因幡鳥取藩は幕末、維新時

「薩長土肥」に次ぐ雄藩だった

 
「雄藩」とは

幕末、維新時に活躍した

有力な藩の事です

 

戊辰戦争では官軍方につき

志願農兵隊「山国隊」などを率いて

新政府軍の先頭に立って戦った

 

 

 

 

 

 

 

 

「山国隊」は丹波国桑田郡山国郷

(現京都市右京区京北)で

結成された農兵隊で

縁のあった因幡鳥取藩に属し

戊辰戦争を戦った

 

 

 
時代祭(京都)の
維新勤王隊列は山国隊の行装を
模したものです

 

 

 

 

 

 

 

それなのに

「なんということでしょう」

 

1876年(明治9年)

鳥取県は島根県に併合され

鳥取県は無くなったショボーンガーン

 

 

 

 

 

 

因幡鳥取藩32万5千石が

出雲松江藩18万6千石に

吸収されたのだ

(明治初期の鳥取城)

 

 

 

 

 

 

鳥取県が復活したのは5年後の

1881年(明治14年)9月12日だった

 

 

その5年の間に

鳥取城のシンボル三階櫓は解体された

(鳥取城三階櫓)

 

 

 

 

 

同時期の鳥取県消滅

三階櫓解体は偶然だったのかも

しれないが

鳥取藩士の怒りと落胆は

想像できる

 

 
 
 
 
 
 
1998年(平成10年)
鳥取県が復活した9月12日
「とっとり県民の日」に制定された
 
 
 
 
 
 

 

追伸(P.S)

「薩長土肥」は

薩摩、長州、土佐、肥前の総称で

明治初期、政府の主要官僚を

多く供給した

 

明治14年(1881年)

参議大隈重信(肥前佐賀藩出身)が

明治政府中枢から追放された事件の

「明治十四年の政変」以後は

薩摩、長州で主要官僚を独占した