病院から帰る事は許されない

 

幸い。と言ったら不謹慎だけど、じいちゃんもばあちゃんも同じ葬儀屋で葬式した

 

だから携帯で電話番号を調べる

 

夜中の3時過ぎだったからか何回かコール音が鳴ってどこかおぼつかない声で男の人が電話に出た

 

家族がなくなりました

 

どう言うと

 

どちらでしょうか?ご自宅ですか?病院ですか?

 

そう聞かれたので○○病院です

 

そう告げると。分かりました。向かいます。そう言ってくれた

 

40分程で到着する事を今度は看護師さんに告げる

 

40分では病院側の準備が間に合わないようだったのでそこは前もって聞いとくべきだったかもしれない

 

1時間と少し経ってから準備が出来たとの事で再度親父の元へ

 

きれいにしてもらっていた

 

良い顔してる

 

みんな頷いた

 

病室から葬儀屋さんと遺体を車に乗せ葬儀屋へ

 

ドライアイスを遺体周りに入れてもらいもう明るくなりかけていたので線香だけ上げさせてもらって夕方打ち合わせしましょうと。それまで少しお休みになってくださいと。

 

でも実際は休んでいる暇なんてない

 

葬儀はどうする

 

密葬?親父は家族葬でいいぞーなんて生前元気な頃言っていたが自営業だったし、今まで一家の大黒柱として。息子が30過ぎても変わらず一家を支え続けて贅沢なんて一度もしたことなく、真面目一筋で生きてきた事もあって最後くらい贅沢じゃないけどちゃんとした形で見送ってあげたいと

 

これも生まれて初めての母親からの意見だった

 

母も全て親父に一度も逆らうことなく今まで連れ添ってきた

 

親父同様、贅沢な事はせず、趣味で花の種を植えてそれを育てることを趣味に生きてきた人だ

 

正直この時俺は親父がそれでいいって言っていたこともあって家族葬を希望したが初めての母親からの意見だったので圧倒され、一般的な葬儀にすることにした。

 

でも確かお寺さんも含むと全部で250万くらいかかると記憶していた

 

まず、お金がない

 

というかあるのかすら分からない

 

多分、ない

 

全て親父にまかせっきりだった我が家では口座にいくら入っているのか

 

むしろ口座があるのかすら分からなかった

 

もちろんあったとしてもカードの暗証番号も通帳も印鑑もどこにあるのかすら分からない

 

は、言いすぎだった様で通帳の場所は母が知っていた

 

でもお金が入っているのかは誰も知らない

 

さぁ打ち合わせまで残された時間は約10時間

 

金関係は母と妹に任せよう

 

俺は親父の携帯を開いて親父の弟。そして子供のころから大好きだったおじさんに電話をかける

 

不思議とこの時には誰も悲しみにくれていなかった

 

そう

 

悲しんでる暇なんてないんだ

 

親父が安心してあの世へ行くために

 

せめてもの親孝行だ

 

まだ待ってろよ親父

 

今準備すっからな

 

だからもう少しいてくれ寒いだろうけど

 

じゃなくて冷たいだろうけど

 

もう少し我慢してな

 

出来ればいっぱい我慢、してな

目を開けたまま苦しそうに呼吸する親父

 

血圧は60

 

意識はない

 

母が

 

妹が

 

親父の親友が

 

病室が人で溢れそうになった

 

がんばれ!がんばれ!

 

しっかり!息して!ほら!

 

みんなが親父に声をかける

 

妹は泣き崩れている

 

母は目に涙を浮かべながら親父の頭を撫でる

 

最後まで親父は戦っていた

 

生きようと

 

最後まで苦しんで戦うことを選んだ

 

生きることを諦めず

 

2時間程たった頃

 

親父は旅立った

 

医者から死亡が宣告された

 

親父は

 

見たか?俺頑張っただろ?許してくれよな

 

誇らしげでやっとゆっくり寝れる

 

そんな顔だった

 

待合室に戻って茫然としている俺たちに親父の親友が言った

 

泣いてる暇なんてないよ

 

これからうんっとやる事あるんだよ

 

泣くのはそれが全部終わった後にしな

 

ありがたい言葉だった

 

親父の親友だからこそ

 

親父が言いたいことを変わりに言ってくれた

 

情けないことに俺達は家族に関係すること、生活、親戚付き合い。全てを親父に任せていた

 

誰もがこんなに早くこうなるとは思っていなかったから口座のお金も何もおろしていない

 

どうしよう

 

どうすればいい

 

そう

 

ここからは誰も助けてなんかくれない

 

むしろ助けてもらってはいけない

 

さあどうする

 

そう思っている矢先に看護師から遺体の引き取り先に連絡を頼まれる

 

猶予も何もない

 

悲しみながら帰る事すらも許されない

 

そう

 

悲しむのはまだ先の事

 

だから今は

 

親父に感謝して

 

今までありがとう

 

ありがとう

 

そう思いながらやることやろう

 

ただその前にもう一度

 

おやじ!

 

ありがとう

 

ありがとう

ICUに入って一月半程経った

 

親父は順調に回復していた様に見えた

 

窓がある部屋に移ってからはICU症候群もほぼ治ってまともに会話が出来た

 

ただ体力の低下がひどく、少し会話しただけですぐに疲れてしまっていた

 

そしてリハビリが順調とは言えなかった

 

手足を動かすこともままならず

 

10分かけてベッドから椅子に一回座っただけで体に限界を感じていた

 

医者も原因が分からずだった

 

病室が移動される日に医者から話があった

 

心臓の方は安定しました

 

ただ体内にウイルスが入っていてそのウイルスが繁殖しているため熱が下がらなかったり腎臓の調子が悪くおしっこがうまく出せていない

 

薬でなんとか抑えているがなかなか厄介なウイルスで、このウイルスさえ消滅させられればもう大丈夫と言えるとの事だった

 

そのウイルスの名前がMから始まる4文字くらいの名前のウイルスで、聞いたこともねえしよくわかんねーけど親父確実に良くなってるし少しづつ少しづつまた良くなってけばいい

 

そう思った

 

窓のある部屋に移動してから見舞の際にゴム手袋とゴミ袋みたいなのを着させられる事になった

 

ウイルスの感染をふせぐためとの事だった

 

ただ親父は回復に向かっていたのであまり気にならなかった

 

そうして数日が過ぎた

 

ついに一般病棟に移れる事になった

 

長かった

 

家族一同喜んだ

 

看護師さん達も喜んでくれた

 

親父も嬉しそうだった

 

これで明日からは気軽に見舞に来れるや

 

そう言って帰った

 

翌日電話が鳴った

 

このパターンは良くない電話だ

 

覚悟して出た

 

やっぱりだった

 

お父さん夜中に呼吸困難になってまたICUに戻った

 

ただ意識もあるし、昨日と変わりない

 

それを聞いて少し安心した

 

病室に行くと親父は横になっていた

 

起きてもいるが酸素マスクをしていた

 

マスクのおかげなのか楽そうだった

 

酸素がシューシュー流れているからうまく会話は出来なかったが見るからに具合が悪そうとかではなかったので良かった

 

翌日には酸素マスクがとれていた

 

でも親父は苦しそうでなく、一般病棟に移る日と変わらないように見えた

 

帰ろうとしたら親父が俺に

 

ありがとう ありがとう

 

2回、そう言った

 

いつもの親父

 

いつも通り

 

また明後日来るよ

 

そう返して病室を出た

 

親父は

 

分かってたんだ

 

これが最後の親父の俺への言葉だった

 

翌日

 

なぜか俺から電話した

 

何でだろう

 

母親は声を震わせながら言った

 

今さっき病院から連絡来て

 

おとうさん

 

多臓器不全起こしたって

 

もう

 

覚悟しないとかもしれない

 

今日明日どうこうなるって訳じゃないってお医者さん言ってたけど

 

もうお父さん・・だめかもしれない

 

声を震わせる母親にかける言葉が見つからず

 

分かった

 

そう言って電話を切った

 

仕事が始まって1時間もしないうちに今度は電話がかかってきた

 

もう

 

電話を取る前に

 

良い知らせじゃない事は分かっていた

 

願ったのは

 

まだいかないでくれ

 

せめて

 

みんなで傍で

 

親父の傍で

 

もしもし

 

おとうさん危ない

 

すぐ来てくれって

 

俺は、分かった。と一言だけ言った。

 

一番早く親父の元に着いた

 

ありがとう

 

何度もそう言った

 

何度も。何度も。

また母親から着信が入った

 

おとうさんまた意識が戻らなくなった

 

おしっこが出なくて熱もあがってるみたい

 

うそだろまじかよ

 

そう思いながら病院へ行った

 

今日は待っていられない

 

担当の医者を探した

 

迷惑承知で無理やり足止めした

 

医者はおどけた様子で

 

容体はまだ手術後から変わっていません

 

意識が戻っても回復していた訳ではありません

 

悪化もしていません

 

予断は許さない状況に変わりありません

 

あまりに淡々と説明されて怒りも悲しみもどこかにいってしまい

 

親父を信じて待つだけ

 

そうふっきれた時だった

 

数日後、また親父は意識が戻る

 

相変わらずハンバーガーが消えただのオレンジジュースまだ飲んでないのに持ってくなとか

 

面白い事を言ってた

 

今日病室移動するんだと言って俺と母親は、はいはいと返したが親父は不機嫌そうだった

 

これは本当だったからだ

 

ICU内に変わりないのが親父は不服だったようだが窓がある個室に移された

 

これで昼夜の区別が付くしICU症候群も完治できるといいね

 

確実に一歩づつ前進していると思っていた

 

俺も家族も

 

ただ親父だけは

 

そう思っていなかったのかもしれない

 

部屋を移動する直前

 

拘束されていた腕を俺のほうに伸ばし手を握ってほしそうだった

 

生まれて初めて親父の手を握った

 

それはとても冷たくて

 

親父死んでるんじゃねえかってビックリした

 

でも親父は俺の手を力なく握りながら目をつぶったままゆっくり頷いていた

 

その日の帰り道

 

親父の手を握った事が初めてじゃないことを思い出した

 

まだ俺が小さかった頃

 

ディズニーランドではぐれた時

 

親父が俺を見つけて俺の手を握ったんだ

 

遠い昔の温かい記憶

 

もう少し握ってやっとけばよかったな

 

また明日行こう

 

話をしに

 

手を繋ぎに

母親に電話した

 

親父が声がほとんど出ないけど口元に耳をもってけば聞こえるというから話がしたくて行ってみた

 

親父は起きていた

 

起こされていた

 

ベッドを斜めにされ無理やり半分座らせられているような形だった

 

親父と目が合った

 

俺が分かるか?誰だか分かるか?

 

そう聞くと軽く2回うなずいた

 

具合どうだ?そう聞くと親父はモゴモゴしゃべり始めた

 

昨日 仕事 途中までしかやってないから 帰ってやりたいのに はあ~・・

 

 

???

 

?????

 

まさかボケ・・たの・・か

 

頭が真っ白になった

 

戸惑いながらも親父に

 

何言ってんだ入院中だろ仕事なんかできねーよ

 

そう言うと今度は

 

妹の事を話始めた

 

○○(妹)の 結婚式で 金 かかったろ だから 仕事 しねーと なのになー

 

・・・

 

まだ結婚してねーよ

 

そのままつっこんでしまった

 

はぁ?何言ってんだ?

 

俺が言いたい言葉を親父が俺に言う

 

タイミング良く母親登場

 

ICU症候群だかなんだかで一時的にアルツハイマーと似たような症状が出るらしい

 

あくまで一時的なもので徐々に治っていくらしい

 

そんなこと聞いても安心できなかった不安しかなかった

 

その後も妹の彼氏は元スパイで今は漫画家になって金持ちだとか

 

定職に着いたら結婚を許すとか

 

母親は笑ってたけど俺は不安が最高潮だった

 

意味不明な事を言うたびにそれは夢だ

 

並行世界の出来事だ

 

親父はこの2週間で並行世界をあちこち行ってたんだとチュウニビョウ解説してやった

 

親父はああそうかと頷いていた

 

ぜってー分かってなかったくせに

 

でも会話が出来たことが嬉しくて

 

その日は久々によく眠れた

 

安眠した

 

翌日からまた不眠症になる事になった

 

でもあの日の事は

 

親父が退院したら真っ先に言ってはずかしめてやろう

 

そう思ってた

 

それで笑いながら鍋でもつつきたかったなぁ

 

あの狭い台所でさ

 

家族そろってさ

 

なぁ親父

 

そうしたかったよな

緊急手術から10日ほど経った

 

緊急手術が終わった時から何も変わらない親父と機会達

 

そして血圧

 

相変わらず看護師や医者も近くにいない

 

でもそのうちやってくる

 

その時に経過を聞こう

 

すぐにその時はやってきた

 

返答は

 

変わらないです

 

良くもなっていないし悪くもなっていない

 

ある意味一番聞きたくない返答だった

 

悪化してるよりはいいけど

 

何も変わらないって何だよ

 

そう思った

 

イライラしていたのが伝わったか

 

意識が戻るのにかかる時間はその人によってなので、それに関しては不安に思わなくて大丈夫ですよとフォローされた

 

少しホっとしてその日は帰った

 

翌々日もチラっと覗いて変わりなかったので帰った

 

そして15日程経過した時母親から着信が入った

 

頼む。いい報告であってくれ

 

そう願いながら電話に出た

 

お父さん意識もどったよ。もうろうとしてるけど何か言えばうなずくし、体動かすの辛そうだけど言ってることも分かってるみたい

 

そう聞いてすぐに病院に行った

 

なのに寝てた

 

少しだけイビキが聞こえて

 

涙が出る位嬉しかった

 

なんだか意識が戻った後に夜以外に寝るのは良くないらしく無理やり看護師に起こされていた

 

一瞬起きてこっちを見るとまたすぐ寝てしまった

 

一気に安心した

 

みんな安心した

 

みんなに笑顔が戻った

 

親父のイビキを聞いて

 

みんなが笑顔になった

子供の頃からずっと

 

親父のイビキがすごくうるさいと思ってた

 

いつかそれは

 

親父がイビキをかいていないと死んでるんじゃねえかって不安になった

 

でも毎日必ず大音量でそれは聞こえてきて

 

たまに、ちょいちょい、結構な頻度で無呼吸なんたらでいきなり止まったりするけど

 

すぐにまた大音量に戻るのが心地よくはないけど頼もしくもあった

 

でも今目の前にいる親父は

 

一切イビキをかかないかけない

 

身体中に色んなチューブがつながれていて鼻にも口にも

 

窓のない部屋に色んな機械が置かれていて全部が親父とつながっていた

 

予断を許さない状況ってのがよくわかる光景だった

 

ただお医者さんも看護師さんも近くにはいなくて

 

逆にそれが安心だった

 

でも血圧がすごく低かった

 

親父は超高血圧で何十年も毎日血圧を下げる薬をかかさず飲んでいた。

 

なのにその親父の血圧が80代で

 

調べたら70を下回ったら死の危険って書いてあって

 

すごく焦って、寝ている親父に血圧あげろ血圧あげろって言い続けた

 

汗がすごくて、置いてあったタオルで額を拭いた

 

看護師さんに聞いてみたら、熱があるらしく、それも下がらないらしい

 

ただ高熱ではないとの事だった

 

だから気にもとめなかった

 

入院する前。9月の中頃に風邪をこじらせて1カ月してようやく治ったと思ったらこんなことになってしまった親父

 

チェーンスモーカーだったのにかれこれ1カ月以上タバコ吸わなかったとこの時母親に聞いてすっごくビックリした。

 

よっぽどひどい風邪だったんだなぁ

 

としか思わなかった。

 

もしかしたらすでにその時にむしばられ始めていたのかもしれない

 

いやきっとそうだ

 

聞いたこともないウイルスに。

 

親父を殺した

 

ウイルスに。

 

 

見舞に行った日から3日過ぎた

 

仕事帰りに実家に行こうと思った

 

丁度お昼頃に母親から電話が来た

 

お父さん緊急手術だから今すぐ病院に来て

 

そう言って電話は切れた

 

意味が分からなかった

 

もう退院しているはずでは?

 

緊急手術って何?

 

もう終わってるはずなのに

 

頭が一気にパニックに陥った

 

呼べばいいものをタクシーが常駐しているところまで行って乗った

 

病院に着いたら丁度妹も着いたところで親父がいるであろう場所に案内された

 

ICUの隣にある家族待合室だった

 

頭が混乱しすぎてイライラが半端なかった

 

先に室内にいた母親に説明を求めた

 

見舞に行った次の日予定通り手術が行われた

 

が予定通りにはいかなかった

 

一般的にバイパス手術というものらしかったが心臓の周りの3本の血管全てが機能しておらず、なお管が通らなかったとのことだ

 

一般的に2,3時間もあれば終わる手術が8時間に及び結果失敗

 

翌日退院予定だったがもう一度同じ手術をした

 

これまた10時間に及び失敗

 

この日の夜に具合が悪くなり、時間が経つにつれて落ち着いたが朝になって容体が急変

 

一時は心臓が止まって緊急措置したが今すぐ手術しないと命があぶないと母親に病院から連絡がきたとの事

 

母親からこの説明を受けた時、なぜその都度連絡をくれないのかと唸ってしまった

 

一番辛いのは母親のはずなのにそうせずにはいられなかった

 

今は何よりも待つしかない

 

8時間でも10時間でも何時間でも待つ

 

だから無事でいてくれ親父

 

みんなそう思った

 

だから手術が成功したと聞いた時はほっとして

 

張り詰めていたものがふっと途切れて親父の隣で俺が倒れてしまった

 

手術の経緯や現状の説明を聞けず俺が運ばれた

 

親父が生きていたらきっとこれ聞いて爆笑しただろうな

 

後から現状がどうゆう状態か聞いた

 

手術は成功した

 

ただ手術前の状態があまりにもひどく、予断は許さない状況

 

意識が戻るまでには長いと2週間以上かかる事もある

 

このまましばらくICUに入ったままになる

 

などなど、手術が成功した喜びから一転してまた不安な日々を過ごすことになるのかと思った

 

ただそれでもいい。手術は成功した。時間はかかってもいいから少しづつ良くなってくれればいいから。

 

みんなそう思った。そう思いながら家に帰った。

 

帰りながら

 

電話が鳴りませんように

 

そう願った。心から。

9年前じいちゃんが死んだ

 

親父だけが泣いた

 

一瞬だけ

 

生まれて初めて親父が泣いたところを見た

 

1年前ばあちゃんが死んだ

 

俺だけ泣いた

 

お通夜も告別式も斎場でも

 

わんわん泣いた

 

親父が死んだ

 

みんな泣いた

 

俺以外みんな泣いた

 

泣けなかった

 

泣くことより

 

やらなきゃいけないことが沢山あるって思った

 

10月から2カ月間ICUに入ってた

 

1日置きに見舞に行った

 

入院した翌日が最初の見舞だった

 

まだ一般病棟で

 

いつも家にいる時と変わらない親父だった

 

半分冗談で

 

親父が死んだら何をしたらいいかって聞いた

 

親父はなぜか嬉しそうに

 

そうだな。そうゆう話、しとかないとな

 

って笑いながら言った

 

あまりに元気でいつも通りな親父だったから

 

退院したら話そうって言って帰った

 

翌日手術をして、次の日に退院する予定だった

 

誰もが

 

そう信じてた

2016年12月9日

 

親父が死んだ

 

今日は12月20日

 

10日も経っても今もまだ実感がわかない

 

悲しさも寂しさも良くわからない把握できていない

 

ただただ

 

信じられない

 

ここを自分のメモとして忘れてはいけないこと

 

いつかまた必ず直面するからその時のために

 

身近な人に不幸があった時に手を貸せるように

 

自分がこの数カ月間に経験したこと感じたことを忘れないように

 

まずは過去を遡って書いていこうと思います