ICUに入って一月半程経った

 

親父は順調に回復していた様に見えた

 

窓がある部屋に移ってからはICU症候群もほぼ治ってまともに会話が出来た

 

ただ体力の低下がひどく、少し会話しただけですぐに疲れてしまっていた

 

そしてリハビリが順調とは言えなかった

 

手足を動かすこともままならず

 

10分かけてベッドから椅子に一回座っただけで体に限界を感じていた

 

医者も原因が分からずだった

 

病室が移動される日に医者から話があった

 

心臓の方は安定しました

 

ただ体内にウイルスが入っていてそのウイルスが繁殖しているため熱が下がらなかったり腎臓の調子が悪くおしっこがうまく出せていない

 

薬でなんとか抑えているがなかなか厄介なウイルスで、このウイルスさえ消滅させられればもう大丈夫と言えるとの事だった

 

そのウイルスの名前がMから始まる4文字くらいの名前のウイルスで、聞いたこともねえしよくわかんねーけど親父確実に良くなってるし少しづつ少しづつまた良くなってけばいい

 

そう思った

 

窓のある部屋に移動してから見舞の際にゴム手袋とゴミ袋みたいなのを着させられる事になった

 

ウイルスの感染をふせぐためとの事だった

 

ただ親父は回復に向かっていたのであまり気にならなかった

 

そうして数日が過ぎた

 

ついに一般病棟に移れる事になった

 

長かった

 

家族一同喜んだ

 

看護師さん達も喜んでくれた

 

親父も嬉しそうだった

 

これで明日からは気軽に見舞に来れるや

 

そう言って帰った

 

翌日電話が鳴った

 

このパターンは良くない電話だ

 

覚悟して出た

 

やっぱりだった

 

お父さん夜中に呼吸困難になってまたICUに戻った

 

ただ意識もあるし、昨日と変わりない

 

それを聞いて少し安心した

 

病室に行くと親父は横になっていた

 

起きてもいるが酸素マスクをしていた

 

マスクのおかげなのか楽そうだった

 

酸素がシューシュー流れているからうまく会話は出来なかったが見るからに具合が悪そうとかではなかったので良かった

 

翌日には酸素マスクがとれていた

 

でも親父は苦しそうでなく、一般病棟に移る日と変わらないように見えた

 

帰ろうとしたら親父が俺に

 

ありがとう ありがとう

 

2回、そう言った

 

いつもの親父

 

いつも通り

 

また明後日来るよ

 

そう返して病室を出た

 

親父は

 

分かってたんだ

 

これが最後の親父の俺への言葉だった

 

翌日

 

なぜか俺から電話した

 

何でだろう

 

母親は声を震わせながら言った

 

今さっき病院から連絡来て

 

おとうさん

 

多臓器不全起こしたって

 

もう

 

覚悟しないとかもしれない

 

今日明日どうこうなるって訳じゃないってお医者さん言ってたけど

 

もうお父さん・・だめかもしれない

 

声を震わせる母親にかける言葉が見つからず

 

分かった

 

そう言って電話を切った

 

仕事が始まって1時間もしないうちに今度は電話がかかってきた

 

もう

 

電話を取る前に

 

良い知らせじゃない事は分かっていた

 

願ったのは

 

まだいかないでくれ

 

せめて

 

みんなで傍で

 

親父の傍で

 

もしもし

 

おとうさん危ない

 

すぐ来てくれって

 

俺は、分かった。と一言だけ言った。

 

一番早く親父の元に着いた

 

ありがとう

 

何度もそう言った

 

何度も。何度も。