三木のり平、本名と芸名
前々回の火野正平が少年時代に出演した作品に「忍者番号十七番」(63年)というのがあり、このブログでもほとんど詳細不明のまま取り上げたことがある。その状況は今も変わらず、主演だった火野も「何も覚えてないが、三木のり平さんと共演したことは何となく」と発言している。
というわけで、かなり強引だが、今回は三木のり平の話題である。例のごとく「のり平のパーッといきましょう」という本を古本で買ったからなのだが。
個人的には、ほとんど興味を持ったことがなかった三木のり平だが、田沼則子という本名は知っていた。もちろん「ノリコ」ではなく「タダシ」と読む。
田沼は母方の姓で、父親は大川定次郎といい、ちゃんと本妻もいたという。その大川家で、男の子は生まれてすぐに死んだり、育たなかったりしたので、男名前だと運が悪いから則子にしたのだという。母親は男の子に「子」はおかしいといったら、大川は「じゃあ小野妹子や孔子、孟子は女か、子のつく名前は立派になるのだ」と言いくるめられたらしい。
彼のエピソードでよく言われているのが、名前のおかげで赤紙が来なくて戦争に行かず助かったという話しだが、これは正しくないという。正確には赤紙は届いていたのだが、徴兵検査の知らせがなかなか来なかったのだという。自ら区役所へ行くと、やはり役所では女と勘違いしており、あわてて書類が作られたという。検査に合格し、とうとう召集令状が届き、入隊まであと三日というところで、戦争は終結したのでった。入隊の日付は昭和20年8月18日だったのである。まあ、名前のおかげで召集が遅れたというのは事実である。
もう一つ名前エピソードだが、芸名の由来である。戦後、新劇をやめた後、三木鶏郎グループに入っている。三木鶏郎といえば、作詞・作曲家、構成作家として活躍し、CMソングや冗談音楽などで知られている。個人的にはそのグループに、キノトール、野坂昭如、永六輔、実弟の三木鮎郎らがいたことは知っていたが、三木のり平がいたことは知らなかったりする。
ある日、みんな名前を三木○○にしようということになり、その段階で「三木則子」となったのだが、プログラムを印刷したときに、「三木則平」と誤植されたのである。本人はどちでもよかったらしいが、メンバーの小野田勇が「則」はひらがなの方がいいと言われ、「三木のり平」が誕生したのである。ほとんどが、名前を三木から元に戻したのだが、のり平はそのうち変えようと思いながら、結局そのままになってしまったのだという。しかし、このおかげで「のり平」の「のり」が「海苔」につながり、桃屋の江戸むらさきのCMにつながることになったのである。
というわけで、かなり強引だが、今回は三木のり平の話題である。例のごとく「のり平のパーッといきましょう」という本を古本で買ったからなのだが。
個人的には、ほとんど興味を持ったことがなかった三木のり平だが、田沼則子という本名は知っていた。もちろん「ノリコ」ではなく「タダシ」と読む。
田沼は母方の姓で、父親は大川定次郎といい、ちゃんと本妻もいたという。その大川家で、男の子は生まれてすぐに死んだり、育たなかったりしたので、男名前だと運が悪いから則子にしたのだという。母親は男の子に「子」はおかしいといったら、大川は「じゃあ小野妹子や孔子、孟子は女か、子のつく名前は立派になるのだ」と言いくるめられたらしい。
彼のエピソードでよく言われているのが、名前のおかげで赤紙が来なくて戦争に行かず助かったという話しだが、これは正しくないという。正確には赤紙は届いていたのだが、徴兵検査の知らせがなかなか来なかったのだという。自ら区役所へ行くと、やはり役所では女と勘違いしており、あわてて書類が作られたという。検査に合格し、とうとう召集令状が届き、入隊まであと三日というところで、戦争は終結したのでった。入隊の日付は昭和20年8月18日だったのである。まあ、名前のおかげで召集が遅れたというのは事実である。
もう一つ名前エピソードだが、芸名の由来である。戦後、新劇をやめた後、三木鶏郎グループに入っている。三木鶏郎といえば、作詞・作曲家、構成作家として活躍し、CMソングや冗談音楽などで知られている。個人的にはそのグループに、キノトール、野坂昭如、永六輔、実弟の三木鮎郎らがいたことは知っていたが、三木のり平がいたことは知らなかったりする。
ある日、みんな名前を三木○○にしようということになり、その段階で「三木則子」となったのだが、プログラムを印刷したときに、「三木則平」と誤植されたのである。本人はどちでもよかったらしいが、メンバーの小野田勇が「則」はひらがなの方がいいと言われ、「三木のり平」が誕生したのである。ほとんどが、名前を三木から元に戻したのだが、のり平はそのうち変えようと思いながら、結局そのままになってしまったのだという。しかし、このおかげで「のり平」の「のり」が「海苔」につながり、桃屋の江戸むらさきのCMにつながることになったのである。
CQペット21
前回の火野正平こと二瓶康一少年のデビュー作は11歳のときの日テレ「少年探偵団」(60~63年)で、その探偵団の一人だったという。ちなみに、明智小五郎役は富田浩太郎→若柳敏三郎、二十面相役が大平透だったが、それ以前にやっていたフジ「怪人二十面相」(58~60年)では、二十面相役が原田甲子郎、明智小五郎役が佐伯徹であった。その「怪人二十面相」の後番組となるのが「CQペット21」(60~61年)である。前置きが長くなったが、今回はこの「CQペット21」を取り上げたい。ジャンルは特撮ではないかもしれないが、ヒーローが登場するということで。
以前、ここでは「ハローCQ」(64年)という、東京12チャンネルの開局番組を取り上げ、その際に詳細は不明だが「CQペット21」という番組があったということはだけは書いた(と思う)。最近ベースになっている「60年代蘇る昭和特撮ヒーロー」には、この番組のことも触れられていたのである。
本作は、少年探偵の兄弟と仮面のヒーロー・ブラックマスクの活躍を描いた話で、空手や柔道の達人である兄勇一を矢代和雄、アマチュア無線(ハム)や理数系に長けた少年科学者である弟健次を設楽幸嗣、そしてブラックマスクは「怪人二十面相」で明智小五郎役だった佐伯徹がそれぞれ演じている。他に江川宇礼雄、三宅邦子など。
矢代和雄は、後にその特徴のある声を生かして声優・八代駿として活躍する。クマのプーさん役は有名で、個人的に馴染み深いのは「仮面ライダー」のショッカーの怪人だろうか。設定は高校生だったようだが、当時27歳であった。03年に70歳で亡くなっている。
設楽幸嗣は5歳のとき、デビューし松竹や東宝映画に出演し名子役と言われていた。69年に俳優業を引退(この年に結婚もしている)し、現在まで作曲家、音楽プロデューサーとして活動している。
タイトルの意味だが、「CQ」はアマチュア無線のコールサイン。では「ペット21」とは何か。実はこの番組の提供はトヨタ自動車で、ブラックマスクの乗る車はトヨペット・クラウンデラックス・R21型なのである(番組ではコンバーチブルに改造)。つまり「ペット」はトヨペット、「21」はR21型を表しているのである。当時は「ナショナル・キッド」のようにタイトルにスポンサー名(商品)を反映するものが多く見られた。
設楽少年がハムで「CQ、CQ、ペット21」と呼びかけると、緑色のクラウンコンバーチブルに乗ったブラックマスクが現れるといったものだったようだ。
携帯電話、インターネット隆盛のこの時代、アマチュア無線人口は当然のことながら激減しているという。しかし、当時の少年たちにはあこがれのアイテムだったのである。
以前、ここでは「ハローCQ」(64年)という、東京12チャンネルの開局番組を取り上げ、その際に詳細は不明だが「CQペット21」という番組があったということはだけは書いた(と思う)。最近ベースになっている「60年代蘇る昭和特撮ヒーロー」には、この番組のことも触れられていたのである。
本作は、少年探偵の兄弟と仮面のヒーロー・ブラックマスクの活躍を描いた話で、空手や柔道の達人である兄勇一を矢代和雄、アマチュア無線(ハム)や理数系に長けた少年科学者である弟健次を設楽幸嗣、そしてブラックマスクは「怪人二十面相」で明智小五郎役だった佐伯徹がそれぞれ演じている。他に江川宇礼雄、三宅邦子など。
矢代和雄は、後にその特徴のある声を生かして声優・八代駿として活躍する。クマのプーさん役は有名で、個人的に馴染み深いのは「仮面ライダー」のショッカーの怪人だろうか。設定は高校生だったようだが、当時27歳であった。03年に70歳で亡くなっている。
設楽幸嗣は5歳のとき、デビューし松竹や東宝映画に出演し名子役と言われていた。69年に俳優業を引退(この年に結婚もしている)し、現在まで作曲家、音楽プロデューサーとして活動している。
タイトルの意味だが、「CQ」はアマチュア無線のコールサイン。では「ペット21」とは何か。実はこの番組の提供はトヨタ自動車で、ブラックマスクの乗る車はトヨペット・クラウンデラックス・R21型なのである(番組ではコンバーチブルに改造)。つまり「ペット」はトヨペット、「21」はR21型を表しているのである。当時は「ナショナル・キッド」のようにタイトルにスポンサー名(商品)を反映するものが多く見られた。
設楽少年がハムで「CQ、CQ、ペット21」と呼びかけると、緑色のクラウンコンバーチブルに乗ったブラックマスクが現れるといったものだったようだ。
携帯電話、インターネット隆盛のこの時代、アマチュア無線人口は当然のことながら激減しているという。しかし、当時の少年たちにはあこがれのアイテムだったのである。
わんぱく砦
今回も「60年代蘇る昭和特撮ヒーロー」から「わんぱく砦」(66~67年)である。タイトルどおり?少年向け時代劇であり、この番組も特撮ヒーローというジャンルではないが、載っていたので拾ってみた。
以前から番組の存在自体は知っていたが、個人的に見た記憶は全くない。小学校前だし。この前番組が「バックナンバー333」(65~66年)だったようだが、こちらは見かけた記憶が何故かある。
日曜夜6時半からの放送だったので、裏番組に「シャボン玉ホリデー」があり、そちらにチャンネルを合わせていたことが多かったと記憶している。アニメ「リボンの騎士」も「わんぱく砦」の裏番組になっている。ちなみに今やこの時間の代名詞といえる「サザエさん」は69年のスタートである。
この番組は再放送もなく、情報もほとんどないのだが、その割には放送は1年に及び、続編である「無敵!わんぱく」(68年)も制作されているので、それなりに人気はあったのだろう。
舞台は戦国時代で、孤児たちが集まってたくましく生き抜く物語だ。メンバーは竜之介(佐藤正三郎)をリーダーに、伴刀左衛門(二瓶康一)、十杯(古川緑九)、学者(加島こうじ)、ドロン(宇野正晃)、ベソ(加賀爪芳和)の六人で、もう一人その立位置がよくわからないが風来和尚(里井茂)がいる。
知っている人も多いと思うが、二瓶康一は後の火野正平であり、番組スタート時は16歳であった。古川緑九こと古川ロックは名前どおり、古川ロッパの次男で、他は普通に子役だが彼だけ当時すでに26歳であった。火野は説明不要と思うが、古川ロックはよく必殺シリーズで見かけた。悪役ではなく、中村主水の同僚とか、といった役柄である。
火野によれば、撮影時は古川と一緒の家に住んでいたという。役柄とおりの大食いで、それに合わせた火野は胃拡張になったという。古川は97年に57歳で亡くなっている。
後のメンバーはについては、その詳細はほとんど不明だ。リーダー役の佐藤は写真を見るかぎりでは、火野と同じくらいの年だったのではないだろうか。里井は55年くらいからドラマに出演しており「あひる飛びなさい」(64年)というドラマでは主役も演じている。火野によれば、二人とも既に故人とのこと。
加島こうじ、宇野正晃、加賀爪芳和はおそらく当時は小学生だった思われる。加賀爪は70年代前半までよく時代劇に出演していたようだが、三人とも子役のうちに活動を終えたのではないだろうか。
映像が残っているかどうかは不明だが、「テレビ探偵団」で取り上げられた時に、一部流れたような気がするのだが、記憶違いだろうか。そこでは「超マイナーな番組」と司会のこぶ平が紹介していたようである。
以前から番組の存在自体は知っていたが、個人的に見た記憶は全くない。小学校前だし。この前番組が「バックナンバー333」(65~66年)だったようだが、こちらは見かけた記憶が何故かある。
日曜夜6時半からの放送だったので、裏番組に「シャボン玉ホリデー」があり、そちらにチャンネルを合わせていたことが多かったと記憶している。アニメ「リボンの騎士」も「わんぱく砦」の裏番組になっている。ちなみに今やこの時間の代名詞といえる「サザエさん」は69年のスタートである。
この番組は再放送もなく、情報もほとんどないのだが、その割には放送は1年に及び、続編である「無敵!わんぱく」(68年)も制作されているので、それなりに人気はあったのだろう。
舞台は戦国時代で、孤児たちが集まってたくましく生き抜く物語だ。メンバーは竜之介(佐藤正三郎)をリーダーに、伴刀左衛門(二瓶康一)、十杯(古川緑九)、学者(加島こうじ)、ドロン(宇野正晃)、ベソ(加賀爪芳和)の六人で、もう一人その立位置がよくわからないが風来和尚(里井茂)がいる。
知っている人も多いと思うが、二瓶康一は後の火野正平であり、番組スタート時は16歳であった。古川緑九こと古川ロックは名前どおり、古川ロッパの次男で、他は普通に子役だが彼だけ当時すでに26歳であった。火野は説明不要と思うが、古川ロックはよく必殺シリーズで見かけた。悪役ではなく、中村主水の同僚とか、といった役柄である。
火野によれば、撮影時は古川と一緒の家に住んでいたという。役柄とおりの大食いで、それに合わせた火野は胃拡張になったという。古川は97年に57歳で亡くなっている。
後のメンバーはについては、その詳細はほとんど不明だ。リーダー役の佐藤は写真を見るかぎりでは、火野と同じくらいの年だったのではないだろうか。里井は55年くらいからドラマに出演しており「あひる飛びなさい」(64年)というドラマでは主役も演じている。火野によれば、二人とも既に故人とのこと。
加島こうじ、宇野正晃、加賀爪芳和はおそらく当時は小学生だった思われる。加賀爪は70年代前半までよく時代劇に出演していたようだが、三人とも子役のうちに活動を終えたのではないだろうか。
映像が残っているかどうかは不明だが、「テレビ探偵団」で取り上げられた時に、一部流れたような気がするのだが、記憶違いだろうか。そこでは「超マイナーな番組」と司会のこぶ平が紹介していたようである。
無用ノ介 その2
前回に続き「無用ノ介」(69年)である。今回は内容の方に触れていきたい。
この番組、レギュラーは伊吹吾郎だけ。まあ、無名の新人が主役というのは珍しくはないが、その分他のレギュラーを豪華な布陣にしたりするものだが、一人だけだとゲストを豪華にするしかない。「木枯し紋次郎」(72年)も、レギュラーは中村敦夫だけで、全国的には無名だったかも知れないが、彼には多少の実績はあったので、まさしく無名の伊吹だけというのは冒険だったかもしれない。
内田吐夢の肩書きは監修だが、第1話の無用ノ介が登場する場面は内田が撮っているという。歩き方が気に入らないと、何度も歩くシーンだけを撮ったという。「七人の侍」における仲代達矢のようなエピソードである。
第1話「虎穴に入った無用ノ介」は原作でも第1話のエピソードのようだ(原作は未読なので)。ゲストは山形勲、南原宏治、小松方正など。
第2話のゲストは伊丹十三、大辻伺郎、吉田義夫、吉沢京子、玉川伊佐男など。共に自殺で生涯を終えた伊丹と大辻の共演。映画版「まぼろし探偵」で主役を演じた中岡慎太郎も出演している。監督は「忍者部隊月光」や「マグマ大使」の土屋啓之助である。
第3話は馬渕晴子、「悪魔くん」「ジャイアントロボ」の金子光伸。金子はこの年引退したので、これが最後のテレビ出演だったかもしれない。
第4話は御木本伸介。やはり伊吹が主演の「お耳役秘帳」(75年)その友人の同心役を演じていた。常田富士男が賞金首の一人として登場。意外な気もするが、前述の「木枯し紋次郎」でも常田は悪人(しかも親分)を演じている。
第6話は中村梅之助。もちろん悪人ではないが、無用ノ介と決闘をすることになる。丸一晩睨みあった末、敗れ去る。梅之助がゲストで、しかも斬られるというのは中々ないのではないだろか。
第8話は大友柳太朗。これも無用ノ介と一騎打ちを演じる。
第9話は安部徹と内田朝雄。「必殺仕掛人」の13話「汚れた二人の顔役」で、その顔役を演じたのもこの二人である。
第10話は深江章喜、高品格の日活悪役コンビ。ほぼ幻のドラマである「俺は透明人間」にも揃って出演している。
第15話は里見浩太郎、二瓶正也。里見の華麗なキャリアの中では不遇だったといわれる時代の出演である。この回は、脚本がノンクレジットだが、原作マンガを脚本代わりにして撮影したのだという。セリフもそのままだったようだ。強敵役の二瓶は原作のイメージに近いようだが、あまり強そうには見えない。
第19話が最終回だが、実は本放送時には放映されていない。田中淳一率いるさまざまな武器を持った10数人の無法者軍団を無用ノ介が倒していくというエピソードだ。
この番組は日テレの土曜20時から3月~9月にかけての放送だったが、当時は巨人戦の時間である。つまり雨傘番組扱いだったため、18話分しか放送できず、最終話は編成上の都合でカットされたと思われる。
そんな事情もあり、当時はさほど話題にならなかったようである。時間帯や時期が違えば26話くらいは制作されたかも。
監修の内田吐夢は、伊吹に「君が後5歳年齢がいっていればなあ」と「子連れ狼」の企画を考えていたという。しかし内田は翌70年に72歳で亡くなっている。
この番組、レギュラーは伊吹吾郎だけ。まあ、無名の新人が主役というのは珍しくはないが、その分他のレギュラーを豪華な布陣にしたりするものだが、一人だけだとゲストを豪華にするしかない。「木枯し紋次郎」(72年)も、レギュラーは中村敦夫だけで、全国的には無名だったかも知れないが、彼には多少の実績はあったので、まさしく無名の伊吹だけというのは冒険だったかもしれない。
内田吐夢の肩書きは監修だが、第1話の無用ノ介が登場する場面は内田が撮っているという。歩き方が気に入らないと、何度も歩くシーンだけを撮ったという。「七人の侍」における仲代達矢のようなエピソードである。
第1話「虎穴に入った無用ノ介」は原作でも第1話のエピソードのようだ(原作は未読なので)。ゲストは山形勲、南原宏治、小松方正など。
第2話のゲストは伊丹十三、大辻伺郎、吉田義夫、吉沢京子、玉川伊佐男など。共に自殺で生涯を終えた伊丹と大辻の共演。映画版「まぼろし探偵」で主役を演じた中岡慎太郎も出演している。監督は「忍者部隊月光」や「マグマ大使」の土屋啓之助である。
第3話は馬渕晴子、「悪魔くん」「ジャイアントロボ」の金子光伸。金子はこの年引退したので、これが最後のテレビ出演だったかもしれない。
第4話は御木本伸介。やはり伊吹が主演の「お耳役秘帳」(75年)その友人の同心役を演じていた。常田富士男が賞金首の一人として登場。意外な気もするが、前述の「木枯し紋次郎」でも常田は悪人(しかも親分)を演じている。
第6話は中村梅之助。もちろん悪人ではないが、無用ノ介と決闘をすることになる。丸一晩睨みあった末、敗れ去る。梅之助がゲストで、しかも斬られるというのは中々ないのではないだろか。
第8話は大友柳太朗。これも無用ノ介と一騎打ちを演じる。
第9話は安部徹と内田朝雄。「必殺仕掛人」の13話「汚れた二人の顔役」で、その顔役を演じたのもこの二人である。
第10話は深江章喜、高品格の日活悪役コンビ。ほぼ幻のドラマである「俺は透明人間」にも揃って出演している。
第15話は里見浩太郎、二瓶正也。里見の華麗なキャリアの中では不遇だったといわれる時代の出演である。この回は、脚本がノンクレジットだが、原作マンガを脚本代わりにして撮影したのだという。セリフもそのままだったようだ。強敵役の二瓶は原作のイメージに近いようだが、あまり強そうには見えない。
第19話が最終回だが、実は本放送時には放映されていない。田中淳一率いるさまざまな武器を持った10数人の無法者軍団を無用ノ介が倒していくというエピソードだ。
この番組は日テレの土曜20時から3月~9月にかけての放送だったが、当時は巨人戦の時間である。つまり雨傘番組扱いだったため、18話分しか放送できず、最終話は編成上の都合でカットされたと思われる。
そんな事情もあり、当時はさほど話題にならなかったようである。時間帯や時期が違えば26話くらいは制作されたかも。
監修の内田吐夢は、伊吹に「君が後5歳年齢がいっていればなあ」と「子連れ狼」の企画を考えていたという。しかし内田は翌70年に72歳で亡くなっている。
無用ノ介
突然だが「無用ノ介」(69年)である。何故かと言えば、最近このブログのネタにしている「60年代蘇る特撮ヒーロー」に載っているからである。あくまでも時代劇であって特撮でも何でもないだろうと突っ込まれそうだが、元々はさいとう・たかをの漫画が原作ということもあってか、この本に載っているのかもしれない。
以前、ここでも取り上げたと思うが、今回は伊吹吾郎のインタビュー記事もあるので、改めて取り上げてみたい。
無用ノ介といえば、当時無名の新人だった伊吹吾郎である。本人は東宝ニューフェイスと言っているが、正確にはオール東宝ニュータレント7期生である。東宝ニューフェイスというのは60年の15期までで61年以降はニュータレントという名称になり、68年の8期まで開催されている。ただ等の本人たちを含めてどちらもニューフェイスと呼称する傾向があるようだ。
その前後である6期(ひし美ゆり子、高橋厚子、九条亜希子、牧れい等)と8期(徳永礼子、梅田智子、成川哲夫等)は結構知られている顔ぶれだが、7期は伊吹以外は不明である。伊吹自身も東宝の作品にはほとんど出ないうちに退社しているようである。「舞台では食えなかった」と伊吹が語っているように、舞台の方をやらされていたようである。他の7期生が不明なのはみんな映画やテレビではなく、舞台をやっていたからなのかもしれない。
事務所に入ってからテレビなどに出演するようになり、デビュー作は「さむらい」(68年)という長門勇、江原真二郎、入川保則などが出演したドラマだが、その役柄は不明だ。続いて「特別機動捜査隊」の381話に顔を出している。これは自分も見たのだが、本人が言うように犯人でも容疑者でもないチョイ役だったと記憶している。しかし、クレジット(伊吹五郎になっていた)は2人で意外と扱いは大きかった。
そして「無用ノ介」の主役オーディションをその内容も全く知らずに事務所命令で受けたという。そこで「無用ノ介はどんな人物か説明しろ」と言われ、「俺、マンガ読まないんです」と答え、怒られたという。完全に落ちたと思っていたところ、第2次審査にも呼ばれ、運動神経を調べるという。そこに立ち会ったのが内田吐夢である。「宮本武蔵」や「飢餓海峡」で知られる巨匠だが、「無用ノ介」はその内田が手がける(クレジットは監修)初のテレビドラマだったのである。第3次審査はメイクをして、衣装も着てオープンセットでのテスト。こうして残ったのが村井国夫、地井武男、和崎俊哉、そして伊吹だった。最終的には和崎と伊吹の決戦投票になり、10対8で和崎の勝ちだったという。しかし、内田は8の方で最終的には一任され、伊吹が選ばれたという。
内田は天から降ってきた新人でやりたいと思っていたという。和崎は東映時代劇で既に10年以上のキャリアがあったのである。結局、和崎は無用ノ介の父親役(回想シーン)でゲスト出演することになる。かくて伊吹吾郎は内田吐夢に見い出されたのであった。
以前、ここでも取り上げたと思うが、今回は伊吹吾郎のインタビュー記事もあるので、改めて取り上げてみたい。
無用ノ介といえば、当時無名の新人だった伊吹吾郎である。本人は東宝ニューフェイスと言っているが、正確にはオール東宝ニュータレント7期生である。東宝ニューフェイスというのは60年の15期までで61年以降はニュータレントという名称になり、68年の8期まで開催されている。ただ等の本人たちを含めてどちらもニューフェイスと呼称する傾向があるようだ。
その前後である6期(ひし美ゆり子、高橋厚子、九条亜希子、牧れい等)と8期(徳永礼子、梅田智子、成川哲夫等)は結構知られている顔ぶれだが、7期は伊吹以外は不明である。伊吹自身も東宝の作品にはほとんど出ないうちに退社しているようである。「舞台では食えなかった」と伊吹が語っているように、舞台の方をやらされていたようである。他の7期生が不明なのはみんな映画やテレビではなく、舞台をやっていたからなのかもしれない。
事務所に入ってからテレビなどに出演するようになり、デビュー作は「さむらい」(68年)という長門勇、江原真二郎、入川保則などが出演したドラマだが、その役柄は不明だ。続いて「特別機動捜査隊」の381話に顔を出している。これは自分も見たのだが、本人が言うように犯人でも容疑者でもないチョイ役だったと記憶している。しかし、クレジット(伊吹五郎になっていた)は2人で意外と扱いは大きかった。
そして「無用ノ介」の主役オーディションをその内容も全く知らずに事務所命令で受けたという。そこで「無用ノ介はどんな人物か説明しろ」と言われ、「俺、マンガ読まないんです」と答え、怒られたという。完全に落ちたと思っていたところ、第2次審査にも呼ばれ、運動神経を調べるという。そこに立ち会ったのが内田吐夢である。「宮本武蔵」や「飢餓海峡」で知られる巨匠だが、「無用ノ介」はその内田が手がける(クレジットは監修)初のテレビドラマだったのである。第3次審査はメイクをして、衣装も着てオープンセットでのテスト。こうして残ったのが村井国夫、地井武男、和崎俊哉、そして伊吹だった。最終的には和崎と伊吹の決戦投票になり、10対8で和崎の勝ちだったという。しかし、内田は8の方で最終的には一任され、伊吹が選ばれたという。
内田は天から降ってきた新人でやりたいと思っていたという。和崎は東映時代劇で既に10年以上のキャリアがあったのである。結局、和崎は無用ノ介の父親役(回想シーン)でゲスト出演することになる。かくて伊吹吾郎は内田吐夢に見い出されたのであった。
その後のヒーローたち
もう少し「60年代蘇る特撮ヒーロー」からの話題である。
そこには、85年に行ったインタビュー記事が再録されている。
まずは「映画版月光仮面」の大村文武。昔はテレビと映画でキャストが違うというのはよくあったが、「月光仮面」に関してはテレビ版の大瀬康一のほうが有名であろう。「遊星王子」は映画版(梅宮辰夫)とテレビ版(村上不二夫)じゃ、今でも見かける梅宮の方が断然有名だろうが、遊星王子自体を知らない人が大半であろう。
大村文武は東映ニューフェース3期生で、同期には里見浩太郎などがいた。1期先輩である高倉健や今井健二と同じ明治大学を卒業して、東映に入社したが1年近く役がつかなかったという。そんなある日、撮影所のベンチで胃痛に苦しんでいるところ、通りかかったのが美空ひばり。胃薬をくれたことが縁で美空ひばり、高倉健、春日八郎が出演した「青い海原」(57年)のチンピラ役でデビューできたのだという。その後もひばり主演の「べらんめえ芸者」や「娘十八御意見無用」などに出演している。「月光仮面」に選ばれた経緯は不明だが、「青い海原」の監督である小林恒夫は、「月光仮面」(58年)の監督でもあるので、そこからの抜擢かもしれない。
66年に東映を退社した後は、もっぱらテレビの悪役専門で、70年代の終わりまでは出演記録もある。インタビューを受けた85年当時は群馬県前橋市でナイトレストランのマスターをしていた。当時49歳だったが、役者を引退したつもりはないと語っていた。このとき、「七色仮面」の波島進も同じ群馬の桐生にいるらしいよという情報を与えてくれている。
先日、波島の娘が「なんでも鑑定団」に出演していたが、そこから波島が95年に亡くなっていることが判明した。
もう一人、特撮というジャンルではない気がするが「少年ケニヤ」(61年)で、主役のワタル少年を演じた山川ワタルのインタビュー記事も再録されていた。少年ケニヤの後は映画版の「黄金バット」(65年)に出演したり、成人後も杉良太郎主演のドラマ「喧嘩太郎」(68年)に出演したりしていたが、70年代以降の消息が自分の調べでは不明で、死亡説も流れていた。
しかし、この85年当時は37歳で、吉祥寺にある実家の骨董店を手伝いながら、プレイガイドの代表も務めていたことがわかる。妻は女優だったというが、誰のことかは不明である。
大村も山川も85年当時は明るくインタビューに答えていたようだが、13年現在、共に消息は不明のようである。
そこには、85年に行ったインタビュー記事が再録されている。
まずは「映画版月光仮面」の大村文武。昔はテレビと映画でキャストが違うというのはよくあったが、「月光仮面」に関してはテレビ版の大瀬康一のほうが有名であろう。「遊星王子」は映画版(梅宮辰夫)とテレビ版(村上不二夫)じゃ、今でも見かける梅宮の方が断然有名だろうが、遊星王子自体を知らない人が大半であろう。
大村文武は東映ニューフェース3期生で、同期には里見浩太郎などがいた。1期先輩である高倉健や今井健二と同じ明治大学を卒業して、東映に入社したが1年近く役がつかなかったという。そんなある日、撮影所のベンチで胃痛に苦しんでいるところ、通りかかったのが美空ひばり。胃薬をくれたことが縁で美空ひばり、高倉健、春日八郎が出演した「青い海原」(57年)のチンピラ役でデビューできたのだという。その後もひばり主演の「べらんめえ芸者」や「娘十八御意見無用」などに出演している。「月光仮面」に選ばれた経緯は不明だが、「青い海原」の監督である小林恒夫は、「月光仮面」(58年)の監督でもあるので、そこからの抜擢かもしれない。
66年に東映を退社した後は、もっぱらテレビの悪役専門で、70年代の終わりまでは出演記録もある。インタビューを受けた85年当時は群馬県前橋市でナイトレストランのマスターをしていた。当時49歳だったが、役者を引退したつもりはないと語っていた。このとき、「七色仮面」の波島進も同じ群馬の桐生にいるらしいよという情報を与えてくれている。
先日、波島の娘が「なんでも鑑定団」に出演していたが、そこから波島が95年に亡くなっていることが判明した。
もう一人、特撮というジャンルではない気がするが「少年ケニヤ」(61年)で、主役のワタル少年を演じた山川ワタルのインタビュー記事も再録されていた。少年ケニヤの後は映画版の「黄金バット」(65年)に出演したり、成人後も杉良太郎主演のドラマ「喧嘩太郎」(68年)に出演したりしていたが、70年代以降の消息が自分の調べでは不明で、死亡説も流れていた。
しかし、この85年当時は37歳で、吉祥寺にある実家の骨董店を手伝いながら、プレイガイドの代表も務めていたことがわかる。妻は女優だったというが、誰のことかは不明である。
大村も山川も85年当時は明るくインタビューに答えていたようだが、13年現在、共に消息は不明のようである。
快傑ハリマオ
前回、水木襄は晩年を青森で過ごしたと書いたが、今回も青森続きである。
「快傑ハリマオ」(60~61年)のハリマオ役・勝木敏之は青森の出身だったのである。勝木は俳優座養成所の8期生で、同期には山崎努、山本耕一、河内桃子などがいた。一般公募で選ばれ、芸名は宣弘社の社長である小林利雄が自ら命名したという。ちなみに本名は長内章蔵というらしい。「ハリマオ」以外には、同じ宣弘社の「隠密剣士」に敵役で出演した記録があるのみで、早々と姿を消してしまったようである。
勝木の話は後にして、「ハリマオ」についてだが、本作は国産初のカラーテレビ映画の肩書きを持つ。1~5話のみだが、カラー作品なのである。カラーテレビの普及があまり進んでいない時代なので、生でカラーのハリマオを見た人はほとんどいないと思われる。
そして、もちろん当時としては画期的な香港、タイ、バンコク、そしてカンボジアはアンコールワットへのロケを敢行している。カンボジアはもちろんポル・ポト時代の前である。
さらに主題歌を歌ったのは三橋美智也。番組を見たことはなくとも、「♪ぼぉくらぁのハリマオ~」という歌を聞いたことがある人は多いのではないだろうか。ちなみに、レコーディングの時間がとれず、カラー放送が終わった6話からの使用だったということである。
いろいろ話題の多かった本作だが、出演者は牧冬吉、童謡歌手だった近藤圭子を除けば、勝木を含めて今となっては「誰?」という人が多い。太郎少年は最初の1クールのみ町田泉で、以降は内藤雅之が演じている。町田は後にぷろだくしょんバオバブを立ち上げ、アーツビジョンの代表取締役を務めるなど声優業界で活躍した。内藤は「鉄人28号実写版」(60年)では内藤正一の名で主人公の正太郎を演じている。叔父がカメラマンだった影響で本人もカメラマンとなり円谷プロに入社し、光学撮影部でいろんな作品に携わったという。
ハリマオの正体は海軍中尉大友道夫だが、その恋人を演じたのがSKD出身の江島慶子。実は江島の出身地は青森県八戸市で、前述のとおり勝木も青森の出身。さらに「60年代蘇る特撮ヒーロー」の著者である石橋春海も青森出身ということで、石橋の母が江島の実家を知っていたという。そこから石橋は、勝木が五反田で居酒屋をやっていたという情報および現住所も入手したという。しかし、店は既になく、聞き出した住所には勝木の本名である「長内」という表札があったが誰も出ず、電話をしても「人違いです」と切られたという。青森にある勝木の実家も割り出したが、やはり電話しても切られたという。
存命ならば80歳になるようだが、周囲も過去には触れられたくないようである。
「快傑ハリマオ」(60~61年)のハリマオ役・勝木敏之は青森の出身だったのである。勝木は俳優座養成所の8期生で、同期には山崎努、山本耕一、河内桃子などがいた。一般公募で選ばれ、芸名は宣弘社の社長である小林利雄が自ら命名したという。ちなみに本名は長内章蔵というらしい。「ハリマオ」以外には、同じ宣弘社の「隠密剣士」に敵役で出演した記録があるのみで、早々と姿を消してしまったようである。
勝木の話は後にして、「ハリマオ」についてだが、本作は国産初のカラーテレビ映画の肩書きを持つ。1~5話のみだが、カラー作品なのである。カラーテレビの普及があまり進んでいない時代なので、生でカラーのハリマオを見た人はほとんどいないと思われる。
そして、もちろん当時としては画期的な香港、タイ、バンコク、そしてカンボジアはアンコールワットへのロケを敢行している。カンボジアはもちろんポル・ポト時代の前である。
さらに主題歌を歌ったのは三橋美智也。番組を見たことはなくとも、「♪ぼぉくらぁのハリマオ~」という歌を聞いたことがある人は多いのではないだろうか。ちなみに、レコーディングの時間がとれず、カラー放送が終わった6話からの使用だったということである。
いろいろ話題の多かった本作だが、出演者は牧冬吉、童謡歌手だった近藤圭子を除けば、勝木を含めて今となっては「誰?」という人が多い。太郎少年は最初の1クールのみ町田泉で、以降は内藤雅之が演じている。町田は後にぷろだくしょんバオバブを立ち上げ、アーツビジョンの代表取締役を務めるなど声優業界で活躍した。内藤は「鉄人28号実写版」(60年)では内藤正一の名で主人公の正太郎を演じている。叔父がカメラマンだった影響で本人もカメラマンとなり円谷プロに入社し、光学撮影部でいろんな作品に携わったという。
ハリマオの正体は海軍中尉大友道夫だが、その恋人を演じたのがSKD出身の江島慶子。実は江島の出身地は青森県八戸市で、前述のとおり勝木も青森の出身。さらに「60年代蘇る特撮ヒーロー」の著者である石橋春海も青森出身ということで、石橋の母が江島の実家を知っていたという。そこから石橋は、勝木が五反田で居酒屋をやっていたという情報および現住所も入手したという。しかし、店は既になく、聞き出した住所には勝木の本名である「長内」という表札があったが誰も出ず、電話をしても「人違いです」と切られたという。青森にある勝木の実家も割り出したが、やはり電話しても切られたという。
存命ならば80歳になるようだが、周囲も過去には触れられたくないようである。
その後の忍者部隊
2年程前に、「水木襄の晩年」という記事を書いたりしたのだが、せっかく「忍者部隊月光」の話題が出たところなので、改めてその辺のところに触れてみたい。
「忍者部隊月光」の出演者が縁のある番組といえば、やはり「特別機動捜査隊」(61~77年)ということになる。水木襄(月光)は501話(71年)より役名はそのままの水木刑事として約5年ほど出演したようである。山口暁(名月)もいろんな役でゲスト出演した後、448話(70年)でやはり役名そのままの山口刑事として登場。しかし、あまり登場しなかったようで、75年頃になって今度は神谷刑事として(芸名も山口あきら)番組ラストまで、セミレギュラー的に出演していたようだ。レギュラーがかぶっていた時期もあり、二人がともに特捜隊刑事として共演した回もあったようである。石川竜二(月輪)もこの番組にはよくゲストで顔を出していたが、犯人役とか大きな役はなかったような気がする。この番組はよく聞いたこともないような歌手がクラブとかで歌っているシーンがあったりするのだが、石川竜二も一度歌っていたことがあったと思う。歌手としてデビューしたのだろうか。あと、浅沼創一(新月)なんかもゲスト出演している。悪役(幻仮面)を演じた松原光二も、こちらでは松山刑事として6年ほど出演していた。
特に水木襄などは、この番組が最後のレギュラーであり、76年頃に番組から降板すると表舞台から姿を消した形になる。「60年代蘇る特撮ヒーロー」によると、81年頃に俳優に見切りをつけ、青森県八戸市に移り知り合いがやっていた「貴族院」という高級クラブの営業部長をやっていたようである。そこに載っていたインタビュー記事も85年当時のもので、八戸時代のものである。しかし、その6年後である91年に自殺してしまう。どうやら、まだ八戸にいたらしい。八戸の仕事仲間によれば「彼はスターとしての姿勢は崩さなかった」という。自室の壁には自分が出演した映画やドラマの写真がびっしりと貼ってあったという。享年53歳であった。
遡ること5年の86年、山口暁(当時の芸名は豪久)は俳優業の傍ら夫人の親戚が営む食品会社の幹部としても活動していた。桜美林高校の学生食堂の店長をやっていたといい、「ライダーマンのおじさん」などと呼ばれていたようである。しかし、癌に冒され41歳の若さで急逝する。
そして、石川竜二。彼に関しての情報はほとんどないのだが、99年より前には亡くなっているらしい。最大でも50代の半ばということになると思われる。
つまり、「忍者部隊月光」全130回にフル出演した3人はみんな若くして亡くなったということになる。今更ながら合掌。
「忍者部隊月光」の出演者が縁のある番組といえば、やはり「特別機動捜査隊」(61~77年)ということになる。水木襄(月光)は501話(71年)より役名はそのままの水木刑事として約5年ほど出演したようである。山口暁(名月)もいろんな役でゲスト出演した後、448話(70年)でやはり役名そのままの山口刑事として登場。しかし、あまり登場しなかったようで、75年頃になって今度は神谷刑事として(芸名も山口あきら)番組ラストまで、セミレギュラー的に出演していたようだ。レギュラーがかぶっていた時期もあり、二人がともに特捜隊刑事として共演した回もあったようである。石川竜二(月輪)もこの番組にはよくゲストで顔を出していたが、犯人役とか大きな役はなかったような気がする。この番組はよく聞いたこともないような歌手がクラブとかで歌っているシーンがあったりするのだが、石川竜二も一度歌っていたことがあったと思う。歌手としてデビューしたのだろうか。あと、浅沼創一(新月)なんかもゲスト出演している。悪役(幻仮面)を演じた松原光二も、こちらでは松山刑事として6年ほど出演していた。
特に水木襄などは、この番組が最後のレギュラーであり、76年頃に番組から降板すると表舞台から姿を消した形になる。「60年代蘇る特撮ヒーロー」によると、81年頃に俳優に見切りをつけ、青森県八戸市に移り知り合いがやっていた「貴族院」という高級クラブの営業部長をやっていたようである。そこに載っていたインタビュー記事も85年当時のもので、八戸時代のものである。しかし、その6年後である91年に自殺してしまう。どうやら、まだ八戸にいたらしい。八戸の仕事仲間によれば「彼はスターとしての姿勢は崩さなかった」という。自室の壁には自分が出演した映画やドラマの写真がびっしりと貼ってあったという。享年53歳であった。
遡ること5年の86年、山口暁(当時の芸名は豪久)は俳優業の傍ら夫人の親戚が営む食品会社の幹部としても活動していた。桜美林高校の学生食堂の店長をやっていたといい、「ライダーマンのおじさん」などと呼ばれていたようである。しかし、癌に冒され41歳の若さで急逝する。
そして、石川竜二。彼に関しての情報はほとんどないのだが、99年より前には亡くなっているらしい。最大でも50代の半ばということになると思われる。
つまり、「忍者部隊月光」全130回にフル出演した3人はみんな若くして亡くなったということになる。今更ながら合掌。
忍者部隊月光 その2
前回の続きである。23話より半月(小島康則)というガキんちょが加わる。ちなみにセリフは声優・朝井ゆかりによる吹き替えであった。主役の水木襄はインタビューで「子供の半月だけは余計だった。子供番組だから子供を入れるというのは安直」とバッサリ。個人的には大賛成な意見である。特撮にしろアニメにしろ、一人だけ子供が混じっているというのは、よくあったシチュエーションだが、「このガキは邪魔だなあ」と自分自身が子供だったくせにそう思ったものである。子供番組だからと子供に媚びる必要はないのだと個人的には思っている。
新月(浅沼創一)は51話で降板するが、しばらくは月光、名月、月輪、銀月、半月という構成が続く。
104話で半月は降板し、番組3年目は流月(手塚しげお)や満月(山本磯六)、女性隊員の夕月(吉田亜矢)らが登場する。
手塚しげおは17歳のときドラマ「矢車剣之助」(59年)では主役を演じ、62年には高橋元太郎が脱退した後のスリーファンキーズのメンバーとなる。スリーファンキーズが解散し、ソロ歌手になっていた頃の出演だが、10回ほどしか登場していない。
山本磯六=山本正明で、おデブな役者である。60年代から日活映画に出演し、テレビに移ってからは山本磯六の名を使っていたが、68年に正明に戻している。「柔道一直線」(城山大作)や「ウルトラマンA」(今野隊員)の出演が有名である。
悪役に目を向けると、二年目から登場するマキューラ団の女幹部M三号を演じるのは浜村美智子である。かつて「バナナ・ボート」のカバーを大ヒットさせた歌手がなぜか悪役で、しかも1年にわたって登場したのである。映画には数本出演しているが、女優活動はあまり行っておらず謎といえば謎である。マキューラ編のラスト数回に首領として登場したのが友田輝。59年に大映からデビューし、主演作もあった役者だが、すぐに脇にまわるようになり62年には大映を退社。テレビに活動の場を映し、「隠密剣士」などに出演しているが、67年頃に姿を消している。
番組3年目に登場したまぼろし同盟の首領を演じたのは松原光二。悪役イメージのほとんどない役者で、この後「特別機動捜査隊」で刑事役をしばらく務めることになる。新東宝末期の主演俳優でもあった。「月光」を製作した国際放映は新東宝の解散により誕生した会社なので、その縁でのキャスティングであろう。
118話より番組タイトルは「新忍者部隊月光」となり、まぼろし同盟の首領が前述の友田輝になっている。しかし、1クールのみで番組自体が終了している。
新月(浅沼創一)は51話で降板するが、しばらくは月光、名月、月輪、銀月、半月という構成が続く。
104話で半月は降板し、番組3年目は流月(手塚しげお)や満月(山本磯六)、女性隊員の夕月(吉田亜矢)らが登場する。
手塚しげおは17歳のときドラマ「矢車剣之助」(59年)では主役を演じ、62年には高橋元太郎が脱退した後のスリーファンキーズのメンバーとなる。スリーファンキーズが解散し、ソロ歌手になっていた頃の出演だが、10回ほどしか登場していない。
山本磯六=山本正明で、おデブな役者である。60年代から日活映画に出演し、テレビに移ってからは山本磯六の名を使っていたが、68年に正明に戻している。「柔道一直線」(城山大作)や「ウルトラマンA」(今野隊員)の出演が有名である。
悪役に目を向けると、二年目から登場するマキューラ団の女幹部M三号を演じるのは浜村美智子である。かつて「バナナ・ボート」のカバーを大ヒットさせた歌手がなぜか悪役で、しかも1年にわたって登場したのである。映画には数本出演しているが、女優活動はあまり行っておらず謎といえば謎である。マキューラ編のラスト数回に首領として登場したのが友田輝。59年に大映からデビューし、主演作もあった役者だが、すぐに脇にまわるようになり62年には大映を退社。テレビに活動の場を映し、「隠密剣士」などに出演しているが、67年頃に姿を消している。
番組3年目に登場したまぼろし同盟の首領を演じたのは松原光二。悪役イメージのほとんどない役者で、この後「特別機動捜査隊」で刑事役をしばらく務めることになる。新東宝末期の主演俳優でもあった。「月光」を製作した国際放映は新東宝の解散により誕生した会社なので、その縁でのキャスティングであろう。
118話より番組タイトルは「新忍者部隊月光」となり、まぼろし同盟の首領が前述の友田輝になっている。しかし、1クールのみで番組自体が終了している。
忍者部隊月光
前回の「まぼろし探偵」に続き、ムック本「60年代蘇る昭和特撮ヒーロー」からの話題である。昔ここでも取り上げたと思うが改めて「忍者部隊月光」(64~66年)である。
世代的にもきちんと見たことがないし、10年以上前だがスカパーでもやっていたのだが、何故かほとんど見ることがなかったのである。しかし「馬鹿!撃つやつがあるか。拳銃は最後の武器だ。我々は忍者部隊だ!」というオープニングは誰もが知るところであろう。
忍者部隊のスタートメンバーは、主演の月光(本名・月田光一)が水木襄、名月(本名・山名月之助)が山口暁、月輪が石川竜二、月影が渚健二、三日月が森槙子という面々である。
水木は東映第4期ニューフェース出身で、同期に山城新伍、佐久間良子、室田日出男など。62年頃までは佐久間良子とのコンビで主演などもあったが、次第にスクリーンから遠ざかり、経緯は不明だが、今回の主演となっている。
山口暁は後にライダーマンや電人ザボーガーなどのヒーローを演じることになるが、当時はまだ10代で本作がデビューの新人であった。石川竜二は詳細が不明だが、子役から活動していたようで、彼も番組スタート時は10代だったようである。この三人は第1話から最終話まで出演し続けるが、残りのメンバーはよく交代していた。月影は18話で殉職。三日月も33話にてロンドンへ転属という形で番組を去っている。
前述のムック本に水木襄の生前のインタビューが載っているのだが、これについて二人が恋愛関係にあったことが原因であることを示唆している。現場へ遅刻したり、チームワークを乱すことがあった、と水木は語っており、その為に降板させられたというのが真相だったようである。
月影役の渚健二と名月役の山口暁は「戦え!マイティジャック」(68年)でも共に隊員役で共演することになるが、これは両番組のフジテレビプロデューサーが新藤善之だったことによるキャスティングだったらしい。ここでも渚健二は共演者キラーぶりを発揮し、女性隊員役だった江村奈美とデキてしまい、ついには結婚してしまったのである。渚の女グゼは治らなかったようである。
話を戻すと第1話には月明なる隊員が登場するが、あっさりと殉職。演じていたのが声優としてブレイクする前の広川太一郎だったことは有名かもしれない。
月影の後任として浅沼創一演じる新月が登場。三日月の後任として加川淳子演じる銀月が登場した。三日月役の森槙子は美人だとの評判があるが本作の劇場版を最後に引退してしまったようである。渚とも別れたようだし、出続けていたら女優としてはどうなったのであろうか。女性隊員はこの二人だけというイメージだが、実は第3話~4話に園浦ナミ演じる夕月が登場している。しかし、それっきり登場することはなかったのである。
世代的にもきちんと見たことがないし、10年以上前だがスカパーでもやっていたのだが、何故かほとんど見ることがなかったのである。しかし「馬鹿!撃つやつがあるか。拳銃は最後の武器だ。我々は忍者部隊だ!」というオープニングは誰もが知るところであろう。
忍者部隊のスタートメンバーは、主演の月光(本名・月田光一)が水木襄、名月(本名・山名月之助)が山口暁、月輪が石川竜二、月影が渚健二、三日月が森槙子という面々である。
水木は東映第4期ニューフェース出身で、同期に山城新伍、佐久間良子、室田日出男など。62年頃までは佐久間良子とのコンビで主演などもあったが、次第にスクリーンから遠ざかり、経緯は不明だが、今回の主演となっている。
山口暁は後にライダーマンや電人ザボーガーなどのヒーローを演じることになるが、当時はまだ10代で本作がデビューの新人であった。石川竜二は詳細が不明だが、子役から活動していたようで、彼も番組スタート時は10代だったようである。この三人は第1話から最終話まで出演し続けるが、残りのメンバーはよく交代していた。月影は18話で殉職。三日月も33話にてロンドンへ転属という形で番組を去っている。
前述のムック本に水木襄の生前のインタビューが載っているのだが、これについて二人が恋愛関係にあったことが原因であることを示唆している。現場へ遅刻したり、チームワークを乱すことがあった、と水木は語っており、その為に降板させられたというのが真相だったようである。
月影役の渚健二と名月役の山口暁は「戦え!マイティジャック」(68年)でも共に隊員役で共演することになるが、これは両番組のフジテレビプロデューサーが新藤善之だったことによるキャスティングだったらしい。ここでも渚健二は共演者キラーぶりを発揮し、女性隊員役だった江村奈美とデキてしまい、ついには結婚してしまったのである。渚の女グゼは治らなかったようである。
話を戻すと第1話には月明なる隊員が登場するが、あっさりと殉職。演じていたのが声優としてブレイクする前の広川太一郎だったことは有名かもしれない。
月影の後任として浅沼創一演じる新月が登場。三日月の後任として加川淳子演じる銀月が登場した。三日月役の森槙子は美人だとの評判があるが本作の劇場版を最後に引退してしまったようである。渚とも別れたようだし、出続けていたら女優としてはどうなったのであろうか。女性隊員はこの二人だけというイメージだが、実は第3話~4話に園浦ナミ演じる夕月が登場している。しかし、それっきり登場することはなかったのである。