーイ」の声。

お熱のあるしーは、ダンナと一緒に帰宅。

義母も赤ちゃんを見られたので満足したようで、一緒に帰宅。

私は、睡魔におそわれ、半分寝ながら3人を見送りました。



そして、ここから本当の辛い時間が始まるのです。


しー達が帰った後は、疲れと麻酔で寝ていましたが、

午後1時頃から麻酔が切れてきたようで、痛みとの戦いです。

それでもいつのまにか寝ているのだけれど、

看護師さんが点滴交換やキズの様子を見に来てくれるたびに、目が覚めます。


しーの出産のときはずっと同じ体勢でいなくてはいけないからか、

腰が痛くてたまらなかったけれど、

今回は子宮収縮の痛みがすごかったです。

(キューンと子宮が急激に縮もうとする痛みは、表現するのがむずかしい)

おまけに、キズの上におもりを乗せていて、その痛みもきつかった。

(やり場のない痛み、という表現しか思いつかない)

目を開けていられないほど眠いのだけれど、痛みのせいでしばらくすると目覚めてしまう。

ひたすらそれの繰り返し。


夜中もその痛みは続き、午後11時頃、耐え切れなくなって看護師さんに甘えました。

「一瞬でいいので、おもりをはずしてください」

「キズがふさがるためのものなので、それはできません」

「じゃあ、少しでいいのでお腹をさすってください」

看護師さんは天使です。

「えっ?」って顔をしながらも、さすってくれました。

4時間しか効かないと知っている痛み止めも打ってもらいました。

4時間でもいいから、痛みから解放されて眠りたかったのです。


痛み止めが効いたらしく、それから4時間弱は眠れました。


それからも、寝て、腰と傷と子宮の痛みで起きて、の繰り返し。

ようやく朝になったときは、

外が明るいというだけで、気持ち的に楽になりました。



今日、税務署に確定申告、提出してきました~。

コメントくださった福耳りんさんには、この場をかりて、お礼申し上げます。


いやあ、やっぱり勉強しないとちゃんとした青色申告書は作れないようで、

青色申告会の人に、入会を勧められました。

いずれかはダンナがあとを継ぐことになるので、

当然経理はわたくしの担当、

後々のことを考えると、ここいらでまじめに経理の勉強をしておかなくてはいけないようです。

青色申告会では、初心者にも丁寧に指導してくれるようなので、

来年の申告に向けて、いっちょがんばってみるか、という気持ちになっています。


今は。


もともと数字が苦手で、

数学のテストなんて、一桁の点も取ったことがあるほど。

母は数字に強くて、今も経理の仕事してるけど、

その血は全くといいほど受け継いでいない。

そんな私が、経理の勉強についていけるか、ちぃと心配。


ま、やるしかないんだろうけど。




それから、また心配事が。

展示場の仕事がなくなるかもしれない。


隣の区に、新しく住宅展示場ができるらしく、

色々移動もあり、

今の展示場はクローズになるかもしれない、という話がでているらしい。

新しいところに移動させてもらえるならいいのだけれど、

遠くなるから通えるかどうかわからない。

(バイクでもあれば別だけどぉ)


たとえ今の展示場に残れたとしても、

店長がかわるかもしれないので、

そうなるとはたらきにくくなるし。


どうなるかは今月中に正式発表があるらしいから、それまでわからない。

も~不安。

色々たくさん覚えたのに、パアになってしまうと思うと、

やる気なくすな~。




昨日のグチ、今日は冷静になって考えて見ました。

なぜ、こんなに私は彼女に対して怒りがわいてくるのか、と。


そして、答えがでました。


私は、少し彼女に似ているところがあるのです。

だから、気になるのです。


先生に対して喧嘩腰で話したりしないし、

一応、周りの人に迷惑をかけるような行動はしていないつもりだけれど、

子供に対してあたってしまうところなんかは、わからなくもない。

彼女ほどひどくないけど。

保育園で知っている顔を見かけても、挨拶すらしないのも、

人見知りしてしまうのでは?と思ったりして。

私は今はだいぶよくなったけど、

気持ちがへこんでるときは人と話すのとかすごく苦手になったりするから、

なんとなく彼女の気持ちがわかるような気がするのです。

全然違うかもしれないけれど。


ほとんど話したことがなくて、どんな人か全くわからないから、

実際のところはどうなのか、すごく気になる。


本当に似ているのなら、親しくなりたいし、

(親しい人ができれば、先生にもあんな態度とったりしないだろうし、

 たとえとったとしても、ツッコミできそうだし)

全くの見当違いでとっても嫌な人だったら、

これ以上かかわるのはヤメにできるし。


ってことで、今度、つーのクラスの人を集めて花見をすることになったので、

みんながOKしてくれたら、彼女も誘ってみようと思ってます。



グチというか、怒りというか。

もう、昨日の気持ちがよけいひどくなる。

思い出すと。


下の子、つーのクラスに10月から転園してきたお友達がいる。

Rちゃんという。

その子自体は何の問題もなく、つーとも他の友達とも仲良く遊んでいる。


問題は、そのママ。

良く言えば、自分の気持ちに忠実な人。

悪く言えば、自己中心的で超変わり者。


彼女は、いつも怒っている。先生に。まるで喧嘩腰。


初めて見かけたときは、転園してきて2ヶ月くらいたったころ。

そのときは、

「履いてきた靴はどこにおいたらいいの!!」

と怒っていた。

前にいた保育園では、朝履いてきた靴と、園庭で履く靴は別だったらしいが、

今の保育園では、朝と園庭は特に分けていない。

「ちゃんと説明うけてないんだけど!」

と激怒していた。


転園してきて間もない頃、別のママが見かけたときは、

布団カバーのことでもめていたらしい。

この保育園では、乳児期はバスタオルをシーツとして使えるように縫うのだが、

それが面倒だからやりたくないからやらない、とごねていたらしい。

お友達は全員そうして使っているし、それがこの保育園のやり方なのに、

自分が面倒だ、という理由で作らない。


食事のときも、いわゆる「お食事エプロン」を持ってくる決まりになっているのに、

Rちゃんだけ普通のスタイ。

多分、わざわざ買うのが面倒だから、という理由でスタイにしているんだと思う。

きっとこの時も、喧嘩腰で拒否していたんだろうな~。


そのほか、よくもまあ毎回文句があるもんだ、と、こちらが感心するくらいいつも怒っている。

見かけるのは私だけではなく、同じ時間にお迎えに行く人全員が見かけている。


超短気で、ちょっとでも癇に障ると態度にでるらしく、

保育園の門近辺で子供たちが走り回っていて、

自分の歩行の邪魔になっただけで門を「バタン」と勢い良く閉めるし、

自分の子供が靴を履くのが遅いだけで(軽く)蹴ったりする姿も目撃している。


今日も彼女は怒っていた。

「洗濯するのが面倒でしょ!!!」

どうやら、ちょっとの汚れで服を着替えさせるな、と言っていたらしい。

たった1枚の洗濯物なのに。

先生はRちゃんの為を思って着替えさせてるのに、その言い草はいかがなものか。

文句いうなら、汚した自分の子供に言え、といいたい。


その他、ここには書ききれないくらいのエピソードがある。

相手にしなくてはいけない先生たちが本当に気の毒でならない。

でも、先生たちは大人、顔色ひとつかえず、相手をしている。

そして、Rちゃんには他のお友達と同じようにやさしく接している。


当たり前のことかもしれないけど、先生たちってホントえらい。

頭が下がります。


そんな彼女は、人にかなり迷惑かけている。

注意書きがあるにもかかわらず、門の前に自転車を横付け。

(門がふさがれてとおれないっつうの!)

お遊戯会では、保護者の見る席には座らず、勝手に動いて自分の子供をビデオにとる。

ビデオに入ってしまうからと、同じように見ているお友達の保護者に「どいてくれる?」まで言ってしまう。

(あんたがウチのビデオにうつるっつうの!しかもあんたの尻がうつってるっての!)

飲み会のお誘いをしたとき、参加の連絡をもらっていたのに、当日はばっくれ。

3日後に「体調くずして連絡できませんでした」のメール。

文章は丁寧なのに、態度が正反対で、まったくどうなっているのかわからない。



そんなRママに言いたいこと。

保護者会に間に合う時間にお迎えに来てるんだから少しの時間でもちゃんと出席しろ。

先生がRちゃんのために良いと思ってしてくれていることに、文句をいうな。

その文句も喧嘩腰でいうな。

自転車はちゃんと決められた場所にとめろ。

他の人が不愉快になるような、言動はやめろ。


あー、本人に直接言いたい。言いたい。いいたい。

でも、逆恨みされて子供に危害を加えられたらこわいので、言えない。

そんな自分が情けない。


日本語学校で講師をしているママ友達が話してくれたこと。


ママ友達の生徒さんが(もちろん外人)、ニコニコして教室に入ってきたそうな。

「どうしたの?」と聞くと、

「タトゥーを入れてきたんだ、とってもクールなんだ」とうれしそうな様子。

「ちょっと見せて」と見せてもらったのだが、

びっくり仰天!


そこには、漢字で一言


「洗濯機」


と書いてあったそうで…


その生徒さんは、この漢字がとても美しくて気に入っていれたのだとか。

友人は「…それは意味を知っていていれたの?」と質問すると、

「知らない」という。

入れてくれた彫師も外人で、漢字は読めないそう。


「意味を言ってもいい?」と友人。

「もちろん」と生徒の外国人。


「ウォッシングマシーンだよ」


「…」


生徒さんはへこみすぎて、その日は授業にならなかったそうな…


かわいそうに。


日本人に1度でも相談すれば、こんなことにはならなかったのに…



やばいです。

また、気持ちが「-」の方向へ。

原因は…自分でもよくわからない。


確定申告の準備ができていないからか?

(だれか、アホでもわかる、青色申告の仕方のサイト知りませんか?)

保護者会で、うまくコメントできなかったからか?

次の日曜日もおでかけできないからか?


あー、なんだか気分がすっきりしない。



でも、1つだけ良いことが。

韓国の友達に赤ちゃんが生まれた。

3人目にして待望の女の子。

無事に生まれてきて、しかもずっと欲しがってた女の子でホントよかった。

お祝い、贈らなきゃ。

何を贈るか考えながら眠るとしよう。

気持ちが「+」の方向へ向くように。



昨日、土曜日の夜は「とまとま会」の集会の日でした。


とまとま会、とは、保育園の下の娘のクラスのママ達のあつまり。

去年入園したときの、クラスの名前(とまと組)からとりました。


昨日の参加者は、5名。

急な計画だったため、ちょっと少なめ。

だけど、盛り上がりはいつもどおり。


このママ達、よく飲みます。

普通、必ず1~2人は「実は飲めないの」なんて人がいるのに、

とまとま会は、みんな強い!

私が一番弱いくらいで、泡盛とかウイスキーとがガンガン飲んでいる人、多数。

飲んで食べて、必ず閉店まで、6時間ほど居座ります。


それでもまだしゃべり足りなくて、

お茶したり、カラオケ行ったり。


当然帰るのは日付が変わって何時間もたってから。


遊びすぎな気もするけれど、

たまにはこんな日もなくっちゃね。


で、今日は当然、寝不足。

二日酔い気味で、体調不良。

自業自得なので、仕方ありません。


土日に睡眠不足を解消しなくてはいけないので、

今日は早めに寝ることにします。


次回は2ヵ月後くらいかな。

その前に、今度は子供やダンナ同伴で、

花見があるかも~。

これまた楽しみ。

子煩悩なパパ達に子守は任せて、

またママ達でもりあがっちゃいます~。


2003年9月29日(月曜日) 入院1日目


入院3日前にうけた検診では、胎児の体重は2500グラム前後で順調に育っているとのこと。

でも、まだ全く生まれる様子はなく、

少しでも子宮口が開いてきていたら、普通分娩の可能性もあったらしいけど、

子宮口は閉じたまま。


「予定通りの入院ということで」


と先生からの言葉。


3日後の入院の準備をはじめました。


お産用ナプキンなどは病院でも買えますが、高いので、

アカチャンホンポですべてそろえました。

(やっぱり断然安い!)



入院は午後に来るように言われていたので、

午前中は10日間留守にする家のキッチンまわりをかたづけたり、

上の子用の牛乳などを買うためにスーパーに行ったり、

結構忙しかったです。

買い物途中、近所のママ友達に会い、

「これから入院する人とは思えない」と言われたりしました。




そういえば、上の子の出産の前日も、スーパーで買い物をしていたときに、レジの人に、

「お腹大きいね、いつごろの予定なの?」と聞かれ、

「あさって、帝王切開で出産なんです」と言ったら、驚いてたっけ。



出産する病院は、近所の産婦人科。

ここは基本的に1人部屋。

帝王切開をした人は特に優遇されていて、

部屋にトイレがついていたり、他の部屋の倍くらいの大きさがあったりします。

その割にはお値段はリーズナブル。

(食事は地味~なものですが…)

母体の体調が落ち着いてきたら赤ちゃんと同室にもできるし、

昼でも夜でも、授乳さえ行けば赤ちゃんを預かってもくれる。

面会時間も8時~20時で長いし、

子供が面会に来ても全然OK。

(場所によっては子供NGのところも多いらしいですね)

助産婦さんも、とてもよくしてくれるので、

一人目のときに「次も絶対ここで」、と決めていました。



さて、入院ですが、

指定された14時半に病院に到着。

すぐにいつもの内診。

「全く子宮口が開いていなくて、生まれそうにないので、予定通り明日手術です」

といわれ、あらためて覚悟をきめました。

(ああ、やっぱり手術か、と少し残念)


ナースステーションのすぐ横の病室に案内され、しばらく休憩。

上の子の出産のときはダンナが遅くまで病室にいてくれたけれど、

今回は上の子がいるのでそうもいかず、

さっさと帰ってしまって、一人で時間をつぶす…とってもヒマでした。


16時頃、てい毛と手術で使う薬のテスト。

女性の看護士さんでも、毛をそってもらうのはちょっとはずかしかったです。


17時頃、早めの夕食。

翌日は手術のため、

「22時以降は飲食しないでくださいね」の注意以外は他になにもなし。

10日間の入院生活の暇つぶし用に持ってきていた本を読んで、

妊婦最後の日をすごしました。



高校時代の友人2人と超久々の再会。

3人だけで会うのは、ホント何年ぶりかしら?

下手したら10年前とかかもしれない。

Yちゃんとは、下の子が生まれて、哺乳瓶とか借りに行ったときにあったから2年ぶりくらいだけど、

Sちゃんとは、3年ぶりくらいの再会。


でも、ついこの間あったかのように、何の違和感もなく、いつものノリ。


学生時代の友達って、ホントいいわぁ~。


わずか3時間の再会だったけれど、

自分の話、子供の話、仕事の話(3人とも保育園に子供をあずけ、仕事をしている)など、

いやあ、しゃべったしゃべった。



感心したのは、Yちゃんの子育ての悩みに対するSちゃんの答え。

さすが4月から中学生の娘をもつ母親!

だてに子育てしてない! とっても的を得た返答。

すばらしい。


驚いたのは、Yちゃんの通勤。

限りなく奥多摩に近い青梅の、とある所につとめるYちゃんは、

通勤はもちろん車。

同じ東京とは思えないほど、青梅(っていうか奥多摩)は自然がいっぱい。

道路はあるけれど山をきりひらいて作っているから、

動物たちもたくさんいて、

サルが車に轢かれて死んでいたりとか、

鹿が電車にはねられて死んでいたりとかするそう。


サルっすか?鹿っすか?まじっすか?



むかし、たぬきやむささびがいる、っていうのは聞いていたけれど、

もう、鹿ともなるとただただ驚くばかり。


しかも、その死んでいる鹿の角を、

観光客が勝手に切って持って行ったりもするそうで…


ちょっと切ないです。



まあ、そんな話やら、ばかばかしい話やらでもりあがった3時間、

16年前の高校生にかえった時間でした。

私は、娘を2人とも帝王切開で出産しました。

上の子の帝王切開が決まったとき、本やネットで色々調べたけれど、

自分が納得するような内容が書かれたものが1つもありませんでした。


大体のものは、

「帝王切開とはどんなものか」

「どんなときに帝王切開になるのか」

ばかりで、実際に体験した人の声がのっているものはほとんどありませんでした。

(今は、帝王切開を体験した人の声がたくさんのっているホームページもあるようです)


そこで、2人目を出産したとき、ヒマにまかせて記録していたものを、

今回まとめてみることにしました。


さまざまな理由で帝王切開での予定出産になった方に、

そして、関係ない人にも、帝王切開がどれだけ大変なものか、

少しでも理解してもらえればと思っています。



これから、すこしずつですが、アップしていく予定です。




                        




上の娘(現在4歳7ヶ月)の帝王切開が決まったのは、妊娠9ヶ月ころの事でした。

私はもともと体が小さく、体重も少なく、かなり細い体型だったので、

自分でも普通分娩はできるのか、と不安だったのですが、

そこへ来て、逆子が発覚。

いわゆる「逆子体操」をしばらく続けましたが、

娘はがんとして逆子のまま。

しかも、へその緒がからまっている様子。

予定日の2週間前に、手術することになりました。


まあ、出産が早まったことで、微妙に未熟児ではあったけど、

私の誕生日と2日違いで生まれてきてくれたので、

喜びはひとしおでした。


(先生的にも帝王切開での出産の選択は大正解だったようで、

 娘が出てきたとき、「こりゃ普通じゃむりだったよ」という言葉が聞こえてきました。

 どうやら、かなりへその緒が首にまきついていたようです)

この、帝王切開での出産が、思いのほか痛く、つらかったのと、


(麻酔があまり効いていなかった様で、ものすごく痛かった…)


やっぱり1度は普通分娩してみたいという気持ちが大きかったので、


(ママ友達との会話で、陣痛の話になるとついていけないし、少し負い目があったので)


2人目は普通分娩を希望しました。

病院を変えて、

帝王切開後の普通分娩もトライさせてくれるところを探して出産すればよかったのだろうけど、

上の子を連れて検診に行くのは大変そうだし、

大きな病院は待ち時間もありそうだし、

大部屋だろうし、

何よりも上の子の病院が色々な面で気に入っていたので、

(その内容については後々お話できると思います)

1人目と同じ、近所の産婦人科での出産にしました。



先生に普通分娩希望を告げたところ、

「骨盤が狭そうだし、前回が帝王切開なので難しいかもしれませんが、

 できるだけご希望に添えるようにします」

との、なんとも微妙な返事が返ってきました。



ある程度は、無理だろうと思っていたので、

普通分娩できればラッキーくらいの気持ちで、妊娠中をすごしました。



そして、上の子と同じ妊娠9ヶ月のころ、

「やはり普通分娩でのリスクは大きいし、

 万が一何かあったとき、母体も赤ちゃんも大変なことになるかもしれないので、

 帝王切開にしましょう」と告げられ、

出産の日もある程度決められるし、

準備もできるから、ま、いっか、と、了承しました。



手術の日は、胎児の成長の度合いによって変わるといわれたけれど、

結局1人目と同じ、予定日の2週間前。

そして、この日はたまたまダンナの誕生日でした。

(だからウチは4人家族なのにバースデーケーキが2個ですんでしまいます)



こうして、10日間の入院での出産が決まりました。

上の子は、義母がみてくれることになり、

娘は昼間は義母、夜は父、との生活になりました。

幸い、この子は2歳2ヶ月だったけれど言葉がはっきりしていたので、

意思の疎通はある程度できて、お互いに楽しくすごせたようでした。

(おばあちゃんにかなりなつきました)


私はというと、

手術の痛み&不安と、

娘が10日も離れて、ちゃんと暮らしてくれるか、

心配の嵐でした。



続く…