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宇宙(51) 青春の旅(6)完

青春の旅のお付き合い有り難うございました。 とりあえずこの辺で結びとします。 そこで、 要所、 要所での短いエピソードを最後に付記したく思います。


イギリスの港から大型客船に乗り、 ドイツのブレーメルハーフェン【Bremerhaven】に向う船上デッキで赤々と沈む夕陽を眺めながら旅情を楽しんでいた。 美しい情景を満喫した後、 徐にキャビン(個室)に戻った。 そして、 パスポートを確認した。 どこにも無い。 頭の中は一瞬真っ白になった。 キャビンに戻り、 旅情の余韻を楽しむはずであったが、 それどころではない。 私はこのような局面に陥ったとき、 結構冷静になる性向にある。 そうだ、 夕陽を見ていたとき、 後ろのポケットから擦り落ちた可能性があると推察した。 そこでインフォメーション・センターに行き、 「日本人でパスポートをデッキで落とし、 困っている人がいる。 心当りのある人はインフォメーション・センターまでお越し下さい。」とのメッセージをアナウンスして貰うことにした。 パスポートと一緒にトレベラーズチェックもその財布(パース)に入っていた。 普通は戻ってくる可能性は非常に低い。 キャビンで待機していると、 インフォメーション・センターまで来るようにとのアナウンスがあった。 なんと青年がにこにこしながら、 気をつけて下さいよと言いながら、 拾ったパスポートを手渡してくれた。 このときの感謝と感動は忘れられない。 - - -


フランスのパリの本屋の二階で同年代の若者達と熱く社会問題を論じていた自分、 ドイツ・ベルリンの街角で乳飲み子と一緒に物乞いをしていた美しい女性の物悲しさ、 スイス・レマン湖の畔で出会ったチュニジアの留学生との語り合い、 スイス・チューリッヒ湖畔の丘の上にある家で見たシャガールの原画の数々、 ドイツ・ハイデルベルクで散策した哲学の道と古城の美しさ。 サウジアラビアの街角で見た女性のいない光景(女性は家に篭り、 外で出歩くことはない)、 アラブ首長国連邦・ドバイでの金製品のみ売っているショッピング・ストリート、 モスクワの赤の広場で男に声をかける女性(私も声をかけられた)。 マレー半島東西南北横断旅行、 フィリピン空港でバンド演奏付の歓迎を受ける。 中国北京でローマの休日に似た女優さんとのロマンス、 アメリカ・シカゴの湖畔の霧に包まれた摩天楼、 アメリカ・ビバリィーヒルズでの美しい夜のウィンドウ・ショッピング等々。  国々での色々な経験が蘇ってくる。 その全ての経験は私の中で脈々と生きているのを感じる。 その青春の旅は今も続いている。 このブログの友と一緒に。


― - - 宇宙シリーズとして、 つづく

宇宙(50) 青春の旅(5)

今日の西洋哲学の原型はプラトンの哲学にあり、 イデア論と呼ばれている。 イデアとは、 形相、 種、 本質、 自体、 理想、 原型、 範型等、 種々の意味をもった言葉である。 プラトンがこのようなイデアの観念を思いつくに至った経緯は次のようであった。 現実界には丸い形をしたものが沢山ある。 例えば、 ボール、 時計、 コップ、 リンゴ、 電球等々。 いずれも丸い形をしているが、 しかし完全な円ではない。 どこか歪で、 凹凸がある。 円自体或いは定義通りの円ではない。 どこかに円自体或いは定義通りの円、 即ち円周上のどの一点を取っても、 中心からの距離が一定であるような完全な円がなければならない。 それが円のイデアと呼ばれるものであって、 ボールや時計は、 このイデアと類似しているから「丸い」と言われるのである。 同じように、 現実界には美しいものが沢山ある。 美しい絵、 美しい家、 美しい風景、 美しい女性等々。 しかし、 それらはいずれも完全無欠とは言えない。 どこかに欠けたところがあり、 或いは余計な部分がある。 どこかに完全な美、 つまり、 どこから見ても非の打ちどころのない美自体が存在しなければならない。 それが美のイデアであって、 先の絵や家や風景は、 この美のイデアと類似しているからこそ、 「美しい」と言われるのである。 こうしてプラトンは、 事物の種類の数だけイデアが存在すると考え、 そうしたイデアが存在する世界をイデア界と呼んだ。 現実にある丸いものや、 美しいものは、 すべて円のイデアや美のイデアを「分有」することによって、 丸いと言われたり、 美しいと言われたりするのであり、 或いはこれをイデアの方から言えば、 円のイデアや美のイデアが現実にある個々のものに「臨在」することによって、 それらは丸いとか、 美しいとか言った性質を持つと考えられた。 プラトンは、 変転極まりない不完全な感覚界に対して、 永遠不動の完全なイデア界を対置した。 そして、 真実在の世界と考え、 前者をその模造品(感覚界)と見做した。 


一方、 東洋的実在観として挙げられるのは、 実在の内在的性格と、 現象と実在との一如・相即の思想である。 東洋的思惟様式においては、 二世界論的な見解は斥けられ、 実在が現象に内在化されて現象即実在論が説かれる。 仏教では、 現象界と実在界を別個の世界とは考えず、 それらをただ我々の心的状態の反映と見る。 例えば、 煩悩の世界と涅槃の世界という二つの異なった世界があるのではない。 また、 煩悩の世界を超越したところに涅槃の世界があるのでもない。 更には、 煩悩の世界が現象の世界で、 涅槃の世界が実在の世界であるわけでもない。 煩悩の世界も涅槃の世界も、 もともと同一の世界であり、 煩悩即涅槃である。 このような唯心論的な万物一如的な仏教的見方は、 「現象即実在論」として近代の日本哲学にも継承されている。 現象界と実在界は別個の世界ではない。 現象の世界が、 即ち実在の世界である。 現象即実在である。 我々がその中で生まれ、 その中で働き、 その中で死に行く、 この現実の世界が唯一の世界であり、 同時にまた真実在の世界でもある。 これ以外に如何なる世界も存在しない。 このように、 あくまで世界は一つであるのだが、 この唯一の現実界は内に無限の深さと奥行きを有しており、 その深浅の程度に応じて、 異なった様相を呈している。 あたかも地殻の深さによって異なった地層が現れてくるように、 我々の意識や自覚の深浅の程度に応じて、 種々の異なった段階の世界が現れてくる。 意識や自覚の最も浅いレベルである常識的・日常的段階においては、 最も表層の世界が見られ、 その最も深いレベルである宗教的・芸術的段階においては、 最も深層の世界が見られる。


私がこのような東洋的認識を持ったのは、 若干二十歳ときであった。 実体・価値・実行という、 内包に向う弁証法哲学であった。 そして、 二十四歳のとき、 これと全く同じ哲学を持ち、 癌研究を二十歳のときから行っている哲学漢方医学研究者・漢方医師と出会うこととなり、 現在の自分につながっている。


― - - つづく

宇宙(49) 青春の旅(4)

西洋の哲学は、 「学」としての哲学と言われる。 プラトンは「哲学は驚異の感情から始まる。」と言い、 アリストテレスも同じことを言っている。 この広大無辺な宇宙と、 そこに生起する様々事象を観察したとき、 我々の内に生ずる「驚き」の感情、 それが哲学的思索の始まりであると捉える。 確かに星辰の規則正しい運行、 四季の鮮やかな変化、 事象の妙なる美を観察するとき、 我々は不思議の念に打たれ、 驚異の感情にとらわれる。 宇宙はなんと荘厳と神秘に満ちており、 秩序と調和と美に溢れていることか。 そのことを考えれば考えるほど、 我々は驚きの念を禁じ得ない。 そして、 こうした驚きの感情が、 知的な欲求と好奇心を生む。 この宇宙の真相を知りたいと思う。 そして、 それが哲学の始まりだとする。 これは、 純粋に知識的ないし理論的な関心から、 宇宙や事象の本質を探究しようとするものである。 言い換えれば、 純粋に知的関心から哲学を始めようとする。 このような学問的性格の顕著な哲学を、 「科学」としての哲学、 或いは「学」としての哲学と呼ぶことができる。 古代ギリシャの哲学はこのタイプであり、 古代のギリシャ人は、 ただ真理のために真理を観想する「観想的生活」を人生の目的であり、 理想であると考えた。 プラトンやアリストテレスが「驚異」の感情をもって哲学の始まりとしたのに対して、 近代の初めに、デカルトは「懐疑」をもって哲学の始まりとした。


一方、 東洋の哲学は、 「教」としての哲学と言われる。 世界に対する理論的関心よりも、 人生に対する実践的関心から哲学的思索を始めている。 例えば、釈尊にとって、 哲学の動機は四苦即ち生老病死の自覚にあった。 生まれてから死に至るまで、 人間の生涯は苦の連続とする。 どうして人生は苦であるのか。 また、 どうしたら人間は苦から解放され、 救済されるか。 釈尊の思索はこの問題をめぐって展開した。 彼は決して形而上学的な抽象的議論には深入りすることなく、 目の前の衆生の苦痛を除去することに専念した。 釈尊の関心は、 抽象的・普遍的なことよりも現実的・具体的なものにあり、 理論的なものよりも実践的なものにある。 彼が説こうとするのは宇宙や自然の本質の解明ではなく、 如何に生きるか、 どうしたら安心を得ることができるかということである。 一言でいえば、 それは科学や学問ではなく、 人生の知恵である。 「学」としての哲学ではなく、 「教」としての哲学である。 このような「教」としての哲学という性格は中国の思想において更に顕著である。 中国の思想は儒教と道教に代表されるが、 どちらも実践的性格が極めて濃厚である。 もともと儒教は「修己治人」の道であった。 如何に自分を修めるか、 如何に国家を治めるかを説くのが儒教の眼目である。 孔子はそのために仁義と礼楽を説いた。 それで、 孔子の教えは仁義の道とか礼楽の道とか言われる。


上記の如く、 西洋の哲学と東洋の哲学には根本において大きな差があり、 その教育を受けた人間の間にもそれなりの差が出て来る。 従い、 西洋と東洋の文化交流においては深く歴史に根ざした認識が重要となってくる。


― - - つづく