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天の声(321) 日本国の再生(294) 光(287) 故郷(64) 現役寿命(54)

閃き!!!


震災復興 啓示二百七十八』(2015年第二十七信)として、 日本国民の皆様にお伝えします。 


「女(遠藤周作)」を読了し、 思うこと。
そこには、 「戦国時代から江戸時代に於ける男と女の人生模様」が描かれていた。


1)織田信長・豊臣秀吉・徳川家康


各々1534年、 1537年、 1543年生まれ。 各々「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」、 「鳴かぬなら鳴かしてみせようほととぎす」、 「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」という俳句にうまく表現されている。 織田信長は、 弟・信行を暗殺、 妹のお市の方の長男・万福丸を殺め、 更にお市の方の夫・浅井長政を暗殺するなど、 “鳴かぬなら殺してしまえ”に符号している。 豊臣秀吉は、 小者(足軽よりも身分が下で、 小さな雑用や馬の口取りをする)から始め、 天下人・太閤(大坂城を築く)までになった。 正に“鳴かぬなら鳴かしてみせよう”である。 徳川家康は、 織田信長・豊臣秀吉が為した天下統一を受け、 慶長8年(1603年)に自ら初代征夷大将軍に就任してから、 慶応3年(1867年)に第15代・徳川慶喜が大政奉還するまで、 264年間にわたる江戸時代を通じて、 征夷大将軍の職を世襲する家系を築き、 日本の実質上の君主・支配者として、 武家社会を含む日本社会全体の頂点に君臨することになった。


上記男社会の中に、 女社会の主要人物として、 お市の方、 茶々(淀の方)、 千姫、 春日局などが存在し、 特に後継者絡みで大きく関係、 骨肉の争いを展開している。


2)お市の方・茶々(淀の方)・千姫・春日局


(1)お市の方は、 兄・信長の政略結婚で、 浅井長政と結婚し、 万福丸・茶々(淀の方)・おはつ(初)・おこう(小督)を生んだ。 夫・浅井長政は優しく、 お市の方は幸せな生活を送っていたが、 当時の政争の絡みで、 兄・信長と夫・浅井長政(朝倉義景連合軍)が合戦することになり、 浅井長政はその戦いに敗れ、 長男・万福丸も殺害され、 茶々(淀の方)・おはつ(初)・おこう(小督)の3人の子供を引き取り、 育てることになった。 その後、 信長は本能寺の変で明智光秀の謀反により、 自害した。 一方、 市の方は、 織田信孝(甥)の政略結婚に合意し、 織田家の重臣・柴田勝家と再婚した。 しかし、 お市の方の本心は、 「夫・長政の仇をうち、 長男・万福丸を殺害した秀吉に仕返しをするため」であった。 その後、 夫・柴田勝家も、 秀吉との戦いに敗れ、 自害。  お市の方も、 長女の茶々(淀の方)に次の言葉を残し、 自害した。 「すべてそれはそなたたちの父、 浅井長政殿の恨みをはらすため。 勝家殿のお力をかりて、 かの秀吉を亡ぼさんと思うたが、 武運つたなく勝家殿はこの北の庄にて、 自刃されることになった。 母も勝家殿の恩義に報いるために、 共に死ぬ覚悟。 だが茶々は妹たちと共に城を出て、 生涯かけてあの秀吉の一族を亡ぼし、 父母の菩提を弔うてくれ。 よいか、 母の遺言、 決して忘れるでないぞ。」 茶々は母の顔を凝視したまま強くうなずいた。 


勝家の辞世の句: 夏の夜の夢路はかなき跡の名を 雲井にあげよ山ほととぎす


お市の辞世の句: さらぬだにうちぬる程も夏の夜の 別れを誘うほととぎすかな


(2)その後、 茶々(淀の方)は豊臣秀吉の側室(正室はねね)となり、 秀頼を生んだ。(先に生まれた鶴松は三歳で病没)。 秀吉は秀頼を寵愛し、 家康をして「秀頼さまはやがて天下をお継ぎになるお方。 御成人の暁には関白にも将軍職にもおつきになりましょう。」と言わしめた。 しばらくして、 慶長3年(1598)8月18日、 秀吉は息を引き取った。 享年61歳。 辞世の句: つゆと落ちつゆと消えにしわが身かな 浪速のことも夢のまた夢  茶々(淀の方)は秀吉の死の報を受け、 一抹の寂しさを感じつつ、 秀頼の天下取りのことを考え、 関ヶ原の戦い(天下分け目の決戦)につながっていった。 東軍は、 徳川家康 徳川秀忠 結城秀康、 西軍は、 毛利輝元 石田三成 宇喜多秀家 上杉景勝。 東軍・徳川家康が勝利した(慶長5年)。 慶長8年(1603年)には、 徳川秀忠の娘・千姫(家康の孫)が7歳で豊臣秀頼と結婚した。 しかし、 徳川家康との対立は、 大阪冬の陣(慶長19年[1614年11月])・大阪夏の陣(慶長20年[1615年5月]へと発展していった。 そして、 大阪夏の陣後、 千姫は大坂城から救い出され、 茶々(淀の方)は自害(49歳)、 豊臣秀頼も自害した。 これで豊臣家は滅亡したことになる。


(3)春日局(斎藤福): 三代将軍・徳川家光の乳母。 家光の将軍就任に伴い、 「将軍様御局」として大御台所・江の下で大奥の公務を取り仕切るようになる。 寛永3年(1626年)の江の没後からは、 家光の側室探しに尽力し、 伊勢慶光院の院主であった万や、 楽、 夏などの女性たちを次々と奥入りさせた。 また将軍の権威を背景に老中をも上回る実質的な権力を握る。 


(4)大奥: 大奥においても一人のいわば「総取締」とも言える役割が存在することもあった。 大奥の制度が完全に確立されてはいなかった3代将軍家光の時代、 乳母である春日局が「将軍様御局」という立場で大奥総取締の任に当たった。 また、 5代将軍綱吉時代の将軍付上臈御年寄・右衛門佐局は、 綱吉から「大奥総支配」を命じられたとされる。 この2人はどちらも老女筆頭であったが、 大奥総取締を担う女性が必ずしも老女筆頭であったわけではない。 12代将軍家慶時代の将軍付上臈御年寄・姉小路は、 大奥で権勢をふるった女性として知られているが筆頭ではなかったと考えられている。 


3)身近に感じる時代


先祖との絡みで、 戦国時代に興味を感じる。 和氣権之助豊勝(城主和氣出雲守衆勝の長子)が故郷の墓地に眠っている。 この度歴史を紐解くことによって、 豊臣秀吉と徳川家康の狭間で、 仇となる人物が消え去ったことがわかった。 遠藤周作氏の小説を通して、 このような歴史的事実を知ることになるとは思ってもいなかった。 深いご縁を感じる。


今回は以上です。 ご静聴誠に有り難うございました。



本日のメッセージ


一事に 的を絞って 進みゆく
読書の秋 学びの季節


学習意欲を高め、 向上心を高めましょう。 一事に集中してゆけば、 あなたの学習通りに習得できます。 大事な内容を何度も見直し、 繰り返しの学習を実践してください。 あなたの吸収する力は偉大で、 能力に変化させています。 向学心に目覚め、 再度たのしく勉強に励んでください。 習得できるものは、 たくさんあります。 分野を広げ、 脳を活性化させてください。 読書の秋・学習の秋本番です。


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天の声(320) 日本国の再生(293) 光(286) 故郷(63) 現役寿命(53)

閃き!!!


震災復興 啓示二百七十七』(2015年第二十六信)として、 日本国民の皆様にお伝えします。 


「私の愛した小説(遠藤周作)」を読了し、 思うこと。
そこには、 「人間理解の深みを探る智慧」が存在していた。


1)影響を与えた作家群


学校教育、 社会教育などを経て人間は成長していく。 その間、 心に残る作家と出合うこともあるだろう。 最近では、 又吉直樹氏。 氏を通して読書に目覚める人もいるだろう。 


最近出合った作家の一人に「遠藤周作氏」がいる。 32歳のときの「芥川賞受賞」を始め、 数々の賞を受賞されている。 35歳時、 「海と毒薬」で第五回新潮社文学賞、 第十二回毎日出版文化賞受賞。 43歳時、 「沈黙」で第二回谷崎潤一郎賞受賞。 54歳時、 芥川賞の選考委員になる。 55歳時、 「イエスの生涯」で国際ダグ・ハマーショルド賞受賞。 56歳時、 「キリストの誕生」で読売文学賞受賞、 またこの年、 芸術院賞受賞。 57歳時、 「」で野間文学賞受賞。 58歳時、 芸術院会員になる。 62歳時、 日本ペンクラブの第十代会長に選任され、 アメリカのサンタ・クララ大学から名誉博士号を受ける。 64歳時、 アメリカのジョージタウン大学から名誉博士号を受ける。 65歳時、 文化功労章受章。 67歳時、 アメリカのキャンピオン賞受賞。 68歳時、 アメリカのジョン・キャロル大学から名誉博士号を受け、 更に台湾の輔仁大学の名誉博士号を受ける。 71歳時、 「深い河」で毎日芸術賞受賞。 72歳時、 文化勲章受章。 1996年(73歳)9月逝去。


上記経歴でも、 大作家であることが覗える。 次に遠藤周作氏に影響を与えた作家を列記する。 堀辰雄、 モーリヤックノーベル文学賞受賞、 フランス人作家、 遠藤周作氏は27歳時フランス留学、 氏もノーベル文学賞候補に挙がったが、 作品「スキャンダル」(エロティック描写)のため取り下げられたと聞く)、 ジュリアン・グリーン、 永井荷風、 佐藤朔(仏文学者)、 ドストエフスキー、 フロイト(精神科医・心理学者)、 ユング(精神科医・心理学者)、 山本健吉(文芸評論家)、 小林秀雄(文芸評論家)、 玉城康四郎(仏教学者)、 柴田錬三郎、 中村真一郎、 池波正太郎、 佐藤春夫、 同時代作家(三島由紀夫、 大江健三郎、 高橋たか子、 安岡章太郎、 吉行淳之介、 庄野潤三、 近藤啓太郎、 三浦朱門、 進藤純孝、 小島信夫など)。


2)ひとつの小説ができるまで


著者の文章引用。 「私はユング(集合無意識)の言う無意識と元型との関係や、 その元型が生み出すさまざまなイメージのことを考えているうちに、 我々の無意識のなかには、 イメージだけではなく、 物語を作り出す元型もひそんでいるのではないか、 という疑問に捕らわれたのだった。 - - -」


「今度のペン大会に出席したロブ=グリエなどのこの物語性への不信は、 物語への軽蔑を生み、 そしてそれによって我々は昔味わった小説を読む楽しさを今の数多くの文学作品からは見い出せなくなった。 事実、 アンチ・ロマンの作家の小説を読んで小説を読む楽しさを味わう者はいまい。 だが『アンナ・カレーニナ』や『戦争と平和』を読んだ時の感動。 『メリメは日にあらたなり』と言った芥川龍之介の言葉にうなずいた夜。 それを思い出すと、 私にはもう一度、 物語性を洗いなおすことが我々小説家にも必要なのではないか、 と思うようになってきたのだ。」


「だから物語を生むことは、 たんなる思いつきや出鱈目や偶然性にたよる作為ではなくて、 我々の無意識にひそむ元型の活動によるものであり、 物語には人間のやむにやまれぬ必然的欲求がひそんでいることを私は語りたかったのである。 そのためには無意識元型と物語との関係をこの稿でもう少し書いておかねばならない。」


「私は近代の芸術作品があまりに芸術家の才能、 個性、 独創性ばかりを強調していることに疑いを抱く一人である。 もちろん、 私は芸術家の才能や個性、 独創性を否定するのではない。 しかし、 そのために近代芸術が無視しすぎた、 作品のなかの重層性をあらためて考えなおしていいのではないかと思うのだ。」


作品のなかの重層性 - もし作品を横に輪切りにできるならば、 そこにちょうど輪切りにした大きな木のなかの年輪のような、 幾重にも作者が影響をうけた芸術様式が輪になって見つけられるのではないか - そんな気がする。」


「それはちょうど、 人間の心を輪切りにしてみるならば、 さまざまの意識の層の底に、 さまざまの無意識の層がつづき、 更にそれは祖先から受けついだ人類全体の集合無意識にとけこんでいるというユングの描く心のようなものである。」


「そして心の底の集合無意識の層の奥にまるで芯のように元型があると同じように、 ひとつの芸術作品、 ひとつの文学作品の重層の奥にも芯とも言うべき物語性の元型が見つけられるのではないか。」


「どんな作品にも - それが人々によって長く愛読されるような作品であればあるほど、 そこには過去の古典とつながる層があり、 更にその奥に元型があると考えるべきである。 なぜなら作者の側から言っても彼の独創性が生まれるのはこの幾重もの作品協同体を通過してからである。 それは私の貧しい経験からも言える。 作家になろうとする者は、 はじめは影響を受けた作品の様式や文体の模倣からはじまり、 それがくりかえされるうち、 そこから彼自身のものが眼にみえぬ液体のように、 にじみだしてくるものだ。」


→ (1)「作家になろうとする者は、 はじめは影響を受けた作品の様式や文体の模倣からはじまり」: 最近話題の「オリンピック・エンブレム問題」も、 上記芸術作品の如く、 デザインを輪切りにしてみれば、 

独創性の真実が見えてくるのでないか、 と思う。


→ (2)上記小説制作過程の中に、 我々の人生との共通性を感じる部分がある。 「私のなかに年齢と共に個性や独自性より以上に人間と人間の、 人間と世界との『つながり』や『結びつき』のほうを重視する気持が強くなってきたせいかもしれぬ。 作品の個性や独創性は決して孤独などで生まれるものではなく、 それを生み、 それの基盤となった眼にみえぬ大きな深いものに支えられていたことが次第にわかってきたせいからもしれぬ。 その眼にみえぬ力となっているものとは具体的には文学のながい作品協同体であり、 その作品協同体はそれぞれ物語元型を持ち、 元型は無意識のなかにひそんでいるというのが、 今までつぶやき続けてきた私の考えの一つなのである。」


→ (3)作家・遠藤周作氏と出合うことによって、 人間理解の深みに触れることができた。 氏の作品は勿論、 モーリヤック、 堀辰雄などの作品も読み、 作品協同体の実体に触れ、 人間理解を深めていきたく思う。


今回は以上です。 ご静聴誠に有り難うございました。



本日のメッセージ


心から 優しさ発揮 愛に満ち
ご縁が生まれ 運勢開花


本心からのやさしさを発心(ほっしん)しましょう。 あなたの心の強さを愛のある実践に変化させ、 周りのために、 愛に満ちた行動を実践しましょう。 あなたの強さを、 行動に起こしましょう。 今、 あなたが試されています。 表に発信してください。 一所懸命にあなたの愛を実践してください。 驚くべき強い運勢に恵まれていきます。 より一層、 健康や良いご縁にも恵まれます。 頂いた恵みや能力を存分に活かし、 やさしさの行動を通して人生を向上させていきましょう。



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天の声(319) 日本国の再生(292) 光(285) 故郷(62) 現役寿命(52)

閃き!!!

 

震災復興 啓示二百七十六』(2015年第二十五信)として、 日本国民の皆様にお伝えします。 

 

 

「戦後70年報道」に接し、 思うこと。

 


そこには、 「戦争の悲惨さと戦争責任問題」が存在していた。

 

1)戦争責任

 

 

(1)まず、 戦争を仕掛けた国の問題。 過去に明確な教育・説明を受けていない。 勿論、 軍国主義といったおどろおどろしい表現を聞いたことはある。 

 

 

「戦後70年報道」では、 映像と一緒に今まで知らされていなかった事実が次々と出て来た。 戦争の最後に、 アメリカが徹底して空爆していたことを知り、 複雑な気持ちになった。 また、 日本国内では想像を絶する被爆者に対する政府の無策に唖然とした。 「戦争責任」は今からでも明らかにし、 未来に向かう必要性を感じる

 

 

(2)相手国に対する戦争責任は元より、 自国内戦争責任を明確にすべきと考える。 何故ならば、 東京大空襲被害者の名簿が大国により封じ込まれ、 法要の際被害者の遺族にも開示できない内容で合同慰霊室に展示されている。 

 

 

2)平和への道

 

 

「戦後70年報道」関連で、 ぞろぞろ有識者然たる人々が出てくるが、 「平和への道」を説く人は少ない。 ほとんどが他国を非難するか、 自国を弁護する内容である。 オピニオン・リーダーにして然りである。

 

 

平和への道は、 辛抱強く国民一人一人が築いていくしか方法はないのかも知れない。 政府が一番の問題である。 国民は平和を望んでいるのに対し、 独りよがりな個人が権力を背景に平和とは程遠い道を作ろうとする。 国民のため、 国民のためと言いながら。 

 

 

3)芥川賞受賞作品・白い人(遠藤周作著)に学ぶ

 

1955年(昭和30年)7月に32歳のとき、 第33回芥川賞を受賞。 日本人でありながら、 「私」はフランス人という設定。 時代はナチスドイツがフランス人を拷問し、 次々と抗ドイツ運動者を暴いていく中、 神父の神に対する忠誠度まで試すというマルキ・ド・サドのサディズムまで登場する手法を取っている。 「部屋の蠅(はえ)は唸りながら電燈の周囲を駆けずり廻っていた」という表現も出てくる。 小説家然たる強烈な資質を感じた。

 

 

また、 今の日本の有り様を如何に捉えられるかお聞きしたくも思った。 国民の生命を軽んじる発想は断じて許すことはできない。 又吉直樹芥川賞受賞作家にも、 社会の有り様に鋭く切り込む小説をお願いしたく思う。 

 

 

今回は以上です。 ご静聴誠に有り難うございました。

 

 


本日のメッセージ

 

 

世のために 生きる覚悟を 強く持ち
今と向き合い 未来へ進む

 

 

あなたの世のために発揮できる能力を確実なものにしましょう。 着実に運気は上昇しています。 焦る必要はありません。 今の課題を積極的に受け入れ、 成長できるプロセスを大事にして真面目に「今」と向き合いましょう。 将来にわたり、 あなたには本領を発揮できるチャンスが訪れます。 あなた自身の余裕や蓄えを充分に備え、 未来の活躍を具体化していきましょう。 プロセスを大事にしてください。 計画通りに物事は運びます。

 


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