お宝映画・番組私的見聞録 -80ページ目

東宝俳優録45 豊浦美子

順番が前後するが、今回は東宝ニュータレント5期生から豊浦美子である。
豊浦美子は、43年生まれ。入社時は10代がほとんどのニュータレント女優陣の中では、既に20歳を超えていた彼女は稀有な存在だったかもしれない。
高校卒業後はデパートに勤務していたが、黒澤明の「赤ひげ」(65年)における加山雄三の相手役候補にあがり、東宝ニュータレントの5期生として東宝俳優養成所に入所した。
デビューは青春ドラマシリーズの第1弾「青春とはなんだ」(65~66年)の女生徒役であった。岡田可愛、土田早苗、ニュータレント同期である水沢有美らも女生徒を演じていたが、彼女らは実際に17~18歳だったので、人気もあったという豊浦は、若く見えるタイプだったということだろう。続く「これが青春だ」(66~67年)にも出演しているが、既に23歳だったこともあってか、生徒役ではなく寺田農の恋人役での出演であった。
また、豊浦美子といえば近年は「幻のアンヌ隊員」として知られるようになった。「ウルトラセブン」(67~68年)のアンヌ隊員は当初は彼女がキャスティングされ、実際に撮影にも入っていたのである。しかし、映画「クレージーの怪盗ジバゴ」の監督である坪島孝からヒロイン役での指名があり、出演せざるを得なくなり、セブンを降板したのであった。当時は映画優先の風潮があり、彼女も当然のように映画を選択したようだ。代わりにアンヌ役に選ばれたのが一期後輩のひし美ゆり子(当時・菱見百合子)だったわけである。
豊浦美子のドラマ、映画への出演記録は70年が最後になっており、その辺で引退したようである。女優としての活動期間は5年程度という短いものであり、知る人ぞ知るという感じの存在であった。
その後、彼女がどうしていたか詳細は不明だが、15年に神戸で開かれたトークショーに古谷敏とひし美ゆり子が出演。そこにサプライズとして豊浦が登場したのである。二人が会うのは実に48年ぶりだったという。これは豊浦が西宮在住ということを知り、ひし美が「是非に会いたい」と呼びかけ実現したものであった。70歳を越えた豊浦だったが、写真を見る限り全然若々しく見える。
ひし美がアンヌ隊員として、今も愛されているのを見ると、豊浦も「セブンに出ていればよかったかな」と思うこともあったという。

 

東宝俳優録44 小林夕岐子

今回も東宝ニュー・タレント6期生から小林夕岐子である。
小林夕岐子は46年生まれで、本名は由木子と書く。当時、話題になっていたかは不明だが、彼女の父は水島道太郎、母親は宝塚歌劇出身で50年代の松竹映画にも出演していた山鳩くるみという中々のサラブレットだったのである。
元々のきっかけは、高校在学中に岡田茉莉子の結婚式で東宝撮影所長の雨宮恒之に声をかけられたことであった。女優への誘いだったわけだが、当面は学業優先で断っていた。しかし、受験に失敗したことから東宝俳優養成所に入所することにしたである。オーディションは6次審査まであったというが、彼女の場合は審査なしでの合格だったという。これは、親の七光りというわけではなく、雨宮撮影所長の推薦だったからである。
無論、入所後は優遇されることはなく、レッスン漬けの日々を送り、半年後に映画部に配属されたという。
デビュー作は「お嫁においで」(66年)でのウェイトレス役で、同期の高橋厚子、ひし美ゆり子(当時・菱見地谷子)も出演していた。
テレビドラマにも出演するようになり、そこで「ウルトラセブン」(67年)である。彼女がゲスト出演した第9話では、金髪ロングのウィッグ姿であったが強烈な印象を残した。前回の牧れいも同番組にはゲスト出演しているが、それほど印象にない。実はこの小林の演じた役は元々は牧がやる予定だったのだという。しかし、スケジュールの都合で難しくなり小林になったことを満田監督が明かしている。
その事実を等の小林は最近まで全く知らず、それどころか小林をイメージしていた役みたいなことを言われていたらしい。
「怪獣総進撃」(68年)では、初のヒロイン役に抜擢。同期の高橋、牧(宮内恵子)、佐川亜梨らがキラアク星人を演じていた。「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ決戦! 南海の大怪獣」(70年)では、高橋と共にメインヒロインを演じた。
「幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形」(70年)では、死美人で吸血鬼という主役ともいえる役柄に挑んでいる。こういった現実離れした役の方が楽しかったと語っている。これもロングヘアーのウィッグを付けていた。
この後、74年まで主にテレビの方で活躍した。昼メロ「花王愛の劇場 五番町夕霧楼」(74年)では、詳細は不明だがレギュラーだったようだ。この74年に病気を機に女優を引退している。

 

東宝俳優録43 牧 れい(宮内恵子)

今回も東宝ニュータレント6期生から牧れい(宮内恵子)である。
牧れいは49年生まれ、高校在学中に東宝ニュータレントに応募して合格し、66年に東宝俳優養成所に入所した。応募したのは、自分ではなく姉だったらしいが、本人も多少その気はあったという。
オーディション当時は歌を習っていたといい、三次審査でマヒナスターズでヒットした「北上夜曲」という渋い選曲で歌唱を披露した。その際に歌詞に感極まって、思わず涙を流してしまったという。そのおかげで合格したのではないかと、本人は思っているようだ。
デビュー作はドラマ「天下の青年」(67年)で、レギュラーだったという。本名である宮内恵子名義であった。主演は原田芳雄で、森次浩司、牧と同期であるひし美ゆり子の「ウルトラセブン」コンビもレギュラーとして出演していた。
牧は続く「太陽野郎」(67年)にもレギュラーとして出演していた。この間に「ウルトラセブン」に一度ゲスト出演している。
映画の方に目を向けてもさして目立つ役はなく「怪獣総進撃」(68年)では、同期の高橋厚子、佐川亜梨らと一緒にキラアク星人として出演している。ヒロイン役は同期の小林夕岐子であった。
69年には東宝を退社。専属だった期間は3年程度であり、東宝女優だったイメージがほとんどないのはその為であろう。
退社後は本名から牧麗子に改名し「夕焼けは知らない」で歌手デビューしている。芸名は短期間に牧麗子→牧れい子→牧れいと改名して落ち着いている。「まあ、きれい」をもじったというわけではないらしい。
円谷プロの「緊急指令10-4·10-10」(72年)では隊員役に抜擢。東宝の先輩でもある黒沢年男、東映ニューフェイス出身の水木襄、池田駿介という顔ぶれであった。この時はアクションはさほど多くなかったが、「スーパーロボットレッドバロン」(73-74年)でのミニスカパンチラアクションから彼女の人気に火が付いた。彼女自身はアクションに目覚め、自分でも自信を持つようになっていったという。
「コードナンバー108 7人のリブ」(76年)「ザ・スーパーガール」(79-80年)は、どちらも女性7人組が主役のアクションドラマだが、牧はこの両方にレギュラー出演。どちらもリーダー役は野際陽子であった。
「スーパーガール」の頃になると牧のアクションは最高潮に達しており、JAC出身でも何でもない彼女が2階や3階から平気で飛び降りたりしていたのである。
80年代までは、ドラマで良く見かけていた彼女であったが、90年代以降はその姿を見かけることはほとんどなくなったが、引退したというわけではないようだ。インタビュー記事はよく見かけるし、特撮関連のイベントなどに登場することはあるようだ。

 

東宝俳優録42 高橋厚子

体調不良のため、一回飛ばしてしまった。今回もちょっと短めである。
さて高橋紀子とくれば、一文字違いの高橋厚子である。
高橋厚子は49年生まれ。劇団ひまわりを経て、東宝にはニュー・タレント6期生として66年に入社している。同期にはひし美ゆり子、牧れい(宮内恵子)、小林夕岐子など後々活躍したメンバーも多い。高橋厚子はその中では、キャラが弱いような気がするが、牧れいによれば、特に将来有望と言われていたのは高橋だったという。
デビュー当時は、ノンクレジットだったり出演シーンカットというような端役も多かったが、内藤洋子との共演が多かった。「伊豆の踊り子」「育ちざかり」(67年)では、共に内藤の友人役を演じ高橋自身も注目を浴びるようになった。
テレビに目を向けると、やはり東宝の青春ドラマである。「進め!青春」(68年)では、女生徒役でレギュラーだったが、放送がメキシコオリンピックの時期と重なり、わずか11回で終了してしまう。そのため、再放送にも恵まれない作品である。ちなみに主演は浜畑賢吉であった。そして「アテンションプリーズ」(70~71年)。ここでもレギュラーを得るが、ヒロイン(紀比呂子)の友人という役柄。映画でもそうだが、ヒロインの友人と言うポジションが多い。
基本的には助演の人だったが、唯一ヒロインを演じたのが「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ決戦!南海の大怪獣」(70年)である。前回も話題にしたが、結婚の為、急遽降板した高橋紀子の代役として起用されたのが彼女だったのである。名前が似ているから高橋厚子にしておこう、と思ったわけではないだろうが、ヒロインが転がり込んできたわけだ。共演で島の娘を演じているのが同期の小林夕岐子であった。公開は「アテンションプリーズ」の直前であった。
さて、これからという感じの高橋厚子であったが、出演記録は「人形佐七捕物帳」(71年)へのゲスト出演が最後となっている。恐らくこの辺りで引退したと思われるが、その後のことなどは一切不明である。

 

東宝俳優録41 高橋紀子

東宝ニュータレント3期生は誰がいたのかは不明だが、4期生には黒沢年男、沢井桂子、そして高橋紀子などがいた。
高橋紀子は46年生まれ。名前は平凡だが、日本人離れしたハーフのような顔立ちが非常に目だっていた。アイドルとしてデビューしていても不思議はない気がする。64年、山梨英和高校を三年で中退して上京し、東宝に入社している。
「ひばり、チエミ、いづみ三人よれば」(64年)の端役でデビュー。目立つ容姿だと思うのだが、しばらくは端役が続いた。クレージーキャッツの映画への出演が多かったが、次第に役柄も大きくなっていき、「クレージーだよ天下無敵」(67年)では谷啓の婚約者役を演じている。
東宝特撮映画に結構出演していたようなイメージが勝手にあるのだが、実はあまり出演していない。「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」(66年)では、ヒロインである島の娘ダヨ役に抜擢されているのだが、急性虫垂炎になり入院して降板の憂き目にあう。代役として急遽起用されたのが、特撮常連の水野久美であった。ちなみに、当時高橋は19歳で水野は29歳であったが、特にシナリオの変更はなかったらしい。高橋の起用はおそらく「ウルトラQ」(66年)の23話「南海の怒り」で、アニタという島の娘を演じていたことが大きかったのではないだろうか。
人気も次第に上がっていき、デビューから5年近く経過していたが、69年度の製作者協会新人賞を受賞している。
末期の若大将シリーズにも出演しており、「フレッシュマン若大将」(69年)では加山に振られる役だったが、「ブラボー若大将」(70年)では逆に加山を振る役を演じている。
「コント55号宇宙大冒険」(69年)でもヒロイン役を演じるなど、喜劇映画への出演が多かったが、同期の黒沢年男が主役の「白昼の襲撃」「野獣都市」(70年)というアクション映画でも、いずれもヒロインを演じた。
そして「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ決戦!南海の大怪獣」(70年)でもヒロインに抜擢。今回は島の娘ではないが、相手役は「南海の怒り」で結ばれた?久保明だった。しかし、彼女は本作を降板してしまう。その理由が結婚が決まったからというものだった。相手は寺田農である。寺田は東宝の俳優ではないので接点らしき部分といえばドラマ「青春とはなんだ」(66~67年)あたりだろうか。高橋紀子は3回ほどゲスト出演しており、その時に知り合っていてもおかしくはない。
それにしても怪獣が3体登場してタイトルに「南海の」がつくといずれも降板すると言う、わざとやってるかのような一致である。それはさておき、役者としては好調の波が来ていると思われる時に引退というのは、非常に勿体ない気がした。ちなみに、寺田とは06年に離婚したという。

 

東宝俳優録40 南 弘子

スリー・チャッピーズの二人を取り上げたので、残る南弘子も取り上げねばなるまい。
南弘子は46年生まれで、本名は山崎博子という。62年、16歳で東宝ニュータレント2期生として東宝に入社している。平行して高校にも通っていたようである。同世代の桜井浩子、中川ゆきと共にスリー・チャッピーズとして売り出された。
デビュー作は「青べか物語」(62年)で、13歳の役であった。続く「非情の清春・高校生と女教師」では、勝呂誉の相手役で準主演。桜井浩子、峰健二こと峰岸徹も準主演級で出演している。
スリーチャッピーズとして売り出されたとは言うものの、三人そろって出演している映画は「お姐ちゃん三代記」(63年)くらいなのである。団令子、中島そのみ、重山規子のお姐ちゃんトリオは有名だが、彼女らの後を継ぐべき存在が南、桜井、中川のスリー・チャッピーズということだったのだろう。ちなみに初代として出演しているのが、草笛光子、扇千景、越路吹雪の歌劇団トリオとでもいうのだろうか(越路・扇は宝塚、草笛はSKD)、一同が顔を揃えている。しかし、越路(24年生)を除けば、初代と二代目に年齢差はほとんどない(草笛、扇、重山が33年生まれで、団、中島は35年生まれ)。
これを最後に、スリー・チャッピーズの映画での共演はなく、南に関しては64~65年にかけて映画の出演記録がない。テレビへの出演記録もほとんどないので、学業に専念していた可能性もある。桜井も65年頃からテレビ中心の活動となっていったため、スリーチャピーズは自然消滅といった感じであろうか。
南も60年代後半はテレビが活動の中心となっており、東宝の俳優陣が毎回ゲスト出演する「太陽のあいつ」(67年)にレギュラー出演。桜井も一度ゲストで出演している。重山規子が主演の「おせん捕物帖」(67年)にも出演しているが、レギュラーだったかどうかははっきりしない。おそらく彼女が東宝に所属していたのはこの辺までで、69年の映画出演はいずれも東映の「不良番長・どぶ鼠作戦」と「女親分・喧嘩渡世」なのである。
しかし、レギュラー出演と言えば何といっても「素浪人花山大吉」(69~70年)であろう。近衛十四郎と品川隆二のコンビで有名な番組だが、南も79話からレギュラー入りしているのである。何故彼女だったかは不明だが、糖尿病が悪化していた近衛の出番を減らすための措置だったらしい。
70年は、他のドラマにもゲストで顔を出したりしているが、放送期間から考えると「花山大吉」を最後に芸能界を引退したようである。
その後、どうしていたのかは不明だが、2003年に57歳の若さで亡くなったという。 

 

東宝俳優録39 中川ゆき(裕季子)

桜井浩子、南弘子のWヒロコと「スリー・チャッピーズ」として売り出されたのが中川ゆきである。
前回、東宝ニュー・タレント1期生と書いたが、伝えられているプロフィールどおりだとすれば、2期生である可能性の方が高い。
中川ゆきは45年2月生まれ。本名は元子と書いてユキコと読む。63年高校卒業と同時に東宝入社と「日本映画俳優全集・女優編」にはあるのだが、2月生まれということで、ダブってなければ62年に高校卒業となると思われる。
父はタップダンサーの中川三郎で、二人の姉も女優である。9歳上の長姉は中川弘子は55年に松竹に入社。58年に脚本家の白坂依志夫と結婚し、松竹を退社したが、その後も数本の映画に出演。記録では大映の「勝負は夜つけろ」(64年)が最後になっている。彼女ではなく三女に弘子と名付けたらスリーチャッピーズは、三人ともヒロコになっていたかもしれない。
次姉の中川姿子は40年生まれ。中学在学中に歌手デビューし、映画は姉・弘子と同じ55年に「太陽は日々新たなり」で端役デビュー。60年は日活の「刑事物語」シリーズ等、61年は吉永小百合主演の青春映画に助演した後、映画から離れた。その後、歌とダンスで日劇や国際劇場などの舞台を踏み、マドモアゼル・モデルグループの代表としても活動した。
そして三女の元子は、姉二人には縁がなかった東宝に入社。中川ゆきを芸名として「六本木の夜 愛して愛して」(63年)に主演デビューを果たす。相手役は峰健二こと峰岸徹である。ちなみに、峰は自分の演技力に悩み俳優座養成所に16期生として入所し、大映から峰岸隆之介として再デビューすることになる。
中川は63年の製作者協会新人賞を受賞するなど好調なスタートをきっている。「太陽が呼んでいる」(63年)、「現代紳士野郎」(64年)、「肉体の学校」(65年)等で準主演級の役を演じており、その間に歌手としてもデビューを果たしている。しかし「風来忍法帖 八方破れ」(68年)を最後に映画界を離れ渡米し、ブロードウェイでミュージカル等を学んだ。帰国後は芸名を中川裕季子として父と同じタップダンスやジャズダンスの世界で活躍している。現在も多くの後進の指導にあたっているようだ

 

東宝俳優録38 桜井浩子

東宝ニューフェイスは60年の15期を最後に、翌61年からはオール東宝ニュー・タレントという呼称に変わっており、その第1期生として入社したのが藤山陽子、中川ゆき、丸山謙一郎、そして桜井浩子などである。
桜井浩子は46年生まれ。小学生の頃から児童劇団に所属しており、小学六年だった57年には東映の「船頭姉妹」「逢いたいなァあの人に」の二作に共に主演した中村雅子の少女時代に扮して映画初出演している。
中学二年の59年、東宝と東和がアラン・ドロン主演の「お嬢さん、お手やわらかに!」公開記念にジャクリーヌ・ササールに似た人を募集したところ、本人が知らぬ間に友人が応募。一位にはならなかったが、東宝からは「芸能界に入る時はぜひ」と誘われ、61年の中学卒業と同時に前述の東宝ニュー・タレント1期生として入社したのであった。3月生まれということもあり15歳になったばかりであった。
同年、加山雄三主演の「紅の海」で東宝映画デビュー。後に「ウルトラQ」で共演することになる田島義文、加藤春哉も出演していた。東宝は桜井と中川ゆき、そして翌62年入社の南弘子と当時16~17歳だった三人を「スリー・チャッピーズ」として売り出すが、桜井は「高校生と女教師・非常の青春」(62年)でのヒロインである南弘子の友人役以外はあまり役に恵まれなかった。ちなみに本作では、峰岸徹が峰健二の芸名で映画デビューしている。
やはり彼女が注目されるようになったのは「ウルトラQ」(66年)からである。撮影自体は64年スタートだったということで、まだ17歳だったわけだが、子供だった自分にはそれなりに大人に見えた。桜井は撮影の初日、緊張から寝付けず遅刻してしまったという。しかし監督の梶田興治は怒ることなく、やさしく迎えてくれたという。
そして、続けて出演した「ウルトラマン」(67年)で、完全にお茶の間の人気者なったのはここで書くまでもないだろう。
「カモとネギ」(68年)を最後に東宝を離れ、フリーとなりテレビドラマを中心に活動していく。アクションドラマ、刑事ドラマなどでは悪女役が多い。
そんな彼女も80年代後半から13年(本人談)活動休止状態になっていた時期があったようだ。ウルトラブームの再燃により、再びスポットが当たったわけだが、そんなに長く休止期間があったイメージはない。

 

 

東宝俳優録37 古谷 敏

前回も書いたが、第15期東宝ニューフェイスとして二瓶正也らと東宝へ入社したのが古谷敏である。
古谷敏は43年生まれ、二瓶が永田町なら古谷は西麻布の生まれである。二瓶と同様に60年に第15期ニューフェイスとして東宝に入社した。デビューして「モスラ」「世界大戦争」(61年)といった特撮作品に出演しているが、いずれもノンクレジットであった。初めて名前が出たのは「吼えろ脱獄囚」(62年)であった。しかし、その後の作品、やはり特撮作品への出演が多いのだがノンクレジットの端役が多かった。
「三大怪獣地球最大の決戦」(64年)では、何と四つの役を演じており、さすがに名前はクレジットされているが、クレージーキャッツ結成10周年記念映画「大冒険」(65年)でも三役を演じながらノンクレジットなのである。映像をチェックしていないのであれだが、三役四役といってもセリフはほとんどないだろうし、あまり印象に残るタイプでないことは確かだ。
そんな中、65年には古谷は円谷プロへの出向を命じらている。そして「ウルトラQ」に出演することになる。ここで彼は「ぬいぐるみ役者」としての初仕事をすることになる。長身でスマートなところが買われ、ケムール人と海底原人ラゴンの中に入ったのである。円谷プロの美術デザイナーである成田亨は古谷が中に入ったことで自分のイメージ通りになったことを喜んだ。
そこで「ウルトラマン」の放送が決定したとき、中に入るのは古谷しかいないと成田自身で彼を説得したのである。顔の出ない役は嫌だと難色を示していた古谷だったが、映画が斜陽になっていた時期でもあり、引き受けることになる。そんな中、イデ隊員役が石川進からニューフェイス同期である二瓶正也に変更となった。お茶の間に認知され、人気者へとなっていく二瓶に顔を出せない古谷は複雑な想いがあったかもしれない。
であるから「ウルトラセブン」においてアマギ隊員役をふられると同時に、成田からはセブンの中に入ってほしいと懇願されるもアマギ役を選択し、セブンの中の人を断ったのは自然の流れであろう。
古谷敏といえば、結局この「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」に集約され、それ以外はどんな役をやっていたか知らないという人も多いと思うが、それもそのはずで、「セブン」終了後まもなくの68年に俳優業を引退してしまったのである。で、始めたのが怪獣アトラクションショーの主催会社「ビンプロモーション」であった。つまり、彼自身は怪獣ショーで司会を務め全国で興行していたのである。
ビンプロモーションは91年に解散し、古谷は所在不明となり、一時は死亡説まで流れたらしい。
姿を消していた古谷だったが、07年頃から円谷プロ関係者と連絡をとるようになり、「ウルトラマンになった男」を出版したり、俳優業に復帰したりしている。もう70歳を越えているがそのスタイルは当時とあまり変わっていない。

 

東宝俳優録36 二瓶正也(正典)

東宝ニューフェイス15期には、「ウルトラマン」に出演した二人の名がある。二瓶正也と古谷敏である。
二瓶正也は40年生まれで、父親はドイツ人、国会議事堂のある永田町の出身である。高校三年の時東宝芸能学校の夜間部に入学し、60年に第15期東宝ニューフェイスとして入社している。
61年に岡本喜八監督の「暗黒街の弾痕」の殺し屋B役で本名である二瓶正典でデビューを飾るとウィキペディアなどではなっているが、それ以前に通行人役で守屋浩主演の「僕は泣いちっち」(60年)が最初だったと思うと本人は語っている。ちなみに殺し屋Aは桐野洋雄だがハーフである二瓶よりも外国人っぽく見える。入社してからは大部屋のB2を半年やって、B1を1年、そしてすぐにAフォームに上がったという。-
「ハワイの若大将」(63年)では、ずっと若大将の友人・江口役を務めていた江原達怡が、海に落ちるシーンを嫌って降板。江原はカナヅチだったのである。代わりに江口役に抜擢されたのが二瓶であった(本作のみ)。加山雄三がメンバーを集めて結成したランチャーズの結成時のメンバーでドラムス担当が二瓶だったという縁からかもしれない。
岡本喜八作品やクレージー映画等を中心に活動していた二瓶であったが、「ウルトラマン」(66年)でイデ隊員役に起用されたのである。実はこの役は当初は石川進に決まっており、実際に撮影も始まっていた。当時の石川は「おはようこどもショー」の司会やアニメソングの歌唱などで子供人気も抜群にあったが、出演料の安さなどから二日で降板してしまったのである。
そこで急遽決まったのが前作「ウルトラQ」に三度出演していた二瓶であった。これですっかりお茶の間の人気者になった彼は、「マイティジャック」(68年)にも源田隊員として出演している。イデ隊員に比べると二枚目よりだったが、1クールで番組打ち切りが決まり二瓶と南廣の二人を残して「戦え!マイティジャック」にリニューアルされている。同じ源田ではあるが、また違う人の感じだったと本院は語っている。69年に東宝を退社した後はテレビが活動の中心となっている。
現在はビルのオーナーをしており、ウルトラマン関係のイベントに顔を出すことも多い。最近の写真を見た限りでは、すっかり太って昔の倍くらいになったように見える。