三重県津市 津城その1 攻城206(2022年10月30日訪問)

日本続百名城 No152 37/100

 

<城郭概要>

津城は、三重県津市にある、輪郭式平城で、1550年代に、細野氏により、築城されたようです。その後、織田信長の弟、信包が入城し、5重の天守が築城され、関ヶ原合戦後に、築城の名手、藤堂高虎が今治城から移封され、城を大改修して以後、藤堂家が代々城主となり、明治維新後廃城となりました。

遺構として、石垣、堀、土塁、曲輪が現存しています。

 

 

津城 城郭図

 

<攻城1>

津城は、紀伊本線津新町駅から東に1kmに位置し、城郭東側に津市営お城東駐車場があるので、駐車して攻城開始です。まず目につくのは、高い石垣に建つ、丑寅模擬櫓です。櫓の下部に東黒鉄門、枡形があり、門をくぐると、本丸にでます。本丸奥に藤堂高虎像があり、その奥に天守台がありました。

 

津市営お城東駐車場

 

丑寅模擬櫓

 

東黒鉄門枡形

 

津城案内板

 

本丸跡

 

藤堂高虎像

 

天守台跡

 

 

三重県鈴鹿市 神戸城その2 攻城205(2022年10月30日訪問)

 

<攻城2>

駐車場からすぐ、本丸への登城口があり、本丸広場に神戸城案内板があり、土塁があり、奥に石垣の天守台がありました。石垣は野面積で歴史の重みを感じます。

 

本丸への登城口

 

神戸城案内板

 

本丸土塁

 

野面積の天守台跡

 

 

天守虎口

 

天守台から望む本丸

 

 

石垣

 

神戸城は、本丸を残してほとんどが造成されていましたが、立派な野面積の天守台が現存していて、見ごたえがありました。

 

 

 

三重県鈴鹿市 神戸城その1 攻城205(2022年10月30日訪問)

 

<城郭概要>

神戸城は、三重県鈴鹿市神戸本多町にある輪郭式平城で、1530年代に神戸氏により築城され、滝川一益の侵攻に和睦し,養子にうけいれた織田信長の3男信孝により、より強固に修築され、非現存の天守は、1580年に信孝が複合連結式5重6階として築城したようです。天守は、桑名城に三重櫓として移築され神戸櫓と呼ばれました。江戸時代には神戸藩の藩庁が置かれ、明治維新まで、本多氏7代が城主となり、明治初期に廃城となったようです。

遺構として、天守台、石垣、堀が現存しています。現在城の中心部は神戸公園となり、二の丸跡には、三重県立神戸高等学校が建てられています。

 

神戸城 城郭図

 

<攻城1>

神戸城は、伊勢鉄道鈴鹿駅西1km強に位置し、神戸公園駐車場に駐車して攻城開始です。駐車場の北東に二の丸跡があり、学校が建っています。南に行くと馬場跡があり、西大手と思われる虎口が見受けられます。本丸西は公園となって整備され、水掘り跡がありました。

 

神戸城駐車場

 

二の丸跡に建つ三重県立神戸高等学校

 

馬場跡

 

西大手虎口

 

本丸西の曲輪跡

 

 

 

 

熊野古道周辺の旅 2日目 静岡県浜松市~三重県松坂市(2022年10月30日訪問)

 

 

浜松城補修中で残念だった、絶好のキャッスルビューの浜松城横のホテルを出発して、東名高速に乗り、東名高速浜名湖SAで休憩した後、三重県鈴鹿市にある神戸城、三重県津にある津城、三重県松坂市にある松坂城を目指します。途中津市にある佐藤みかん園に立ち寄り、故郷等に送るお歳暮のみかんを買うつもりでしたが、何と、開園前で休園中でした。今年は暖かく、寒くならないと、甘みが出ないそうです。残念です。みかん園のご主人から、収穫前のみかんを10個ほどいただきました。みずみずしくて、甘みがいまいちでしたが、美味しかったです。

御歳暮は、茨城県奥久慈のりんごを送ろうと思っていましたが、ここは逆に収穫季節前に予約殺到で、売り切れとのメールがきました。残念。今年は、何を送ろうか。思案中です。年老いた母の誕生日も何を送ろうか、思案中です。

 

立寄った城はいずれも、西国の城郭らしく石垣が特徴的でした。松坂城攻城後、松坂市内にある宿泊ホテルにチェックインした後近くのマックスバリューで惣菜等を買い、本日の夕食としました。明日は、後半にいよいよ熊野古道に入っていきます。

 

東名高速、浜名湖SA

 

名古屋神戸線 ナガシマスパーランド付近

 

神戸城駐車場

 

佐藤みかん園

 

津城駐車場付近

 

松阪城駐車場付近

 

松阪市内

 

 

静岡県島田市 諏訪原城その3 攻城204(2022年10月29日訪問)

日本続百名城 No146 36/100

 

<攻城3>

二の曲輪東側に本曲輪への虎口、深い内堀土橋があり渡ると本曲輪にでました。本曲輪は2段状になっていました。本曲輪東側をぐるっと回って南側を行くとカンカン井戸、水の手曲輪があり、南北に長いに二の曲輪に再び出て、二の曲輪外堀の先に、二の曲輪東内馬出、二の曲輪東馬出、二の曲輪南馬出があり、駐車場に戻りました。

本曲輪虎口

 

本曲輪土橋

 

本曲輪内堀

 

本曲輪

 

本曲輪からの眺望

 

カンカン井戸

 

水の手曲輪

 

二の曲輪東内馬出

 

二の曲輪東馬出

 

二の曲輪南馬出

 

武田築城術の真骨頂、馬出しが特徴の諏訪原城に感激しました。来て良かったです。以前、島田市には仕事できていましたが、こんな城跡があったんですね。

 

静岡県島田市 諏訪原城その2 攻城204(2022年10月29日訪問)

日本続百名城 No146 36/100

 

<攻城2>

深い外堀を右に見て北に進むと、広大な二の曲輪中馬出がありました。武田流築城術の真骨頂ですね。感激しました。さらに北に二の曲輪北馬出の門、二の曲輪北馬出しがあり、西側外堀の先に土橋があり、広大な二の曲輪がありました。

 

 

二の曲輪中馬出

 

 

 

二の曲輪外堀、土塁

 

二の曲輪北馬出の門

 

二の曲輪北馬出

 

二の曲輪土橋

 

 

 

広大な二の曲輪

 

 

 

 

 

 

 

静岡県島田市 諏訪原城その1 攻城204(2022年10月29日訪問)

日本続百名城 No146 36/100

 

<城郭概要>

諏訪原城は、静岡県島田市金谷にある山城で、1570年代に、武田氏家臣の馬場信春によって築城されたようです。徳川氏時代の城名は牧野城のようです。天守は無く、堀、曲輪、馬出などの遺構がはっきりと現存していて、武田氏、徳川氏の築城様式を知る上で貴重な城跡となっています。特に多数の三日月堀、馬出しは、突出しています。徳川氏と武田氏の攻防で重要な城となった高天神城を攻略するために築城され、甲州征伐で武田氏が滅んだ後、1590年代に廃城となったようです。

 

諏訪原城 城郭図

 

諏訪原城 パンフレット

 

<攻城1>

諏訪原城は、JR東海道本線金谷駅から西に車で数分のところの牧ノ原台地の突端にあり、城郭の南側に諏訪原城ビジターセンター駐車場があるので、駐車して攻城開始です。駐車場から北に進むとすぐに大手南外堀跡がありました。かなり、埋まっているようです。外堀の先は大手曲輪で、諏訪原城跡石柱があり、その先に大手北外堀があり、その先に惣曲輪がありました。

 

諏訪原城ビジターセンター駐車場

 

登城口、案内板

 

大手南外堀跡

 

大手曲輪

 

大手北外堀跡

 

外堀

 

諏訪原城跡石柱

 

惣曲輪

 

 

 

 

 

 

熊野古道周辺の旅 1日目 静岡県島田市 蓬莱橋(2022年10月29日訪問)

 

小山城から諏訪原城へ行く途中に、世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」があるので、立ち寄りました。以前仕事で、蓬莱橋まで10数分ほどのところに出張で来ていました。その時以来です。大井川河岸に無料駐車場があるので、駐車して見学しました。以前は確か通行料はとっていなかったと記憶していますが、現在は往復100円でした。ただ、渡りませんでした。結構、観光客で混雑していました。

 

大井川北岸

 

無料駐車場

 

蓬莱橋

 

 

静岡県吉田町 小山城 攻城203(2022年10月29日訪問)

 

<城郭概要>

小山城は静岡県榛原郡吉田町にある、連郭式平山城で、1570年代に、馬場信春により築城されました。

天守は無く、望楼型3層5階(RC造)の模擬天守が建っています。

湯日川に面した舌状台地上に築城され、本曲輪・二の曲輪・三の曲輪からなる連郭式の城で、甲州流築城術の特徴である丸馬出し、三日月堀を持ち、三重の三日月堀は内側から幅7メートル、9メートル、10メートルであり、内側の2つには土塁があるが、一番外の堀には土塁がないようです。三重の堀は、他にあまり例がないとされているようです。

武田信玄の領土拡大により、大熊朝秀(長秀)を城主におき遠州攻略の拠点としたようです。

信玄の病死後には、武田勝頼が跡を継ぎ、東海道の金谷原に諏訪原城を築城し、高天神城攻めの足掛かりとしたが、長篠の戦いに敗退後、諏訪原城も落城し、残兵が逃げ帰った先が小山城であったようです。小山城は堅牢であったようですが、織田・徳川軍による甲州征伐により、落城し、その後廃城となったようです。

遺構として、土塁、曲輪、堀、馬出しが現存しています。

 

小山城案内図

 

<攻城>

小山城は吉田城南西20km弱のところにあり、吉田町営駐車場に駐車して攻城開始です。城郭南側にある、能満寺山門から登城します。坂道を進むと本丸跡に出て復元された空堀、三日月掘り馬出しがありました。本丸奥に、模擬天守がありました。最大の見ものは、本丸奥の三重堀です。武田の城再骨頂です。大手門方面の道は進入禁止でした。

 

小山城駐車場と小山城天守(模擬)

 

登城口と能満寺山門

 

小山城案内板

 

本丸への上り坂

 

本丸跡

 

 

復元掘り、三日月掘り馬出し

 

模擬天守

 

三重堀

 

小山城は、武田流の築城術が冴えた平山城でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

静岡県藤枝市 田中城その2 攻城202(2022年10月29日訪問)

 

<攻城2>

庭園跡北側を流れる田中城防御の中堀と思われる六間側を渡り、同心円状に曲輪形成される田中城を時計逆回りに東側から攻城します。土塁跡、三日月堀跡、があり、中心部に向かっていくと、二の門跡があり、

小学校、中学校が建つ本丸跡がありました。

 

城郭南側の防御 六間川

 

土塁跡、三日月堀跡

 

二の門跡

 

本丸跡

 

本丸の東側に回ると、二の水堀跡、三の水堀あとがありました。堀の水はとても綺麗でした。今でも沸いているようです。

 

二の水堀跡

 

 

三の水堀跡

 

田中城の遺構はほとんど残っていませんでしたが、ここが、武田、徳川のせめぎあいの地であることが実感させられる城跡でした。