thackeryのブログ -221ページ目

宇宙(19)

識者の意見にも耳を傾けよう。 戦後日本は焼け跡・闇市のなかで、 すべてを「棚上げ」にしたまま、 経済という唯一の目標にすべてを懸け、 たしかに大きな繁栄を実現した。 しかしすでに、 その「すべて棚上げ」できた暫定期間は終わっており、 新しい時代を築くために本来の価値観を確立する時期に来ている。 現在の「この国の空回り」は、 政治と経済の各種の動きを見ても明らかだが、 そもそも「国の基」が定まらぬから、 何よりも「日本人の心」の崩れが止まらぬ有り様となって、 いまや誰の目にもはっきりしてきているのではないか。 現実の日本の社会に目を移しても、 そこには大きな価値観や人生を見失い、 流動化している日本人の姿がある。 若者ははっきりとした職業観や人生観をもてず、 日々流せるように生活を送っている。 社会のリーダーたるべき人間も、 目の前の「日常」に埋没し、 新しい大きなビジョンを何一つ打ち出せない。 家族のつながりもどんどん希薄になり、 次の時代を担う日本人が劣化していく徴しが高まっている。 日本中で大きな「精神的劣化」が始まっているのである。 対外的にも、 安全保障や外交面で日本の国際的地位はどんどん低下している。 日本人一人ひとりを見ても、 どこの国民でも持っている「国際社会で名を成していく」「世界のなかで自国の地位を押し上げていく」という信念をもって活動する人が急速に減っている。 何故か。 

一つは戦後の日本があまりに物質主義に傾斜し、 人間の価値観として不可欠な「モノ」と「心」のバランスを大きく失ったことである。 社会の安定や国としての活力というのは、 国民の価値観において「モノ」と「心」のバランスがとれていることが重要で、 どちらか一方が突出している状況では国家としての活力や文明の生命力は必然的に劣化し、 枯渇してゆく。 戦後の日本は、 「モノ」ばかりに集中し、 文明存続のこの第一条件(モノと心のバランス)を不断に悪化させつづけてきた。 とくに、 昭和五十年代後半に日本経済がバブル化していくなかで、 日本人の内面と国の営みの双方において、 「心」の存在が完全に置き去りにされてしまった。 

二つめに、 「進歩」と「伝統」のバランスを失ったことも致命的だった。 人間の営みにおいて、 つねに「進歩」を求めることが重要だが、 同時に古くから受け継がれてきた「伝統」という価値観がそのベースになければ本当の創造性は生まれないし、 真に進歩的な考えも生まれない。 ところが戦後の日本では「古いもの」は、 すべて「意味のないもの」「悪いもの」「乗り越えるべきもの」という響きをもつようになった。 この傾向は戦後一貫して強まりこそすれ、 立ち止まって深く考える機運は一度としてなかった。 おそらく昭和四十年代には、 このことのおかしさに気づくべきだったが、 バブル期を過ぎてもなお日本人の目はそうした方向に向っていない。 その結果、 社会が活力を保つ上できわめて重要な、 この価値のバランスが失われてしまったまま、 もがきつづけているのである。 

さらには(三つめ)「個人」と「共同体」のバランスも失われてしまった。 個人はつねに大切にされねばならないが、 戦後の日本は、 あまりに「個人」にばかり重点を置きすぎ、 人と人との絆たる「共同体」をあまりに蔑ろにしてきた。 最近でこそ「家族の価値」が重要視され、 地域社会の結びつきを大事にしようという動きも一部に出てきている。 だが「国家」という大きな共同体については、 「国家主義の復活」「戦前への逆行」といったタブー意識によって思考を停止させたままである。 「日本人の共同体」としての国家というものは、 それこそ「人と人の絆の大切な支え」なのである。 これがあまりに希薄になったため、 日本人のナショナル・アイデンティティや国家に対する誇りだけでなく、 日本人の心の中で日々の安心感やモラルの基礎をも失わせているように思われる。

以上、 これら三つのバランスを回復させることこそ、 いまの日本に求められる最も重要な課題であろう。 「心」すなわち目に見えないものを大切にし、 いまや「伝統」にこそ価値を見出し、 あまりにも蔑ろにしてきた「国家」の重要性にあらためて目を向けることである。

 

以上、 識者の意見に耳を傾けてきた。 あまりにも見事に今の日本の有り様を表しているのでご紹介した。 このメッセージを受け、 国民一人ひとりが咀嚼し、 現実の生活の中で如何に行動していくかである。 現政権の指導力が本当に問われてくる。


― - - つづく

宇宙(18)

先日、 現政権担当者(3期当選の方)とお話しする機会があった。 これからのメディアの有り様等についての言及はあったが、 全体像が今ひとつ見えてこない。 まだ新政権になったばかりなので、 云々の説明があったが、 俯瞰の幅がはっきりしない。 大きく枠組みを変えようとしているようだが、 一番肝心な視点が見えてこない。 大きく世の中を変えようとするとき、 一般的に「有識者」の話題がよく出て来る。 「日本の未来を考える」アイデアコンテスト参加者を全国民から募集し、 政府がまとめていったらどうだろうか。 勿論、 目の前の舵取りは現政権が行い、 未来については、 全国民参加型でじっくり考えていってはどうだろうか。 国民の代表と言いながら、 従来及び現在の国家運営はうまくいっていないのが真実である。 選んだ国民は不満を言い、 一方選ばれた方は特権を手にし、 税金の使い方をはっきりさせず、 税金の何割かは私利私欲に浪費されてきた。 860兆円以上もの借金国にした実績がある。 このような失態を二度と繰り返さないという迫力も現政権にも感じられない。 まず、 事業仕分けで頑張っている風ではあるが。


― - - つづく

宇宙(17)

さて、 国作りには色々な切り口がある。 十二単のような或いは裃のような日本人の原点から俯瞰するか、 或いは宇宙ステーション生活のような超未来を視点に置き、 俯瞰していくか。 いずれにせよ国民の目線で全てを弁証していく必要がある。 何故ならば、 先日のデフレ宣言にあるように、 国民の将来を見守る観点からするとあり得ないような国の言動があるからである。 つまり、 「デフレ宣言」だけであれば、 国民を不安に陥れるだけで未来に、 明日につながっていかない。 同時に「デフレ対策」も発表すべきである。 それで初めて、 企業も含めた国民全体も将来の見通しが見えてくる。 現政権を応援しているだけに失望の感が強い。 現政権に対し言いたい。 今日本を引っ張っていける政権は君達しかいない、 と。 国民の税金で少なくとも生活安全地帯にいる君達は、 全国民を護る大きな責任があることを自覚せよ、 と。 そのためには、 まず国家ビジョンを持つことである。 それで日本国民の総意を結集していくことである。


― - - つづく