お立ち寄りくださり
有難うございます。
Chieshiです。
心のことオタク
自分探求マニアな私が
学んだこと、セラピスト経験
日常のことを通じて
感じたことや気が付いたことを
綴っていきます。
読んでくださるあなたが
ちょっとでも楽に生きられる
お手伝いが出来たら嬉しいです。
今回、独り言みたいなブログに
なりました。
とりとめない文ですが
お付き合い頂けたら嬉しいです。
◆
2023年4月から学んでいた
心の講座が、先日最終回を迎えた。
この日は全員がリアルで会えた日。
私は数日前から、この日のことを
想像すると、胸が熱くなる感じがして
「きっと泣いちゃうな~」なんて
思っていた。
でも、当日になると・・
一人一人のシェアや発表に
深く感銘を受けたり、温かい気持ちに
なったりはするものの
予想外に涙は出ず。
別に泣けばいいというものでも
ないのだけど
それにしても私は冷めてるな~
今回に限らず、これまでも
肝心な、最終段階になった頃に
いつも心が閉じてしまう・・
斉藤由貴の歌みたく
「卒業式で泣かない冷たい人」
やっぱり私はそういう部分があるよな・・
ってそんな自分が寂しく思えたりした。
そして、いよいよ講座が最後となって
みんなで円陣を組んだ時
講座の主宰者、眞佑里さんが
「これから言うこと、私に
続いて大きな声で言ってね」と仰って。
大きな声で
「みんな、大好き!」
その言葉を続けて言った瞬間
予想外にも
私の中で何かが決壊してしまった。
その後は、個別にみんなとハグを
する時間だったのだけど
気が付いたら、
うわ〜ん ってなってしまい。
なんだか言葉にならなかった。
ただただ、子供みたく泣いていた。
その声を聞いて、いつもと違う
自分にはっとなって驚くほど・・
仲間のみんなが、色々と嬉しい言葉を
かけてくれるのだけど
私は頭が回らず、気が利いた言葉が
全然出てこない。
こんな感じいつぶりなんだろう。
それすらも覚えていない。
理性が飛んだ状態。
この日の午前中、泣きたいのに
泣けない感覚があった。
やっぱりどこかで自分を抑えようと
していた。
それは、
人を信用してはダメ
無条件に人を好きになってはダメ
素の自分(柔らかい自分)を見せるのは危険
という、理性(左脳、エゴ)からの警告
という形の抵抗だったんだな、と思う。
あと、心のままに泣いたら
自分が壊れるような気がして怖かった。
でも、本当は心のどこかで
分かっていた。
人と比べたり、争ったりすることや
勝ち負けや優劣をつけることに
意味がないことが、肚落ちした時から。
一緒にいてくれる仲間への
信頼や愛しさ。頼もしさや尊敬の気持ち。
それをとても感じていた。
でもそれを正面から認めるのが
怖かった。
それは私ではないような気がして。
でも、
「みんな、大好き」
って言ってみたら、
自分を覆っていたガラスが
パリーンって壊れたようになって
ただ泣くしかなかった。
私は(私達は)いつの間にか
誰かと接する時、まっすぐ
その人を見ることをしなくなって
いるのかもしれない。
自分との関係性(敵か味方か)
自分と比べてどうか
肩書や社会的地位や経済力
いい人か、悪い人か
私のことを受け入れてくれるのか
そんな、余計なバイアスを通してしか
人のことを見られなくなって
いたのかもしれない。
そんなものを外して
ただ、その人の魂の美しさに
目を凝らしていれば
よかったんだ。
人を好きになったり、愛おしく思うのは
難しいことではなかったのに。
いつのまにか
条件を付けながら人を見ていた。
自分こそ条件付けの愛に苦しんで
いたというのに。
そんな余計なものを、この1年で
随分削ぎ落とすことができて
その結果、理性がぶっとぶことを
体感した。
ただただ、「大好き」って
思えることは嬉しい。
それを表現できることは嬉しい。
これから、もっと
人を好きになりたいし
人を愛したい。
そんな気持ちを認めて
受取りたい。
シンプルにそう思ったのでした。
神様、
ありがとうございました。
今日も小さな幸せを感じる日でありますように
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