『マッドマックス: フュリオサ』 (2024) ジョージ・ミラー監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

マッドマックス・シリーズ第五作目。一作目の『マッドマックス』(1979)はメル・ギブソンとジョージ・ミラー監督の出世作。近未来という設定ながら、今観るとかなりチープな低予算SF。それでもいかにもカルト人気しそうな雰囲気満点の作品で、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』に抜かれるまで、ギネスに「制作費と興行収入の差が最も大きい映画」として掲載されていた。そのヒットから10倍の予算をかけて作られた『マッドマックス2』(1981)は「北斗の拳」に影響を与えたことでも有名。マッドマックスの世界観が確立したと言ってもいい秀作だった。続く『マッドマックス/サンダードーム』(1985)は「超」がつくほどの駄作で、その後シリーズ制作は沈黙する。30年を経て世に出された『マッドマックス 怒りのデスロード』(2015)は前作とは打って変わって「超」がつくほど秀作。ストーリーのアウトラインは成功した『マッドマックス2』のストーリーをなぞるもので、あるコミュニティから脱出するトレーラーをマックスが援護しながら疾走するアクション物。『怒りのデスロード』の秀逸な点は、ストーリーらしいストーリーは全くなく、「本物の」アクションとマッドマックスの世界観が高い次元で融合した作品だったこと。そして近年の時世に沿うかのように、フェミニズムが前面に押し出され、主役はトム・ハーディ演じるマックスではなく、シャーリーズ・セロン演じるフュリオサと言ってもいい作品だった。

 

そして最新作となる本作は、『怒りのデスロード』に直接つながるフュリオサの前日譚。この作品はフュリオサの若き日の15年間を描いている。マックスがマッドマックス・シリーズの主役であるなら、この作品にはマックスは後ろ姿のワンカットだけで、フュリオサを主人公とするスピンオフ作品と言ってもいいはずだが、前作で既に主役を食うほどの存在感をフュリオサが出していたので、マックスが体現するマチズモは時流からは外れているという時代の要請なのかもしれない。

 

前作があまりに素晴らしいだけに、前作を越えることはないだろうと予想していたが、その予想は外れてはいなかった。マッドマックス・シリーズのよさは、「北斗の拳」がギャグ漫画と受け止められるのと同様のバカバカしさとかっこよさが同居している世界観。前作で言えば火を噴くギタリストが車に据え付けられていたり、搾乳システムなどという荒唐無稽な設定が「らしさ」と言っていい。そこにデジタル時代に逆行するような「本物の」アクションが共存する世界観をファンは熱狂を持って受け入れたのが前作のヒットだった。本作は、フュリオサの復讐劇が主軸であるだけに少々シリアスに過ぎて面白みに欠けるような印象だった。ギャグ的要素として盛り込まれたクリス・ヘムズワース演じるディメンタスが執着するテディベアは、自分には滑った悪ノリ感があった。

 

アクションに次ぐアクションだった前作は3日2晩の物語だったのに対し、この作品は15年間を描いたものであるだけに、ストーリーの深みは増している反面、疾走感に欠けるのは仕方ないかもしれない。アクションの迫力不足は、トレーラーの失踪をバイク軍団が襲撃するという二番煎じの設定にもあっただろうし、10倍のCGIからくるスタントにはかなわない本物らしさの減少にもあっただろう。

 

前作で圧倒的な存在感を示したシャーリーズ・セロンを替えることは冒険だっただろう。アニャ・テイラー=ジョイの起用は、前作でのフュリオサのインパクトは越えないまでも及第点だった。アニャは、個人的にはデビュー2作目の『ウィッチ』(2015)での目力が印象的だったが、この作品でも彼女の目力は生きていた。30行しかセリフがない役をこなすには彼女の目力が必要だったと言ってもいいだろう。『デューン』シリーズでのアリア・アトレイデス役が待たれる最も旬な女優の一人である。

 

彼女は五章に章立てされた第三章で登場するが、それ以前の幼少期のフュリオサを演じていたのはアリーラ・ブラウン。登場した瞬間から、アニャに似ているどころか似過ぎているほどと感じたが、それはデジタル技術のおかげで、アリーラ・ブラウンの顔にアニャの顔をインポーズして作られた顔だと後から知った。

 

フュリオサのほかにもチャーリー・フレイザー演じるフュリオサの母親のスナイパーという遠距離からヒャッハーたちに対抗する非均衡バトルで見せた「女性のかっこよさ」は前作から引き続いた魅力だった。

 

前作では「母なる緑の地」が本当にあるのかどうか分からなかったが、それがフュリオサの生まれ育った地であることを知って、それが失われた喪失感が理解できたというストーリー的な深さを感じられたのはよかった点。そして復讐劇が主軸のテーマだが、ディメンタスに対する恨みは容易に理解できたが、結局イモ―タン・ジョーに対する恨みって何だったんだろうと思わないでもなかった。

 

この作品の評価が自分の中で低いとすれば、それは前作があまりにも優れているだけであり、通常のアクション物としては十分以上に楽しめる作品だと思われる。

 

★★★★★★ (6/10)

 

『マッドマックス:フュリオサ』 予告編