古都の寺院の隠された真実を求めて-201205152030000.jpg
興福寺曼荼羅図(部分)「名品図録」より

 奈良国立博物館で開催中の特別展「解脱上人貞慶」に京都国立博物館所蔵の「興福寺曼荼羅図」が8日から27日までの期間で展示されています。 

 この「興福寺曼荼羅図」については、昨年出版された「興福寺 美術史研究のあゆみ」に載せられた森下和貴子氏による論考を紹介させてもらい、その記載内容からは11世紀末の興福寺の安置仏像を描いたものと推定され、その制作目的は崇拝対象としてだけでなく、その当時の安置仏像の状況を記録して、火災等で、それらが失われた時に元通りに再興するための指針にする事も考えられていたのではないかという私なりの考えも披露させてもらいました。 

 先日、京都国立博物館を訪ねた時、平成15年に発行された「京都国立博物館名品図録」を購入しましたか、そこには「興福寺曼荼羅図」について、下記のように解説されています。 


興福寺曼荼羅図 1幅 

絹本著色 
96.8×38.8cm
鎌倉時代(12~13世紀)
重要文化財 

 春日大社と興福寺を一画面に描く春日社寺曼荼羅であるが、これほど興福寺伽藍の比重が大きい例は珍しい。諸尊は金箔を置いた上に墨線でかたどるいわゆる皆金色像で、適宜明るい彩色を加える。細密画的描写ながら荘厳を尽した豪奢な作風である。仏像群の状態は、治承4年(1180)の炎上以前を表わしているが、様式の上からは鎌倉初期の制作と思われる。あるいは伽藍記録の意図が込められていたのかもしれない。現存最古の垂迹画としても貴重な遺例である。 


 原本の制作年代の特定はされていませんが、治承4年の平家焼き討ち以前の状態を示す事と、伽藍記録の意図について示唆されている事など、とても的確な解説だと思います。 
 ただ、この「興福寺曼荼羅図」には、12世紀になってから興福寺で新たに建立された東円堂、三重塔、そして春日両塔が描かれていない事から、それらが建立される以前、つまり11世紀末の状態を示すものだと言及されても良かったのではないかと思いました。