

夜明け前がいちばん暗い。
いつか希望の朝日が昇る。
……そんなことをよく聞く。
コロナ禍からはじまった世界の流れは、どうも深刻な闇が深まっているような気がしてならない。
本当に朝日が昇るのだろうか
ステイホームで持久戦のように耐えている。
弱いところから、倒れている。
オリエンタルランドでさえ、赤字。
このままでは、みんなが好きなディズニーランドが倒産する。
ワクチンでコロナが制圧できるのだろうか
コロナより、もっと恐ろしい事態が水面下で進んでいるような気がする。
それはともかく、自分自身にも、闇がある。
世の中が、「夜」の中であるように、自分自身も、無知蒙昧という闇に覆われている。
世界の夜明けを期待するだけでなく、何より、自分自身の夜明けを達成するべきではないか
そんなことを思う。
お釈迦様が自灯明と言われたように、自分自身に太陽のような光が灯されたら、周囲の人たちを照らすことができる。
誰もが夜明け前の暗闇の中にいる。
心に朝日を昇らせるには、どうしたらよいか
そんなことを考えて、スマホの壁紙を新しくした。

夕陽を見た。
娘は言った。
「おほしさま!」
おひさまだよ、と訂正しても、おほしさま、と言う。
娘にとっては、おほしさまなんだね。
太陽も、恒星で、星のひとつ。
娘が天使だったとき、太陽も星のように見えていたのだろうか
小さい子の感性には、びっくりするときがある。

未来のことが不安になるとき、心が「今」から離れている。
心が遠い未来へ行ってしまって、今という地面に足が着いていないから、得体の知れない不安が忍び寄ってくる。
不安は、今に専念することで消えていく。
ミヒャエルエンデの「モモ」で、掃除夫べっぽじいさんは、こう言った。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
広い道路を掃除することを考えると、自分にできるのか不安になる。
掃除は、まず、つぎの一歩、つぎのひと呼吸、つぎのひと掃き。
それを考える。
それは、今に生きること。
得体の知れない未来への不安は、目の前にある「今」に専念することで消えていく。
会社で「何を学ぶか?」と自分自身に質問しながら、現場へ向かった。
仕事でミスをして、上司に説教される。
いつもなら、嵐が過ぎるのを待つだけの説教。
今回は違った。
「何を学ぶか?」
それは、今の自分に欠けていることへの気づき。
上司の説教が今までとは違って聞こえた。
自分自身に質問することで、脳がGoogle検索してくれる。
いきなり効果があったので、樺沢紫苑の「アウトプット大全」はオススメです。

玉石混交の情報が氾濫する今の時代、正しい情報をつかむことが難しい。
ワクチンにしても、賛成派と反対派に分かれ、どちらが正しいのか本当のところわからない。
それが、命にも関わるため、判断が重要になる。
私は、個人の「勘」は頼りになると思っている。
一度や二度は、間違うかもしれない。
でも、3という数字が好きなので、3で言えば、3週間、3ヶ月、3年と長期間に渡って、同じ「勘」を働かせることができたとき、その勘は正しいと思う。
ただ、正しい勘を持つことができたとしても、妨害されることがある。
新興宗教にはまっていた知人がいた。
私は、話しを聞くだけで、その信仰を否定はしなかった。
あるとき、知人が言った。
「あそこは、金のことばかり。これを信じていても、病気が良くなるとは思えない。もうやめたほうがいいんだろうか」
よかった。やっと、やめてくれるんだ、と思った。
しかし、その後、その宗教の集会に出たようで、考えが元に戻っていた。
「俺は、これを信じるしかない。先生の話しを聞いて、感動の涙を流した。こんなものは他にはない」
勘が正しくても、集団に染まってしまうと、考えが矯正されてしまう。
ワクチン賛成派、反対派。
それらの情報源と接することを少しやめて、自分の中から、どっちよりの勘が働くのか、それをなんとなく思ってみるのもいいと思う。





