ソ連の共産主義支配下にあったチェコスロバキアで、若者たちがデモやチラシで民主化運動を起こした。その動きに呼応する国営ラジオ局は、政府の検閲に抵抗し自由な報道を目指していた。亡き両親に代わり弟の世話をするトマーシュは、政府系機関の中央通信局で働いていたが、ひょんなきっかけで国営ラジオ局報道部で働くことに。それは、学生運動に参加している弟を見逃す代わりに、報道部を監視する国家保安部(StB)に協力させられたためだった。そして、報道部局員たちの真実を報道しようとする真摯な姿勢を間近で目にしたトマーシュは、弟を心配しながらも良心の呵責に葛藤する。やがて「プラハの春」が訪れるが、国民が歓喜した矢先、ソ連はワルシャワ条約機構の軍を率いてチェコスロバキアに侵攻。軍はラジオ局を制圧し、『ソ連がチェコスロバキア国民を救出に来た』とフェイクの放送を流そうとする。しかしラジオ局員たちは、権力と戦車に立ち向かいラジオ局の外から真実の報道を続け、市民を励まし続けた。
という、あらすじだけでも読んでおけばよかったという作品。自分は、作品鑑賞前にはなるべく情報を入れたくないので、時には予告編すら見ていないこともある。そして「プラハの春」という言葉は知っていたが、不明にしてその歴史的経緯は知らなかったため、作品の理解が追いつかなかったというのが正直なところ。
「プラハの春」というと一時的にせよ完全な自由が訪れたかのように印象を受けるが、世の中が180度転換するわけではなく、依然当局の監視に怯えざるをえないことが伺えた...はずなのだが、それはもし自分に知識があって「ドゥプチェク=プラハの春」と認識していればのこと。映画を観ていて、「ん?これは自由が得られた?『プラハの春』なう??」と自分の理解が追いついていなかった。
ソ連軍が侵攻する後半、一気に緊張感が高まる...はずなのだが、路上での軍による市民への発砲で死人が出ていながらも、ラジオ局員たちにはそれほど緊張感があるようには見えず。『アルゴ』でテヘランのアメリカ大使館から脱出を図る大使館職員ほどの緊張感を期待したのだが、命の危険を賭してとまでの緊張感のある演技ではなかった。
政権に忖度するジャーナリズムの危機が日本においてもアメリカにおいても唱えられる今日。実においしい題材であるはずだが、いかんせん自分の理解力が足りなかったため楽しめなかったという作品。チェコやスロバキアでは、興行収入記録を塗り替えるヒットをしているだけに、そうした当事者意識やジャーナリズムに勘所があれば刺さる作品なのだろう。蒙昧な自分は残念ながらその限りではなかった。
★★★★ (4/10)
