もうすぐクリスマスですね。

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当時、25歳の彼女に高校生が買うようなシュシュをプレゼントした。

千円。

彼女にリクエストしてもらったのは、ちょっといい石鹸。

翌年、結婚しました。

(実話)


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妻になった人にあげたクリスマスプレゼントのシュシュは、付属の宝石みたいなプラスチックだけが残り、今も妻の車に飾られている。
「影響力の武器」(誠信書房)によると、返報性の原理というものがあり、誰かに何かをもらうと、それに対して、お返しをせずにはいられない習性が人間にはある。

何かをもらっておきながら、何も返さないことは、「マナーを知らない人」として、嫌われるため、社会に根深く浸透している習慣として、現代にも返報性の原理は生き残っている。

子育てにも、返報性がある。

子供のために親が何かをするとき、時間差はあっても、子供は親のために何かをしてくれる。

勉強や仕事を頑張ったり、親を喜ばせることをしてくれる。

ただ、子供のために、ということには、紛らわしい意味が含まれている。

子供のために名門大学への進学を願う。
子供のために結婚を願う。

それは、子供のためなのか、親のためなのか、意味がボヤけるところがある。

子供のためを考えるなら、それは愛。

でも、それが親である自分自身のためなら、それは英語の「I」(わたし)なのだ。

子供のためと言いながら、親のための名門大学。親のための結婚。

それが相手を想う愛から来るのであれば、その愛に子供は応えてくれるだろう。

それが、「I」(わたし)であるとき、子供はその無意識を見抜き、愛ではなく「I」(わたし)で返すだろう。

子供に○○して欲しい、○○であって欲しい。

親なら誰でもそう願う。

そこで考えてみたいのは、それが子供を想う気持ちからくるのか、親自身の安心のためなのか、という誤解しがちな無意識に気づくことだ。

愛には愛で返されるなら、エゴにはエゴで返されるだろう。

聖人や聖母にはなれないが、エゴに気づくだけでも、子供のためになると思う。


日本人は、自己肯定感が低いと言われる。

根拠のない自信がなく、ありのままを認められない。

○○でなければダメだ、と思うのは、自信には根拠が必要だから。

条件付きでの自信や肯定なわけです。

親から、ありのままを認められ育った人は、自己肯定感がつきやすい。

ありのままを認められることは、スタート地点のゼロを「よい」と思われること。

ありのままを認められないことは、ゼロではなく、マイナスでのスタートになる。

○○でなければ、プラスにならない。

親に認められるために、常に、条件を満たして、根拠のある自信をつけなければならない。

親が条件を求めるのは、不安だから。

○○でなければ。
○○であって欲しい。

それが、条件付きの愛情になる。

それはまた、親が、自身のありのままを認められないことでもある。

子供の現状を認められず、否定する。

その子の親である自分も、マイナスだと思ってしまう。

ありのままを認めるために、ハードルを下げる、という方法がある。

○○でなければ、というハードルを下げ、○○でもいい、と思えれば、子供の難易度が下がる。

親が気楽になれば、子供ものびのびする。

また、他人と比べることが、不安の原因でもある。

他人よりも、過去の子供と比べる。

子供が、過去より成長していたら、それでいいじゃないか、と思えれば、マイナスポイントが減る。

ハードルを下げ、他人よりも、子供の過去と比べる。

ありのままを認めることは、子供にマイナスの負荷をかけず、前へ進むプラスの力を注ぐことになる。


樺沢紫苑の「ストレスフリー超大全」を読んでいる。

生きる意味について、立川談志の言葉を引用していた。

「なぜ、生きているかというと、死んでいないからだよ」

死んでいないから生きている。

つまり、生きていることが先にあり、生きる意味は後づけ。

後づけだから、そもそも生きる意味なんて存在しない。

仮に、生きる意味が10代で見つかったとしても、それが一生続く可能性は低いし、生きる意味が見つからないから、死ぬ必要もない。

この著書では、生きる意味より、ビジョンを考えよう、とある。

生きる意味が宝箱だとしたら、ビジョンは宝地図。

こうなりたい、こうありたい、というビジョンを想い描き、ビジョンにそって生きるうちに生きる意味という宝箱が見つかったらいいね、という。

ビジョンは、未来であり、希望。

こうなりたいと、希望することが、明日への希望になる。


義父が亡くなり、妻が北海道へ行った。

感染拡大地域なので、帰宅した妻は10日間の自宅待機。

同居する家族である私も10日間の自宅待機と会社から言われた。

今年はほぼ仕事終わり。

毎日、寝てばかりいる。

寒波が来て、大雪で大変なときに、仕事が休み。

みんな大変だろうな、と気が気でない。

でもまあ、義父がくれた休みだと思い、ゆっくりしている。

妻は全然元気で、私も平熱。

会社も怖がりすぎだな。

妻が美容室へ行こうとしたら、県外へ行った人は、2週間、美容室を利用できないとのこと。

みんな怖がりすぎ!!

感染していたら、人生詰む田舎の過疎地なので気持ちはわからないでもない。
これから来るかもしれないディストピアの未来…

AI(人工知能)やICT(情報通信技術)が発達すると、人間の身体にチップを埋め込み、脳内や心身の状態がデータとして管理される可能性がある。

すると、例えば、テロなどを企てた場合、脳内にテロの計画が浮かんだ時点で、警察に家宅捜索されることになる。

思想犯や犯罪も無くなる。

巨大な全体主義政府による徹底した管理社会だ。

データですべてがあらわされるわけではなく、潜在意識は測定不能。

これから来る全体主義的管理社会では、無になることが防衛になるかもしれない。

ゼロは、測定されない。

つまり、完全な無になれば、仮に反政府思想をもっていたとしても、逮捕されないのだ。

そんなことは無理だけど。

これからは、各国の政府が中国のようになり、自由が無くなるのかも。

コロナ禍で、西側諸国では自由が奪われている。

アメリカは、自由だけれど、自由すぎて社会が崩壊寸前。

超管理社会の中国がうまくいっているように見える。

世界各国が、中国にならい、そこにAIやICTが加われば、自由が本当に無くなるのかもしれない。

空想の自由さえも。
中学生のとき、友達からあなたと自分は違う人間なんだから、考えを押しつけないで、と言われ悲しかった。

あのとき、私は友達のことを理解しようとしたのだろうか?

自分の考えを押しつけるばかりで、友達のことを受け入れていなかった。

誰かを理解することは尊い。

その反省があって、今は、家庭や職場で出会う人のことを理解しようとしている。

意見が違っても、考えが通らなくても、まず、考えるのは、相手を理解しようとすること。

相手の考えや気持ちを受け入れることが第一。

受け入れられなかったとしても、相手を理解しようとすることはあきらめない。

孤立した自分の意見を無理に通すことは無い。

中学のとき、これができていたら、友達を失うことはなかったのに。
自由を失い。

頭を他人に乗っ取られることは、自由ではない。

世間
会社
常識
マナー
ルール
道徳
真理

いろんな不自由がある。

それを守るから、社会で生きていける。

でも、自由を失ってしまって

不自由に慣れすぎてしまって

それでいいのか!?

自由であることは、空想なのかもしれない。

どこかにあるのかもしれない自由。

透明な檻を破壊する自由。

自由を求めることを忘れてる。

(追記)

自由。

響きはいいけど、みんなが自由に行動したら大変なことになる。

子供が自由にお菓子を食べてご飯を食べない。

新入社員が自由に行動して、会社の経験値を無視する。

みんなが自由に行動して、法律を犯す。

ルールや常識は、みんなが快適に暮らすためのもの。

それらを守った上での自由ならいい。

自由は、不自由の中にある。

不自由でありながら、自由を求めることも忘れはいけないという高難度ゲームである。
桃鉄。

序盤にシンデレラカードとゴールドカードを使われた。

家族の忖度ゲームなので、攻撃カードは禁止。

負け決定。

面白くないので、赤穂を独占して、1位になるが、雰囲気が最悪になり、赤穂独占を手放す。

息子5兆
妻4兆
私1兆

どうがんばっても勝てない。

キングボンビーにやられて戦意喪失。

面白くない〜!!

今度やるときは、シンデレラカードとゴールドカード禁止な。

優しい息子 「ネズミーシー、乗っ取っていいよ」

勝ちたい私 「(収益ナンバーワンの)セカイツリーを乗っ取らせて」

どっちが子供かわからない我が家。