[ご注意]
これは、妻が書いたこの記事「一度モラハラを受け入れてしまったら」の文面をそのまま引用し、自分なりに文書を付け足した記事となっています。
私には三年付き合った彼女がいました。
怒ったり中傷する事も無く、ほんわかした優しい彼女でした。
ある時、その彼女が、携帯の中に保存してあった前妻の写真を見てこう言いました。
「思ったより若くないね。ほうれい線も凄いし、これだったら私負けてないな」
この彼女の言葉に、私はかなり苛ついたのを覚えています。
必死になって前妻を庇いました。
「いや、これは単に写真移りが悪かっただけだよ。実物はもっと若いよ!」
むきになって反論する私を見て、彼女は完全に引いていました。
言った後に、不思議な気持ちになりました。
何故私は、ここまで私を傷つける前妻を庇っているのだろう。
どうして、私は前妻をけなされて苛ついたのだろう。
そう言えば、前妻の愚痴は方々で言っていました。
愚痴を聞いた友人は、前妻に非があるのでは無いか?と言います。
しかしそれを聞いた、愚痴を吐いている当の本人が、
「いや、あいつだって頑張ってるんだよ」
とか、
「いや、俺にも悪い所があるんだよ」
と、前妻を庇う発言を繰り返しました。
思えば本当におかしな言動です。
愚痴を方々で言う程、耐えられないくらい出来損ないの妻なのです。
そして当然の事ながら、それを聞いた人は出来損ないの評価を下すのです。
しかし、出来損ないだと言い出した当の本人が、その出来損ないを庇うのです。
当時、私はこの矛盾した自分の言動を理解する事が出来ませんでした。
共依存に関して、以前考察記事で詳しく論じました。
まだご覧になっていない方はこちらからどうぞ→共依存の恐怖
前妻と私は、共依存によって別々の人間でありながら、一人の人間のようにぴったりと重なっていたのです。
そう、まるで陰と陽のように。
前妻と私は、一人の人間でした。
ですから、けなされたら苛つきますし、出来損ないだと言われれば反論もしますし、庇ったりもするのです。
だってそうでしょう?
誰だって、自分自身をけなされたり、出来損ないだと言われたら、苛つきますし、反論もするでしょう。
共依存状態。
これがモラハラ加害者と被害者の関係性であり、それ故被害者は加害者を庇う発言を繰り返してしまうのです。
でも、少し客観的にご自分を見つめて下さい。
本来は別々の人間なのです。
それが一つの人間になっている事が、いかに異常で気味の悪い事かを。
ロイコクロリディウム。
これは、カタツムリ専門の寄生虫の名前です。
カタツムリは、普段葉っぱの裏側などの陰にいますが、
明るいところや目立つところの本来嫌いなカタツムリを、
鳥に捕食させるためです。
そして今度は、鳥に寄生して成虫に育つという戦略を取ります。
この寄生虫の宿主となったカタツムリは、
動画はさらに気持ち悪いです。
目を背けずにご覧になって下さい。
自己愛性人格障害者に標的にされ、それを許した人間は、
例えば、夫婦のどちらかが自己愛性人格障害者だとします。
夫婦であれば、二人の人間が、
食事のメニュー、どこへ行くか、今日S●Xをするのか、
購入する家や車、親と同居する・しない、
あなたの望みはかないません。
二人でいるにもかかわらず、常に望みがかなうのは、
自己愛性人格障害者だけです。
(
しかも、この状態が進行すると、それがさほどおかしいとは思わなくなるのです。
(なのに苦しみだけは強くなるので、
何故なのか?
それは、あなたもその生き方を選んでいるからなのです。
それを、共依存と呼びます。
あなたは思っているはずです。
「この人は、私がいてあげないと、ダメになる」
こんな風にも感じているはずです。
「俺は強くて力がある、コイツの人生を、俺が幸せにしてやる」
それは、愛でも親切心でもありません。
一種の傲慢です。
あなたは、自分が相手より上だとして、相手を見下しているから、「対等な関係」よりも「保護者」になることを望んだのです。
相手の言うことをすべて受け入れることを「愛」だとして、その愛を示せる「度量」を持っていると自己過信しているのです。
また、あなたはこの点を認めることが、出来ないのです。
「同じ人間なのだから、この人だって心を持っているはずだ」
「私の気持ちが、いつか響くはずだ」
こういう理由で、認められないのです。
「だって、そうならなきゃ、
「こんなに時間をかけて、何度も何度も繰り返し言った、
あきらめるべきです。
執着するのはやめましょう。
もう、分かっているはずです。
自己愛性人格障害者は、同じ人間ではないのです。
恩を仇で返すことが平気で出来る、人では無い何かなのです。
あなたの心の痛みなど、彼らは知りません。知りたいとも思っていません。
もう一度言います。
彼らは外見は人間です。
しかし中身は、人では無い何かなのです。
昆虫が本能で動いている、それに彼らは近いのです。
彼らは、あなたが示す「優しさ」を、「愛」
単に都合が良いので取り付き、
あなたは、考えなくてはいけません。
あなただけが与え続けるのは、正しい事ですか?
彼らだけが受け取り続けることに、
あなたの意志で、あなたの人生を生きていないあなたは、
寄生されたカタツムリと同じです。
グロテスクな生き物です。
すでに普通のカタツムリではありません。
それでもカタツムリはまだましです。
選んでそんな人生を送っていないからです。
しかしあなたは選び取ってしまった。
ですから、カタツムリ以下です。
共依存をされた人は、
共依存が深ければ深いほど、
しかし、その激痛を耐えてこそ、新しい人生が始まるのです。
私にも出来ました。
私に出来て、あなたに出来ないわけはありません。
大切なのは、一歩を踏み出す勇気です。
激痛は伴います。
しかしその一歩は、未来への大いなる一歩なのです。
前妻との地獄のような日々→目次
考察記事まとめ→目次