真面目に生きることしかできないのは、不真面目に生きるのが怖いから。

真面目に生きていないと、何かを失ってしまうような気がする。

不真面目に生きるって、何だろうね。

暴飲暴食、夜ふかし、夜間の外出、育児放棄、不倫、詐欺や嘘や隠蔽……

何かを失うものばかりだ。

不真面目はいけない! 真面目に生きよう。

真面目に生きたら、安全だし、安定しているし、安心。

でも、規定のレールにそった人生しか送れず、規格外のとんでもない人生にはなりえそうにない。

バランスを崩してでも、どこかぶっ飛んだところがなければ、規格外にはならない。

芸術家や発明家。昔の作家や役者には、規格外の人が多かっただろう。

良い子ばかりになり、少しでもレールからそれたら炎上し、マスコミ&SNS総攻撃。

それでいいのだろうか!?

真面目はいいことだけど、不真面目もなければ、新しいものは生まれないのではないか。

真面目9割で、不真面目1割。

ちょっとだけなら、不真面目でもいいんじゃないかと思っている。


11歳の息子氏

はやく風呂に入れ!
はやく寝ろ!
お菓子のゴミを捨てろ!

何度、同じことを言ってもなかなか言うことを聞かない。

聞く力が無いのかな、と落ち込んでいた。

でも、やりたいことは何が何でもやる芯の強さ。

何度も止められても、それでもやりたいと言い続ける。

親が見せたちょっとした隙をかいくぐるように、やりたいことを達成する。

それでいて、あまりしつこくは無い。

抜け目ない。忍耐力もある。

なかなかやるな、と最近は思っている。

親の言うことを聞く「いい子」は、自分の気持ちを抑え、演じているところもある。

親の言うことを聞かないのは「悪い子」だけど、言い方を変えれば、自分をしっかりもっているとも言える。

自分が納得し、親の気持ちがわかるようになれば、言うことを聞くようになるだろう。

それまでは、同じことを言い続けるしかないのか…(トホホ)
地震後、11歳息子が、「地震が怖くて寝れない」とパパの隣に来た。

手をつないだら、すぐ寝た。

スキンシップというように、人肌のぬくもりは、心を癒やす。

子供が怖がっていたら、手をつないであげてください。

ひとり暮らしで、動物を飼っていたら、動物に触れてみてください。

そうではないなら、自分の心を抱きしめてください。

大丈夫。

なんとかなる。

ひどい時代ですが、今を精一杯、生きて生きましょう。
幸せは、ちょっと上を目指すこと。

難しすぎては、やる気を無くす。

簡単すぎては、心が燃えない。

ちょっと上くらいの目標は、心が燃える。

そのとき、脳内ではドーパミンが出ている。

心を燃やして生きたら楽しい🎶
フローやゾーンと呼ばれる神がかり的な状態になると、アイデアが湯水のように湧き、困難にもひるまずに突破できるようになるという。


哲学者のプルタルコスは言った。

心は満たされるべき器ではなく、燃やされるべき炎。

草食男子やサトリ世代。

空気を読むコミュニケーションは、心を冷めさせるものでしかない。

安全を保っても、それで生き抜けるほどたやすくはなくなったコロナ禍の時代。

煉獄さんは言った。

「心を燃やせ」

今、必要なのは、フローやゾーンに入り、神がかり的な力を発揮する炎🔥



私は、幼い頃から、感受性が強く、心が傷つきやすかった。

暗闇をこわがり、おばけを怖がり、人見知りで、ひとが怖かった。

思春期の頃から、心を閉ざすことで、傷つく心を守ろうとした。

エヴァンゲリオンでいうところのATフィールド(絶対不可侵領域)展開である。

初めて付き合った女性が妻で、少しずつ開いてきた心をどんどん開放させてくれたのは妻だった。

感受性は昔と変わらず強い。

痛みやすい心は、タフになり、心が開いてもくじけないようになった。

感じやすい心は、痛みを通して世界とつながっているのかもしれないと思う。

この痛みは、ひとのストレスや怒りや悲しみなどの痛み。

テレパシーのように、私はそれを自分の痛みとして感じ取るのではないか?

誰かの近くにいるだけで、痛みを受け取ってしまうのである。

それを癒やして返すことで、プラスのエネルギーが相手に伝わるのではないかと非科学的な妄想をしている。




紅茶のティーパックが最後の1個。

これを飲んだら終わり。

今日という1日が終わることは、残りの人生が1日少なくなることと同じ。

日常のあわただしさに忙殺され、駆け足で日々が過ぎていく。

何をしてきたのだろう。

これから何をしたいのだろう。

消えていく時間と共に、成熟していく何かがあるのだろうか。

私は何を…

最近は、kindle unlimitedで電子書籍を読むのが楽しい。

ちょうどいい幸せは、これでいいのか
幸せは、誰かの幸せを願うこと。


自分のための幸せではない。


職場や家庭で、誰かの幸せを願うとき、働いたり、教えたり、思いやったりする。


そういう人は、大事にされるし、家族が笑顔になれば、自分も幸せ。


自分のための幸せを考えるとき、自分さえ良ければいい、という風になってしまう。


職場の人や家族から嫌われて、幸せになれないわけです。


そうはいっても、みんなのために働くばかりで、それが当たり前になり、搾取されるだけで、何もリターンがない。


それでは、自分は幸せになれない。


言いたいことを主張したり、たまには休みをもらったり、仕事を分担してもらうことも、幸せには必要なこと。


わがままを言ってもいいのだと思う。


それが正当な願いなら。


誰かの幸せを願うことと同じくらい、自分の幸せも願う。


簡単にかききえてしまう幸せの灯りをそっと抱えながら、コロナ禍を生きる。
あまりにも考えないので、何かをするとき、3秒、考えてみようと思って、壁紙にした画像↓




我ながら、バカみたいだと思う。
カラマーゾフの兄弟 上巻を10%まで読んだ。

3人兄弟の末っ子、アリョーシャ。

天使のような性格で、みんなから愛される。

俗悪の父親フョードルにさえも、愛された。

アリョーシャは、若く、活力が溢れ、理想に燃えていた。

聖母マリアに祈っていた幼いときに見た亡き母の記憶。

聖人として、崇められたゾシマ長老との出会い。

アリョーシャが目指したのは、不死だった。

心の内から燃え上がる理想の王国の実現だった。

若いときは、無知なもの。

挫折を知らず、世の中にある複雑な問題を単純に解決できると考え、理想に燃える。

挫折し、世の中の問題がそもそも手に負えないことだと悟ると、老化とともに、理想の火は消えていく。

年を重ねることは、あきらめを重ねていくことと同じ。

若い日の夢は、現実という日常に醒まされて、妥協とあきらめに満ちた生活になっていく。

そんな中年になった私でも、アリョーシャのような輝きに満ちた目を見ると(見ていないけど)若い日を思い出す。


どうせ挫折するのだろう。

理想が叶わない心の痛みを軽くするために釘を刺す。

でも、その理想を失わないのなら、その心は本物だ。

小説というウソの世界だけでも、理想を失わないアリョーシャが存在して欲しいと願う。