
紅葉の季節ということで、紅葉狩りに行ってきました。
場所は埼玉県の武州嵐山です。
京都の嵐山に似ているということで同じ嵐山の地名を名乗り、小京都とも言われていますが、全然ちゃいますね。

駅前の観光案内所でレンタサイクルをやっているので、自転車を借りました。
用意してある自転車が電動アシスト自転車で、初めて電動アシスト自転車に乗りました。
まず乗り方から教わりましたが、ペダルを漕ぐと押されるような感覚でした。途中、上り坂がありましたが、押される感覚に従って軽く漕ぐと楽です。
紅葉は所々咲いています。

事前に調べたところ飲食店の数が少ないので、弁当を持参しました。
ピタパンのサンドイッチです。
中身は、ひとつは辛子とマヨネーズを内側に塗って玉ねぎとしめじ入りのオムレツ、もうひとつは辛子とトマトケチャップを内側に塗ってコルニッションとハンバーグです。

オオムラサキの森が気になったので行ってみました。

建物の中は、ジャコウアゲハ、ミヤマアゲハ、オオムラサキの標本、そしてオオムラサキの一生が展示されていました。

オオムラサキの森の近くは、色づいています。

菅谷館跡という、中世の城趾の紅葉です。

自転車なので、数十分ほど走って丸木美術館に来ました。
いろいろな意味で気になっていました。
展示順路はまず2階からというので、階段を登って2階の展示室から。
丸木位里氏による、原爆の惨禍を墨で描いた初期の襖絵のシリーズは、重みが感じられました。
圧倒されますし、作品としても見てよかったです。
2階の展示室は、原爆被害を描いた襖絵のシリーズが複数あります。
一部、愛知県立芸術大学で絵画修復中で複製の展示もありましたが、シリーズとしてまとまった形で見ることができてよかったです。
さて階段を降りて、1階の展示室へ。
こちらは強制連行、第五福竜丸、水俣病、三里塚闘争、南京大虐殺と、左翼と闘争課題の詰め合わせのような作品群れになっていく。ちょっとこれは、という感じですね。
また展示室の廊下には、関東近隣の中学校の寄せ書きが貼られていましたが、「戦争はダメ、話し合い解決」といったものがあったり、「自主的に考えて」というのに全員が一様に同じ論調なのは疑問に思いますね。
描き手の思いと、それがプロパガンダ芸術としての反戦絵画となっていくあり方などを考えていく機会でもありました。
パブロ・ピカソも1937年にナチス・ドイツ空軍によるスペインのゲルニカ空爆を描いた『ゲルニカ』を発表した後、作品はニューヨークに渡ったが評価は芳しくなく、「神話」化されて持ち上げられるようになるのは第二次大戦後です。
そしてピカソ自身も戦後、共産党に入党し、朝鮮戦争をテーマにした『朝鮮の虐殺』という絵画を描いていますが、北朝鮮側に立って描いています。
のちに朝鮮戦争は北朝鮮が仕掛けたことが明らかになっていますが、冷戦時代は韓国、北朝鮮はお互いに相手側が仕掛けたと言い合っていました。
芸術と政治という問題については、そこからイデオロギーと党派性という問題は、大きく関わってくるという問題があると思います。
文芸批評家の吉本隆明が1983年に『「反核」異論』という本を書いたことがあります。その中で吉本隆明は、当時、レーガン政権下での核軍拡の懸念に対して左派系の文学者を中心に署名運動が立ち上がっていましたが、吉本隆明はこの反核運動に対して、ポーランドの民主化勢力である自主管理労組「連帯」をヤルゼルスキ政権が戒厳令を発動して弾圧したことをそらすためのものと批判。ソ連の核武装を批判せずアメリカの核武装だけを批判する反核運動など、ソフト・スターリニズムの政治運動にほかならないと喝破します。
それに対して、当時の平和運動家や左派運動家らが反撥しますが、ニュー・アカデミズムなどの若い知識人らは吉本隆明を支持、文化の場における左翼の「権威」に対する反抗を含んだ批判として展開したことがあります。
そして、反核や左派・平和運動の側は、当時から何ひとつ成長していないとも思った次第です。
見終わったら、再び自転車を駆け巡り、武蔵嵐山を後に帰路につきました。