続報および梅田智子
続報ですが、結局復旧ならず、もうモデムの交換しかないかも。しかし、もともとタダのモデムで既に在庫もなく、新モデムは逆にレンタル料金が発生してしまうそうな。しかも交換しても復旧するとは限らないとのこと(ADSL環境そのものがダメな可能性もあり)。まあ、どっちにしろ試すしかないのだが。
でまたしてもネットカフェにいるわけだが、本日は長居できるのでここから更新したい。
今回は若干若めだが、梅田智子についてでである。
67年、彼女が15歳のとき、「でっかい青春」の生徒役と東宝の第8期ニュータレントの募集を見て、両方に応募して両方とも合格したのが始まりであった。本人はニューフェイスという表現を使っているが、それだと50年代にデビューした人とかぶるので、ニュータレントと表現した方がわかりやすいだろう。いずれにしろ、この制度の最後のメンバーの一人で同期には「猿の軍団」の徳永れい子、「スペクトルマン」の成川哲夫などがいた。
竜雷太主演の「でっかい青春」(68年)が、後期から学園ドラマに衣替えするにあたり(当初は市役所の職員ものだった)、梅田智子も生徒の1人としてレギュラー入りした。この時、一緒にレギュラー入りしたのが、菊容子や剛達人(当時、中沢治夫)、そして梅田の夫となる大谷直などであった。
そして、わずか10回で打ち切られた東山敬司主演の「炎の青春」(69年)にも剛や大谷とともに生徒役で出演。水谷豊も生徒の一人として出ていた。実はこの作品は見たことがないのだが、男子のサッカーやラグビーではなく、女子バスケ部の話なのである。バスケものが受け入れられだしたのは「スラムダンク」あたりからで、ある意味早すぎた舞台だったのである。で、長身の梅田は中心選手であり、生徒の中では主役といっていい存在だったようだ。バスク部仲間にはニュータレント同期である徳永れい子もいた。先生役では番組を終えたばかりの佐藤英夫、美川陽一郎という「七人の刑事」コンビがいた。
で梅田智子といえば、という「金メダルへのターン!」(70~71年)へと続くのである。これは、オーディションを受けての主役だったという。
根性バレリーナものである「赤い靴」(72年)では梅田智美を名乗っている。
出産後、20年ほど休業していたが04年くらいから舞台を中心に女優復帰しているという。
で次回の更新だが、ネット接続が復帰しないと思われるので、また一週間後くらいになると思う。
お知らせ
プロバイダによれば、先日の落雷の影響らしいのですが、ネットにアクセスできない状況に陥っております。というわけで、更新を一度休ませてもらいます。土曜日までに復帰できればよいのですが。
平日にネットカフェに、あまり長時間いられないので。とり急ぎのお知らせでした。
続・上月佐知子
「奥様多忙」(57~59年)では、江見俊太郎(当時・渉)と夫婦の役で、下条正巳と山岡久乃が隣の夫婦だったという。大山のぶ代も出ていたが、まだ痩せていたという。江見俊太郎は後を考えると想像しにくいが、当時は二枚目で、「眠狂四郎」を演じたりもしていたのである。
前回の捕捉なのだが、上月佐知子が最初の結婚相手であるTBSのディレクター川俣公明と出会った(と思われる)作品が「左近右近」(59年)だが、これは吉川英治が原作である。主演は立花伸介と藤間城太郎。他にも内田良平、園井啓介、天津敏、田中信夫(サンダース軍曹の声がお馴染み)なども出演していた。
藤間は小笠原弘の項でも触れたが、藤間紫の実弟で、売り出そうとされていたが、短期間でやめてしまった役者である。「小天狗小太郎」(60年)でも主演であった。こちらには岩下志麻も出演していたようだ。
「太平洋戦争と姫ゆり部隊」(62年)は、日本で三本しかないという70ミリで撮影された作品である。おそらくカメラは、あとの二本(「釈迦」「秦・始皇帝」)を撮影した大映から借りたようである。撮影中ではなかったが、仕掛けを担当していた人が事故で亡くなったそうである。出演者の中では、高友子、扇町京子は健在であるという。
扇町京子は、60年に新東宝からデビュー。三原葉子、万里昌代に続くグラマー女優として売り出されたが、翌年新東宝は倒産してしまうのだが、そのまま大蔵映画のピンク女優として活動した。そして詳細は不明だが、監督までやるようになったという。大蔵貢の愛人という噂もあったが、実際晩年の大蔵に可愛がられてピンク映画の試写を二人で並んでみていたという。高倉みゆきに関しては、完全な大蔵の一方通行だったようだが、こちらの方はうまくいっていたということだろうか。
高友子は「太平洋戦争と姫ゆり部隊」では、上月とよく似ていると言われたため、自ら眼鏡をかけて出演したという。正確なプロフィールは不明だが、デビューは松竹で、55~59年は日活で活動し、60年から新東宝に出演しており、記録上では「姫ゆり部隊」が最後の出演作となっている。彼女は大蔵貢の息子である大蔵満彦と結婚している。彼女が新東宝で出演した「美男買います」や「三人の女強盗」は制作が大蔵貢ではなく満彦になっており、当時から満彦のお気に入り女優だったのだろう。
一般には公開されなかった作品というのもあり、天理教教祖の映画である「扉は開かれた」や統一教会の映画である「暗号名黒猫を追え!」にも上月は出演しているという。蛇足だが南原宏治は上月と別れた後、幸福の科学に入信したという。
上月佐知子と三人の夫
この人に関しては、以前「太平洋戦争と姫ゆり部隊」(62年)で南原宏治と共演したのをきっかけに結婚した、ということを数年前に書いたが、南原宏治というのはかなりのプレイボーイだったそうである。
上月によれば、当時は本妻がいて、他にも一緒にいた女性がいたらしいが、本妻でないほうとは別れて、上月のところに転がりこんできたという。そうこうしているうちに子供が二人できて、養育費を払うということで本妻側がおれて、やっと南原と結婚できたという。三人目の子供も誕生し、うまくいったかと思いきや、また南原は関西に女を作ってしまったのだという。家にもあまり帰らないので、幼い子供三人と年老いた母親だけでは、自分もいない時に不安だったので、「私たちがいない時だけでも家に泊まってくれないか」と劇団昴の若い男の声をかけたところ彼も了承したという。
それが山口嘉三で上月より16歳年下、後に「上月佐知子が若い男に溺れた」と噂されることになった相手である。山口嘉三と聞いてもピンとこない人も多いかもしれない。自分も正直、顔はしらない。「特別機動捜査隊」に椿刑事という役で一年くらい出演していたのだが、その部分は東映チャンネルが450話以降の放送を再開してくれないと見ることができない。
当初は、二人の間には何もなかったのだが、山口は「なぜ、南原と別れないのかおかしいと思う」と言っていたという。そのことを知った南原は逆に二人の仲を邪推するようになり、「俺のような立派な人間をああいう奴と見返るのか」と自分のことは棚に上げて言い出し、結局は離婚へと発展し、上月は悩んだ末、山口と一緒になったのである。
しかし、これは世間からは「上月が南原を捨て、若い男に走った」ように見えたため、上月はしばらくの間仕事がなくなり、山口も負い目を感じるようになり、DVにまで発展し、破局を迎えたという。
実は上月佐知子は南原以前にも、離婚経験があった。TBSのディレクターだった川俣公明で、彼が演出を担当した「左近右近」(59年)には、上月も出演していた。詳細は不明だが、当時、上月は男に免疫がなく、最初に申し込まれたので結婚したのだという。しかし、川俣に彼女がいることがわかり、短期間で破局。しかし、これに関しては深く考えず結婚した自分が悪いと述べている。
一番懐かしいのは南原だったといい、結局彼に劣らず、三度の結婚離婚を繰り返したことになる。間に出来た三人の子はいずれも役者の道に進み、長男は南原健朗を名乗るが、次男は何故か山口正朗を名乗った(すでに引退)。長女は母と同じ宝塚に進み、嘉月絵理となっている。
松竹時代の小笠原省吾
小笠原はまだ新東宝在籍中に他社出演扱いで、松竹作品に出演しようとしたことがあったらしいが、それが社長の大蔵貢にはよく伝わっていなかったらしく、松竹側に「五社協定違反だから五千万円払え」というクレームをつけたため降ろされたことがあったという。おそらく「顔」(57年)という作品で、代役には森美樹が起用されている。
当時の松竹京都は高田浩吉の時代で、彼が「法王」と呼ばれたりしていたときである。「歌う映画スター」第1号といわれる高田だが、戦前に少し活躍した後、戦後の映画界復帰は51年からで、それほど長い期間君臨していたわけではないのである。
小笠原は一芸プロというところに所属しており、そこが松竹と縁があったらしく、ポスト高田浩吉を育てねばという空気もあり、若手も北上弥太朗や高野真二くらいしかいなかったので、移籍が決まったという。高野真二は意外な気もするが、当時はスター候補だったようである。ネームバリューは高くない気がするが、「水戸黄門」のゲスト回数第2位というような記録もあり、主に時代劇の悪役としてコンスタントに活動が続いている。
小笠原省吾としては高田浩吉との共演が非常に多かったが、そのため純粋に主役というのは一本もなかったようである。
しかし、松竹時代劇は東映などに比べれば、客も入らなかったため、あまり撮れなくなってきたので、高田や近衛十四郎は60年に誕生した第二東映に移籍していく。その東映でもまもなく時代劇は衰退してしまい、高田や近衛は舞台やテレビなどに活躍の場を移すことになる。近衛はテレビで大活躍するが、個人的には高田出演のドラマというのを見た記憶はほとんどない(実際本数は少ないようだが)。
松竹京都に話を戻すと「法王」が高田浩吉なら、「女帝」は嵯峨美智子であったという。小笠原によれば、福田公子や鳳八千代など宝塚から女優が来ても、嵯峨がイビるので直ぐに辞めてしまったという。
嵯峨美智子といえば、前述の森美樹とのラブロマンスがあったようだが、60年に森が急死。ガス中毒死つまり事故死と言われているが、自殺との噂もあった。小笠原は森美樹の死は自殺と思っていたようである。嵯峨はその2年後に岡田真澄との婚約を発表するが、結婚には至っていない。この頃、岡田好みの顔に整形したらしい。顔が若い頃の美貌から随分変わってしまったと言われるのはそのせいだと小笠原は語っている。
個人的に、嵯峨美智子といえば美人というより冷たい顔のイメージじかないのは、その「整形後」の顔の印象が強いからだろうか。晩年は私生活が乱れ、復帰と失踪を繰り返した末、92年に57歳で亡くなった。蛇足だが、嵯峨美智子は後年、瑳峨三智子と改名しているのだが、「嵯」が「瑳」に変わっているのを見落としがちではないだろうか。
このネタ元である小笠原弘は06年に78歳で亡くなっている。
新東宝時代の小笠原弘(竜三郎)
デビュー作は「恋の応援団長」(52年)。井上梅次の監督デビュー作でもある。スターレットがほぼ出演しているということだが、キャスト表で確認できたのは小笠原と高島忠夫だけである。しかも、小笠原は野球部のエースで、ヒロイン役の若山セツ子に恋心を打ち明けられないというような、結構大きな役でのデビューだったのである。
「晴れ姿 伊豆の佐太郎」(53年)は、主演が高田浩吉、共演に嵯峨美智子という松竹映画のようなキャスト。小笠原が松竹へ移籍してからもよく共演することになるのだが、この時点で初共演を果たしていたのである。本作に出演しており黒澤映画などで活躍する渡辺篤(篤史ではない)は、小笠原の嫁となる巽英子の父、つまり小笠原の義父となる人物である。
「銀蛇の岩屋」(56年)。小笠原と共演が多かったのが若山富三郎である。若山は小笠原よりも年下で新東宝でも後輩なのだが、当初から貫禄があり、スターとして迎えられての入社ということもあってか「弘!」と呼び捨てだったそうな。小笠原の方は「お兄ちゃん」と呼んでいたという。共演している藤間城太郎という少年俳優は、藤間紫の実弟だという。売り出そうとしたが映画の方がヒットせず、すぐに辞めてしまったという。
「鬼姫競艶緑」(56年)は、竜三郎に改名させられてからの作品だが、主演は美空ひばりで、小笠原はその相手役に抜擢されている。しかし、ひばりにはずっと母親が付き添っており、撮影の合間に話しかけることすらできなかったという。母親以外にも当時所属していた神戸芸能社(社長が山口組の組長だった田岡一雄)のヤクザものも取り巻いていたようである。
「妖雲里見快挙伝」(56年)は、判り易く言えば、新東宝版の「里見八犬伝」である。八犬士の顔ぶれは、若山富三郎(犬塚信乃)、和田孝(犬川荘助)、中山昭二(犬山道節)、沼田曜一(犬江親兵衛)、御木本伸介(犬村角太郎)、鮎川浩(犬田小文吾)、城実穂(犬坂毛野)、そして小笠原竜三郎(犬飼現八)といった新東宝ではスターといえる顔ぶれが並んでいる。
とまあ、新東宝ではいい役をもらっていた小笠原だが、「ここにいると将来がないな」と思ったので新東宝を出たという。大蔵貢の影響は否定しているが、はたから見ると彼が原因としか思えないのである。
小笠原弘→竜三郎→省吾→弘
唐突だが、小笠原弘という俳優をご存知だろうか。新東宝スターレットの1期生で、同期が天知茂、高島忠夫、松本朝夫、三原葉子、久保菜穂子、南寿美子といった顔ぶれである。ちなみに天知のカミさんとなる森悠子、小笠原のカミさんとなる巽英子もこの同期である。
男性4人の中では、天知、高島はすっかり有名になり、松本は脇役ながらコンスタントに見かけたので、小笠原が一番マイナーなイメージではないだろうか。
しかし、当初は天知よりはいい役を得ていたし、主演作もあるのだが、新東宝から松竹に移籍したことや、三度にわたる改名もあり、イメージが定着しなかったことが、スターになりきれなかった要因のように思う。
大蔵貢が新東宝の社長に就任すると、小笠原は時代劇専門でやるように言われたという。そこで名前もそれなりでなければならないと「中村竜三郎」にしろと言われたのであった。小笠原も抵抗し「小笠原弘としてすでにファンもいるので変えたくない」と言うと、「じゃあ小笠原竜三郎だ」と強引に決められてしまったのである。
「阿修羅三剣士」(56年)は主演だが、名前は小笠原竜三郎となった第1作である。三剣士の一人を演じる中村又三郎とは、後に大映などで活躍する丹羽又三郎のことである。
大蔵による改名は小笠原だけではない。和田孝は和田桂之助に、江見渉は江見俊太郎に、松竹から移籍してきた若杉英二は天城竜太郎にそれぞれ改名させられている。
改名は大蔵の期待の現われでもあり、竜三郎で主演も何本かあったのだが、それから1年あまりで小笠原は松竹への移籍を決めてしまう。じゃあ名前を返せということになり、小笠原も元々無理矢理つけられた好きでもない名前だからと、あっさり返上した。小笠原と入れ替わる形で日活から移籍してきた中川清彦という役者に中村竜三郎の名が与えられた。中村勘三郎と一字違いであたかも歌舞伎界と関係ありそうな名だが、何の関係もなく大蔵の思いつきなのである。
和田孝や若杉英二はまもなく元に戻しているが、江見俊太郎や中村竜三郎は気に入ったのか新東宝亡き後もその名を使い続けている。
さて松竹に移った小笠原だが、弘に戻そうと思っていたのだが、ほぼ同時期に日活から移籍してきたのが名和宏だった。歌謡界には「三人ひろし」が存在していたが、こちらでは同じ「ひろし」ではいかんということになり、清川虹子が姓名判断の先生のところに連れて行き、小笠原省吾に決まったという。しかし、別の先生には「交通事故死する名前」だと言われ、ずっと気になっていたので、62年フリーになった際に小笠原弘に戻したのだという。しかし、改名したことをほとんどPRしなかったため映画の仕事がなくなり、テレビ中心になったのだそうな。実際、省吾としては40本あまりの作品に61年まで出演していたのが、弘に再改名の62年以降は映画出演がパッタリとなくなっている(3本にとどまる)。
テレビの中の岩下志麻 その2
前回書き忘れていたが、「戦国艶物語」のプロデューサーは、「お荷物小荷物」や「必殺シリーズ」で知られる山内久司である。もう一つ、「元禄一代女」の監督は志麻の亭主である篠田正浩であった。
篠田、岩下という夫婦コンビによるドラマはもちろん他にもあり、東芝日曜劇場枠で放送された「ほたる放生」(68年)もその一つで、原作は山本周五郎である。共演は金子信雄、垂水悟郎、加藤嘉、弓恵子など。室生犀星原作である「あに、いもうと」(74年)も篠田、岩下コンビの単発ドラマで、共演は細川俊之、河原崎建三、南原宏治、丹阿弥谷津子などである。
さて、岩下志麻主演ドラマだが、連続の場合は1クールまたはそれ以下というのがほとんどである。
「花いちもんめ」(68年)。佐野周二には、五人の息子がいるが、ある日腹違いの妹(岩下志麻)がいることがわかり…というような話らしい。五人の息子だが長男は川崎敬三、次男は河原崎長一郎までは判明している。残るは出演者にある名前から石立鉄男、佐藤博、荒木一郎と予想される。ちなみに、佐藤博は水谷豊が主演の「バンパイヤ」(68年)でロックを演じた人で、俳優座養成所・花の15期生の一人である。主題歌はザ・フォーククルセダーズで、大ヒットした「帰ってきたヨッパライ」のようなテープの早回しの歌だったという。しかし、その音源はCD、レコードなど公式的には発売されていないという幻の歌である。
「私は忘れたい」(72年)。岡崎友紀のヒット曲は「私は忘れない」だが、こっちは「忘れたい」である。ある日、トラック運転手(藤岡弘)が、女(岩下志麻)をはねてしまう。彼女は記憶喪失になってしまい、責任上藤岡は彼女を家に住まわせることにする…というようなお話。藤岡は「仮面ライダー」での大怪我から復帰した後である。藤岡も志麻と同じ松竹の出身だが、共演はなかったと思われる。共演者だが、杉浦直樹、市原悦子、佐藤慶、岡田英次、小山田宗徳、悠木千帆(樹木希林)などである。
「氷紋」(74年)は渡辺淳一の小説が原作。志麻は医者である津川雅彦と結婚するが、実は一度肉体関係を持った津川とは同期の北大路欣也のことが忘れられないでいる。二人の関係を知った津川は志麻が結石で入院した際、自ら彼女の手術をするがわざと妊娠できない身体にしてしまうのである。理由は北大路の子供を作らせたくないからというもの。結局は津川の下を逃げ出し北大路の下へ…というようなお話。
そんな、津川と志麻だが初共演は「あの波の果てまで」(61年)と古く、れっきとした恋人同士の役であった。現在は二人ともグランパパプロダクション(津川が社長)に所属しているのである。
テレビの中の岩下志麻
そろそろ、岩下志麻ネタも終了したいと思うので、今回は彼女のテレビドラマ出演歴から気になった作品をヒックアップしてみたい。
「青空通り」(59年~60年)。タイトルからして「バス通り裏」を意識した作品ではないかと思われる。レギュラーかどうか不明だが岩下志麻に加えて佐藤英夫も出演していたようだ。出演者は若原雅夫、左卜全、市村俊幸、早川保、上田みゆき、塚本信夫、藤田佳子、綾川香そして北原三枝など映画界でも活躍していた面々が並んでいる。上田みゆきは当時15歳。子役として活躍していたが、後に声優業が中心となっていく。ちなみに夫は佐々木功である。
「窓のうちそと」(59年)。当時多かったオムニバスドラマ枠の一つで、その第19話「父と子」で、野々村潔、岩下志麻という実の父子が共演したようである。
「若き丘の上」(60年)。池部良が初めてテレビで主役を演じた1クールのドラマ。番組名に「池部良シリーズ」とついていたようだが、他の作品は確認されていない。池部は大学の助教授で、志麻は女子大生の役。他の出演者は八千草薫、和田孝、馬渕晴子、沼田曜一など。
「青い流れ」「そして三人が…」「戦争(第24回)菊」(いずれも60年)。いずれも単発ドラマだが、いずれも共演者は山崎努である。黒澤映画「天国と地獄」への出演は63年なので、まだ無名だったと思われる。
61~67年はほとんどドラマ出演はなかったようなので、時代が少し飛ぶが「元禄一代女」(68年)は志麻が主演のようである。タイトルから想像できると思うが、井原西鶴の「好色一代女」が原作となっている。他の出演者は荒木一郎、藤田まこと、伊丹十三、丹波哲郎、青島幸男、佐藤慶、三國連太郎と全7回だが、出演者は豪華であった。
タイトルが目を引く「ぎんぎんぎらぎら」(68年)。原作は瀬戸内晴美(寂聴)。これも主演は志麻で、二人の男を同時に愛してしまうというような話らしい。その二人は田村正和と佐藤慶のようである。
「戦国艶物語」(69~70年)。本作はお市編、淀君編、千姫編と8話づつの三部構成になっており、それぞれを若尾文子、岩下志麻、星由里子が演じている。
お市編の出演者は佐藤慶、江原真二郎、山本学、山岡久乃、入川保則など。
淀君編は三國連太郎、奈良岡朋子、田村正和、天田俊明、河原崎長一郎、細川俊之、宮本信子など。
千姫編は伊丹十三、中村賀津雄、木村功などであった。
岩下志麻と喜劇
「七つの顔の女」(69年)は、志麻自身が主演のアクションコメディである。「七つの顔の男」だったら片岡千恵蔵や、ドラマ版の高城丈二を思い浮かべた人もいるかもしれないが、本作ではタイトルどおり志麻が色々な扮装をするらしい。彼女が4人の仲間を集めて、5億円を強奪しようとするというのが大筋で、その4人に扮するのは緒形拳、有島一郎、西村晃、左とん平である。
時代が遡るが「素敵な今晩は」(65年)は、クレージーキャッツ最後の一人となってしまった犬塚弘の初主演作である。大映の「ほんだら剣法」かと思っていたが、こちらの方が半年ほど早かったようだ。桜井センリ、石橋エータロー、そしてハナ肇というメンバーもちょこっと出演しているようだ。志麻は犬塚の夢の中に現れるという設定のヒロインで、現実の女(中村晃子、楠侑子など)がどうでもよくなってくる展開になっていく。
クレージーキャッツとくればドリフターズである。「誰かさんと誰かさんが全員集合!!」(70年)は、ドリフの全員集合シリーズの第6作で、志麻は当然のごとくマドンナ役である。共演は倍賞美津子、若水ヤエ子、内田朝雄、森次浩司など。当時はまだ正式メンバーではなかった志村けんもチラッと出演しているらしい。ちなみに、ドリフ映画は松竹で16作、東宝で5作存在する。
松竹映画で喜劇といえば、まず渥美清を思いつくという人も多いかもしれない。「でっかいでっかい野郎」(69年)は渥美主演のコメディだが、志麻は長門裕之の妻という役どころ。共演として伴淳三郎、石井均、坊屋三郎、財津一郎といった喜劇役者が顔を揃えており、かつて渥美とスリーポケッツを結成していた谷幹一、関敬六も出演している。
松竹で渥美清といえば、寅さんだろうという人も多いと思うが、岩下志麻はこの「男はつらいよ」シリーズには出演していないのである。本人の意思か松竹側の意向か、何らかの意思はあるかもしれないが不明である。マドンナ役にはデビュー作「バス通り裏」で共演した十朱幸代や、映画で演じた「おはなはん」のテレビ版キャスト(逆かもしれんが)である樫山文枝もマドンナ役に抜擢されている。日活出身の吉永小百合、浅丘ルリ子、大映出身の若尾文子、京マチ子、藤村志保、東映出身の太地喜和子、三田佳子というように他社出身が中心となっている感じがする。まあ、個人的にはほとんど見ていないのだけれども(国民的映画ほど見る気がおきないのである)。