【Verner Panton】
【Verner Panton】
→近未来的というか奇抜。こんなDesighがマッチする部屋っていったい。。。。
ヴェルナー・パントンは1926年デンマーク・ガムトフテに生まれた。1947年からコペンハーゲンの王立美術アカデミーで建築を学び、1950年から52年には、アルネ・ヤコプセン建築事務所で働く。そして、1955年に、自身の建築デザイン事務所を設立。
パントンは、木を使った北欧の伝統的な技法を嫌い、デザイナーを束縛せず、安く生産できるプラスティック素材に魅了されていった。それは、長年の歳月と実験をかさねた末、成形合板でつくられたS字曲線の「Sチェア」(パントンチェアの原型)からプラスティック単一素材のパントンチェアを作り出した。また、彼は卓越した色彩 構成で、家具の 他にも照明、ファブリック、インテリア、展示という分野のデザイナーとしても名を広めている。
1971年、ジョエ・コロンボとオリヴィエ・ムルグとともに、バイヤー社の『ヴィジオナ2展』を構成する。1963年と1968年のA.I.D.賞の受賞以外にも多数受賞。スイスで晩年を送る。
【Euro Saarinen】
【Euro Saarinen】
→チューリップチェア この人の作る足は芸術です。
デザインや建築に囲まれた環境に生まれ育つ1923年に渡米し1929年パリで彫刻を学び翌年にはイェール大学で建築を学び、1934年卒業。
同校から奨学金を受け、それを使って1934年から1935年の間ヨーロッパを訪れる。
1936年父親(エリエル・サーリネン)の建築事務所を手伝いながらクランブルック芸術アカデミ-の教授でもあった父の助手を勤める。
1937年、そこでチャ-ルズ・イ-ムズと出会い、共同作業に取り掛かり、その成果は1940年にMoMAが催した『家庭調度のオーガニックデザイン』コンペティションでの受賞作で頂点に達する。
続いて、ノル・インターナショナル社の家具を数点デザインする。
その後は1950年に父親が逝去するまで父親の建築事務所に勤める。
サーリネンの最大の建築プロジェクトは、JFケネディ空港TWAターミナルビルなどがある
【Arne Jacobsen】
(1902~1971)
世界を魅了し続ける、時間を超越した、デザインの原型。
20世紀という名の巨大な白いキャンバスに、未来という名の夢を描き続けた、アルネ・ヤコブセン。建築やインテリアに造詣を持つものならば、その名は深く刻まれていることでしょう。1902年、コペンハーゲンのユダヤ系家庭に生まれ、幼少期には、ビクトリア様式の家具に囲まれて育った彼が、親に黙って自室のデコラクティブな壁紙を真っ白に塗り替えてしまったというエピソードがあります。シンプルな美に対する強い共鳴が、すでに、早熟な少年の心に芽生えていたのでしょう。画家か彫刻家を夢見ながら、父親の勧めで、最終的に「どちらの要素も含んでいる」建築家を志しました。24年、デンマーク王立美術アカデミーの建築科に入学したヤコブセンの心をとらえたのは、当時一世を風靡していたバウハウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジェといった異才の眩いばかりの活躍でした。デザインの世紀と呼ばれるその刺激的な環境の中、その才能は開花していったのです。
頑固者だったとされる、生前のアルネ・ヤコブセン。彼は、建物を完璧につくっても、その内部空間に、趣味やコンセプトの異なるモノが在ることに、妥協しませんでした。そんな頑なさが、かの有名なアントチェアをはじめ、時計、食器、カーテンといった、既成の枠組みにとらわれない多岐にわたる、膨大なプロダクツを生み出したのです。デンマーク国立銀行設計時にデザインされ、Volaシリーズとして1969年に発表された水栓もまた、そうした思いを込めた、彼の作品です。単純に曲げられた一本の美しいパイプとその中を流れる水、それ以外の余計な要素を排除した形。新しさとか古さを感じることすらできない。まさに時間を超越したデザインの原型です。教会装飾の鋳物メーカーとして1873年に創業。1955年に水栓金具の専門メーカーとしてスタートしたVola社が、1968年、アクセサリーを加えて発売したボラシリーズは、以来36年間そのシンプルなスタイルが世界で評価され続け、各国の美術館コレクションに選ばれています。
→彼もまたミッドセンチュリーを代表するDesignerの一人。その妥協のなさ、こだわり、空間プロデュース。すべてが逸脱です。
【柳 宗理】
(1915~)
柳宗理氏は日本の民芸運動創始者として名高い、柳宗悦(やなぎむねよし)氏のご長男として、1915年東京都渋谷区の原宿でお生まれになられました。1940年に東京美術学校(現在の東京芸術大学)に入学した柳宗理氏はフランスの著名な建築家である、ル・コルビュジェ氏の提唱する『装飾のないところに真の装飾がある』という概念に、深い衝撃を受けこの概念は、のちの柳宗理氏のデザインに大きな影響を与える事となる。また幼い頃よりの父(柳宗悦氏)の影響により反発していた民芸も『伝統と創造』というのは異なる事ではなく、表裏一体である事に気付きそのデザインに、より実用性が盛り込まれて現在に至っているようです。このような柳宗理氏の思考から生まれてきた物は 食器・家具・自動車はたまたオリンピックの聖火台など、ありとあらゆるジャンルにおよび
まさしく日本を代表する世界的な工業デザイナーとして今、尚、その創作意欲はとどまるところを知りません。
→日本が世界にほこるデザイナーです。僕はKitchen用品が気になってしょうがないです。
【Harry Bertoia】
(1915~1978)
ハリー・ベルトイアは、イタリア生まれ。1930年にアメリカ合衆国に移民しました。 ベルトイアは、1936年にデトロイト州のカス工科大学を卒業し、1937年にはクランブルック美術アカデミーで学びました。ベルトイアは、金属工房を同美術アカデミーに設立し、学部長として指導にあたりました。 その後、エヴァンス社でチャールズとレイ・イームズ夫妻と仕事をし 成形合板の加工技術を開発しました。第2次大戦後、短い期間チャールズとレイ・イームズ夫妻のプライフォームド・プロダクツ・カンパニーで仕事をしました。もともと金属彫刻家であったベルトイアですが、美術学校からの友人で ベルトイアの実力を認めていたノール氏の協力もあり ワイヤーシリーズを完成させました。
→この人がつくったChairも抜群に雰囲気がいいです。「大部分は空気から成り、ワイアーの隙間から背景が透けて見える」とのコメントは彼の代表作でもあるワイヤーチェアー作成時のコメントだ。つまり空間と一体化するDesignなのだ。
これも欲しい・・・




