誰かを見て、あまり幸せそうではないな、と思う。

人から嫌われることばかりしている。

いつも苦々しい顔をしている。

つまらないことばかり考えているのだろう。

不幸に違いない。

でも、本人は、本当に不幸だと思っているのだろうか?

ひどい生活をしていても、それになれてしまえば、気にならないものだ。

もっと快適な暮らしを経験しなければ、生活とはこんなもの、と思っているだろう。

私自身だって、それなりに幸せだと思っているが、もっといい暮らしをしている人からは「不幸だな」と蔑まれている可能性もある。

幸せを感じるのは、人それぞれの主観で、客観的な基準があるわけではない。

誰かの幸せについて、あれこれ判断することはできない。

どんな生活でも、幸せだと思えば、幸せ。

逆に、不幸だと思えば、不幸にもなる。

だから、人は、クリエイターなのかもしれない。

人から決められる幸せなんてものはなく、自分自身が選んでいくんだ。





メンタリストDaiGoさんは、論文や書籍紹介の伝道師みたいになっています。


DaiGoさんのブログ(https://daigoblog.jp/)は役に立つ知識もあり、紹介される書籍は、読みごたえがあって面白いです。


その中で、ミスを減らす考え方、というものがありました。


それは、4つの問いかけです。


1、ちょっと待てよ

2、そもそも

3、逆に

4、つまり


「ちょっと待てよ」 と考えることで、そのとき展開している考えと距離をとり、客観視できます。


「そもそも」 と考えることで、それを詳細に確かめることができます。


「逆に」 と考えることで、距離をとり、詳細に確かめた考えを違う視点から、新しい展開を考えることができます。


「つまり」 と考えることで、新しい展開をした考えをまとめることができます。

考えることは、進んでいるようで、同じところをグルグル回っているだけのことも多いものです。


4つの問いかけをして、新しい展開を見つけてみてください!!
20年前に知った(出会った)方をフォロー(というのか)してきて、コメントはスルーされ、たぶん、嫌われてるんだろうな、と思いながら透明人間のようにそっと見てきて、Twitterがフォローされ、たぶん、いや、絶対に、私が誰かは知らない。そういう方がいる。

その方は、新米の医師だった。

初々しい外来診察の記事が、かわいかった。

ものすごく本を読んでいて、バイオリンが好きで、ちょっと人が苦手な方だった。

私が結婚した頃、その方にも出会いがあり、結婚した。

たぶん、子供は、同い年くらい。

コメントしてもスルーされ、たぶん、嫌われていると思った。

科学を重んじる医師には、胡散臭いスピリチュアルの言葉を書いたから、はじめからお呼びでない。

アクセス解析から、私のブログへ何度か訪問があったのがわかった。

院生だったときの大学名まで、わかってしまいましたよ、先生!

透明人間のようにそっと見てきた。

かわいい時代は過ぎ、母になり、もうおばさんと言われる歳になった。

Twitterをフォローしたとき、フォロー返しをしてくれた。

相互フォローというやつだ。

たぶん、いや、絶対に、私が誰かはわからない。

フォローしても、読んでくれてるかわからないな〜

とりあえず、フォローは外されていないから、それだけでいいか。

20年以上、フォロー(というのか)してる。

縁があるのかな。





元新聞記者、神戸金史さんの投稿です。


✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨

障害を持つ息子へ 

私は、思うのです。 
長男が、もし障害を持っていなければ。 
あなたはもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。 

私は、考えてしまうのです。 
長男が、もし障害を持っていなければ。 
私たちはもっと楽に暮らしていけたかもしれないと。 

何度も夢を見ました。 
「お父さん、朝だよ、起きてよ」長男が私を揺り起こしに来るのです。 
「ほら、障害なんてなかったろ。心配しすぎなんだよ」 
夢の中で、私は妻に話しかけます。 

そして目が覚めると、いつもの通りの朝なのです。 
言葉のしゃべれない長男が、騒いでいます。 
何と言っているのか、私には分かりません。 

ああ。 
またこんな夢を見てしまった。 
ああ。 
ごめんね。 

幼い次男は、「お兄ちゃんはしゃべれないんだよ」と言います。 
いずれ「お前の兄ちゃんは馬鹿だ」と言われ、泣くんだろう。 
想像すると、
私は朝食が喉を通らなくなります。 

そんな朝を何度も過ごして、
突然気が付いたのです。  

弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、 
人をいじめる人にはならないだろう。 

生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。 
お前の人格は、この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。 
お前は優しい、いい男に育つだろう。 

それから、私ははたと気付いたのです。 

あなたが生まれたことで、 
私たち夫婦は悩み考え、 
それまでとは違う人生を生きてきた。 

親である私たちでさえ、 
あなたが生まれなかったら、今の私たちではないのだね。   

ああ、息子よ。 

誰もが、健常で生きることはできない。 
誰かが、障害をもって生きていかなければならない。 

なぜ、今まで気づかなかったのだろう。 

私の周りにだって、
生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。 
生まれた時から重い障害のある子が、いたはずだ。 

交通事故に遭って、車いすで暮らす小学生が、 
雷に遭って、寝たきりになった中学生が、 
おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、 
嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、 
実は私の周りには、いたはずだ。 

私は、運よく生きてきただけだった。 
それは、誰かが背負ってくれたからだったのだ。   

息子よ。 
君は、弟の代わりに、 
同級生の代わりに、 
私の代わりに、 
障害をもって生まれてきた。 

老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。 
事故で、唐突に人生を終わる人もいる。 
人生の最後は誰も動けなくなる。 

誰もが、次第に障害を負いながら
生きていくのだね。 

息子よ。 
あなたが指し示していたのは、私自身のことだった。 

息子よ。 
そのままで、いい。 
それで、うちの子。 
それが、うちの子。 

あなたが生まれてきてくれてよかった。 
私はそう思っている。 

             父より 


✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨


余裕のあった時代は過ぎ、格差がむきだしになり、暗い気持ちを抱えた人たちが、SNSで憂さを晴らす時代。

優生思想が唱えられるのは、社会に有用でない人間は排除されても仕方ないと思われることと同じです。

社会の安定がゆらぎ、未来の展望もあやうくなったとき、弱い立場にある人へ向けられるのは、社会のお荷物という憎悪です。

障害者を抱える家族は、言葉にしなくても、植松聖に同意する人もいるかもしれない。

福祉現場で働くスタッフでさえ、本音では、植松聖と同じ意見かもしれません。

神戸金史さんの投稿が心に響くのは、あるべき姿が描かれているから。

障害者をもつ家族は、そうありたいと思います。

でも、暗い気持ちは簡単に塗り替えられるものではありません。

みんな暗い気持ちを抱えながら、光を見い出して荷物を抱えているのです。

笑顔に救われ、成長していると希望を望み、厳しい現実に、闇に導かれます。

植松聖になりかけながら、それでも、愛することを選ぶのは、それが人間だからです。

誰の心にも、植松聖がいて、神戸金史さんもいます。

荷物を抱え、泣き笑いしながら、愛のために生きることが、その子から贈られたプレゼントです。





野田洋次郎が優生思想をツイートしていた。

子育ては、子供が「元気」で、「幸せ」になってほしいと願いながら育てるのが普通。

優秀な大人に育って、国家のためになれなんてことを第一に考えたら、心がねじ曲がり、健康も失い、社会に害を及ぼす人間にもなりかねない。

野田洋次郎は、子育てを生産工場のように思っているのか?

心身ともに健康な子供に育てるのは、夫婦の愛情の積み重ね。

生まれ持った才能を開花させるのは、心身の健康があってこそ。

国家プロジェクトで選ばれた夫婦に「愛」なんてあるわけなくて、家畜のように生産するなんて化物遺伝子の人にも失礼。

野田洋次郎は、冗談だと軽く言ったが、エリート階層では、真剣に考えている人も多いような気がする。

遺伝子による命の選別。

サラブレッドのように、遺伝子で交配させるのは、人権に対するひどい侮辱だ。

それはまた、劣性遺伝子を排除する思想にもつながる。

遺伝子が様々あるのは、環境の変化にも耐えられるために多様性が必要だから。

優秀とされるのは、現時点での環境での優秀さであり、環境が変われば、優秀とされる基準も変わる。

遺伝子で淘汰するべきでないのは、多様性を失ってはいけないから。

また、優れているから幸せなのではなく、劣っているから不幸なわけでもない。

人生で直面する問題に対して、大小様々あっても、誰でも、孤独に、わからないことに試行錯誤しながら挑戦しなければならない。

それは、優秀かそうでないかは関係ない。

命の輝きは、目の前の問題に、精一杯、力を尽くして挑戦すること。

人から見て、小さな山でも、それがベストを尽くして超えた山なら、大きな成功に違いない。

売れたから優秀で価値があり、売れなければ劣っていて価値がない。

資本主義の市場原理では、そうかもしれない。

でも、個人の小さな宇宙の中では、心の中がすべて。

自分が、自分を判断する。

自分を褒めてあげられたら、劣った遺伝子でも、そんなの関係ないよ〜


自分は「正しい」と思っているのに、人からは批判される。

また、自分は理不尽だと思っているのに、人は自分たちを「正しい」と思っている。

正しさと正しさをぶつけあって、ちょうどよいところで妥協点を見いだし、円満に解決……そんなことは個人間でも、国家間でもそうそうない。

自分も人も、みんなにとって適切な「正しさ」を認識できることはまれで、正しいと思っているけど、まわりにとっては正しくないことがぶつかりながら、ブツブツ文句が雑音のように響いている。

近江商人は、「三方よし」ということを大事にした。

それは、自分よし、相手よし、世間よし。

自分だけがよくても、また、自分だけが犠牲になっても、世間に悪くても……そんなことが正しいとは思わなかった。

三方がよくて、はじめてそれが正しいと思った。

会社でも家庭でも考えることは、みんなにとってよいこと。

自分も、相手も、世間にもよい。

みんながそう考えたら、平和になりそう。


note はじめました

https://note.com/hitaka712

 

 


「いいね!」にあたるスキを1000回したら、スキ返しを200回いただきました。


わりと好評な感じがします。


noteにはサポートという仕組みがあり、金銭をいただけることもあるようです。


お金欲しいな〜


登録者数も多く、なかなか賑わっているようです。


アメブロのほうは、私は全然、「ウケない」のですが、そのウケなさ具合がいいな〜と思っています。


引き続き、アメブロでは実験的なことも書いたりしたいと思います。


noteも、よろしくお願いします!

美しい若手俳優が自死しました。

何があったのか推測でしかわかりませんが、みずからを殺めることは肯定できず、残念だったと思います。

生きることから逃げて、死ぬことでは何も解決しません。

つらくても、生きることでしか解決はできません。


0か1で考えれば、生きるという1でなければ、死ぬ0を選んだのだと思いますが、例え限りなく0であっても、0.1でも0.01でも、わずかでも望みがあれば、死という0は選ばないで欲しいと思います。


かっこわるくても、生きてください。


生きいそぎました。


急がば回れ、というように人生に真正面からぶつからず、迂回してゆっくり生きることもできました。


休養して、オフにすることもできました。


俳優をやめて他の人生を生きることも、反対されたとしてもできたはずです。


否定の渦に巻き込まれても、肯定してくれるひとりがいたら、命をつなぐことができた。


そのひとりがみつけられなかった。


いや、いたのかもしれないけど、その声が届かなかった。


そのことが、惜しいと思います。


愚痴や弱音を吐ける人も、身近にいなかったのでしょう。


便秘のように毒を溜め込むと病気になります。


本音を吐ける人が、命を救ってくれます。


惜しまれるのは、いい人だったから。いい仕事をしてきたから。


そのファンの声が届いていたら、命を失わずにすんだのでしょうか
夢で県外へ家族旅行していた。

どこへ行っても、感染の心配ばかり。

夢だったけど、旅行はダメだな~

今週の4連休に、いつも慎重な妻でさえ、どこかへ行きたい、子供に思い出つくりしたい、と言っていたけど、それはみんな同じ。

これだけ全国の都市部を中心に感染が広がっている今は、家でゲームでもしていたほうが安全。
子供が駄々をこねるとき、傾聴する。

といっても、簡単なもの。

「そうなの〜○○なんだね」

これでOK

息子(11歳)が駄々をこねる。

「Switch欲しい」

……そうなの〜Switch欲しいの

「Switch欲しいんだって!」

……そう〜欲しいの〜

「もうパパと話しても無駄だ」

これで終了。

結局、2年くらい待たせて、ホントに欲しいんだなとわかって買った。

娘(2歳)が泣く。

よしよし

娘の心の痛みを共に感じる。

言葉は無くても、傾聴する。

傾聴は、共感と同情。

相手の気持ちを共に感じるだけ。

傾聴は、他人に対してだけでなく、自分自身にも有効。

悲しい、虚しい、怒ってる……

いろんな感情をもつ心を「自分」が感じる。

よしよし、○○なんだね

心の波とシンクロし、包み込む。

みんな孤独なのは、心が半分しかなくて、不安定だから。

傾聴は、心を安定させる。