その5)小田さんの評伝「空と風と時と」を読む | IN THE WIND

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小田和正さんの評伝「空と風と時と 小田和正の世界」(追分日出子著、文藝春秋社)の224ページには、小田さんの中高の同級生でもあったYASSさんこと鈴木康博さんがオフコース脱退の意向を明らかにする場面が登場する。1980年12月中旬、小田さんとYASSさん、マネージャー2人とのミーティングでのことだった。


前年12月リリースのシングル さよなら 以降、オフコース人気が急上昇の最中で、バンドの念願だった自前のスタジオ建設についてマネージャーが説明しようとすると、YASSさんが自分はオフコースを辞めるつもりだからとスタジオ建設に待ったをかけたという。ファンの間ではよく知られたエピソードだ。


続く225ページ以降には、オフコースに途中加入した清水仁さん、大間ジローさん、松尾一彦さんの3人には、YASSさん脱退の意向は翌年3月に伝えられたと記述されている。ただ、勘のいい清水さんだけは異様な雰囲気に気付いてツアー中にマネージャーを問いただしてYASSさんの意向を知ったとも書かれている。


一方、ジローさん、松尾さんにはどのように伝えられたか具体的には本書では触れられていない。小田さんの評伝にはそこまでは不要だということだろうけれど、もっと事情を知りたい読者にはやや消化不良かもしれない。そこを補ってくれるのが、その3人が5年ほど前のラジオ番組で当時を振り返った鼎談だ。

https://ameblo.jp/tenotookaoka/entry-12488471260.html (2019年6月30日放送の松尾さんのラジオ番組より)


ラジオで3人が語ったところによると、1981年2月の武道館公演後に青山の事務所にメンバーが集まり、YASSさんの脱退の意向が知らされたという。ジローさんは事務所からの帰り道、YASSさんと二人で青山通りを歩きながら「辞めないでほしい」と伝えたそうだが、YASSさんの気持ちは揺るがなかったという。


3人の記憶は2月、本書では3月と、ジローさん、松尾さんがYASSさんの意向を知らされた時期が異なった理由の解明は一読者の僕の手に余る。3月と書いた追分さんは武道館後のエピソードを取材で把握していなかったか、把握していたうえで3月説を採ったのか。だから何なんだと言われればそれまでだけど。


なお、本稿はオフコース関連の資料収集で知られるコレクターK氏とのSNSでのやりとりがきっかけとなって書いた。多くの示唆を与えてくれた氏に感謝したい。


↓以前の記事

https://ameblo.jp/tenotookaoka/entry-12836198979.html (小田さんの評伝「空と風と時と」を読む その3)

https://ameblo.jp/tenotookaoka/entry-12836066670.html (小田さんの評伝「空と風と時と」を読む その2)

【18日の備忘録】

休肝日4日目。朝=ご飯1膳、ジャコ入り卵焼き、リンゴ、昼=寿司ランチ、夜=豚ニラモヤシ炒め。体重=59キロ。