『ノマドランド』 (2020) クロエ・ジャオ監督 | FLICKS FREAK

FLICKS FREAK

いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

結論から言おう。もしこの作品がアカデミー作品賞を受賞したならば、今世紀の受賞作では『スラムドッグ$ミリオネア』 (2008)、『シェイプ・オブ・ウォーター』 (2017)に次ぐ秀作となるだろう(受賞を逃したノミネート作では、その年の受賞作より優秀な『リトル・ミス・サンシャイン』 (2006)、『6才のボクが、大人になるまで。』 (2014)、『ラ・ラ・ランド』 (2016)といった作品はあるが)。

 

フランシス・マクドーマンド演じる主人公のファーンは、アメリカの新しい社会現象とも言える「ワ―キャンパー」。「ワ―キャンパー」とは、貧しい白人高齢者で、キャンピングトレーラーに乗ってアメリカ中を放浪しながらキャンプ場で暮らし、季節労働者として働いている。まさに「アメリカの知られざる下級国民」。登場する人物はほとんど白人なのだが(マイノリティに神経質になっている最近のハリウッドの傾向には珍しいほど)、それは貧困に喘ぐ「ワ―キャンパー」ですら、車上生活で放浪するのは白人の特権でもあるから。もし黒人が定住せずに車上生活するならば、直ちに警察に逮捕・勾留されかねないだろう。

 

資本主義的なマテリアルな価値観がともすると標榜されるアメリカにおいて、彼らはその価値観から降りた人々。きっかけは失職ほかの不本意なものかもしれないが、彼らがイメージと異なるのは(少なくとも、この作品に描かれている「ノマド民」は)、自己選択的であること。

 

資本主義からパージされた人々の物語はアメリカの歴史では珍しくない。すぐに思い当たるのがジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』。その登場人物の多くは現状に甘んじることなく、元の居場所に戻ろうと苦悩・葛藤している。それに対して、この作品に描かれた「ノマド民」は、自己選択的であるがゆえに、彼らの苦境には悲壮感が全くない。むしろ清々しいほど。

 

個人的には、自給自足ユートピア的なコミュニティにある人間関係は苦手。アメリカにある「断酒会」のような、自分の傷口をさらけ出して、皆で癒し合うような関係性は気味が悪いとすら思ってしまう。この作品の「ノマド民」もそうした風土を持っており、観始めてしばらくは少し距離を置いた傍観者的な印象を持っていた。しかし、徐々に作品に引き込まれ、彼らの生き方に共感するとともに、自分のこれからの人生を見つめ直すきっかけにすらなったと感じた。それほどパワフルな作品。

 

作品のテーマには強烈なインパクトを受けたものの、作品の印象はあくまで静謐。それは、アメリカのグレート・プレーンズと呼ばれるロッキー山脈東側の地帯の荒涼漠々とした風景と、ルドヴィコ・エイナウディの音楽によるところが大きい。

 

主演のフランシス・マクドーマンドは、これまでも『ファーゴ』 (1996)や『スリー・ビルボード』 (2017)で素晴らしい演技を見せており、結果、両作品でアカデミー主演女優賞を2回受賞しているが、この作品で彼女の演技はそれらを凌駕している。これで受賞を逃すとすれば、評価がおかしいとしか思いようがない。

 

主演女優賞は当確としても(ほかの候補者、ビオラ・デイビス、アンドラ・デイ、バネッサ・カービー、キャリー・マリガンの作品は未鑑賞ながら)、作品賞の行方は正直微妙。素晴らしいと思われた『ミナリ』より、個人的には断然『ノマドランド』なのだが、この作品を皆が観て心を動かされるとは思えないところもあるため。『ミナリ』は、移民をルーツに持つ人がほとんどのアメリカにおいて、開拓の苦難を描いた共感を呼びやすいもの。それに対してこの作品は、より現代的なアメリカの姿の一面をリアルに描き(それもそのはず、原作はノンフィクションであり、この作品に登場する人々のほとんどはプロフェッショナルな俳優ではなくリアルな「ノマド民」)、社会のメインストリームから距離を置く生き方を選ぶ人々に共感できるかどうかは、人それぞれの生き方や人生観によるため。自分がノマド的などとかっこいいことは言わないが、自分には彼らの生き方は並の共感以上のシンパシーを感じた。

 

アメリカ精神の根源に触れる作品が、共にアジア系の監督(『ミナリ』監督のリー・アイザック・チョンは韓国系2世、『ノマドランド』監督のクロエ・ジャオは北京生まれ)によるのは、非常に興味深い。そして、映画文化がユニバーサルになり、かつ深化していることを思わせる秀作。共に観逃すべからず。

 

★★★★★★★★ (8/10)

 

『ノマドランド』予告編