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Ternod Official blog

哲学思想研究、文人画。 反緊縮行動(Anti-Austerity Action)〔生ー政治(Bio-politique)に抵抗する自律労働者(Autonomia Operaia)〕。 ブラック・ミュージックをこよなく愛す。レコード/CD店、古本屋、美術館などで出没することが多いです。

いま、先月描いた油彩画《Deus Ex Machina》を、宅配便にて配送しました。
複数の会社に見積もりを出したところ、佐川急便が対応が良く、価格も手頃だったので、佐川急便で送りました。
しかし、現場で払った金額は、佐川急便のサイトで荷物のサイズを入力して出した金額よりも、はるかに安かったです。

しばし作品に別れを告げます。
ご武運を!

ちなみに同作品は、こちらにて解説しています。

http://ameblo.jp/ternod/entry-12253099922.html

 

 

今日の昼食は、スパゲティ・カルボナーラをつくりました。

 

具は炒めたベーコンと玉ねぎ、そしてフライパンにゆでたスパゲティを投入してパルメザン・チーズを多めに入れてから、卵黄を加えました。

最初は卵黄1個で十分だろうと思いましたが、スパゲティと絡めているうちに硬くなってきたので、すぐに全卵1個を投入して、なんとかうまくいきました。

いまの街に住んで以来、よく買っている鶏卵が、色が濃くねっとりと硬めなので、戸惑います。

卵だけでつくると、時々こういうことが起こります。

 

カルボナーラには、生クリームを入れるレシピもありますが、生クリームを入れると卵の味がぼやけるので、私はカルボナーラは、卵だけでつくることが多いです。

お皿に盛りつけてから、黒胡椒を振って完成です。

 

また、カルボナーラには、生の卵黄を絡ませる作り方と、昔の喫茶店のカルボナーラに見られたような、全卵をスクランブルエッグ状に炒めてスパゲティをからめる作り方もあります。

私は時々、後者の作り方をすることもあります。

 

そこは、その時の気分と、卵が消費期限に近いかどうかによって決まります。冷蔵庫に入っている卵が消費期限間近のものなら、スクランブルエッグ状に炒めた卵のカルボナーラにします。

 

昨年暮れから閉店していた阪急西宮ガーデンズのフードコートが、先日リニューアル・オープンしました。

それに伴い、フードコートの出店も一新されましたが、『北極星』が出店するため、久々に『北極星』のオムライスが食べたくなり、行ってきました。

 

北極星』とは、大阪・心斎橋に本店がある老舗の洋食店で、いわゆるケチャップライスを焼いた玉子で包んだオムライス発祥の店としても知られています。

今回食べたのは、チキンオムライス。

ご飯の味付けに使っているケチャップは、ケチャップに日本酒や醤油で割った独自のもので、薄味なのが特徴です。

 

ケチャップライスが透けて見えそうな薄焼きのオムレツの内側は、とろとろの半熟で、ケチャップライスに玉子が絡まるところが美味しいのです。

オムライスにかかっているソースはトマトソースですが、ケチャップライスと同様に控えめな味なので、玉子の味や香りも感じられます。

 

また、ガリを添えてあるのも同店の特徴です。

時々、口直しにかじるのに最適です。

 

今回はチキンオムライスにしましたが、これまで同店では、ビーフオムライスを何度か食べています。

ビーフオムライスは、牛肉の存在感が感じられます。

 

今夜は、厚揚げの煮物をつくりました。
数日前、スーパーマーケットで半額に値引きされていた厚揚げを買い、厚揚げは傷みやすいので冷凍保存していましたが、その冷凍した厚揚げでつくりました。

作り方は、まず半月切りにした大根を水から煮込み、そこに白だし、日本酒、醤油、みりんを加えてから冷凍厚揚げを入れ、大根と厚揚げ爪楊枝が通ったら、小松菜、九条ねぎを加えてしんなりしたら完成です。

冷凍した厚揚げは、やや食感が変わりますが、出汁が染みやすくなって美味しいです。

他には、大根の皮と九条ねぎのみそ汁、大安のすぐき漬け、戎橋をぐらやの塩昆布です。

 

今夜はぶりの照り焼きです。

 

フライパンで焼きましたが、蓋をして両面をカリッと焼き固めてから日本酒を回しかけて蒸し焼きにして、仕上げに醤油、みりん、 砂糖をかけて煮詰めて完成。

フランス料理のポワレの焼き方です。

 

大根のみそ汁は、大根おろしの汁でつくりましたので、大根の味が凝縮しています。
 

次回は、赤ワインソースかトマトソースで、ワインとバゲットで食べるフランス料理のぶり料理にしてみようと思います。

 

今夜は献立に迷った末、芙蓉蟹にしました。

といっても本物のカニではなく、カニカマですけど(笑)

 

見た目は甘酢あんの色が濃いめですが、醤油、ケチャップに加えて、酢に黒酢の鎮江香酢を使ったからでしょう。

玉子に味を付けていないので、ご飯に合わせるには濃すぎず薄すぎず、ちょうどいい味付けになりました。

 

玉子もしっとりとしたちょうどいい焼き加減で焼けて、
甘酢をからめても、玉子の香りが生きています。

 

今日、ブランチに牛豚合挽肉のカレーをつくりました。

 

具材は合挽肉を除けば、先週末につくった、吉備高原鶏のカレーで使ったベルギー産ミックスベジタブルとカレールーがそれぞれ半分残ったものを使いました。

 

そして夕食には、オムレツを乗せたオムカレーにしました。

ただし、オムレツはマーガリンで焼きましたが、マーガリン特有の匂いがあるし、味もいまいち。

オムレツはバターで焼くに限りますね。

それはともかく、カレーと卵料理の組み合わせは好きなので、オムレツ以外にもゆで卵、目玉焼き、生卵を乗せて食べたりします。

以下は、一ヶ月以上にFacebookにアップした記事ですが、こちらのブログにも再掲することにしました。

 

3月18日(土)の午後、大阪大学中之島センターにて、SWASH主催の講演会「セックスワーカーの安全、健康、権利――オーストラリアとアメリカの運動から」を聴いてきました。
SWASHとは、正式名称をSex Work and Sexual Healthといい、性風俗業などで働くセックスワーカーの健康や安全について活動をするグループです。

 

その講演会の質疑応答の時に、ある参加者がこのような質問をしていました。
「あるセックスワーカーが、自由意志でその仕事を選んだといっているが、セックスワーカーをはじめた動機には、生活のためにお金が必要ということだった。それは自由意志と呼べるのだろうか?」
というもので、それに対する講演者の回答は、次のような内容でした。
「本当はセックスワークをやりたくないとか、他の仕事がいいという場合なら、他の仕事を探す方向で考えます。複雑な問題を複雑な問題としてとらえ解決する」とのことで、その回答には、私も同感です。

セックスワークをめぐっては、一方にはセックスワーカーの自由意志によるものなら認めて合法化すべきとの考え方がある一方、1980年代以降、主にラディカル・フェミニズムを中心に、「社会関係の下では暗黙の強制によるものがある」から自由意志によるセックスワークなど存在しない、あらゆるセックスワークは強制売春だとする否定論があります。

 

自由意志をめぐる問題は、近代哲学の中で長い間議論になってきたことです。
それは決定論と自由意志論との対立から出てきた問題でもあります。決定論には、ひとつには神義論(世界のあらゆる動きは、すべて神の計画によるものとする考え方)と、もうひとつには機械論(世界のあらゆる動きは、すべて偶然によるものとする考え方)があります。そうした決定論者に対して、人間の行動に自由意志はありうるのかという問題意識によるものです。

そしてドイツの哲学者イマニュエル・カントによる人間観は、自由意志によって自己決定しうる自由な主体とするもので、いわば近代の人間観のもとになっています。
ただしカントは、人間の認識能力には限界があり、様々なアンチノミー(二律背反)に陥るとの問題も提起しています。

また、「自由意志によって自己決定しうる自由な主体」としての人間の精神とは、「無意識のエス(es=それ)」によって支配された客体にほかならないとの見方が、オーストリアの精神分析学者ジークムント・フロイトによってなされています。

もちろん人々の行動は、様々な社会関係のネットワークの中で、あるいはフランスの現代哲学者ミシェル・フーコーが述べたように、ある時代や社会の中でのエピステーメー(認識系)、あるいは「ミクロな権力関係」にも規定されていますので、そうした関係性から逃れたような意味での「自由意志」などありえません。
だが、このことは、あらゆる人間の行為に言えることであって、セックスワークだけに特有な問題として、セックスワークを否定する論拠にはなりえません。

 

このように考えた場合、自由意志とは相対的な概念であって、純粋無垢な意味での自由意志が存在するわけでもなければ、社会関係による規定性があるからといって、そこに自由意志が介在する余地がないとも言いきれないと思います。

そもそも、「自由意志」によるものだから肯定して、「社会関係の下では完全な自由意志など存在しない」から否定するというのは、単純化すぎるし論理が飛躍しています。

 

この問題は、すでに1997年には、『売る身体/買う身体』(青弓社)という本の中で、田崎英明氏が述べていることなのですが、ことセックスワークやポルノグラフィをめぐる問題になると、なぜか過去の議論が「なかった」かように忘却され、いまだに同じような議論が続いているという問題があります。
とくにセックスワークやポルノグラフィに否定的な人ほど、この種の議論を知らずに活動を始めたりするので、厄介です。

ようやく署名をして、一段落つきました。

 

 

《公園通りの風景》(第61回宝塚市展入選作)
カンヴァスに油彩
P20号(727×530mm)
2017年
 

2015年末から描きはじめた《Ground Zero》シリーズの一連の風景画という位置づけですが、元々は2008年に撮っておいた画像をもとにしています。
《Ground Zero》シリーズの作品を続けて描いていましたが、この公園通りの風景だけは、なかなか構想がまとまらず、画像を見ては考え、という状態でした。
だが、昨年末から今年始めにかけて描いていた《赤と黒》シリーズの次の作品を構想している中で、もっと前に進めるためにも、この《公園通りの風景》を勢いで描いてしまおうと思い、描いた次第です。

 

私にとっては、東京・渋谷の公園通りは、かつて「セゾン・カルチャー」と呼ばれた西武セゾングループを通じて紹介される現代芸術文化の発信地ですが、左端の山の手教会の隣には、かつては西武SEED館があり、SEED HALLでは前衛的な映画を上映していました。またPARCO Part 1にはパルコギャラリー、パルコブックセンターなどがあり、Part 2はインテリア雑貨店が入店していました。
いま使っている家具の中にも、PARCO Part 2で買った物が何点かあります。

 

だが、PARCO Part 2は耐震強度の問題で、3007年末には閉館となっており、PARCO Part 1も閉館し、いずれも取り壊して新しいビルが建てられる予定となっています。
数年後には、渋谷の風景は再開発によって一変するのでしょうが、再開発が始まった頃に移住した私の中では、渋谷の風景はこの絵画に描かれたままです。

 

そしてそれは、私にとっての、ある種の立場性につながるのだろうと思います。

 

今夜は、吉備高原鶏のカレーです。

吉備高原の鶏もも肉とベルギー産ミックスベジタブルのカレーでつくりました。

これだけで、業務スーパーの材料と分かってしまいますね(笑)

 

あと、あめ色玉ねぎを加えたところ、強いとろみが付きました。

味もコクが加わり、カレールーでつくったとは思えないくらい、深い味わいになりました。