お立ち寄りくださり
有難うございます。
Chieshiです。
心のことオタク
自分探求マニアな私が
学んだこと、セラピスト経験
日常のことを通じて
感じたことや気が付いたことを
綴っていきます。
読んでくださるあなたが
ちょっとでも楽に生きられる
お手伝いが出来たら嬉しいです。
タイトルを見て、ん?何?って
思われた方もいるでしょうね。
今日はまさに心の傷(トラウマ)に
ついてです。
ちょっと耳が痛い方もいるかもですが
とりあえず「そうなのかも?」と
思いながらお読みください。
◆
私達はみんな心の傷が
あります。
それは幼い時に周りの大人から
不用意につけられてしまったもの。
厳しい家庭や環境に生まれた方は
もちろんですが
どんなに素晴らしい優しい両親に
育てられた人でも、家庭以外の環境や
子供ゆえの感じ方や周りとの行き違いで
何かしらの傷は出来てしまうのでは、
と思います。
私達は、それを抱えて生きていくことに
なります。
そのため、いくばくかの
「生き辛さ」を体験しますよね。
人の目を気にして言いたいことがいえない。
すぐに自分を責めてしまって苦しい。
Noが言えず、人に振り回されてばかり。
などなど。
ある程度の時点まで
「これが私の性格」
「これが私の運命」
「もう仕方ない」
と思ってしまいます。
昭和の昔はここで終わっていましたが
今は心に関する本や、動画など
学ぶ機会も多いので
ある時気が付くんですよね。
これは子供時代のあの辛い体験の
影響ではないか?
トラウマってやつじゃないか?って。
そう、その通りなんです。
気が付いたあなた、素晴らしい☆彡
今の生き辛さは、本来のあなたではなく
子供の時についた心の傷の影響です。
そして、心を見つめたり
インナーチャイルド
(自分の中にいる子供の自分)を
癒したりします。
で、ここからが本題です。
心の傷は癒すことができます。
手法はいろいろありますが
最終的には、時間はかかっても
「それがあることを許す、認める」
ということを丁寧に繰り返すことで
氷が太陽の下で溶けていくように
段々と小さくなって、いずれ昇華されます。
でも、どんなに癒しても癒しても
ずっと傷が痛む、傷があるせいで
前に進まない・・ということを
感じているとしたら
それは、傷を手放せないでいる、
ということです。
変な話ですが、心の傷があるせいで
苦しいはずなのに
それが無くなることを怖れる自分が
いたりするんですよね。
私もその気持ちは分かります。
「傷がある自分=私」
と、傷が自分のアイデンティティに
なってしまってるんです。
傷と一緒にいた自分が長すぎて
傷がない自分が未知の世界で
想像できない。
(傷は、全て無くなるということはないのですが)
あと、傷があることで良いことも
あるのです。
・これ以上傷付かないように、新しいことをしなくていい
(危険から回避できる)
・これ以上傷付かないように、相手の言う通りにしてればいい
(何も考えなくていい)
・これ以上傷付かないように、何も言わなくていい
(”いい人”でいられる)
とか。
なんなら
「私はこんなに傷ついてるんだから
やけ食いしてやる!」
というのもあるかもしれません(^^;
もう一人の自分は
「傷がある利権」を手放したくなくて
傷をいつまでも大事にしまっておこうとします。
もう一人の自分にとって「傷」は宝物なんです。
◆
先日まで私が今学んでいた講座では
心の傷のことを
「イモ」と呼んでいます(笑)
心を木に例えると、木は根っこから
養分を吸って幹を育てて実をつけますよね。
でも根っこに「イモ」があったら「イモ」に
栄養をとられてしまうので、木が育ちません。
だから「イモ掘り」をしてイモを
地上に出します。
そして明るく
「蒸かして食べちゃおう♪」と
傷を減らしていくのです。
(これが溶かすと同義です)
そしてイモ(傷)も、今の自分を作ってくれた
養分になってくれたんだ、と感謝の気持ちをもって
食べられたらいいですよね♡
どうでしょうか?
せっかく心の傷を癒しても
「もう一人の自分」があえて傷を
手放そうとしないでいること。
「もう一人の自分」は傷を、守るべき宝物だと
思って大事にしてしまう。
それなら、それでもOKです。
今は、そう思っているのなら。
でも、
自分という木を育てたいなら
傷は宝物ではなくイモ、と
心の中で上書きすると良いと思います。
ジャガイモかサツマイモか・・は
お好みで♫
みんなで美味しくイモを頂きましょう(*^^*)
今日も小さな幸せを感じる日でありますように
メルマガ書いてます
(最初の7日間は長女気質に関するメール講座になってます)