世界は自分の中に広がっている。

世界と自分との関係は、結局は、自分自身との関係なのだと言われる。

イヤな人がいる。

その「イヤ」は、自分の中のイヤ。

好きな人がいる。

その「好き」は、自分の中の好き。

目で見える世界は、自分の内側に広がり、自分自身との反応を経て、世界へアウトプットする。

インプットとアウトプットを繰り返しながら、世界とコミュニケーションする。

中心にあるのは、自分。

ブッダが天上天下唯我独尊と言ったのは、世界の中心は、自分だから。

ゲド戦記で、ゲドが影と戦ったように、自分自身との関係の歴史が人生。

個人から世界まで伸び縮みする「自分」というものをどうするか、悩むのが人生。
弱音を吐く、という。

吐くのは、悪いことだ。

強くなりたいなら、弱音など吐かないほうがいいと思うかもしれない。

しかし、どうせ吐くなら、「吐ききる」のがいいのではないか。

中途半端に吐くのではなく、文字通り「吐ききる」のである。

深呼吸も極めると、腹の中の息を吐ききる。

そうすることで、弱い息の根を断つ。

例えば、川で溺れるとき、足がつかないから、溺れる。

ならば、底まで沈んで、川底に足が着けば、そこを蹴って、水から脱出できるはず。

弱音を吐くなら、底まで吐く。

弱さを吐ききれば、根性も座る。

吐ききってから、また、チャレンジしましょう





夜勤明けで、遊んでいた。

寝ないと妻は怒る。

朝ごはん作って!

私が作ったのは、ベーコンと目玉焼き、白菜の味噌汁

シンプル朝ごはんです!

味噌汁が薄味だった。

味噌の加減が難しい〜
真面目に生きることしかできないのは、不真面目に生きるのが怖いから。

真面目に生きていないと、何かを失ってしまうような気がする。

不真面目に生きるって、何だろうね。

暴飲暴食、夜ふかし、夜間の外出、育児放棄、不倫、詐欺や嘘や隠蔽……

何かを失うものばかりだ。

不真面目はいけない! 真面目に生きよう。

真面目に生きたら、安全だし、安定しているし、安心。

でも、規定のレールにそった人生しか送れず、規格外のとんでもない人生にはなりえそうにない。

バランスを崩してでも、どこかぶっ飛んだところがなければ、規格外にはならない。

芸術家や発明家。昔の作家や役者には、規格外の人が多かっただろう。

良い子ばかりになり、少しでもレールからそれたら炎上し、マスコミ&SNS総攻撃。

それでいいのだろうか!?

真面目はいいことだけど、不真面目もなければ、新しいものは生まれないのではないか。

真面目9割で、不真面目1割。

ちょっとだけなら、不真面目でもいいんじゃないかと思っている。


11歳の息子氏

はやく風呂に入れ!
はやく寝ろ!
お菓子のゴミを捨てろ!

何度、同じことを言ってもなかなか言うことを聞かない。

聞く力が無いのかな、と落ち込んでいた。

でも、やりたいことは何が何でもやる芯の強さ。

何度も止められても、それでもやりたいと言い続ける。

親が見せたちょっとした隙をかいくぐるように、やりたいことを達成する。

それでいて、あまりしつこくは無い。

抜け目ない。忍耐力もある。

なかなかやるな、と最近は思っている。

親の言うことを聞く「いい子」は、自分の気持ちを抑え、演じているところもある。

親の言うことを聞かないのは「悪い子」だけど、言い方を変えれば、自分をしっかりもっているとも言える。

自分が納得し、親の気持ちがわかるようになれば、言うことを聞くようになるだろう。

それまでは、同じことを言い続けるしかないのか…(トホホ)
地震後、11歳息子が、「地震が怖くて寝れない」とパパの隣に来た。

手をつないだら、すぐ寝た。

スキンシップというように、人肌のぬくもりは、心を癒やす。

子供が怖がっていたら、手をつないであげてください。

ひとり暮らしで、動物を飼っていたら、動物に触れてみてください。

そうではないなら、自分の心を抱きしめてください。

大丈夫。

なんとかなる。

ひどい時代ですが、今を精一杯、生きて生きましょう。
幸せは、ちょっと上を目指すこと。

難しすぎては、やる気を無くす。

簡単すぎては、心が燃えない。

ちょっと上くらいの目標は、心が燃える。

そのとき、脳内ではドーパミンが出ている。

心を燃やして生きたら楽しい🎶
フローやゾーンと呼ばれる神がかり的な状態になると、アイデアが湯水のように湧き、困難にもひるまずに突破できるようになるという。


哲学者のプルタルコスは言った。

心は満たされるべき器ではなく、燃やされるべき炎。

草食男子やサトリ世代。

空気を読むコミュニケーションは、心を冷めさせるものでしかない。

安全を保っても、それで生き抜けるほどたやすくはなくなったコロナ禍の時代。

煉獄さんは言った。

「心を燃やせ」

今、必要なのは、フローやゾーンに入り、神がかり的な力を発揮する炎🔥



私は、幼い頃から、感受性が強く、心が傷つきやすかった。

暗闇をこわがり、おばけを怖がり、人見知りで、ひとが怖かった。

思春期の頃から、心を閉ざすことで、傷つく心を守ろうとした。

エヴァンゲリオンでいうところのATフィールド(絶対不可侵領域)展開である。

初めて付き合った女性が妻で、少しずつ開いてきた心をどんどん開放させてくれたのは妻だった。

感受性は昔と変わらず強い。

痛みやすい心は、タフになり、心が開いてもくじけないようになった。

感じやすい心は、痛みを通して世界とつながっているのかもしれないと思う。

この痛みは、ひとのストレスや怒りや悲しみなどの痛み。

テレパシーのように、私はそれを自分の痛みとして感じ取るのではないか?

誰かの近くにいるだけで、痛みを受け取ってしまうのである。

それを癒やして返すことで、プラスのエネルギーが相手に伝わるのではないかと非科学的な妄想をしている。




紅茶のティーパックが最後の1個。

これを飲んだら終わり。

今日という1日が終わることは、残りの人生が1日少なくなることと同じ。

日常のあわただしさに忙殺され、駆け足で日々が過ぎていく。

何をしてきたのだろう。

これから何をしたいのだろう。

消えていく時間と共に、成熟していく何かがあるのだろうか。

私は何を…

最近は、kindle unlimitedで電子書籍を読むのが楽しい。

ちょうどいい幸せは、これでいいのか