お宝映画・番組私的見聞録 -130ページ目

リメイクヒロイン・岩下志麻

引き続き、岩下志麻の話なのだが66~67年あたりになると、すっかり松竹の看板女優という感じになり、文芸作品、リメイク作品への出演が多くなる。
「暖流」(66年)は岸田國士原作の長編小説。3度目の映画化で、ヒロインの志摩啓子を「しま」つながりで演じている。共演は平幹二朗、倍賞千恵子、細川俊之、小川真由美、そして仲谷昇、岸田今日子が夫婦そろって、夏川静枝と夏川大二郎が姉弟そろって出演していた。
ちなみに最初の映画化は39年の松竹で、ヒロインの啓子を高峰三枝子が演じ、共演は佐分利信、水戸光子、徳大寺伸などであった。
二度目は57年の大映で、啓子役は野添ひとみで、共演は根上淳、左幸子、船越英二、品川隆二などである。
「おはなはん」(66年)は、この年のNHK朝の連続テレビ小説の映画化である。テレビ版の「おはなはん」は樫山文枝で、志麻と同じ41年生まれだが、実は当初、森光子(20年生まれ)で内定していたという。何故かといえば、「おはなはん一代記」(62年)という単発ドラマを森の主演でやったことがあったからというものだった。しかし急病により降板し、20歳も若いおはなはんが誕生することになったのである。
映画版は当然、志麻が「おはなはん」を演じ、夫役には「新撰組血風緑」などテレビで人気を得ていた栗塚旭が抜擢された。共演は加藤嘉、水戸光子、左卜全、平幹二郎など。栗塚は戦死して、その後を描いたのは「おはなはん・第2部」である。共演は小川真由美、宗方勝巳、小沢昭一、内田良平、笠智衆などであった。
「女の一生」(67年)はモーパッサンの原作だが、日本では3度目の映画化であった。ヒロインを28年版では栗島すみ子、53年版では乙羽信子が演じていた。
本作では、当然ヒロインは志麻で、夫役にはまたも栗塚旭が抜擢されている。テレビでは当時は「用心棒」シリーズなど無敵のヒーローだった栗塚だが、本作では浮気の末、その夫に殺害されるという役まわり。浮気相手は小川真由美で、その夫は高原駿雄であった。三枚目の高原に殺られる栗塚というのは想像しにくい。
他の出演者だが両親役に宇野重吉、長岡輝子、息子役に田村正和(志麻とは2歳違い)で、竹脇無我、大坂志郎の「ナショナル劇場」コンビや、左幸子、左時枝の姉妹が珍しく?共演している。ちなみに、左幸子の夫(羽仁進)と不倫関係にあったのは時枝ではなく、別の妹である(羽仁はこちらと再婚する)。

岩下志麻とハンサムタワーズ

このブログで松竹作品を取り上げるのは、あまり多くはないと思うのだが、その理由は明白で資料がないからである。
新東宝や日活のように潰れたりしていれば、まとめやすいこともあってか研究書や研究サイトなどが存在したりするのだが、ずっと存在している松竹には、そのテのものがあまりないようなのである。
岩下志麻は60~70年にかけて、松竹の看板女優の一人だったわけだが、現在ネタが尽きていることもあり、その中から気になった作品をピックアップしてみたい。前回の続きという意味で62、63年に限定してみた。
「三人娘乾杯!」(62年)。ここで言う三人娘とは鰐淵晴子、倍賞千恵子、そしてもちろん岩下志麻のことである。それぞれカップルが出来上がるのだが、鰐淵には津川雅彦、倍賞には山本豊三、そして志麻には川津祐介である。前項の篠田作品でも川津とのペアだったが、これを定番ペアにしたかったのだろうか。本作には佐野周二、高峰三枝子というベテラン勢や、志麻の弟役で「忍者部隊月光」の月輪こと石川竜二が出演している。
「学生芸者 恋と喧嘩」(62年)。本作で志麻は主役である。しかし、相手は定番になりつつあった川津ではなく、新東宝からの移籍してきたハンサムタワーズの一人、寺島達夫である。
本作には「バス通り裏」でも共演していた宗方勝巳や、まだ二枚目路線にあった南原宏治なども出演していたが、寺島なのである。これは以前にも書いたがテレビドラマ「青年の樹」で寺島が人気を得ていたこともあると思う。同じくハンサムタワーズ出身の菅原文太も出演しているが、新聞記者という役柄だ。
「島育ち」(63年)。本作では志麻と川津、寺島が共演し、三角関係状態になる。志麻の心は川津にあり、粗暴な寺島はそれを見ているしかないという状態だったのだが、最後に川津が裏切り、他の女性との結婚を決めたので、怒った寺島が川津を刺してケガをさせるという話。つまり最終的には寺島が勝ったのである。本作には、やはりハンサムタワーズ出身の高宮敬二も出演している。
ハンサムタワーズの残る一人、吉田輝雄と志麻はどこかで共演したのか、と思ったら「秋刀魚の味」(62年)、「古都」(63年)といった有名作で共演していた。
以前にも書いたが、松竹では吉田と寺島が重視され、高宮と文太は基本的に助演であった。岩下志麻との共演で見ても、それが顕著に現れていた。

岩下志麻と篠田正浩with寺山修司

岩下志麻は松竹入りしてまもなく「乾いた湖」(60年)という作品に出演する。松竹ヌーベルバーグと言われた作品群の一つだが、この監督がこれが二作目だった篠田正浩、後に岩下の夫となる男だ。二人の出会いはかなり早い段階にあったのである。脚本もほぼ新人だった寺山修司が担当している。
主演は三上真一郎で、志麻はヒロインような位置づけで、他に炎加世子、山下洵一郎、高千穂ひづる、小坂一也、鳳八千代、沢村貞子、伊藤雄之助などが出演している。
篠田、寺山は次作でもコンビを組み、今度は完全に志麻をヒロインに抜擢して撮ったのが「夕陽に赤い俺の顔」(61年)である。未見だが、前作と違いストーリーを読んだだけでも、かなりぶっ飛んだ作品であることがわかる。
悪徳不動産業者(菅井一郎)は、殺人業マネージャー(神山繁)に自分の不正を暴こうとする雑誌記者(岩下志麻)の殺害を依頼する。八人の殺し屋が競馬場に集められ、一位だった騎手の帽子を撃ち落としたものが仕事を請け負うという方法がとられたが、撃ち落としたのは居合わせたガンマニアの青年(川津祐介)であった。
素人にはまかせられないと殺し屋たちは川津を狙い、川津は志麻を助ける側にまわるという展開になる。八人の殺し屋を演じるのは、炎加世子、内田良平、渡辺文雄、水島弘、諸角啓二郎、三井弘次、平尾昌章、小坂一也という面々である。ネット上の解説文には七人と書いてあるが、どう数えても八人である。まあ、紅一点の炎が川津にほれ、裏切るので最終的には七人ということになるかもしれんが。後の「ザ・ガードマン」二人(川津、神山)がこんなところで対立していたのである。
とまあ、おおよそ篠田と寺山の映画とは思えないようなアクションコメディ?である。ギャグにしようと三日で書いて、数日で仕上げた早撮り映画だったという。
両作で重要な役を演じた炎加世子だが、年齢は志麻と同じ、映画での活躍はこの二年だけで、62年以降はテレビが中心となっている。
続く「わが恋の旅路」(61年)は曽野綾子の原作だが、寺山は脚色で参加。主演も前作から続いて川津、志麻のコンビである。
というように篠田は志麻を連続して起用していたので、当初から気に入っていたことは確かであろう。志麻のほうは、どう思っていたのかは不明だ。ちなみに小坂一也は、すでに十朱幸代と付き合っていたはずである。
篠田と志麻が結婚するのは67年のことである。

岩下志麻の登場

「バス通り裏」からスターになった女優といえば、十朱幸代の他に岩下志麻がいることが知られている。岩下志麻は純粋にこれがデビュー作ということになるらしい。
当初、岩下は出ていなかったのだが、十朱の親友役の女の子が突然引退してしまったのだという。
次の週の担当ディレクターだったのが辻真先。現在は作家として、我々世代にはアニメの脚本家として有名である。「鉄腕アトム」に始まり、60~70年代は関わっていないアニメがあるのかというくらい、さまざまなアニメで筆を振るっていた。今も延々と続く「サザエさん」の第1話をかいたのも辻である。
話を戻すと、突然の降板に慌てた辻が各プロダクションの出演者アルバムをいろいろ見た結果、できるだけ素人っぽい子をということで選んだのが岩下志麻だったのである。大した役でもないので局へ来てもらって即決したという。正確な時期がはっきりしないのだが、どうやら番組がスタートした58年のうちには登場したようである。彼女が17歳のときである。
初のリハーサルで岩下は辻に「どんな風に役の解釈をすればいいのでしょうか?」と質問してきたという。まだ、レギュラーになるかもわからず、今回かぎりかもしれない可能性もあっらので、辻は驚いたという。
しかし、彼女が俳優・野々村潔の娘ということがわかると「蛙の子は蛙だ」ということで、話はトントン拍子に進み、彼女のレギュラーが決定した。ちなみに、野々村潔とは「仮面ライダー」(71年)の第1話で緑川博士を演じた人だといえば、わかる人も多いだろう。

これは結果的に、岩下志麻を見出したのは辻真先だったということになるのではないだろうか。
十朱幸代は一足先に松竹と契約し、映画に出演し始めるが、松竹ではそれほど長くは続かず、ほぼ入れ替わるような形で岩下志麻が松竹映画に出演し始める。その初出演作が小津安二郎の「秋日和」(60年)である。ここではチョイ役だったのだが、小津は「彼女は大切に育てるように」と松竹の幹部に告げ、その資質を高く買っていたという。結果的に小津の遺作となった「秋刀魚の味」(62年)では、彼女を主役に抜擢している。なので、小津作品への出演は2本だけなのだが、岩下が海外へいくと小津のことを質問されるという。
松竹には16年在籍し、看板女優へと成長していく。
「バス通り裏」からは宗方勝巳(当時は谷川勝巳)も、松竹入りしている。「義士始末記」(62年)では、岩下とも共演している。どちらかといえば、テレビでの活躍が目立ち「特別機動捜査隊」では畑野刑事を約八年の間演じている。若い宗方以上に人気を得ていた佐藤英夫はそのライバルともいえる「七人の刑事」で南刑事を長く演じている。
岩下志麻については、次回に続く。

十朱幸代 PartⅡ 

前回の続きで、十朱幸代の話である。
65年は、前年の石原裕次郎に続き小林旭主演の「意気に感ず」「マカオの竜」にも出演した。そして、何よりもその名がトップになる、つまり文字通りに主演となった作品が「ぼくどうして涙がでるの」である。要するに、心臓病を患ったヒロイン(十朱)と少年の闘病記だ。
恋人を演じるのが藤竜也で、看護婦を西尾三枝子、ヒロインの友人を浜川智子(浜かおる)のプレイガールコンビが演じた。そしてヒロインの兄を演じたのが佐藤英夫で、「バス通り裏」で人気のあった二人の再共演となった。佐藤の映画出演は少なく、当時は「七人の刑事」の南刑事としてやはり人気を得ていた。心臓病で死んでしまう少年を演じたのは日下部聖悦。日活では本作以外にも「無頼より大幹部」(68年)などにも出演していた。テレビに目を向けると「ウルトラゼブン」(67年)の幻の12話「遊星より愛をこめて」にも出演したりしている子役である。現在はどうやら、山形の方でフレンチのシェフになったらしい。原作は伊藤文学、伊藤紀子兄妹の共著だが、伊藤文学は「薔薇族」の編集長という一面を持っている。
十朱だが、66年は東映などにも出演し、日活作品は二本だけ。
67年の「北国の旅情」では、舟木一夫の相手役を務めている。この作品では、ポスターには舟木、十朱、そして山内賢、橘和子が載っているのだが、本編に橘は出演していない(クレジットもされていない)。劇場の予告にも橘の姿はしっかりあったという。つまり、全カットになってしまい、出演そのものがなかったことになってしまったようである。橘和子はこの前年に16歳でデビューしたばかりで、この近辺に公開された作品には普通に出演していたので、特にトラブルがあったということはなさそうである。以前にも書いたが、69年には巨人の左腕エースだった高橋一三と結婚しあっさり引退。三年あまりの短い女優生活を終えている。
「陽のあたる坂道」は56年に石原裕次郎、北原三枝のコンビで映画化されているが、そのリメイクを演じたのが渡哲也と十朱幸代である。渡は丘みつ子との共演前に本家?とも共演していたのである。共演は山本圭、早川保、そして加山雄三の母・小桜葉子という日活作品にはあまり馴染みのない面々が並んでいた。

十朱の68年と69年の日活出演は1本ずつとなっており、丁度入れ替わるように丘みつ子がデビュー(68年)しているのである。

十朱幸代を語る

丘みつ子とくれば、本家?である十朱幸代についても触れておこう。
彼女はあまり日活映画のフィールドで語られることが少ない気がする。まあ、彼女を有名にしたのはテレビドラマ「バス通り裏」(58~63年)だし、映画デビューも松竹の方が先だったりするので、日活というイメージは薄いのかもしれない。とは言っても20数本の日活映画に出演しているので、日活女優の一人だと思っている人もいるだろう。
中学生のときにスカウトされモデルとなったのがきっかけとなり、「バス通り裏」以前に生ドラマに出演したのがデビューだったらしいが、詳細は不明である。
当時、周知の事実だったかどうかは知らないのだが、60年ぐらいから小坂一也と同棲のような状態にあったという。おそらく、松竹で「パイナップル部隊」(59年)などで共演したことがきっかけだと思われる。単発のテレビドラマ「君を送った帰り道」や「いちたすいちは?」(いずれも60年)でも二人が主役として共演(前者では父である十朱久雄とも共演)したことがある。ちなみに当時、十朱幸代は18歳くらいである。

当時、NHKのディレクターだった辻真先によれば、「バス通り裏」のリハーサル時にも小坂が現れたことがあり、辻に直立不動で挨拶したという。辻がリハーサル室に入るようにすすめても固辞したらしい。
ちなみに、この二人長い同棲の末、74年にやっと拳式をあげたのだがその年のうちに破局している。
十朱の日活初出演は「雨の中に消えて」(63年)である。主演は吉永小百合で、共演は笹森礼子、高橋英樹など。お茶の間では人気者であった十朱だが、この年は「伊豆の踊り子」や「光る海」などでも吉永の助演というポジションが多かった。
翌64年からは出演本数も増え、ヒロインに抜擢されることも増えた。「何処へ」では高橋英樹、「東京五輪音頭」では山内賢の相手役を務め、後半には「殺人者を消せ」「敗れざるもの」「黒い海峡」と三作連続で石原裕次郎の相手役を務めている。
異色なのは「猟人日記」。ツルゲーネフではなく、戸川昌子の原作である。仲谷昇演じるプレイボーイ中年の愛人(稲野和子や高須賀夫至子など)が次々と殺されていく。戸川昌子はその仲谷の妻役として自ら出演している。北村和夫が事件を追う弁護士で、十朱幸代はその助手として登場する。仲谷、北村という地味なキャストが中心なので、十朱を登場させたという感じだろうか。美輪明宏(当時は丸山明宏)や中尾彬、谷隼人(当時は岩谷肇)がちょこっと顔を見せ、山本陽子は自殺する役である。次回に続く。

丘みつ子 PartⅡ

丘みつ子の続きなのだが、68年は「ある少女の告白」シリーズ(といっても二作だが)で主演もあった彼女だが、69年、70年は主演はなくヒロインといった立場の役もなく、ほぼ助演に回っている。
たとえば「恋のつむじ風」(69年)なんかは、ポスターの順番でいえば、松原智恵子、長谷川照子、山本陽子が主演トリオで、杉良太郎、川口恒、和田浩治がその相手役、そして太田雅子(梶芽衣子)、沖雅也、西恵子、丘みつ子というようになっており、杉の妹という役柄であった。
この作品に出演している丘、西、長谷川、沖は「エメラルドライン」と呼ばれていた。前項の桂木美加が「帰ってきたウルトラマン」の丘隊員なら、西恵子は「ウルトラマンA」の美川隊員として有名である。「恋のつむじ風」にはやはり「ウルトラマンA」で山中隊員を演じていた沖田駿一(ここでは吉田昌史名義)も出演している。不良とかチンピラの役が多いが、実は日活ニューフェースの7期生である。本作には出ていないが、今野隊員役の山本正明も日活作品にはよく顔を出していた。
西恵子は引退後、銀座で喫茶店をやっている様子などがテレビで紹介されていたが、沖田も引退後は都内で焼酎バーをやっているとのこと。
話を丘みつ子に戻すと、70年の映画出演は2本だけ。おそらくこれは、ポーラテレビ小説「オランダおいね」のヒロインに抜擢されたということもあるのだろう。以降、テレビが中心になっていったのだが、日活が終焉を迎える71年に「復活」する。渡哲也主演の「関東」シリーズ3作のヒロインに抜擢されたのである。
第1弾「関東流れ者」には、渡、丘のほかには、原田芳雄、内田良平、水島道太郎、そして渡の弟役で沖雅也が出演している。加えて青木義朗、南原宏治、今井健二、曽根晴美という、これは東映作品かと思うような顔ぶれが並ぶ(南原、今井、曽根は東映ニューフェース出身)。
第3弾「関東破門状」には、日活最後のヒロインともいえる夏純子も出演。渡が客人となる組の頭を演じるのは佐藤慶。敵役は山本麟一、曽根晴美の東映ニューフェース勢である、
渡と丘は「大都会PartⅡ」(77年)で、再会?し、互いに意識しあっているような役を演じた。
十朱幸代と丘みつ子は次第に似ているという感じはなくなってきたが、この頃からすでに6歳上の十朱のほうが若く見えていたように感じるのは私だけではないと思うが。

丘みつ子と丘隊員

日活の後期に活躍した女優の一人に丘みつ子がいる。元々は「ミス人魚コンテスト」という海水浴場で行われたミスコンで優勝したことがきっかけで、モデルデビューし、68年に日活入りした。
当初は十朱幸代のそっくりさんということで話題になり、実際に「平凡」などにも二人のツーショット写真が載ったりしている。自分も子供の頃は、二人を混同したことがあったように記憶している。
デビュー作は「ある少女の告白 禁断の果実」(68年)で、いきなりの主演である。ポスターでの彼女は水着姿である。相手役は池田秀一で、今では「シャアの声の人」というイメージが強いが、元々は天才子役と言われていた存在である。他にも吉沢京子、太田雅子(梶芽衣子)、松岡きっこ、岡崎二朗といったところが出演している。
第2弾が「ある少女の告白 純潔」(68年)で、丘みつ子以外のキャストは入れ替わっており、二作の間に関連性はない。相手役はこれがデビュー作となる沖雅也。つい最近、CSで放送されたが、当時16歳ということもあり、まだまだ素人っぽい。同級生役とはいえ、丘はすでに20歳だったので、当たり前だが沖のほうが子供っぽく見える。共演は杉良太郎、小山ルミなどで、同級生役で高樹蓉子や桂木美加の姿も見える。
高樹蓉子は、個人的にはやはり「レインボーマン」の女幹部キャシー役が印象に深い。
桂木美加は、やはり「帰ってきたウルトラマン」の丘隊員が代表作であろう。彼女もこれがデビュー作で、東宝の演技研究所に通っていた中での出演で、日活はこれ一作だけのようである。女性隊員でありながら印象が薄いのは、「帰りマン」にはヒロイン役としては榊原るみが存在していたからであろう。髪型も初めの数話で見せたロングヘアのままだったら、まだよかったような気がするのだが…(個人的な好みです)。役名が丘ユリ子と、丘みつ子に似ているのは偶然であろうか。名前を決める際、デビュー作の主役が丘みつ子だったから、じゃあ丘ユリ子で、というようなやり取りがあったかもしれぬ。
「ウルトラマン」のフジ隊員(桜井浩子)、「ウルトラセブン」のアンヌ隊員(ひし美ゆり子)が改めてスポットライトが当たっているなか、もう一つ彼女が、取り上げられない理由としては、74年頃には姿を消してしまい、その後のことは不明であるということもあるのだろう。再び、彼女が姿を現すことはあるのだろうか。

天才少女歌手・田代みどり

60年代前期の日活作品で、日活女優ではないにもかかわらず、多くのヒロインを演じたのが田代みどりである。まあ、女優というよりは歌手であろう。
「ハイティーンやくざ」(62年)はあの鈴木清順が監督。川地民夫、杉山俊夫、松尾嘉代と並んで幼い顔立ちの田代みどりがポスターに写っているが、幼くて当然、当時彼女はまだ14歳でハイティ-ンではない。役柄は4人とも高校生である。
田代みどりは大人びているわけでもなく、美人タイプでもないが、少女歌手という点で人気はあったのかもしれない。
他の出演者は佐野浅夫、高品格、上野山功一、松本典子(後のアイドルとはもちろん別人)などで、主題歌である「いかれちゃった」を歌うのは田代と杉山俊夫である。
その前月に公開されている「太陽のように明るく」(62年)も、川地、杉山、田代のトリオが主演だが、こちらの監督は森永健次郎である。
「泣くんじゃないぜ」(62年)も川地と田代のコンビだが、杉山は俊夫ではなく弟の杉山元の方と共演している。こちらには人気歌手だった松島アキラも登場する。
というように、川地との共演が多かった田代だが、映画デビューは「善人残酷物語」(60年)で、まだ12歳の時である。ちなみにレコードデビューはこの直前であった。主演は益田喜頓と青山恭二という「刑事物語」コンビで、ヒロインは前回取り上げた笹森礼子であった。笹森の役名が「みどり」なので何かややこしい。
話が前後するが、日活映画で活躍するのは65年あたりまでで、活動期間は前述の笹森礼子と似ている。やはり田代の場合「少女」という部分が大きかったのだろうか(この時点では16~17歳くらいだけれども)。成長とともに本業の歌手もイマイチな状態になっていったようである。
そんな彼女も70年には結婚、相手はブルーコメッツのギタリストだった三原綱木。72年に「つなき&みどり」として「愛の晩夏」をヒットさせ、華麗な<復活>を遂げた。しかし、<一発>で終わり、74年には解散し、77年には離婚してしまったという。
個人的に「つなき&みどり」は記憶にあるが、その「みどり」がかつての天才少女歌手だったとは、正直知らなかったのである。

笹森礼子とルル娘

前回取り上げた「河内ぞろ」シリーズの主役といえば宍戸錠。
石原裕次郎のケガ、和田浩治主演作品の不入り、そして赤木圭一郎の事故死といった事情から二谷英明とともに主演俳優へと昇格することになったのだが、その初期のヒロイン役として目だっていたのが笹森礼子である。
元々は赤木圭一郎映画のヒロインとして活躍していたのだが、その死後は、小林旭、二谷英明、そして宍戸錠などの主演作品のヒロインとして花を添えた。その大きな瞳が特徴的だ。
しかし、日活映画女優としてその活動期間は六年弱(60~65年)。結婚して引退したのだが、さすがにそれから50年近く経っていることもあってか、意外と調べても、あまり情報の出てこない人なのである。誰と結婚し(芸能界の人ではないらしいが)、その後どうなっているのかなど一切不明である。引退後、公の場には姿を現していないのかもしれない。
わかっていることといえば、当時のことだけで、映画女優以前は、テレビ創成期の人気番組「日真名氏飛び出す」(55~62年)に高校在学中からレギュラー出演していたということ。
この番組のスポンサーは三共製薬(現・第一三共ヘルスケア)で、三共といえば「ルル」である。笹森はその二代目のCMタレントを55~56年の間務めていたという。
番組には三共の生コマーシャルがあったといい、そのCMガールの初代は宮地晴子、淡京子だったらしく、笹森は番組の方でも二代目のCMガールだったという。どのくらいの期間出ていたのかは不明である。
話は変わるが歴代のルルのCMガールは、大空真弓、いしだあゆみ、由美かおる、松坂慶子、早乙女愛、大竹しのぶ、富田靖子といった蒼々たる女優(歌手)が並んでいる。それが09年、20代目にして初の男、石川遼が起用されている。
ちなみに初代は渡辺典子。もちろん角川娘ではなく、当時童謡歌手として活躍していた少女である、6~9歳にかけて務めたようだ。浅丘ルリ子のデビュー作「緑はるかに」(55年)にも出演している。
そして、二代目の笹森は15歳の時に起用され、三代目は急に年齢があがり当時23歳の東宝女優・河内桃子が起用されている。4代目は再び童謡歌手の伴久美子(当時15歳)が起用されている。ちなみに伴久美子は86年に脊髄腫瘍により44歳の若さで死去。前述の渡辺典子も92年頃に47歳くらいで亡くなったという。その前年に行われたキングレコードの同窓会には元気な姿を見せていたというが死因などは不明である。