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「救命病棟24時」第6話を観て

医局長の澤井と進藤との間には救命に対する考え方が全く違う。緊急の患者は分け隔てなく出来るだけ多くの患者を救おうとする進藤。片や採算を重視し、病院にとっての利益を第一に考える澤井。理想と現実、どちらにも理があるだけに難しい問題だ。


<モンスター・・・>という言葉は最近様々なところで聞くようになった。世の中が荒んでしまった証だろう。自己中心的で、自分の気に入らない事は絶対許さない。どんな手段を使っても相手を攻撃する。日本は何時からこんなに思いやりのない国になってしまったのだろう。


貧しくて自分の暮らしが苦しくても他人が困っていれば手を差し伸べる、そんな時代は遠い昔になってしまった。今や日本もアメリカのように、訴訟王国になろうとしている。近所の諍いでの殺傷事件も後を絶たない。教育が悪いのだろうか、それとも政治が悪いのだろうか。


澤井の言う医療改革は誰の為のものなのだろうか。いま目の前の患者を救わずして何が医療改革なのだろうか。弱い者を犠牲にした上に成り立つ理想などないはずだ。


小さなナイフ1本で大の男が何人も脅されている演出はいただけない。その後の流れもひど過ぎる。このドラマに全く似つかわしくない。同じスタッフが作っているのだろうかと疑ってしまう。最低レベルは保って欲しいものだ。


澤井の無茶苦茶な話で終わったが、内容を少し拡げすぎる。救命の現状と進藤の理想を中心に、ジックリと描いて欲しいものだ。

「ブザー・ビート」第10話を観て

直樹と莉子から同じ様な心の内を聞かされた川崎、辛かったろうがここでの態度はスポーツマンらしく素晴らしかった。直樹と莉子はここまでの思いが確認できたなら、下らない菜月の言動などに惑わされてはいけない。


直樹の足が悪化しているが、プロの選手にとっては一時一時が勝負だ。当然手術をするのがベストだが、その後でもレギュラーのポジションが用意されているとは限らない。直樹の不安は当然だが、その心の隙を付いてくる菜月の嫌らしさは相変わらず不愉快だ。何時までこういう演出を続けていくのだろう。折角川崎との流れをスムーズに解決させたのに、これではドラマの価値を半減させる。


莉子のヴァイオリニストの道が拓けてきた。「ヌードにならなくても・・・」という言葉には笑ったが、直樹と莉子との明暗が分かれてしまった。精神状態の在り様によって、恋愛感情に微妙なズレが起きてしまった。だがこういう時にお互いを試されていくのだろう。これで駄目になるようなら、所詮それだけの運命なのだ。


人生にはあらかじめ用意された様々な試練がある。だがそれは自分が成長する為の大事な試練だ。挫折するか成長するかは当人の<本気>さ次第だ。壁を乗り越えた者にだけ、新しい未来が用意されている。今まで見えなかった別の世界が待っているのだ。


直樹は相変わらず大事な事を莉子に話そうとしない。それが余計な誤解を生じさせる。だがこういう演出は陳腐で、わざとらしい。最後までこういう流れを続けていくのだろうが、脚本家や演出家のレベルが疑われる。この程度のものでしか感動を引き出せないのだろうか、情けない限りだ。


莉子のオーケストラ出演、チョット早すぎる展開だがドラマだから大目にみよう。ここでの莉子の直樹への言葉は、正に男らしくサッパリしている。直樹の女々しい言動と対照的だ。莉子の心の不安は全て直樹が原因している。仕事が上手くいっていない時にこそ男の進化が問われる。


何時もの公園で久しぶりに二人の素敵なシーンを用意してくれた。こういうシーンをもっともっと沢山見たいのに、何故そういう演出をしてくれないのだろう。視聴者はそれを望んでいるはずなのに。作られたわざとらしい感動ではなく、自然なな爽やかな感動が欲しい。


次回はとうとう最終回になってしまう。せめて最後は全編感動で包まれた、素晴らしい演出を期待したい。良いドラマはあっという間に終わってしまうような気がする。酷評されているドラマとはえらい違いだ。

「官僚たちの夏」第9話を観て

風越が遂に通産省次官になった。そして<弱者が共に豊かに暮らせる社会>をスローガンに掲げた。今の時代にこそ正に声高く言いたい。弱者という言葉を紙面で見なくて済むような世間に早くなって欲しいものだ。


片山と牧は相変わらず次官レースしか頭にないようだ。自分の存在意義というところに思いがいかないようだ。情報分析で須藤政権は短命かも知れないと甘い考えを抱いているが、須藤政権は今までに無い長期政権になっていく。二人とも能力は高いのだから、玉木のように大所高所を見て生きて欲しいものだ。


40年代は正に高度成長期真っ只中だが、業界によっては淘汰されるものも出てくる。石炭業界こそその最たるものだ。当然それは国内自給率を悪くし、輸入依存へと突き進んでいく。


原料を輸入し製品にして輸出し高度経済成長を達成する。この体質はすなわち外国の政情に国内産業が敏感に影響されるということだ。その体質はいまだにほとんど変わっていない。いや原材料だけでなく食料自給率を考えればかなり悪化している。


今日本の政策は大きな転換期を迎えている。これからは小さな政府をつくり地方自治に移行し、国内で造って国内での購買を拡大する・国内で生産したものを国内で食べる、それがこれからのあるべき姿のように思う。大量消費の時代は終わった。


炭鉱事故が相次いだ時期があった。炭鉱事故は一度に沢山の人間が被災にあうので悲惨な結果になる。山を奥深く掘り進むので救出もままならない。また今回のように人命と共に炭鉱そのものも救っていかなくてもならない。究極の選択だ。だが生き残った人たちの今後の生活も考えなくてはならない。


国会で炭鉱事故に対しての論戦があったが、野党は何時の時代も建設的な議論はしない。ただ反対の為の反対しかしない。そういう意味では今回自民党の野党での姿こそ、自民党真骨頂の見せ所だろう。建設的な野党が演じれる事を期待したい。勿論民主党の与党での弱者対策の実績は出来るだけ早い結果を期待したい。


須藤首相の沖縄返還は悲願であり、大きな功績ではあった。だがアメリカへ様々な譲歩をしたのも事実だ。日本の高度成長には日米安保の傘は不可欠だった。軍事費を最小に抑えそれをアメリカにゆだね、その分経済成長に予算を割いた。この歴史的事実を無視は出来ない。


アメリカに大きな譲歩をしたことにより、当然幾多の弱者が切り捨てられた。それは日本の発展の為の礎なのか、それとも単なる犠牲者だったのだろうか。誰も正解はだせないだろう。