気まぐれ泥棒猫のブログに今日も来てくれてありがとう(^з^)-☆
↑お借りしたのニャ(⌒∇⌒)
今日はちょっと重いよ。
でも大事なことを伝えたいなって思っています。
読む人の立場や心の状態によっては、つらい内容になるかもです。
でも。
最後まで頑張ってついてきてね。
ロイコクロリジウム。
これ、寄生虫の名前です。
カタツムリ専門の寄生虫です。
カタツムリは、普段葉っぱの裏側などの陰にいますが、この寄生虫はカタツムリの脳を侵し、カタツムリを操ります。
明るいところや目立つところの本来嫌いなカタツムリを、そうした場所に行かせます。
鳥などに捕食させるためです。
そして、鳥に次は寄生して成虫に育つという戦略。
この寄生虫の宿主となったカタツムリは、普通のカタツムリの形状ではなくなるので、一目でわかります。
→寄生されたカタツムリの写真なのですが、グロテスクなので閲覧注意!
自己愛性人格障害者に標的にされ、それを許した人間は、最終的にはこのカタツムリと同じになります。
例えば、夫婦のどちらかが自己愛性人格障害者だとします。
夫婦であれば、二人の人間が、二人の意志によって同じ道を歩むのがあるべき姿ですが、自己愛性人格障害者とそのターゲットの歩みは、ほぼ一人の意志によって決定しています。
食事のメニュー、どこへ行くか、今日SEXするのか、そんな小さなことから、
購入する家や車、親と同居する・しない、子どもを作るかどうかまで、
あなたの望みはかないません。
二人でいるにもかかわらず、常に望みがかなうのは、
自己愛性人格障害者だけです。
(強行にターゲットが意思表示すれば聞き分けられることはありますが、それは自己愛性人格障害者にさほど関心のない場合のみ、しかもかなりしつこく恩に着せられる)
しかも、この状態が進行すると、
それがさほどおかしいとは思わなくなるのです。
(なのに苦しみだけは強くなるので、何が起こっているのかわからないまま病んでいくことになります)
なぜなのか?
それは、
あなたもその生き方を選んでいるからなのです。
それを、
共依存と呼びます。
あなたは思っているはずです。
「この人は、私がいてあげないと、ダメになる」
こんな風にも感じているはずです。
「俺は強くて力がある、コイツの人生、幸せにしてやる」
それは、愛でも親切心でもありません。
一種の傲慢です。
あなたは、
自分が相手より上だとして、相手を見下しているから、
「対等な関係」よりも「保護者」になることを望んだのです。
相手の言うことをすべて受け入れることを「愛」だとして、
その愛を示せる「度量」を持っていると自己過信しているのです。
また、あなたはこの点を認めることが、出来ないのです。
「同じ人間なんだから、この人だって心を持っているはずだ」
「私の気持ちが、いつか響くはずだ」
こういう理由で、認められないのです。
「だって、そうならなきゃ、私の努力や頑張りや忍耐が虚しすぎる」
「こんなに時間をかけて、何度も何度も繰り返し言った、報われないなんておかしい」
あきらめるべきです。
執着するのはやめましょう。
もう、わかっているはずです。
同じ人間ではないのです。
恩を仇で返すことが平気で出来る「もの」なのです。
あなたの心の痛みなど、彼らは知りません。知る力もありません。
人間でもなければ哺乳類でもない。
昆虫が本能で動いている、それに彼らは近いのです。
彼らは、あなたが示す「優しさ」を、「愛」だなんて評価していません。
「都合がいい」ので取り付き、ヒルのようにあなたの善意に吸血しているだけです。
あなたは、考えなくてはいけません。
あなただけが与えるのは、正しいのですか?
彼らだけが受け取り続けることに、なぜおかしいとは思わないのですか?
あなたの意志で、あなたの人生を生きていないあなたは、
寄生されたカタツムリと同じです。
グロテスクな生き物です。
すでに普通のカタツムリではありません。
それでもカタツムリはまだましです。
選んでそんな人生を送っていないからです。
あなたは選び取ってしまった。
カタツムリ以下です。
共依存をされた人は、自分と相手がほとんど同一の存在になりかけています。
共依存が深ければ深いほど、別れの際には我が身を引きちぎるような激痛を感じると言います。
しかし、その激痛を耐えてこそ、新しい人生が始まるのです。
開けるのです。
誰の指図もない、
自分が選び、漕ぎ出せる果てしない海が。