いつも本ブログの作品を楽しみにしてくださり、ありがとうございます。
さて、毎週土曜日にお届けしている「LOVE DOCTOR~恋の相談医~ 」ですが、第8章の掲載が本日まで遅延してしまいました。
昨夜、私用のため、急遽、筆者のスケジュールが大幅に変更になり、帰宅が日をまたいでしまったため、土曜日中に執筆に取り掛かれませんでした。予告なしで遅延することとなり、大変申し訳ありません。
来週からは、引き続き土曜日に掲載してまいります。
今後ともよろしくお願いいたします。
藤川貴大
若菜はさっそく、美咲にその日の出来事を伝えた。待ちわびた大輔との再会、美咲さんも喜ぶはずだ。若菜は美咲の反応を楽しみに電話をかけた。
しかし、この朗報を、美咲はまたしても複雑な心境で聞くことになった。今年はクリスマスが日曜日にぶつかり、美咲には仕事でその日に大量のギフト発送が予想された。そして、そのハードルをクリアするのは限りなく難しかったのだ。
そんな美咲を救ったのは、会社の同僚たちであった。大輔と別れた時にも、朝まで美咲に付き合うほど、強い絆で結ばれていた。いつもと様子が違う美咲に、明菜が話しかけたのがきっかけであった。
「今度の金曜日、7時から3時間だけはずしたいの、大輔と会えるのは、もうその日だけだから…。でも、その日はお仕事が…。」
美咲が事情を話すと、同じ部署の智恵たちが美咲の背中を押した。
「会ってきなよ、ミサ。その時間帯は私たちがカバーしてあげるからさ。」
「2年前に私もその部署にいたし、終わった後、みんなで夜通しやればなんとかなるさ。何より、ミサが後悔しないためにも、ね。」
彼女たちのおかげで、美咲は最後の壁をクリアした。1年近くの間、2人の再会を阻んでいたものは全て取り除かれた。そして当日、若菜と待ち合わせ場所で合流した。
「大輔さん…本当に来てくれるかな…?」
「大丈夫ですよ、きっと。最後ですし、大輔さんを信じてみましょう!」
期待が膨らんでいく一方で、不安で揺れ動き、折れそうになる美咲の心を、若菜は懸命に支えた。
8時50分、若菜も本当に来てくれるか不安になり始めた時、大輔が2人の前に姿を見せた。
「久しぶりだね、大輔…。」
「そうだな…。ずっと待っていたみたいだし、近くでちょっと休んでからにするか?」
「ううん、ありがとう。大丈夫だよ…。」
美咲がそう言うと、大輔が少し先を歩き、その足でそのまま井の頭公園に向かった。
「元気…だった?」
「まぁ…な。美咲は?」
「それなりには…。まだ、フットサルは続けているの?」
「ああ、一応な。仕事のほうは最近はどうだい?」
「うん、まぁ、何とか…。」
お互いの趣味や仕事といった、当たり障りのない話題がとりとめもなく2人の間で交わされた。それはまるで、山なりのボールだけでキャッチボールをしているようであった。
そのうち、井の頭公園のステージ前まで2人はやってきた。最初に踏み込んだのは、美咲の方からであった。
「そういえば、あさってのクリスマス、どうするの?」
「ああ、祐実と…今の彼女と出かける予定だよ。美咲は?」
「私は、特に…。お仕事の後に職場のみんなで近場で美味しいものを食べに行くくらいかな。」
2人の話は、ゆっくりと、しかし、確実に核心に近づいていった。そして、美咲がずっと言えずにいた言葉を大輔に伝え始めた。
「去年のクリスマス、初めての2人でのクリスマスで、すごく楽しみにしていたんだ。だから、大輔さんが急に来れないってなった時に、期待を裏切られたって感情的になっちゃったんだ。本当は、そんなはずあるわけなかったの、頭では分かっていたはずなのにね。ゴメンね、困らせちゃって…。」
偽らざる美咲の本心であった。その瞬間、凍てつかせていた美咲への感情が、大輔の中で一気に溢れ出した。
「俺も…本当はずっと後悔していた、あの日のことを…。」
大輔がようやく本心を語り始めた。美咲は、先ほどまでと変わらず、少しだけ微笑んで、大輔の言葉を聞いていた。
「あの日は、本当に全ての歯車が噛み合っていなかった。翌日の納期に間に合わせて作っていたプログラムにバグが見つかり、さながら戦場みたいな状況で、君に十分なフォローさえできずに傷つけてしまった…。こうなる運命だったと無理矢理にでも納得させて、君を忘れようとした。でも、このカギまで捨ててしまったら、君に会って、あの日のことを精算する機会すら失われてしまう気がした。それに、怖れてもいた。今の彼女がいながら、君に会って、もう一度、君とやり直したいと考えてしまうんじゃないかと。」
美咲は静かに、それでいてまっすぐに大輔の話に耳を傾けていた。そして、大輔は自らが出した答えを、美咲に告げた。
「それでも、今日会って確信したよ。今の俺は祐実を…今の彼女を大切にしたい。美咲、君には辛い現実だとは思う。でも、解ってほしい…。」
美咲もまた、大輔の問いに答えを用意していた。
「うん、そうだね。あなたはいつでも前だけを見てきた。そして、これからもそういうあなたであってほしい。だから…さようなら、大輔さん。今の彼女を、大切にしてあげてね。」
「君もな、美咲。幸せになってくれよ。」
そう言うと、大輔は一度だけ振り返り、あるものを美咲に投げ渡した。そして、そのまま振り返ることなく、2人の前から去っていった。大輔が最後に渡したもの、それは、あのクローバーのカギであった。
「終わった…のね?」
若菜の問いかけに美咲は小さく頷いた。そして、静かに話し始めた。
「私ね…今日、1つ自分自身に誓ったの。大輔さんとは、何があっても笑顔で別れるんだって。先生のおかげで、私は大輔さんとの思い出に終止符を打てた。今は、何だか、すごく肩の荷が降りたって感じなの。」
偽りのない美咲の本心であろう。しかしすぐに、若菜は美咲のもう1つの本心を知ることになった。
「でも…どうしてだろう…。顔は笑っているはずなのに、涙が溢れて…止まらないんだ…。」
若菜はまた思った。別れに辛いサヨナラなんて無い、と。そして、それでも、これが彼女にとって未来を歩けるきっかけになればと。若菜は美咲の感情を全身で受け止めた。そして、あのカギは双葉のキーホルダーにかけて、井の頭公園の池に投げ込んだ。2人が愛し合っていた時を永遠に留めておくために、そして、その証として…。
数日後、若菜のもとに美咲から手紙が届いていた。手紙には、若菜への感謝と美咲自身の新たな決意が記されていた。
「先生、この前はありがとうございました。大輔さんとの思い出に区切りをつけることができ、私の中でずっと止まっていた時間が、ようやく動き出しました。私ももっと幸せになって、いつか、大輔さんが私を振ったことを後悔するくらい…ううん…いつか、再会したとき、そんなこともあったね、お互い幸せになったねと、笑顔でまた会えるように、私も前だけを見て歩いていきます!」
美咲の手紙を読み終えた若菜は、美咲の幸せを願いつつ、それをポケットにしまった。そして、白衣を翻し、いつものように相談室へ向かっていった。
まずは「大輔に昔を思い出させるため」として、若菜は美咲にカギの写真を出来るだけ鮮明に送ってもらい、2つを比べてみることにした。まもなく、美咲からカギの写真が添付ファイルで送られてきた。すると、両者を比べれば比べるほど、2つが同じカギに見えてきた。
若菜が夢中になって2つを見比べていると、和輝が隣から覗き込んできた。
「珍しいな、それ。そのカギだかキーホルダーがどうかしたんかい?」
和輝が尋ねると、若菜は今回の案件を簡潔に伝え、このカギが持つ意味を話した。若菜は、せっかくなので、和輝にもこのカギを見比べてもらおうとした。
「ああ、この2つは間違いなく同じカギだね。多分、こっちの写真はコピーで、キーケースのほうはオリジナルキーだね。」
ちょっとだけ見ると、和輝は若菜にきっぱりと断言した。若菜にも分かりやすく、和輝はネットやフリーソフトを使って説明した。
「確か、コピーを作ってお互いに1本ずつ持っているっていう話だったね。この2本のカギは、ほぼ形状が一致している。んでもって、写真のカギには典型的なコピーキーの刻印がある。逆にこっちにはそういった刻印がないし、話の内容、消去法でも、こっちはオリジナルキーってわけさ。」
若菜の次の一手が決まった。長く険しかった中間のチェックポイントに、ようやくたどり着いた手応えを、若菜は確かに掴みとった。
その頃、大輔は祐実とボーリングでデート中であった。
何ゲームか楽しんだ後、カフェに入ると、話題は自然とクリスマスのこととなった。
「ねぇ、クリスマスはどうする?」
「ああ、土曜日だし、どこかに出掛けて、食事にでも行こうか?」
クリスマスの予定を2人で立てつつ、頭の中では別のことも大輔は考えていた。
『去年はクリスマスで失敗したし、今年はしっかりしないとな。あいつ、今年のクリスマスはどうするんだろう…。って、何を考えているんだ、オレは。大事な祐実とのデートに集中しないと。』
やがて、クリスマスでの行き先を決め、祐実をアパートまで送ると、大輔も部屋に戻ることにした。その帰り道、何気なく後ろポケットに手を入れると、キーケースが無いことに気がついた。
ボーリング場とカフェに戻ってカギがないか尋ねてみたが、まだ届けられていないということであった。
大輔は仕方なく、三鷹病院にも足を運ぶことにした。
双葉先生には会わないようにしないと。捕まったら話が長くなってしまう…。そう考えながら受付で落とし物の確認を頼んだ。
「ありましたね。今日の11時に届けられていますね。あ、でも現物はここにはないですね。3階の双葉先生が保管されています。」
受付がそう答えると、大輔は重い足取りで受け取りに診察室を訪ねた。やれやれ、よりによって今2番目に会わない方がいい相手に、わざわざ会いにいかなくてはならないとは…。
ミーティングルームをノックし、中に入ると、若菜が納品業者との電話中であった。
若菜が電話を終えると、大輔は淡々と用件を若菜に話した。
「先生が拾われた僕のキーケース、受け取りにきました。」
若菜はワタワタと踏み台を持ち出し、棚から大輔のキーケースを取り出すと、大輔にそれを渡した。
「どうもありがとう、それではこれで。」
礼を言い、大輔がその場を静かに立ち去ろうとした時であった。全力で大輔を引き止めるかのように、若菜が叫んだ。
「待ってください!1つ…聞いても良いですか?」
若菜の声をそのまま無視することも大輔はできた。しかし、今回の借りもあり、そこで足を止めることにした。
「ここへきた本当の理由は、そのクローバーのカギを取り戻すためじゃないんですか?数少ない、もしかしたら、唯一残した、美咲との思い出だから…。」
「どうして…先生がそのカギのことを…。」
若菜が尋ねると、大輔の顔色が明らかに変わった。今まで、誰にもその秘密に気付かれない自信があったからだ。
「この間、全く同じカギを美咲さんもバッグにつけていた。そのカギと今大輔さんが持っているカギを照合してみました。そしたら、お互いのカギの形状が一致しました。美咲さんが持っているのはコピーキー、だから、そのカギこそが、美咲さんが持っていたもののオリジナルキーですね。」
大輔は沈黙を続けた。しかし、いつものような淡々とした様子ではなく、若菜に突きつけられた真実への動揺をごまかすためのようであった。
「大輔さん、あなたもまだ、あの時から時間が止まったままでいる。そのことに自分自身で気づいている。止まった時計を動かすために、あと一度だけ、美咲さんに会ってあげて下さい…!」
大輔は押し黙ったままであった。何かに迷い、そして何かにためらっているようであった。
やがて、重い口を大輔は開いた。
「今度の金曜日…吉祥寺駅北口の広場で9時に待っていると伝えてください。それが、本当に最後です。もし、だめでしたら、それさえもかなわない運命だったと思ってください…。では、これで…。」
そう言い残し、大輔は部屋を出ていった。
翌週、大輔との面談結果を美咲に伝えた。最初、若菜は「大輔は『今、彼女がいるから会うべきではない』と言っていた。」とだけ伝え、大輔のあの言葉を美咲には隠した。彼女がショックを受けて立ち直れなくなるのを恐れたからである。
若菜から報告を受け、美咲はしばらく黙っていた。そして、若菜に1つ尋ねてきた。
「先生、まだ何か大輔さんから伝えられていませんか?」
若菜はギクッとした。だが、美咲が知れば間違いなくショックが大きすぎる。若菜は特に何も無かった、ただ「会うべきではない」と言っていた、とだけ美咲に答えた。
美咲は再び沈黙した。しばらく考え込むと、美咲はまた違う質問を若菜にした。
「私との思い出について、大輔さん、何か言っていませんでした?」
若菜は観念し、美咲に続きを話し始めた。話の結末も美咲には分かっているようであり、それを受け止める覚悟もあるようだったからだ。
若菜が話し終えると、流石に美咲もショックを隠しきれなかった。
「そうでしたか…。私と付き合う前にも、大輔さん、前の恋人の思い出を全部捨てていて…。彼にとって、私はもう思い出にもいないんだ…。」
あまりにも不憫な美咲の様子を見かね、若菜はつい、語気を強めに美咲に主張した。
「美咲さん、辛いでしょうが、忘れてしまいましょうよ…。酷すぎますよ!一度は愛したはずの女性に、そんな冷たく言い放つなんて!!」
すると、美咲はすぐさま首を横に振った。
「ダメなんです!私も、大輔さんを忘れたくて、写真を捨てたり、新しい恋を探したりしました…。でも、どうしても優しかった彼の残像が吹っ切れなかった…。彼との思い出を精算しないと、私、前に進めないんです!」
2人は沈黙した。同じ女性として、若菜も美咲の気持ちは痛いほどよく分かっている。でも、大輔のあの様子では、ただ美咲が苦しむだけではないだろうか…。
その時、若菜は美咲のバッグについているものが気になり出した。
気になったのはバッグについているカギ状のキーホルダーと思われるものであった。もちろん、良く見かけるタイプであれば、それだけならばさほど気にならなかった。
しかし、持ち手の部分は四葉のクローバーをイメージさせるようなエメラルドグリーン、差し込む方はゴールド、何か目的があって手に入れたものに若菜には思えた。
「美咲さん、そのキーホルダー、どこで買ったんですか?」
若菜がそう尋ねると、今まで沈んでいた美咲の表情がパッと明るくなった。
「これですか!?実はキーホルダーじゃなくて、ホンモノのカギなんですよ!コピーキーですけど。」
美咲はそのまま、このカギにまつわるエピソードを若菜に語り出した。
「ヴィーナス・ブリッジってご存じですか、先生?そこにカギをかけて遠くへ投げると、その2人は永遠に結ばれるって言われているんです。去年の9月、大輔さんとそこへ行ってきたんですよ!その時、カギをかけることにばかり意識がいっていて、それだけですっかり興奮しちゃって、カギを投げ忘れていたんです。それならば記念にと、もう一本カギを作って、お互いに持つことにしたいんです。」
そこまで話した時、再び美咲の表情が曇った。
「あの時、ちゃんとカギを投げていれば、まだあの頃の2人でいられたかもなぁ…。あの時はあんなにお互いに愛し合っていたのに…。今となっては、このカギだけが大輔さんとの愛しあっていた証だなんて…。運命って、残酷なものですね…。」
美咲のその様子に、若菜は改めて決意した。美咲の新しい一歩のために、出来ることは全てしてみよう、と。
翌日、若菜はあのホームセンターに足を運んだ。
「こんにちは、少しだけ良いですか?」
話しかけたのは、熱帯魚コーナーの店員であった。
「はい!どうされましたか?」
笑顔で応対する青年に、若菜は周囲の様子を伺い、小声で話し出した。
「すみません、松田大輔さんのことについて少し教えてもらえませんか?」
若菜がそう切り出すと、青年は困った様子であった。
「いやぁ、そういった個人情報はちょっと…。」
青年に上手く断られ、若菜は切り口を変えて話を伝え始めた。
「そうですよね。では、もし松田さんをご存じでしたら伝えて下さい。『本当に、たった一度、少しの時間だけで構いません。あの人に会ってあげて下さい。』と。」
若菜がここまでこの店員に話せたのには理由があった。若菜が前に2回ここへ来たとき、担当は2度ともこの青年であった。それに、最初の時に2人が名前で親しく話していたのを、若菜ははっきりと覚えていた。
若菜のヨミが当たったのか、次の土曜日、総合受付の待合室に大輔の姿があった。
「あ、松田さん。お久しぶりです。今日はどうされましたか?」
若菜の期待はバルーンのように膨らんでいった。
『美咲さんとのアポイントを取り付けてくれませんか?』
その言葉を、若菜は今か今かと待ちわびた。
「ええ、今日は予防接種を受けに。」
え、それだけ!?期待外れの展開に、若菜は思わず拍子抜けした。
「あの…他にも何か用件はないですか?私のお願いした件とか…。」
若菜がそう言うと、大輔が思い出したかのように、話を続けた。
「そういえば、先生にもお話ししたいことがありましたね。」
きたー、待ってました!若菜の期待は最高潮に達した。そんな若菜に、大輔は続きを話し始めた。
「先生、困りますよ…。あまり僕の周りで美咲さんの話をされるのは。今の彼女を僕は大事にしたい、余計な心配はかけたくないんですよ。」
結局、期待は期待外れに終わってしまった。若菜が言い返そうとした時、大輔は診察室に呼ばれ、その場を後にしてしまった。
もう…美咲が自力で現実を乗り越えて、新しい恋を探してもらうしかないのか…。
『諦め』の二文字が脳裏をかすめた、その時であった、大輔がキーケースを落としているのに気づいた。
それを手に取ると、若菜は大輔に渡しにいこうとした。その時、キーケースから思いもよらないものが見つかった。それは、この間美咲がバッグにつけていたのと全く同じカギであった。
しかし、美咲さんとの思い出は全て処分したと、大輔は確かに言ったはず、これは一体どういうことなのか…。
クリスマスまであと1ヶ月、誰もがその雰囲気に染まっていた。若菜も妹たちへのクリスマスプレゼントを探しに、新宿や渋谷で色々と見て回っていた。
そんな中、今回の相談者である美咲が若菜のもとを訪ねた。
美咲は、過去の思い出と現実のはざまで苦しんでいた。
美咲は1年前のクリスマスに、彼氏とケンカ別れしていたのである。しかし、その時の一時的な感情が原因で関係を壊してしまったことを、美咲はひどく悔やんでいた。
できることならば、大好きだった彼とやり直したい、しかし、それはもはや叶わない願いとなってきていた。それというのも、元彼には半年前から、すでに新しい彼女がいるのであった。それならば、せめて彼との思い出をきれいに精算したい、若菜にそのための力を貸してほしいということであった。
若菜が2人の状況を確かめると、すでに携帯も繋がらなかったため、まずは大輔との接触を図ることにした。
数日経ったある土曜日、若菜はあるホームセンターにいた。店内をしばらく回っていると、一人の男性が熱帯魚のコーナーにいることに気づいた。
若菜はすかさず、男性に近づいて話しかけた。
「突然すみません、松田大輔さんじゃないですか?」
見覚えのない女性に声を掛けられ、大輔はキョトンとしながら対応した。
「ええ、そうですが、あなたは…」
大輔がそう尋ねると、すかさず若菜は改めて自己紹介をした。
「あ、すみません。申し遅れましたが、三鷹病院で恋愛相談医として勤務しております、双葉若菜と言います。小宮美咲さんとのことについて少しお話を伺いたいのですが…。」
若菜がそう言うと、大輔はややムッとした様子で若菜に応じた。
「それでしたら、僕の方からは何もお話することはありません!僕と彼女はもう、アカの他人同士ですから。聞きたいことはそれだけですか?それならば、この後予定がありますのでこれで。」
「あ、ちょっと、待ってください!まだ続きがありまして…。」
若菜がそう引き止めにいくと、大輔は丁寧に、しかし淡々と若菜に答えた。
「今日は急なことですし、また日時を改めて、教えていただいた勤め先のところへ伺いますよ。それでは、今日はこれで。」
そう言うと、大輔は熱帯魚のエサと装飾を購入し、その場をあとにした。
その時、若菜は大輔の言葉に納得していた。そりゃあ、そうだ。会ったこともない相手に別れた彼女のことをしつこく聞かれて気分が良いわけない。そう考え、病院で大輔が訪ねてくるのを待つことにした。
それから1週間経ち、2週間と過ぎていった。しかし、大輔は現れなかった。
しまった、うまくあしらわれた…。そう思い、若菜は再びホームセンターを訪ねた。しばらく店内を回り、大輔が現れるのを待ってみた。しかし、いくら待っても大輔は姿が見られなかった。
気を揉んだ若菜は、熱帯魚の販売員に大輔がここ最近訪ねてきていないか尋ねてみた。すると、最近は全く見かけていないということであった。
仕方なく、若菜は相談室で大輔が訪ねてくるのを待つことにした。
翌日、いつものように相談を受けていた。
「次の方、どうぞ。」
すると、現れたのは大輔であった。相変わらず、どこ吹く風といった様子であった。
「あ、松田さん。来てくれたんですね!」
若菜の反応とは対照的に、大輔はかったるそうな感じで若菜に話しかけた。
「やれやれ、先生には負けましたよ。あそこであしらえば流してくれるかと思いましたが、まさか粘ってくるとは…。まぁ、いいでしょう。話くらいは伺いましょう。美咲さんについて、何をお尋ねしたいんですか?」
この機会を逃すまいと、若菜は単刀直入に用件を伝え始めた。
「あと一度だけ、美咲さんに会ってもらえませんか?美咲さん、松田さんに最後に『さよなら』をきちんと伝えたいって私にお願いしてきたんです。彼女の願いに…応えてください!」
美咲のために、短い言葉だが、ありったけの熱意を大輔に伝えた。しかし、その時の大輔の心に、若菜の熱意は届かなかった。
「そういうことですか…。残念ながら、ご希望に沿うことは出来ません。僕には今、他に愛する人がいます。美咲さんとは会うべきではない。」
若菜は食い下がった。これを逃したら次の機会の保証なんて無かったからだ。
「気持ちは十分承知ですが、そこを何とか…!10分…いや、5分で構いませんので…。」
「残念ながら…。無理な相談になりますね。」
のれんに腕押しであった。そう言い、部屋から出ようとした大輔は、最後にショッキングな事実を若菜に告げた。
「美咲さんに伝えて下さい、先生。『思い出は全て処分した。写真も、旅先でのお土産も、君への愛情も全部』って。それがせめてもの手向けです。それでは、失礼しますね。」
若菜は唖然とした。いくらケンカ別れしたからって酷すぎではないか。