

玉石混交の情報が氾濫する今の時代、正しい情報をつかむことが難しい。
ワクチンにしても、賛成派と反対派に分かれ、どちらが正しいのか本当のところわからない。
それが、命にも関わるため、判断が重要になる。
私は、個人の「勘」は頼りになると思っている。
一度や二度は、間違うかもしれない。
でも、3という数字が好きなので、3で言えば、3週間、3ヶ月、3年と長期間に渡って、同じ「勘」を働かせることができたとき、その勘は正しいと思う。
ただ、正しい勘を持つことができたとしても、妨害されることがある。
新興宗教にはまっていた知人がいた。
私は、話しを聞くだけで、その信仰を否定はしなかった。
あるとき、知人が言った。
「あそこは、金のことばかり。これを信じていても、病気が良くなるとは思えない。もうやめたほうがいいんだろうか」
よかった。やっと、やめてくれるんだ、と思った。
しかし、その後、その宗教の集会に出たようで、考えが元に戻っていた。
「俺は、これを信じるしかない。先生の話しを聞いて、感動の涙を流した。こんなものは他にはない」
勘が正しくても、集団に染まってしまうと、考えが矯正されてしまう。
ワクチン賛成派、反対派。
それらの情報源と接することを少しやめて、自分の中から、どっちよりの勘が働くのか、それをなんとなく思ってみるのもいいと思う。


秋もいよいよ本番で肌寒くなってきた。夕方6時頃、外は真っ暗だった。私は自転車で地下道を通り、自転車を車道に乗せて地下道を昇っていた。出口付近まできたとき、そこに保育園の帰りらしい、小さな男の子がいた。
「家まで連れて行ってよ」
突然、話しかけられたことにビックリし、また、この子供のお願いの図々しさに呆れた。戸惑いながら、ぎこちなくどこまでか聞くと、反対側の川沿いの方向を指差した。私は図書館へ行って、返却日ぎりぎりの本を返しに行こうと思っていたのだが、小さい子を無視することもできず、自転車を引きずりながら、不思議なお願いをする子供と一緒に歩いた。
私は子供と話をするのは久しぶりなので、どう話せばいいのかわからず、「バチらーめんでラーメン食べたことある?」とか「テルメ金沢、知っとる?」などという質問に曖昧にしか答えられなかった。通りすがりの人たちにじろじろ見られ、なんだか子供をもったみたいだなぁ、と内心うれしかった。私は自然とニヤついていた。
「コンビニでおもちゃ買って。何か、買って」
私の笑顔はその言葉で消え失せた。
私も子供の頃、よくそう言って母親を困らせたものだった。母親はいくら駄々をこねてもクリスマスや誕生日以外には何も買ってくれなかった。しかし、祖母は一緒に買い物へ行くと、いつもがらくたのようなものを買ってくれた。母親が教える「我慢」という心は祖母が私を甘やかすことによって台無しにされていた。だから、私は3人兄弟のなかで一番の甘えん坊になった。
「何も買わないよ」
私は強くはないが、はっきりした声で言った。子供はそれを聞かず、コンビニへ入っていった。私も仕方なくコンビニへ入り、この子供のペースにはまっていると感じていた。少年マガジンの新刊を読むふりをして、子供が離れたすきにこっそりと店を出た。そのまま自転車で図書館へ行ってもよかった。図書館は8時までだからまだ間に合う。でも、子供の小さな心に取り返しのつかない傷がついてしまうかもしれない。それが、はじめての裏切りになるかもしれない。そう考えて、私はその子から逃げることをやめた。
店の入口付近で待っていると、子供は私を見つけて外へ出てきた。私はしゃがみこんで子供の顔を同じ目線で見た。その顔を少しつねった。多くの水分を含んだ肌は柔らかく、美しかった。母親のことを聞くと、イオンで買い物をしているとか、先に帰ったなどと言う。
「悪いお母さんだな」
先ほどから、母親のことを聞くと、何か胸を針で刺されたかのような反応をする。よく聞いてみると、ご飯を食べないことで母親が怒り出し、もう家に帰ってこなくていいと言われて飛び出してきたと言う。家に帰らないか、と聞いても、「いやだ」と言い、親が心配していると言っても、耳を貸さない。
私も小さいとき家出をしたことがあるなぁ、と話した。家出といっても、家の車庫に隠れただけだったけど……と話していると、その話に興味をもったようでいろいろ聞いてくる。その反応が意外だった。いろいろな世間の汚れを知っている大人と子供の心は違う。その真っ白で無防備な心は、大人の何気ない一言を乾いた砂に水が染み込むように受け止め、その言葉は大人が受け入れる何倍もの大きさで受け入れられる。そして、私の目にかすかに浮かんだ「迷い」や「不快感」といった感情を素早く読み取っているようだった。
名前を聞くと、その子は「藤倉すうせ」と言った。
私は、すうせが「スーパーで何か買って」「あそこのファミリーマートでおもちゃ買って」と言うのを無視した。そして、すうせの家がありそうなところをうろうろしていた。道端で休むと石投げをしたり、用水路をすうせが飛び越えて、「お兄ちゃんもやってみろ」と言う。私は当然、石投げも勝ったし、用水路も飛び越えることなく、またぐことができた。手が無くなった〜などと言うときは、素直に驚けばいいのに、私はひねくれた言葉で答えた。
「無くなった手はどこいった?」
「手は何本はえる?」
歩いてきたおばさんに聞いてみた。
「藤倉さんのお宅をご存知ですか? なんか迷子になったみたいで……」
すうせは大きな声で言った。
「迷子じゃないもん!」
おばさんは、この辺りの人ではないので知らないと言い、鈴見町あたりに交番があると教えてくれた。「一緒に行きましょう」と親切に言ってくれたが、すうせが嫌がるので仕方なく断った。私は近所の家を一軒一軒まわることにした。
すうせは自転車に乗りたいと言った。私が乗ったことがあるのか聞くと、母親に乗せてもらったことがあると言う。すうせが自転車の座席に座り、私は後ろから、すうせを抱きかかえる形で座った。自転車をこぎ、すうせが風が頬に当たって涼しい、と言った。さっきのことが気になるようで、「交番に行くの?」と聞いてくる。私は「行かないよ」と言った。
一軒一軒、家をまわり表札を見る。「藤倉」はなかなか無い。すうせに聞くと、家は一戸建てではなく、マンションらしい。ここで、誰かこの子を知っている人を探せばよかったのかもしれないが、また「交番へつれていけ」などと言われると面倒だと思い、やめた。
すうせはYシャツ一枚しか着ていなかった。すうせが風邪をひくかもしれないと思い、カバンに入っていた雨合羽の上着を着せた。なぜか無性にかわいくなり、抱きかかえてみた。
「抱っこはこれでいいの?」
「いいよ」
すうせが私をおじさんと言うので、私は「おじさんなんて言ったら、そこに投げちゃうぞ」と言って、投げるふりをした。
「どうしたらいいんだろうな」
私は不安をはっきり声に出していた。すうせは私の不安を無視し、「何か買ってくれ」としか言わない。私の頭の中に、何か買って、一緒に食べたらいい、という考えが浮かんだ。すうせも私も腹が空いていた。しかし、そんなことをしたら、すうせは調子にのって、また同じ事をするだろうと思った。
「今、お母さんは何してると思う? すうせを探しているんだよ」
私は何度もそう言って聞かせた。すうせは、家に帰りたくない、と言う。
「自分の親以外にすうせを食べさせたり、あたたかいところに住ませたりしてくれる人はいないんだよ」
「小さいうちは親の世話になるけど、大きくなったら、自分で働いてお金を稼いで食べていかなければならないんだよ」
私はすうせに言ってるんだか、自分に言い聞かせているんだかわからないことを話した。それはまた、祖母がいつも私に言い聞かせてくれたことだった。
「うちでお母さんが心配しているから、俺は家に帰るわ」
私の家には誰もいないが、わざとそう言ってみた。
「お母さん、心配してるだろうな」
すうせを置いていなくなるようなことを言うと、すうせは少し、泣いた。私は自分の家に帰る道を歩いていた。すうせも一緒についてきた。そして、すうせは「コンビニでおもちゃ買ってくれたら、帰ってもいいよ」と言った。すうせの母親は何も買ってくれないので、家にはおもちゃが無いそうだ。
「お母さん、心配してるよ」
私が言えるのはそれだけだった。
浅野川の橋の辺りで、道路の反対側を歩いていた人が、こっちをじっと、すうせをじっと見ていた。
すうせは逃げ出し、その人物に向かって「バカ!」と叫んだ。母親がやっと見つかった。私は自然と笑顔になった。目の前の道路に一台の車が止まり、運転席にいた女の人が走ってきてすうせを抱きしめた。その女の人は保育士さんだった。母親は「どこで見つけた?」「いつ頃?」などと私に聞いてくる。すぐにすうせを抱きしめた保育士さんのほうが、よっぽど母親らしいと思った。母親に礼を言われ、私はすうせをちらっと見た。
「すうちゃん、先生も捜してくれたんだよ!」
母親の声が聞こえた。すうせは保育士さんに抱きしめられてキョトンとしていた。そして、私は自転車に乗って家へ帰った。