天の声(324) 日本国の再生(297) 光(290) 故郷(67) 現役寿命(57)
閃き!!!
『震災復興 啓示二百八十一』(2016年第二信)として、 日本国民の皆様にお伝えします。
「東洋医学と西洋医学」による人間の身体認識につき、 著作準備しながら思うこと。
そこには、 中国五千年の歴史から続く「人間認識」の深い智慧があった。
1)臓象学説 - 東洋医学の基礎理論
生体内の様々な働きを腎・脾・肝・肺・心という5つの臓に当てはめる考え方を「臓象学説」という。 東洋医学では、 この関係性を応用して病態を把握する。
(1)五行の木・火・土・金・水を人体の5つの臓に割り当てる
●東洋医学には、 自然界や人間は「木・火・土・金・水という5つの要素から成り、 互いに関わり合いながらバランスをとっている」という考え方があり、 これを五行学説という。
●この五行学説に基づき、 生体機能を腎、 脾、 肝、 肺、 心という5つの臓に分類する考え方を臓象学説といい、 5つの臓を五臓と呼ぶ。
●五行が自然界でお互い関わり合いながらバランスを保っていたと同じように、 五臓もまた人体でお互いに関わり合いながらバランスを保っている。
●五行の木にあたるのは肝、 火(太陽)にあたるのは心、 土にあたるのは脾、 水にあたるのは腎、 金にあたるのは肺、 水にあたるのは腎となり、 五行における相生や相剋のようなバランス関係が五臓についても同様に当てはまる。
●臓象学説とは、 こうした五臓の関係性をもとに、 体内の状態や病気の原因、 治療法などを見立てる時の重要な指針となる。
(2)五臓の生理機能は「腎→脾→肝→肺→心」の逆相剋で考える
●臓象学説は五行学説に基づいているため、 五臓においても相生や相剋の関係が成り立っている。 しかし五臓の正常な生理機能を捉えるなら、 逆相剋の関係で考えるとわかりやすい。
●逆相剋とは相剋の逆の関係のこと。 ある臓が特定の臓の役割を抑制する関係であるのに対し、 逆相剋は、 ある臓が、 特定の臓が機能するために必要とする素材を提供して正常な機能を支える、 協調関係を指す。
●逆相剋は、 順に一列に並び替えると、 「腎→脾→肝→肺→心」となる。 腎で蓄えられていた先天的な素材が脾に取り込まれ、 脾で気・血・津液が生成されると肝によって取り出され、 肝から肺へと送られ、 肺から全身を巡っていく。 そして、 その一連の生体機能を統括しているのが心となる。
●こうした逆相剋の関係は、 自然界のエネルギー循環に置き換えて考えられる。 ここにも、 「人間の体は自然の一部である」という整体観の考えが反映されている。
心=太陽: 自然界の営みが太陽を中心とするように、 腎・脾・肝・肺の機能は心によって統括されている。
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肺=雲(鉱山から出現した雲): 肺である雲は、 雲の下の自然環境を守るバリアとなっている。
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肝=木: 肝である木は上向き伸び上がり、 大気中に酸素を放散する。
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脾=大地の土: 脾は土であり、 土の養分は木である肝に吸い上げられる。
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腎=川や海、 湖の水: 腎は川や海、 湖であり、 蓄えられている水分は大地である脾に利用されている。
⇒「五臓を逆相剋の関係で捉えて病気の原因を分析するのが臓象学説」
2)西洋医学と東洋医学の存在意義
(1)西洋医学は解剖学から始まるとも言われている。 解剖学は、 あらゆる意味で医学の基礎であり、 医師になる学生も、 医療職に就くメディカル専門学校の学生も、 まず解剖学で人体の構造を学び、 生理学で人体の機能を学び、 生化学で人体の物質を学ぶ。 そして、 それを応用して、 様々な病気の成り立ちや、 それを治す技術を学んでいくことになる。
(2)東洋医学は、 現在では鍼灸師、 マッサージ師、 気功師などが治療の基本として学び、 実践している。 東洋医学には、 8種類の体質傾向を診る考え方があり、 西洋医学的な食事法と関連づけ、 食事指導することも行われている。
●A脾虚(胃腸が弱く疲れやすい体質): 体質改善のため、 食べ過ぎや冷たい飲食物の摂り過ぎなど、 脾の働きを低下させるような食生活を改める。 ⇒おかゆ(玄米) 雑煮 EPA(高度不飽和脂肪酸)豊富な脂ののった青背魚(マグロやブリ、イワシ、サンマ等の刺身) ムチンが豊富な里芋 やわらかく加熱したニンジン、かぶ等の根菜類を摂取
●B腎陽虚(熱不足で冷えが強い体質): 体を冷やさないよう注意し、気を消耗しないよう十分休息をとる。 ⇒体を温める作用のあるもち米や、ビタミン豊富な胚芽精米・玄米、血行の循環を促進するビタミンEが豊富なサケやサバ、サンマ、ウナギ等の青背魚、納豆等の大豆製品 香味野菜(カボチャ、ほうれん草) 体を温めるにんにくしょうが やまのいも アーモンドやカシューナッツ等の種実類 皮の精油成分が体を温めるゆず等のかんきつ類を摂取
●C血虚(女性に多い血が不足した体質): 体質改善を図るため、ニンジンやホウレンソウ、ヒジキなど血のもととなる食材を摂り、十分に睡眠をとる。 ⇒玄米や胚芽精米のごはん たんぱく質が豊富な納豆等の大豆製品 卵 イワシやサバ等の青背魚やホタテ貝柱 緑黄色野菜(ほうれん草、カボチャ) 香味野菜(にんにくや玉ねぎ) 海藻やきのこ ビタミンEが豊富なアーモンド等の種実類 フラボノイドを含む緑茶 かんきつ類を摂取
●D陰虚(津液不足で乾燥気味の体質) :過労などの過度の活動を控え、夜は十分睡眠をとる。 ⇒ビタミンB1の摂取が可能な発芽玄米や胚芽精米 緑黄色野菜(小松菜) 低脂肪の魚や肉 大豆製品 フレッシュな果物やジュース類を摂取
●E気滞(気の滞りでイライラしがちな体質): ストレスや抑うつ感が原因になりやすいので、 リラックスするのが肝心。 ⇒ビタミンB群やマグネシウムが豊富な玄米や胚芽精米のごはん そば たんぱく質と、その代謝に不可欠なビタミンB6の両方を含むカツオ、マグロ、サケ 大豆製品 カルシウムが豊富なモロヘイヤ、チンゲンサイ、小松菜、セロリ、枝豆、玉ねぎ 海藻 ビタミンCの多い果物(アセロラ、柿、キウイフルーツ、いちご)を摂取
●F湿熱(余分な津液と熱がこもった体質): 湿熱のもととなる甘いものや辛いもの、油っこいものを控えることが肝心。 ⇒たまねぎ 白菜 大根 トマト すいか もやし ごぼう なす にがうり 豆腐 シジミ あさり かぶ カリフラワー かぼちゃ まいたけを摂取
●G血瘀(皮膚が黒っぽい、 血が滞った体質): 気の滞りの原因となるストレス解消が肝心。 ⇒茄子 青梗菜 ニラ 黒木耳 パセリ 紅花 紅麹 シナモン 酢 納豆 酒粕などの発酵食品 イワシ、サバなどの青魚を摂取
●H湿痰(津液が過剰な水太り体質): 水分の摂り過ぎを改め、適度に運動をとりいれるのが肝心。 ⇒玄米、雑穀、たけのこ、こんにゃく、牛蒡、海藻などの食物繊維が多いもの 冬瓜 緑豆 あさり しじみ はと麦を摂取
今回は以上です。 ご静聴誠に有り難うございました。
○本日のメッセージ
大自然 猛威を振るう 試練受け
愛極まりて 鎮魂捧ぐ
鎮魂の日の朝、 多くの御魂への深い祈りを捧げましょう。 大震災という驚くべき災害の思い出を風化させてはおけません。 大自然の猛威を知り、 多くを学び、 極限の愛を実践する使命を果たしましょう。 絆の大切さを知り、 それぞれの人間の力を試されました。 まだまだ、 一人ひとりに与えられた課題は残されています。 一つひとつは小さくとも、 集まると大きな力に変わることも知りました。 援助ができた自分に満足することなく、 今日からまた一歩を踏み出してください。 日本が笑顔を取り戻せる日まで、 あなた自身の愛の実践を継続させましょう。
Thackery
天の声(323) 日本国の再生(296) 光(289) 故郷(66) 現役寿命(56)
閃き!!!
『震災復興 啓示二百八十』(2016年第一信)として、 日本国民の皆様にお伝えします。
「新しい文学のために」(大江健三郎)を読了し、 思うこと。
そこには、 自ら本を書いたとき、 大江健三郎氏に相談した頃の自分を思い出す世界があった。
1)文学の原理・方法論
大江氏は、 「新しい文学のために」をつぎのような思いで著述された。 「僕は十年前にもまさに“文学を作りだし、 文学を受けとめる、 その方法的・原理的な問題について、 頼りになる理論を作ろうとする”考えで、 『小説の方法』(岩波現代選書)という本を書いた。 いま、 それをもっとハンディな形式、 新しい内容に書きあらためることをめざして、 この本を書く。 それはいま作家として分岐点に立っていると感じる僕が、 自分にとっての「文学入門」とでもいうものを書いて、 現在の立脚点をたしかめたい、 という気持があるからでもある。 さらにこの十年の間に、 僕自身はほかならぬ自分の方法論にたつ仕事をしてきながら、 考え方をいくらか深めえたし、 かつはいくらかでも広い理解をみちびくのに妥当な材料を集めえていると思うからだ。」
2)ロシア・フォルマニズムの「異化」という方法論
異化とは、 日常的言語と詩的言語を区別し、 (自動化状態にある)事物を「再認」するのではなく、 「直視」することで「生の感覚」をとりもどす芸術の一手法だと要約できる。 つまり、 しばしば例に引かれるように「石ころを石ころらしくする」ためである。 いわば思考の節約を旨とする、 理解のしやすさ、 平易さが前提となった日常的言語とは異なり、 芸術に求められる詩的言語は、 その知覚を困難にし、 認識の過程を長引かせることを第一義とする。 「芸術にあっては知覚のプロセスそのものが目的 」である。 またそれによって「手法」(形式)を前景化させることが可能になる。 シクロフスキーが「異化」概念を成立させるべく著した2つの小論、 「言葉の復活」(1914年)と「手法としての芸術」(1917年)は、 内容ではなく形式(フォルム)を問うべきだとした文学運動、 ロシア・フォルマリズムの嚆矢(こうし: 始め)と一般には考えられている。 フォルム、 つまり形式を問うということは文学の自律性を求めることであった。 この流れそのものは、 ソシュールの言語学の影響を受けたものとされている。 しかし「異化」という概念そのものは、 未来派のザーウミ(意味の理解を前提としない超意味言語)を理論づけるために提起されたもので、 ソシュールの影響は受けていないと考えられている。 異化とは「文学を文学たらしめているもの」をこそ問う新たな潮流のもと生み出された概念であるが、 たとえば演劇における「驚き」の意味を論じたアリストテレスにまで遡ることができるように、 この「新しさ」を目指すことそのものはシクロフスキー、 あるいは異化に特有なものではない。 佐藤千登勢の言葉を借りれば、 それ自体はごく「シンプルな思考」である。
3)大江健三郎と「異化の理論」
最初に、 そして最も重要な文学理論として扱われているのがシクロフスキーの「異化の理論」である。 その作用とは「日常・実用の言葉が『異化』されることによって、 文学表現の言葉となる」というものである。 私たちの普段の生活とは、 自動化・反射化された世界である。 私たちは目の前のものを知覚はしても、 それをいちいち意識化したりはしない。 目の前にさまざまな「もの」が映っても、 それはすぐに視界から逃げてゆき、 私たちの意識の中に痕跡を残すことはない。 これが自動化の作用と考えてよいであろう。
芸術の目的とは、 大江氏の引くシクロフスキーの定義によれば、 「認知、 すなわちそれと認め知ることとしてではなく、 明視することとしてものを感じさせること」である。 すなわち私たちの既存の知識をいかに動員して目の前のものをそれと認識したとしてもそれは芸術の領域には属しない。 そうではなく目の前のものをものとして眺めること、 そしてものを自動化の状態からひきだすのが異化の手法であるとすれば、 そのものがいったい何であるのか、 私たちをそのものの前で立ち止まらせるのが芸術の作用と言えるだろう。 大江氏はこの態度を小林秀雄の本居宣長の言語観に引き寄せる。 意識とものが出会い、 そのものをつくづくと眺める体験である。
大江氏は、 普通ならば「論理の飛躍」があると言われそうだが、 作家としての確信、 すなわちそれがなければ文学の意味がなくなるという確信をこめて「異化」からの飛躍をはかる。 それが「小説は人間をその全体にわたって活性化させるための、 言葉による仕掛けである」という一文である。
「何が言語表現を芸術作品たらしめるのか」という問いに対して、 言語理論の適用可能性を作品の内部だけで検証するだけでは、 私たちはその問いに答えられない。 作品の世界を通過して、 私たちはこの現実世界へと、 しかも「明視の対象」としてこの現実世界を体験しないかぎりは(さらにその現実世界を活性化、 あるいは刷新と読みかえたい)、 この問いには答えられないだろう。 だからこそ大江氏は、「異化」という文学理論を一気に飛び越えて、「人間の活性化」へと向かおうとするのである。
もうひとつ大江氏が用いる理論用語が「構造」である。 これはいわゆる人間の意識下に潜む、 整然とした構築物の体系という意味合いではない。 そうではなく、 「構造を持っている」とは、 意味を伝えるだけの記号化された言葉ではなく、 ある「構造」において「それらの言葉、 文章が独自の意味づけをあたえられ、 特徴づけられて、 そこにそれ固有の伝達をおこなう」という特殊性を持っているということだろう。 これは、 引用されているケネス・バークの引用から考えるならば、 ある状況下において、 書き手のその状況に対する態度を表現するために、 なんらかの独自の「名前を与える」という意味で、 ひとつの意味生成をするための独自構造と考えて差し支えないだろう(バークの引用文における状況とは、 発話状況を指しているに等しい。 その状況の中で、 表現が独自の「ものとしての手応え」を発揮するとき、 それは「詩的」となる)。
そしてここでも大江氏は、 状況を、 文学世界に内閉した状況ではなく、 広く私たち人間の歴史、 同時代性を含みこんだものであるとし、 文学表現の言葉をその状況に対する反響であるとする。 表現の「構造的ななりたちを方法的に考え」、 状況や同時代を把握すること、 それによって個を解放し、 全体性を獲得することに大江氏は文学の根拠を置く。
「異化」理論は最終章「方法としての小説」で再び取り上げられる。 この章で大江氏は、 他人の言葉と個としての自分の言葉を対立させる。 私たちそれぞれの個の言葉が、 決して一人きりの言葉ではなく、 常に他者と対峙し、 他者との交渉の上で、 紡がれていくとするならば、 この大江氏の表現には違和感を覚える。 しかしここで大江氏が言いたいことは、 出自が不明となり、 記号化された、 単なるムードとして世間をただよう実態のない、 しかしそれだからこそ私たちの意識を飲み込んでしまう言葉ということであろう。 大江氏はそれをコンピュータとマス・コミュニケーションによって「大規模に組織化」された言葉であるとする(この比喩の妥当性については、 この30年前に書かれたテキストであることに留意をすべきであろう)。
大江氏はこの個の言葉と他者の言葉を定義したあと、 「異化」の方法論を再び取り上げ、 「異化」は「他人の言葉の総体から、 個としての自分の言葉を、 奪い返す行為である」と述べる。 この意味が重要なのは、 そのすぐあとで大江氏が、 この行為を「本当に生きる経験を取り戻す芸術の役割」と述べている点である。 「異化」という文学理論を通して、 「生きる経験」へと飛躍すること、 これがここまで述べてきた大江氏の小説家としての確信である。
4)想像力
しばしば私たちは、 この山の岩肌や、 その裾の樹林はセザンヌのスタイルだ、 と感じることがある。 それは私たちがセザンヌの絵の風景のとらえ方に、 つまりその統合の仕方、 かたちのあたえ方を思い出しているのである。 かつてセザンヌに眼を開かれた仕方で、 風景を統合し・かたちとスタイルをその風景にあたえているのである。 風景の前にあって生きいきと心を働かしている時、 それはほかならぬ想像力の作業を行なっているのである。
これは風景に対してのみにとどまらない。 人物についてもまた同じことが、 むしろさらに明瞭に納得される。 フランシス・ベーコンの絵が示す、 はっきり描かれた枠組のなかの、 逆に流れ出すような人体は、 それを見る私たちにも、 人間の肉体やその内面についての不安な想像力をかきたてる。 その後では電車のなかですら、 周りの人の動きにさそわれて、 ベーコンのスタイルにかさねてそれを把握する、 自分の眼の働きを感じることがあるだろう。 ベーコンは絵画のかたちのレベルで、 人間の肉体と内面を「異化」している。 その「異化」の仕方が、 かれの想像力の働きを表現してもいる。 私たちの想像力はそれに共振するのである。 そして絵画よりさらに直接的に、 文学は、 いかに人間を統合するか、 いかにかたちをあたえて人間をとらえるかに、 永い年月、 努力をかさねてきたのである。 トルストイやドストエフスキーの人物たちを思い浮かべるだけで、 人間を見てとり、 言葉で人間を表現する、 ということが、 いかに想像力的な作業であるかはあきらかであろう。 日常生活での人間とのつきあいのレベルでも、 私たちは想像力を働かせて生きているのである。
5)大江健三郎氏への私のメッセージ
引用(私の手紙より)
「昨日(10月31日)、 報道で大江様はベルリンにおられることを知りました。 前回は、 「同じく森の中の住民」という共通項で始めさせて頂きましたが、 今回は、 大江様が1994年10月13日にノーベル文学賞を受賞された、 その時期に購入しておりました群像 日本の作家 23 大江健三郎(本の帯に、 ノーベル文学賞 大江健三郎・人と文学の全容を知る 唯一のアンソロジーとあります)の中にある、 とても深く体が感じた感動と、 その個所の引用(大岡信氏著述)から始めたいと思います。 それは夏目漱石が大正五年、 死の直前に芥川龍之介、 久米正雄の二人の弟子に送った手紙の一節です。
「牛になる事はどうしても必要です。 吾々はとかく馬になりたがるが、 牛には中々なり切れないです。 僕のやうな老猾なものでも、 只今牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。 (中略)根気づくでお出なさい。 世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、 火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません。 うんうん死ぬまで押すのです。 それ丈です。 決して相手を拵らへてそれを押しちゃ不可せん。 相手はいくらでも後から後からと出て来ます。 さうして吾々を悩ませます。 牛は超然として押して行くのです。 何を押すかと聞くなら申します。 人間を押すのです。 文士を押すのではありません。」
そして、 「このような一節にもみごとにあらわれている大江氏の資質、 すなわち、 感覚的なものを想像的にとらえ、 想像的なものを感覚的にとらえるめざましい資質は、 常識的にいえば、 散文家たちの世界よりは詩人の世界に近いのである。 このような文体で小説を、 しかも七百枚以上に及ぶ長編小説を書きつづけるということは、 異常な忍耐と構想力、 漱石のいう『うんうん死ぬ迄押す』」牛の努力を作家に要求するだろう。 『万延元年のフットボール』はまさしく大江氏がそれをやってのけたことを立証している。
以上が、 引用ですが、 ノーベル文学賞受賞理由も、 『詩的想像力により、 現実と神話が密接に凝縮された想像の世界をつくりだし、 現代における人間の様相を衝撃的に描いた。』(この様相は「窮境」のほうを大江様が好んでおられることも知っております。)ということだと知り、 ますます大江様の世界に引き込まれています。 勿論、 本日、 『「話して考える」と「書いて考える」』の本を図書館に返しに行き、 今度は『万延元年のフットボール』を借りてきます。
私の腰に携帯しているメモ帳にはぎっしりと、 大江様のメッセージ、 次に読む本のタイトルが書き込まれています。 とても深く深く大江様に引き込まれております。 前回お伝えしました皇族につながるルーツは、 天皇制信奉につながるものでは全くなく、 いわば神話の世界と言ってもいいと思っております。 現に私が体で感じる第十一代垂仁天皇は、 神話時代の天皇です。 紀元前69年にまで遡る話です。 大江様の戦後民主主義と相反するものでは全くないことをご理解願いたく存じます。 実は、 10月27日には、 前回の手紙でご紹介しました「曹禺文学賞」を受賞している作家・Ziyingより、 2通のメールが入って来ました。 只今、 日本と中国は、 軍事的には緊張関係にあり、 中国と日本とのやり取りは自由ではありません。 特に彼女は空軍の上層部(日本で言う大佐クラス)に属しており、 本当は取り締まる立場にあります。 それを圧してまで連絡を頂いたことに対し深く感謝し、 その思いを重く受け止めております。 『曹禺』様つながりで、 大江様とZiyingと私の三人で中国北京或いは江西省の廬山辺りでご一緒できたら、 この世のものとは思えない至福の人生となるのではと夢見ております。
何をおきましても、 私のこれからの人生は、 医療です。 前回お伝えしました人脈をうまく融合させ、 病から人々を開放させ、 一度しかない人生を大らかに健康で生き切って頂く様願い、 自らの研鑽・修行の道を歩んでいきたく思っております。 大江様に於かれましても、 更なるメッセージを私どもに送って頂きます様よろしくお願い致します。 今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。 - - - 」
6)今回の結び
「異化」という手法に最も興味を覚えた。 『私たちの普段の生活とは、 自動化・反射化された世界である。 私たちは目の前のものを知覚はしても、 それをいちいち意識化したりはしない。 目の前にさまざまな「もの」が映っても、 それはすぐに視界から逃げてゆき、 私たちの意識の中に痕跡を残すことはない。 これが自動化の作用と考えてよいであろう。』、 つまり、 日常のなかの出来事を意識的に捉え、 『私たちの既存の知識をいかに動員して目の前のものをそれと認識したとしてもそれは芸術の領域には属しない。 そうではなく目の前のものをものとして眺めること、 そしてものを自動化の状態からひきだすのが異化の手法であるとすれば、 そのものがいったい何であるのか、 私たちをそのものの前で立ち止まらせるのが芸術の作用と言えるだろう。 大江氏はこの態度を小林秀雄の本居宣長の言語観に引き寄せる。 意識とものが出会い、 そのものをつくづくと眺める体験である。』ということになる。
今回は以上です。 ご静聴誠に有り難うございました。
●本日のメッセージ
鳴り響く 開運の鈴 心地良く
愛の実践 幸せの道
今日の成長に感謝しましょう。 今日までのあなたの成長は天与のたまものです。 親切でやさしい行動は、 神様からの授かりものです。 愛を実践するリーダーとして活躍してください。 そうすれば、 あなたの愛の力は次なるステージへと進化することでしょう。 あなたの想念は強く周りへと伝わり、 あなたが先導者となって、 多くの人を幸福への道に導くことができます。 その実践こそが生きる力となり、 あなたの生命体のエネルギーをより成長させるのです。 周りへの幸福を模索しながら、 光り輝く方向に進みましょう。 まずは、 あなたが行動を始めてください。 必ずあなたの周りから、 開運の鈴が鳴り響いていきます。
Thackery
天の声(322) 日本国の再生(295) 光(288) 故郷(65) 現役寿命(55)
閃き!!!
『震災復興 啓示二百七十九』(2015年第二十八信)として、 日本国民の皆様にお伝えします。
「生命の星の条件を探る(阿部豊)」を読了し、 思うこと。
そこには、 「1000億個にものぼる恒星の視点から地球の平和を考えるperspective(将来の見通し)」が描かれていた。
1)現地球での出来事
異常気象もさることながら、 人類間の争いには目を覆いたくなるものがある。 「1000億個にものぼる恒星の視点から地球を眺める」と、 何んと低次元で人間は争っているのかがわかる。 生命の誕生に想いを馳せるとき、 億年単位で進化し、 今の人間の姿に至ったのがわかる。
一方、 国の単位で俯瞰するとき、 日本の真の姿も見えて来る。 片寄った教育により出来上がった官僚制度が生み出す弊害に国民の人生は蝕まれている。 その最たるものが今を賑わす「マイナンバー制度」である。 人権侵害に近いものがあることに当の官僚たちは気づいていない。 大臣の浮かれた歌など論外である。
2)他の太陽系外惑星に住む生命体
「他の太陽系外惑星に住む生命体」に想いを馳せるとき、 60兆を超える体内細胞は生き生きとしてくる。 未だ見ぬ恋人を夢みるときのように。 本国を考えるとき、 他国を旅し外から見ると、 母国の真の姿が見えて来ると一般に言われる。 正にその視点が今求められている。
3)対流圏→成層圏→中間圏→熱圏
まず、 地面から高度約17kmのところに「対流圏」があり、 雲や雨の気象現象(高度約10km)が起きている。 地表が20℃のとき、 高度10kmはー40℃。 高度約17~50kmに「成層圏」があり、 高度50kmの温度は0℃。 高度約50~80kmに「中間圏」があり、 高度80kmの温度はー80~―90℃。 最高位にある「熱圏」は高度約80kmで、 オーロラが発生する所。 高度400km以上になると2000℃に達するが、 大気が希薄なため温度が高くても熱さは感じない。 この「熱圏」の少し上に国際宇宙ステーションがあり、 スペースシャトルも飛んでいる。
4)もし月や木星がなかったら
(1)月がなかったら
●地球の自転軸傾斜は、 自転軸の歳差運動(潮汐力のために自転軸には、 倒れる前のコマが首を振るような運動が発生。 これを「歳差運動」と呼ぶ。)と軌道面の傾斜の変化の組み合わせで変化する。 また、 現在の地球は、 歳差運動も月の潮汐力の影響を強く受けている。 もしも月がなかったら、 太陽の潮汐力だけが歳差運動の原因になるので、 歳差運動の速度は3分の1に落ちると思われ、 自転軸の傾きは10度以上の大きな振幅となり、 傾きが大きくは30度(通常は23.4度)にもなり、 夏の暑さは大陸内部では60℃にもなる可能性が考えられる。 つまり、 従来の生活はほぼ不可能となる。
(2)木星がなかったら
●木星は太陽系最大の惑星で、 質量は地球の300倍。 その大きな引力は、 遠くから落ちて来る彗星の軌道を変えて弾き飛ばしてしまうほどで、 地球もたくさんの彗星の衝突から守られている。 公転周期は地球が1年で、 木星は12年なのでいつも近くにいるわけではないが、 多くの彗星の公転は12年よりも長いので、 外から太陽系に入って来るまでに木星の引力の影響が及ぶ。 もしも木星がなければ、 地球にはもっとたくさんの彗星が落ちて来るはずである。
5)未知の地球外生命
地球の生命を作っている元素は主に、 炭素、 水素、 酸素、 窒素の4種類で、 いずれも、 宇宙でもっともありふれた元素。 太陽光を利用して有機物を合成し、 それを分解してエネルギーを取り出して生きている。 基本的に未知の地球外生命も同じ材料からできているはずで、 生存の道筋もある程度同じと考えられる。
「生命の星」は必ず存在する。 科学の歴史は人間中心的な考えがどんどん敗れていく歴史であった。 17世紀には、 天動説が敗れて地動説が主流になり、 地球の周りを太陽が回っていると誰もが当たり
前に信じていたのが、 実は逆だったことが判明し、 更に、 太陽が宇宙の中心だと考えられたのがそれも違って、 太陽系は天の川銀河の端っこのほうに位置していることがわかった。 そのように、 人間を中心としていた認識がどんどんずれていくのが、 科学の発展史である。 人間はまったく特別な存在ではなく、 地球上のパーツのひとつにすぎないことがわかってきた。 地球が客観的にみて特別な存在ではないとするならば、 宇宙には、 地球とは違う環境に適応し、 それを好む生き物が存在するかも知れないと考えておくべきではないかと思う。
今回は以上です。 ご静聴誠に有り難うございました。
●本日のメッセージ
一歩ずつ 進む人生 輝いて
徳と健康 支える力
開運への道を一歩ずつ着実に進んでいます。 今日の決め事を実行し完成に向けてのプロセスを固めて下さい。 成就していく周りの環境は予想以上に早く整いあなたの実力発揮を待っています。 時間を有効に活用しあなたの本領は見事に人様のお役に立ちます。 やることが大切です。 唯一なるあなたの考えと実行力は偉大であり剛健です。 徳と健康を携えて大きな飛躍の一日にしましょう。
Thackery


















