Peaceful Love
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Reconciliation



思いがけず、ギターの先輩弟子さんから、広島にいると連絡があり、
平和記念公園に行くなら、ぜひ彼らに会ってきて、とお願いしました。
その後、送られてきた写真に感激。
ありがとう。友よ。

ジョセフィーナも天国で喜んでくれたはず。
「彼ら」が設置された時、この彫刻の作者であるジョセフィーナから1冊のノートを預かっていました。
彼らを前にした人達が、どんなふうに感じたか書いてもらってほしい、と。
仕事中の為、なかなか訪れた人に声をかけられず、あまり埋まらないままノートは返してしまったけれど、その時も喜んでくれました。
今も変わらず、この上ない平安に充たされた愛を、
ジョセフィーナ、あらためてありがとう。

so happy that I could get these pictures from the friend of mine by chance recentry.
I used to work just behind them on Atomic bomb 50th anniversary year.
THEY were the gift from #richardbranson for Hiroshima.
really fortunately had wonderful friendship with Josefina the sculptor who made them(#Reconciliation). I believe she is happy in heaven to know my friend visited THEM because she sometimes asked me how people feel like when they meet THEM.
Thank you my friend, Josefina.
THEY still give me PEACEFUL LOVE as same as the first met.

もみじ

まだまだ寒かった頃のもみじ
新芽に続いて花が咲き
先日、桜は散ったけど、そういえばもみじはどうなったかなと見に行くと↓
わかりにくいのですが、種の赤ちゃんがたくさんついてた♡
どうしてもピンぼけしてしまうのですが、
たくさんの種たちがついてて
しかも、みんなまだ半透明です♡♡
色は薄黃緑なので違うけど↓
どちらもお借りした画像↑
なぜか赤いコたちしか出てこなくて残念。
ついでにお花の画像もお借りします↓

そっくりな種が、
家にある松ぼっくりから、よく落ちてくる。
葉っぱは違うのに、種はそっくり。
初めてソファーの上に散らばったのを発見したときは、一瞬「虫の羽」に見えましたが
1枚目の種を記憶していたおかげで、すぐ気がついて、焦らずにすみました。
もう少し育ったら、うまく撮れるかな。。
タケコプターみたいに風にのって飛んでいくとは、自然界は、なんて神秘に満ちているんだろう。

追記
やっと撮れました♪





癒やされるということ

わたしたちが何かに心動かされるとき、
内側にあるものと共鳴しているからであるのだとするならば、

無垢なものに癒やされたり
心洗われる想いになるのは
もともと自分の中に、それがあるから、ということになります。

過去にも何度か書いたのですが、
私は随分長い間、
性悪説とまでは言わないですが、性愚説でした。
物事や人の、ポジティブな面しか見ないで生きていたし、その逆があるのも(愚かな生き物故)あたりまえなので「許せない」という感情も持ち合わせていませんでしたが、
自分自身に対しては常に例外でした。

人間全般に関しても、
人は愚かだからこそ、反対側に行こうとすることに意味があり、
そうしようとすることが素晴らしいのだ、と
深いところでは信じていました。

弱いからこそ 強くなろうとする
醜いからこそ 美しくなろうとする
汚れているから 清くなろうとする

どれも、マイナスから這い上がろうとすることなので、とてもエネルギーを使います。
そして、決してそうなれるとは信じていないので、どこまでも自分を許せない。
憧れるけれども、常に(永遠に)手の届かない状態です。

それはある意味、本当かもしれません。
人間の中に、エゴがなくなることは、おそらくないからです。
大切なのは、そこもひっくるめて、どこまで自分を愛してあげられるか、です。
そもそも、エゴだけでできているわけでもないはずです。

私は今は、言うなれば性善説ですが、
人の中には善でない部分も、もちろんある。
善というのは、人の中にある、聖なる部分のことだと思っています。
それは、どんな人にも必ず存在する、魂の本来の姿だと思います。
神様は、はるか空高く遠い場所にいるのではなく、この部分に常にいるのだと考えたとき、
自分を信頼することと、神様や大いなる力を信頼することが、全く同じ意味だと、深いところで腑に落ちました。
常に一体であるのに、わたしたちはそれをいつも忘れてしまう。

そうさせてしまう、特に大きな原因は、
罪悪感だと思います。

私には、そんな力はない、
こんな私にできるはずがない、
許されていいはずがない、
そんな素晴らしいものを受け取る価値はない、など
意識していてもいなくても、
そう信じる限り、
自分の中に、善があると思えない限り、
苦しみを自ら選ぶ、という作業を繰り返してしまうのではないでしょうか。
自分を戒めていなければ安心できないのは、間違いなくエゴの部分です。
わたしたちは、自分が、エゴの部分だけでできていると思いがちです。
でも、そう考えてしまうことこそ、大きな罪ではないでしょうか。
それは、自分が自分の力だけで生きている、ということであり、
それによって作り上げている孤独感も含め、
何よりも神様(大いなる力)に対しての冒涜だと感じます。

自分を無価値だと信じている状態で、
いくら取り繕っても、何も変わらない。
自分自身が、本当は愛されていないとわかっているからかもしれません。
神様からじゃなく、自分自身から、です。
(ここも同じ意味かもしれませんが)

誰かのことを、心から大切だと感じることができるなら、
同じだけ自分にも愛情をかけてあげるべきです。

本当に大切な人を想うのと同じだけ
自分を大切に感じてあげられているか。

もしも、そう言い切れないなら、
今日から始めてみてほしいのです。
大切に、がどういうことかわからないなら、
「丁寧に」自分を扱ってあげてください。
心も体も、深く深く慈しんであげてほしい。

他でもない、自分自身の愛で満たされたときに起こる魔法を
あなたも知ることができますように。

自分が生きていること自体が
この世界のすべてが
奇跡でできていることを
体感できますように。

癒やされた気持ちになること。
それは魂の同調です。
魂の本来の姿を想い出した状態なんだと思う。

癒しは、外側の何かから生まれるものでなく、
もともと自分の中にあるものを想い出した状態だと、知ることができますように。


成人式おめでとう


☆成人式おめでとう☆
心からの祝福を込めて。

☆クリスマスマジック☆

クリスマスから年明けにかけて、
毎年この時期は
冬の空気も手伝って、厳かな気持ちになります。

わたしたちが自分自身にに必要なのは
「手綱」ではなく、「愛」そのものであることを
だれもが想い出せますように。

自分自身を
最愛の大親友として扱えたときに起こる魔法を
あなたも体感できますように。

必要なものはすべて
はじめから自分の中にあることを
知ることができますように。

そして
もしもクリスマスマジックを感じられたなら
その奇跡は 本当は
クリスマスだけでなく
どんな1日にも起こっているのです。

あなたにとって
心あたたまるクリスマスとなりますよう
心からお祈りしています☆










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