IN THE WIND

IN THE WIND

音楽と本、飲み食い
Don't think twice, It's all right !

1995年1月のこの日に発生した阪神・淡路大震災から26年。僕自身は京都の郊外に住んでいて被害はなく、身内や親しい知人に犠牲者はいなかった。ただ、その日の夜に会社の業務応援のために神戸の街に入り、混乱の極みにあった被災地で1週間ほど過ごしたので、被災地の困難な状況を目の当たりにしたい。毎年、年に1回だけ同じようなことを書いているけれど、僕自身の記憶の継承ために書き留めておく。

 

いま、コロナ禍で当たり前だった日常が姿を消し、日常の有り難味を感じている人も多いだろう。阪神・淡路大震災は戦後の日本社会で、何百万人という人たちが突如日常を奪われるということを初めて実体験した災害でもあった。会社の会議室に段ボールを敷いて寝泊まりした僕もその一人と言えなくはないけれど、僕には近いうちに応援業務を終えて元の生活に容易に戻れるという確かな「明日」があった。

 

でも、震災直後の被災地の人たちには「明日」はほとんど見通せなかった。温かいものを食べられること、暖かい部屋で布団でぐっすり眠れること、トイレに水が流れること。日常生活で当たり前としてきたことが、目の前からフッと消え失せてしまったことに戸惑いつつ、ほとんどの人がそれを粛々と受け入れていた。生きている公衆電話に黙って律儀に並ぶ人々の行列は、それを象徴する一例だった。

 

肉親を失い、自身も大けがを負った人々、家や仕事を失った人のことを思うと、もしそう人たちに声をかける場面があったなら、僕は「大変でしたね」「気を落とさないで」などと簡単には口にできないと思った。命や体に別条がなかった人にも人にも「がんばって」と軽々には言えないと思った。口にする前からもう、自分の思いつく言葉の軽さに絶望を覚えたことが妙に心に残っている。

 

正直に白状すると、再びの緊急事態宣言で飲み屋が8時に閉まり、宵の遅がけにフラッと気軽に飲みに出かけられる「日常」を失ったと嘆いていた。そんな自分を戒め、震災の犠牲者、困難な状況を強いられた被災者に改めて思いを致し、僕なりに震災体験を継承していくためにも、そしてこの文章が誰かに目に留まる可能性があるなら、毎年1回であっても震災のことを書き留めていきたい。

 

【16日の備忘録】

朝=ご飯1膳、塩サバ、リンゴ、昼=ご飯1膳、豚肉と小松菜炒め、ミニトマト。飲酒=赤ワイン4杯。体重=61.8キロ。

【愛知杯(G3)】中京・芝2000M 良 18頭
1着:18番 マジックキャッスル 2着:14番 ランブリングアレー 3着:4番 ウラヌスチャーム

 
(馬連 14-18 3,470円=12番人気、ワイド 14-18 1,380円=14番人気、4-18 1,890円=19番人気、4-14 2,380円=31番人気)
 
昔よく読んでいた万馬券研究本の法則に「牝馬の一番人気を疑え」というのがあって、昨年限りで引退したアーモンドアイ級ならともかく、そこそこの成績の牝馬なら疑ってかかってみるのも一計かなと。ということで、小倉開催だった昨年も1番人気、ルメール騎乗で5着に敗れた5番 センテュリオ(11着、1番人気)をどう評価するか。新年になってメインレースをまだ当ててないので弱気になりつつも、やはりこの1番人気は危ういような気がしてならなかった。そこで、芝2千Mで3-2-1-2の良績、中京でも勝ち鞍があり、53キロの軽ハンデの9番 カセドラルベル(8着、10番人気)を軸馬に抜擢。馬体も夏に条件クラスを連勝したころと同じ550キロ台前半にまで絞れた。鞍上は今年好調でこの日も2勝を挙げていた松山騎手ということで、単勝とワイド、人気上位への馬連で勝負。
 
いつもなら好位につける9番はスタートから鞍上が押していたのに行き足がつかず、中団の後ろ目、10番手ぐらいから。道中も鞍上が押して押してなのにズブくて前に進出できなかった。レースは1000Mが57.9秒のハイペースだったので、前に行かなくてよかったのかなと思いつつ、4角を回って直線を向いても伸びず、見せ場なく流れ込んだだけだった。連下に選んだ18番(2番人気)、14番(6番人気)が同じような位置取りから1、2着に入っているのだから、切れる足がなかったのか、押して押しての追走でなし崩しに足を使ってしまったのか。

18番は1勝馬だったけど、昨年の牝馬クラシック路線で徐々に着順を挙げて秋華賞(G1、京都・芝2000M)で2着。牝馬同士なら3歳限定戦でも直近のG1での2着をもっと評価すべきだったか。14番は2020年の7戦すべて1、2番人気で4-1-0-2という連対率だったので、6番人気は買い得だったのかもしれない。
 
【ルメール複勝】
・16日(中京)
2R(11着)、3R(1着、110円)、5R(5着)、6R(7着)、7R(2着、210円)、8R(5着)、9R(2着、150円)、10R(1着、140円)、11R(11着)
 投資900円、回収610円、回収率0.678 (2021年通算 投資3200円、回収1980円、回収率0.619)
【川田複勝】
・16日(中京)
5R(10着)、6R(2着、170円)、9R(4着)、10R(4着)、11R(7着)、12R(6着)
 投資600円、回収170円、回収率0.283(2021年通算 投資2400円、回収690円、回収率0.288)
 

大学ラグビーのシーズンは終わってしまったけれど、昨年末に100人限定の抽選販売に申し込んで当選した母校・早大のラグビーグッズのお楽しみ袋が届いた。欲を言えば11日の大学選手権決勝の前に手にしたかったけれど、控え選手やマネージャーさんとかが本来の部活動の合間にやっていることだろうから文句は言うまい。来季はこれらを持って心置きなく遠征できる状況になっていてほしい。

 

中身は、ひざ掛け、小旗、クッションといった応援グッズがメイン。

 

誰のが当たるかお楽しみということだった選手のサイン入りTシャツは、先日の決勝でもトライを決めた3年生のプロップ小林賢太選手。

 

きょうからトップリーグが開幕し、ひざ掛けやクッションを活用しようと思っていたけれど、緊急事態宣言の拡大と、選手の感染が増えたために開幕の延期が決まってとっても残念。

 

【15日の備忘録】

休肝日4日目。朝=ご飯1膳、牛肉と根菜の甘辛炒め、リンゴ、昼=ドライカレー、ミニトマトと茹でブロッコリー、夜=牛肉と根菜の甘辛炒め、ミニトマト。体重=60キロ。

オフコースのドラマーだった大間ジローさんがパーソナリティを務めるFM秋田の番組 大間ジロー J's NEXT から、「オフコース強化月間」の放送の紹介第3弾。今回は12月後半の3週分。

 

【12月15日】
今日の特集は「Song Is Love」というアルバムでございます。1976年に発売されたアルバムなんだけど、これは実は私が初めてオフコースに加入して、バックメンバー、サポートメンバーとして加入して作ったアルバムなんですよ。1976年というと昭和51年ですが、その時代背景をちょっと紐解いてみたいと思いますが、昭和51年のできごと、モントリオール五輪開催、体操男子団体が5連勝、それから郵便料金値上げ、ハガキが20円、封書50円、昭和天皇在位50年式典、アントニオ猪木対モハメド・アリの異種格闘技戦があったんだ、それからロッキード事件、台風17号が猛威、長良川決壊、とかね、それでヒット曲としては最大なヒット曲があるんですよ、「泳げたい焼きくん」。それからね、「ビューティフルサンデー」「北の宿から」とかね「木綿のハンカチーフ」「岸壁の母」「俺たちの旅」「わかってください」「あの日に帰りたい」「なごり雪」、すーごいでしょ、満載だったんですよ。そういう最中にですね、私はオフコースに加入して、ある1曲、これが元となってその後正式メンバーになっていくわけですが、その1曲を私にとってホントに思い出深い曲です
(「ひとりで生きてゆければ」オンエア)

大間ジロー、21歳の作品ですよ。私はねホントにあの拾ってもらったって言うかね、東芝EMIのプロデューサーの武藤さんからね。で、こうやってオフコースと出会ってね、ちょっと認められて、今度アルバムを制作しようかということで、箱根のロック・ウェルスタジオというところに行って、この「Song Is Love」というアルバムを録音したんだけど、これは実はベースがね、小泉良司という人なんですよ、清水さんじゃないの。なぜか、清水さんがライブでは一緒にやる機会を持ってたんですけど、バッドボーイズとの契約があって、残りのスケジュールを消化するためにですね、ちょっと一時離脱したんですよ。その間に小泉良司くんがベースで入ってアルバムを録音してね、で、仁と小泉良司どっちがいいみたいな話になった時もあって。オレは仁さんの方がいいですって、でもオレが決められないから、小田さんは仁がいいっていう話をしたと思うけど、YASSさんは小泉良司の方がうまいね、っていう話で。で、次のアルバムあたりから仁さんがだんだん入ってくるんだけどね。で、松尾はというと、まだね東芝レコードの配送センターでアルバイトをしてて、で、ロックウェルで武藤さんがちょっと松尾呼ぼうかって話になって、ハモニカこれ松尾だよな、っていう武藤さんのピンときた直感で松尾に電話したのよ、そのスタジオから、松尾来ない?って、すっごい軽いノリで。そして松尾がちょっと休みを取って箱根まで来たわけよ、着の身着のままで。で、ギターもやるうようになって重宝がられて、何でもできるから。ホントに人の縁というのは面白いもんで。さぁ、それではYASSさんのちょっと面白い小曲をお届けしましょう
(「おもい違い」」オンエア)


なんかYASSさんのちょっとした才能を感じない?YASSさんはねぇ、ホントにアコースティックギターがうまくてね、レコーディングの最中ね、なんか聴こえるなって、(フンフンと鼻息が鳴る音)鼻息が聴こえる、集中して聴いてたら、あれ?、YASSさん鼻息が入ってるよって、あっ悪い悪いって、もう1回やったりね。それから手作りのパーカッションを作ったりね、もうこのアルバムはね、そういうアルバムなんですよ、みんなで一緒に作りましたね、仲良かったね。まだね、海のもの、山のもの、どこに行くかわかんない。でも、とにかく音楽が大好きで。情熱を傾けてやりましたね、懐かしい楽しい時間でした
(「冬が来る前に」オンエア)
 

【12月22日】
お約束のオフコースの「over」の時間でございますが、やっぱり5人の最後のね、このアルバムの話とか、コンサートの話をしだすと、ちょっともう止まんないんで、自分の中でもね、まだまだね、何て言うのかな、すべて完結していない部分もあんですよ。ここで終わりとは思いたくなかったんだね、自分としては。YASSさんが、鈴木康博さん、まぁオフコース知らない方、あの小田和正さんと鈴木康博さん、このお二人でオフコースを作ったわけです、創立者の二人です。そのなかでいろいろメンバーの変遷があったりして、昭和51年、52年あたりから大間ジロー、松尾一彦、清水仁が入りまして、79年から正式メンバーになって5人になるんね。で、あっという間、5人になって3年後ですよ、これ。鈴木康博さんが脱退を表明したわけだ。実はこの前のツアーの「We are」というツアーの2月の武道館が終わってから、青山の事務所で話があると、ミーティングがあったんです。そこでオレはやめようと思うというふうな脱退宣言をしたんですね。まぁいろいろ書物もありますんで詳しくはそこらへんを見て、でも、メンバーの一人として私が覚えている範囲では、そこで僕はYASSさんの口から聞いたんですね。すごい衝撃で、同じ山を登ってきてこっからじゃないですかと、YASSさん。そこでオレは引くことはできなかったんだ。で、ミーティング終わってからYASSさんと一緒に帰りました。で、YASSさん、なんでやめんですかって、YASSさんに問いかけました。いやジロー、でもオレはもうこうやって決めたからということでね、YASSさん覚えてないと思うけど、オレは覚えています。初めてこうやって言う話かもしんないんで、ホントに悲しかったですね。だからこの「over」というアルバムは、もう解散、ほぼ解散だと思ったんで、5人の最後のレコーディングセッションだったんですね。でもね、信じられなかったね。終わりたくなかった。それで、ライブツアーに突入していくんだけど、長い長いツアーでしたね、やっぱりね。ファンの皆さんのことを考えると、胸が痛いぐらいで、こっからじゃないかと、私たちも思ってたし、ファンの皆さんも思ってたと思うんだよね。話せば長いです。
(「心はなれて」オンエア)

(武道館の)直前の大阪フェスティバルホールはよく覚えています。フェスはね、フェスって言ってたんですけど、すごい好きな会場で、たぶん私は武道館と同じぐらい大阪フェスティバルホールが大好きだったですね。で、ノッたんだよね、また最後だということで大阪のノリがすごいよくてね、ウワッーみたいなね、すごいノッちゃって、あぁこれで5人で大阪来るのはもうないなと思いながらね、悲しくなる話になりますけどね、そんな思いも自分でもありながらね、コンサートを務めた思い出します。このアルバムはね、自分にとってもちょっとこうあるんですよ。、この年末のこの時期にそぐわない話になるかもしれませんが、来週もですね、今度はYASSさんの目線でね、YASSさんの曲をメインにお送りしたいなと今ふと思いました。


【12月29日】
5人時代の最後のアルバム「over」の後編になりますがね、あまり悲しくならないようにお送りしたいと思うんですよね。今日はですね、YASSさんはどんな気持ちでこのコンサート、5人時代の最後、1982年6月30日、武道館10日間コンサートのラストを迎えていたのかなということをね、ちょっとね、ジローの感覚で。いやぁでもね、YASSさんはアルバムに関してはやっぱりすっごい「over」のこのアルバムはね苦労したんですよ。もう気持ちは1回離れてるわけでしょ、でもやっぱり契約とかね、事務所の契約、レコード会社との契約なんかもあって、じゃオレやめたって、すぐやめられない。解散していくバンド、やっぱり終わっていくバンド、ここはね、これはね大人の事情がありありですよ。ですからYASSさん的にアルバムを終えて、もう終わりかなと思いながら、けっこうなツアーをやらなきゃいけないというのはね、辛かったろうけど、半面今までのね、なんかちょっと吹っ切った感じがあったんですよ、YASSさん。後ろから見ててなんかこう消化不良ではないYASSさんがいたように思う。で、笑顔も多かったしね、なんかね。これで最後だと、もうお前らの顔なんか見なくてもいいよ、ということではなく、小田、じゃぁな、みたいな、それはあったかどうかわかんないけど、でも、小田さんはやっぱり、ヤス、ホントにオレはお前と出会えてよかった、うれしいよっていう思いはね。まぁでもね、YASSさんはちょっと吹っ切ったっていうね、このツアーは、大間ジロー的に言うと、初めて言うかもしんないけど、そんな思いが私はちょっと感じたツアーのラストでしたね
(「メインストリートをつっ走れ」オンエア)

実はね、「We are」と「over」はYASSさんの楽曲は僕が歌のディレクションを全部やったの、で、小田さんの曲は清水さんがずっとやって、松尾の楽曲はもちろんもう二人で作ったりしたんで僕が担当したけど、YASSさんのはこの2作、「We are」と「over」のボーカル入れ、それからギター入れ、全部付き合ってるんで、一番見てたかもしんないです、YASSさんを。もうホントに詞ができなくてね、この苦しみをね、越えて、「メインストリートをつっ走れ」に書いているけどね、もう友よ、このメインストリートをつっ走って行けと、これは自分自身に、まぁあんべとYASSさんと3人で書いたんだけどね、ここをこうした方がいいんじゃないみたいなね、YASSさんに対するエールみたいなのも、僕もあんべさんも入っているよね。またYASSさんも自らやっぱりそれをね、自分を鼓舞するような曲調じゃない?、友よ何があっても悲しみ苦しみ乗り越えて、君は君のメインストリートをつっ走るんだぜっていうね、そういうふうに思いつつじゃないです。だってやっぱりYASSさんはオフコース時代に僕の音楽的な先生だったから。これは本人にも言ってますんで、ホント先生だと思ってね、何て言うんですか、仕えてきましたというか、まぁ学びましたよ。だからYASSさんにはね、なんかね、口ごたえもしましたけど、やっぱりね、なんかYASSさんっていうのはあるんですよ。また小田和正さんとは違う、私にとっては。そのYASSさんが最後のね、この「over」の武道館10日間のラストを迎えわけですよ。いろいろありましたけど、5人の時代が終わります
(「君におくる歌」オンエア)
(引用ここまで)

 

YASSさんの脱退話を1981年の武道館の後に事務所で聞いたエピソードについては、ジローさんが以前にも松尾さんのラジオで話していて、その時のメモ↓

https://ameblo.jp/tenotookaoka/entry-12488471260.html

 

で、僕的に興味深いのは、「メインストリートをつっ走れ」の話で、この1年ほどこの曲をギターの練習で毎日のように聴いて、この歌はオフコースを離れるYASSさんが自らに向けて書いたと思うようになってtwitterでもつぶやいたことがあった。ただ、歌詞が3人の共作だから違うのではないかという指摘をもらったけれど、ジローさんとあんべさんからのエールを含みながらも、YASSさん自身にもそういう気持ちがあってこの曲が書かれたことがわかって、なんかスッキリした。

 

 

【14日の備忘録】

休肝日3日目。朝=ご飯1膳、塩サバ、リンゴ、昼=焼きそば、ミニトマト、夜=牛肉と根菜の甘辛炒め。体重=60キロ。
 

オフコースのドラマーだった大間ジローさんがパーソナリティを務めるFM秋田の番組 大間ジロー J's NEXT で、オフコースのアルバムコンプリートコレクションの発売(2020年10月)を機に去年11月から始まった「オフコース強化月間」の放送から、今回は12月前半分を。1日放送分では、大ブレイクのきっかけとなった「さよなら」のレコーディング時のエピソードを、8日放送分ではゲストにあんべ光俊さんを迎え、「一億の夜を越えて」「夜はふたりで」の歌詞をめぐる裏話などを披露してくれている。

 

【12月1日】
(「ロンド」オンエア)
77年にYASSさん初のシングルA面になったわけですが、まぁちょっと目論見がありまして、実はこれ主題歌なんだよね。日本テレビの「ひまわり」という番組で、池内淳子さん主演の主題歌になったわけだ、テレビドラマの。それでシングルを売らんがために、いろいろタイアップを探して、レコード会社の方で。それでこの歌いいなことでなったんだけど、それなりに売れたけれど、まだまだオフコースはこの時期は全面的に世の中に広まっていくっていうのはなかった。そしてそっから2年経って、僕らもしっかりしたメンバーになりつつあった時ですよ、今日は12月1日。今から41年前の1979年12月1日と言えば、なんだ。「さよなら」が出たんだよ、オフコースをこの歌が一躍世に広めるような歌になった歌なんですよね
 

(「さよなら」オンエア)
「ロンド」以降ですね、シングルをいろいろ出したわけですが、なかなかやっぱりヒットしないと。でもバンドは着実に、コンサートは人は増えてるのよ。あとはシングルだなと、シングルのヒットだなっていうのを、もうレコード会社からかなりプレッシャーあって、それで小田さん一念発起して頑張ったんじゃないかなぁと思うんだけど。で、曲はすごいよかった。それでオフコースはいつもの通り曲先で、曲ができてアレンジをしてスタジオでオケを録りました。それまで詞はまったくわかりませんでした。♪もう終わりだね、も何もかけらもありませんでした、レコーディングの最中は。そして詞ができたと、小田さんが。じゃぁ、歌入れをしようかということで、イントロが流れて、♪もう終わりだね、って歌い始めたとたん、私は鳥肌が立ちました。つかみがすごいついつかみで、それで♪さよなら、でしょ。それで鳥肌が立ってこの歌はヒットするなという予感がしたわけですよ

 

案の定ね、オフコース最大のシングルヒットとなりまして、この歌がきっかけでさ、オフコースは世に出るわけだけど、これに関していろんな意見、もう諸説あります。いろんな人の、評論家の意見とか、音楽評論家の意見とか、メンバーの意見もありましたが、今オレは思うにやっぱり小田さんはすごいなと、正解だったなと。よくこういう詞を書いてきてくれたと、やっぱり小田さんってすごいねぇ、って今また改めて思いますね、その時も思ったんだけどさ。やっぱりね、小田和正、すごい人ですね、はっきり言って。よく書いたと思います。今日はね12月1日、あれから41年なんです。ということで「さよなら」の制作秘話をお届けしました。
 

【12月8日】(ゲスト、あんべ光俊)
O)初期のシングルは職業作詞家の作品もあったけれども、オフコースのメンバー以外では初めての外部アーティストとしてのバンドの作品を手がけた男、このアーティストこそあなたです。その曲はYASSさんの「一億の夜を越えて」なんですよ。東京の新大久保のフリーダムスタジオというところで私たちが「We are」のレコーディングをやっておりました。そこにふらりと現れた。どういうふうな頼まれ方をしたんだっけ?
A)以前の2人のオフコースっていうのは、合唱っていうか、「赤い鳥」とかね、そういうみなさんと同じようにコーラスから始まったような感じがあつでしょ、あのアコースティックな感じ。それからロックのいろんなアプローチが、3人が加わったことによってできて、アレンジする楽しさっていうのかな、それがお二人にもできてきたと思うんですよね。その流れで「一億の夜を越えて」ていうもろロックのサウンドがガーンとできて、そこで何て言うかな、歌詞まで行けてない感じがあったのかもしれないですよね。たまたまオレがそこに行って、それで前座とか日本1週半ぐらいやらせていただいて、グループ全体がね成長期にあってて、そこを見てたもんだから、これはこうなんじゃないのってのが、なんかできそうな感じで言ったんじゃないのかね、ボロッと。それでやってみっか、みたいな感じになったんじゃないのかな


O)そしたら、あんべ書いてみる?、みたいな話になったんだよね、いきなり
A)そうなんだね、それで階段でなんか書いたんだな、確かね
O)その場で書いたの?
A)その場で30分ぐらいで書いたんじゃないかなぁ。それで、じゃ歌ってみっか、みたいな感じで、おっいいじゃんみたいな。記憶があいまいだからね、そんなような感じだったきがするよね
O)オレが覚えてんのは、やたら「一億の夜」、「一億」というフレーズと、「一億の夜を越えて」っていうのがすごい斬新で、♪つっ走るだけ一億の夜を越えて~、ってバッチリ合ってんだよね、サビに。それがもう鳥肌立って、オレ、鳥になっちゃったんだよね(笑)。ホントにね、これはハマッたな、っていうね
A)あれはすぐできたから、やっぱすぐできる曲っていうのはいいんだよ
O)すごいね、あれこれ考えないでスッと出てきたんだ。それでYASSさんとの交流もそっから始まったんだよね
A)ただその、「雨よ激しく」とかね、一連の男っぽい歌っていうのすごい好きだったので、それがとても相性がよかったんじゃないかなぁって

(「一億の夜を越えて」オンエア)
O)かっこいいねぇ
A)オレもびっくりしたもんね、おぉ、こんなのができちゃった、みたいなね

 

O)「夜はふたりで」(詞がYASSさんと共作)はどうやってできたんですか?
A)あれはね、曲がすごくサウンドもよかったんですよね。それで、これどうだっていうことで。実はオレ、その「夜はふたりで」の詞をほとんど、自分用にとっててあったんですよ、♪白いシーツの海で泳ぎ疲れ眠るとき、って。これまたピタって合うなってことで、でまたYASSさんのきれいなね声で歌うとちょっとエロい感じもなんか違うく昇華して、すごくなんかいい感じじゃないかなっと思って作ったんですけどもね。そしたらなんかYASSさん家に帰ったら、なんかちょっとエロすぎだっていう、まぁそれぞれ人の感性ってあるから一概になんとも言えないですよね、あっそういうことかなと思いながらもね、オレはさっきも言ったようにYASSさんの声で歌うとすんごいいいからっていうことで、そしたらYASSさんも渋々歌った感じがあったんですけども、こないだね、僕のコンサートにゲストで出てもらった時なんかその話をしたら、「今オレすごい好きなんだよ、この歌」って言ってましたね。
O)オレも当時はディレクションやってて、♪白いシーツの海で泳ぎ疲れた、ってすごいなって思って(笑)

(「夜はふたりで」オンエア)
(あんべさんの出演はここまで)


(武道館の)直前の大阪フェスティバルホールはよく覚えています。フェスはね、フェスって言ってたんですけど、すごい好きな会場で、たぶん私は武道館と同じぐらい大阪フェスティバルホールが大好きだったですね。で、ノッたんだよね、また最後だということで大阪のノリがすごいよくてね、ウワッーみたいなね、すごいノッちゃって、あぁこれで5人で大阪来るのはもうないなと思いながらね、悲しくなる話になりますけどね、そんな思いも自分でもありながらね、コンサートを務めた思い出します。このアルバムはね、自分にとってもちょっとこうあるんですよ。、この年末のこの時期にそぐわない話になるかもしれませんが、来週もですね、今度はYASSさんの目線でね、YASSさんの曲をメインにお送りしたいなと今ふと思いました。

(引用は以上)

 

「さよなら」のレコーディング時の話は以前の放送とダブり気味だったけれど、「一億の夜を越えて」「夜はふたりで」の歌詞をめぐるあんべさんの話を聞くのは僕は初めて。「一億」の歌詞がすぐにできたなんて意外だなぁ。階段で書いたというのもなんかいいなぁ。やっぱりYASSさんの世界観とは違う歌詞なんだけれど、曲にはすごくマッチしている。「夜は」の方はあんべさんが自分のためにストックしてあった歌詞だったというのも意外。よく惜しげもなく差し出せるなと思いつつ、曲との出会いでこの歌詞が合うとひらめいたということか。ただその曲は先日のYASSさんが自らのラジオ番組で語っていたようにホール&オーツの曲をイメージしていたと、あんべさんは気付いていただろうか。

 

【13日の備忘録】

休肝日2日目。朝=ご飯1膳、ベーコンとエリンギのソテー、リンゴ、昼=寿司ランチ、夜=豚バラと白菜のレンジ蒸し、ミニトマト。体重=60.8キロ。

YASSさんこと鈴木康博さんがMCを務めるラジオ番組 メインストリートをつっ走れ! の2021年1月2週目の放送。YASSさんがかつて影響を受けた曲を紹介する YASS SELECTION のコーナーはダリル・ホール・アンド・ジョン・オーツの「You've Lost That Lovin' Feelin'」と「Kiss on My List」(ともに1980年)の2曲。

 

今日はですね、ホール・アンド・オーツ、ダリル・ホール・アンド・ジョン・オーツです。この人たちもすごかったですね、ちょっとここのところ77、78年あたり、そのちょっとあとぐらいですね。アルバム「Voices」という、これは80年に出たアルバムですけども、これは聴きまくりましたね。やっぱり大ヒットしてからその前に作っていたアルバムなどを聴き戻して聴いていったというような感じで、まぁ Blue-Eyed Soulっていうふうに今言われてますけど、まったくそんなこと感じなかったというい、えっそうだったんだって。で、あの今聴きますと、ホール・アンド・オーツの出身地がフィラデルフィアだったり、だからいわゆるポップソウル、ソウルミュージックがちょっとポップになった時代の、そういう頃の音楽を作っているっていうような感じなんですね。フィラデルフィアソウルとかってありましたからやっぱり、そのころ、いわゆるモータウンとかね、そういうところでだんだんモダンな感じのソウルミュージックになっていって、なんかソウル・トレインとか、あの頃だんだんモダンになっていって、その後ダリル・ホール、ジョン・オーツの感じなんですよ。そういう音楽をちょっと消化した後で、だからフォートップスとか、テンプテーションズとか、の音楽がちょっとこうもっと現代風になってですね、ポップなサウンドになったあたりの音楽をやっているという感じなんですね

 

で、あの昔の、その「Voices」っていうアルバムの前のアルバムなんかでも、すごいいい曲いっぱいあって、何て言うの、いわゆるサビ、サビとかそのバース、サビがあってそのサビを繰り返した後にいわゆるソロコーナーみたいなのがあるんですね、ダリル・ホールがアドリブするんですよね、それがカッコいいわけですよ。もちろんメロディも聴きやすいというかね、いわゆるとっつきやすいメロディなんで、あの一番影響を受けたのは、ここでまた言っちゃいますけど、「夜はふたりで」のサウンドは「あっ、これホール・アンド・オーツみたいにしよ」って(笑)。♪ジャジャジャジャジャジャジャジャジャ(イントロを口ずさむ)って、これホール・アンド・オーツですね、はっきり言っちゃえば。やっぱりその前にホール・アンド・オーツ、カッコいいと思ったのは♪You've Lost That Lovin' Feelin'っていうライチャス・ブラザーズの曲をカバーして、これがカッコよかったんだよね。それからいろんな曲を、これカバー曲で昔の曲だったんで私はとっつきがよかったんですよ、その前、その後あたりにホントにいろん曲をヒットさせて、「Sara Smile」とか、「Wait For Me」とかです、いい曲あったんすよね。それでは曲とにかく、めちゃカッコいいと思ったのは「You've Lost That Lovin' Feelin'」、日本語のタイトルが「ふられた気持ち」っていう(笑)、やめてほしいなっていう感じですけど
(「You've Lost That Lovin' Feelin'」オンエア)

残念ながらライブは…、あれっ、見たかな、あっ見たな。あんまりライブ印象ないんだけど、けっこう近い席で見たような感じする、そう言えば、うん。ホントにさっき言ってた歌の最後の方のね、節回しと言うか、ああいうアドリブがね、すっげぇカッコいいというか、自由にやってる感じで、ああいう感じで日本語でできたらなぁみたいな。あの、時々オフコースの時にもね、日本語でね、ああいうあのちょっとソウル風なね、アドリブっぽいのかましたいなぁみたいなの思ったときもあるんだけど、やりゃやるほど失敗すんだよね。どうしてもね、やっぱりね、日本語だと言葉が並べられないの。今わりと、ああいうラップみたいなのでホントに浮かんだ言葉を並べてね、やってる人たちいますけど、よくやってるよなぁって思うよね、日本語で。あれができなかったんですよ、やりたくてしょうがなかったけど、で、ちょっと恥ずかしいし、日本語でやるのも(笑)、Baby、Babyとかさ、Lovin'なんとか、とかって、それ日本語で言うの(笑)、できないわけよ。だけど、いまラップとか聴いているとよくやってると思います。あれやっぱり歴史があるんだね、だれかやり始めた人がいて、それを継いでいく人がいて、それでだんだんスタンダードなものが出来上がって、それで普通に聞こえるようになる。だから、そのね、一番最初のオレになりたかったなぁみたいな、、いまだにちょっとありますけど、誰もやってなかったからね、その頃。ということで、もう1曲ですね、これもやっぱり80年のアルバムの中、これの中にも入っていたんですね、「Kiss on My List」、こりゃぁ大ヒットしましたよね、ディスコっていうディスコでみんなかかっていたというような
(「Kiss on My List」オンエア)

(引用は以上)


1980年といえば高校に入った年。ホール・アンド・オーツは僕にとってはリアルタイムでアルバムを買った数少ない洋楽。ダリルのハイトーンが好きだったし、ジョンのギターもカッコよかった。ディスコになんかもちろん行ったことなかったけれど、ラジオでもさんざん流れていた「Kiss on My List」は耳になじんでるし、81年の「Praivate Eyes」とか82年の「Man Eater」とかが全盛期だったような気がする。何年か前の来日公演をテレビでやってて、ダリルの声が変わんないと驚いた。録画したDVDを誰かに貸した記憶があるけれど今どこにあるのか。

 

それにしても「夜はふたりで」のサウンドのネタ元がホール・アンド・オーツとは驚いた。YASSさんが口ずさんでいたイントロはピアノでC→Em7→F→Dm7のコードを8分で刻みながら中の音を少しずつ動かしてメロディアスにも聞こえるように弾くのだけれど、オンエアされた「Kiss on My List」のピアノがそれっぽい。キーボードは小田さんが担当だけれど、YASSさん作曲の楽曲はキーボードのアレンジでもYASSさんが「ホール・アンド・オーツの『Kiss on My Life』のピアノのイメージで」とか小田さんに提案したのだろうか。それに対して小田さんやプロデューサーの武藤さんはどう反応したのか、といろいろ想像が膨らむ。しかし、YASSさんはよくディスコでかかっていたという紹介をするけれど、ご自身もディスコによく行ってたのだろうか。小田さんはディスコに行かなさそうな雰囲気だけど、一緒に行動したりしてたのかなぁ。80年といえば大ブレイクした直後だけれど、ディスコに行って騒ぎになったりしなかったのだろうか。

 

それはともかく、今回の放送では僕より少し年上で洋楽に詳しい知人の初メールが紹介された。このコーナーで知人が中高時代に聴いていたいろいろな洋楽がオフコースのサウンドに生かされていたことを知って驚いたという趣旨だったのだけれど、その流れでYASSさんが自分の音楽に対する姿勢を次のように語っていた。とにかく立ち止まらない、常に新しいものをというのがYASSさんの今も揺るがない信念なのだろう。


ホントにいろんなサウンドにね、影響されて。じゃないと、ホントにいろんなバラエティーに富んだ音をたくさん作りたいという、なんでもやってみたいという気持ちですから、私の音楽、音楽のやり方っていうのが、お前なにやりたいんだっていうのはないんで、なんでもやりたいっていう、そういうことなんで、ホントにオフコースのアルバムを、ボックスなんかをね、聴いていただけるとそういう意味で楽しんでいただけるのかなと思ったりもします
 

【12日の備忘録】

休肝日1日目。朝=ご飯1膳、ベーコンとエリンギのソテー、リンゴ、昼=肉野菜甘煮丼、ミニトマト、夜=豚肉とジャガイモの甘辛炒めし。体重=61キロ。

 

緊急事態宣言下の東京・国立競技場での試合だったけれど、先行抽選で当選したチケットを譲ったり払い戻したりするのが忍びがたく、13時15分のキックオフに早過ぎず遅過ぎずに間に合う東京駅12時15分着、試合の前後はどこにも寄り道せずにノーサイド直後に席を立ち、東京駅発15時30分で離脱、東京滞在時間3時間15分の弾丸ツアーだった。試合会場が新しい国立競技場でなければ諦めていた。

 

 

試合は55-28で天理が初優勝。とにかく天理の強さが際立ち、早稲田は接点の強さで負け、展開の速さで負け、個でも組織でも圧倒された。1本返しても2本続けてスコアできなかった。早稲田の11番、14番のウイング2人が前を向いてボールを持つシーンがほとんどなかった。早稲田が敵陣に入ってもペナルティーゴールをもらえず、規律でも天理が優っていた。まさに完敗と言うほかない。

 

座席はメインスタンド左端で、ゴールラインと手前のタッチラインの交点を45度斜め上から見下ろすアングル。前半は天理陣だったので早稲田が攻め込むことが少なく、後半は天理が反対側の早稲田陣に攻め込んでいたので、目の前でのプレーが少なかった。そんな中で前半唯一の早稲田のトライを動画で撮れたのでYouTubeにアップしておいた。

 

【11日の備忘録】

東京日帰り。朝=肉うどん、リンゴ、昼=パン屋の惣菜パン。飲酒=赤ワイン4杯。体重=61.2キロ。

米プロフットボール、ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)は2020シーズンのプレーオフに突入。アメリカンフットボールカンファレンス(AFC)とナショナルフットボールカンファレンス(NFC)で、それぞれ東西南北4地区優勝の4チームと、地区2位以下で成績上位のワイルドカード3チームが出場。日本時間11日はワイルドカードのチームが地区優勝チームに挑む6カードのうち、残りのAFC2カード、NFC1カードがあり、両カンファレンスのディヴィジョナル・ラウンド(いわば準決勝)の組み合わせが決まった。

上図ではチーム名の次にカッコ内でシード順位を示し、シード1位は初戦が免除。シード順位の最も高いチームが最も低いチームと本拠地で対戦するアドバンテージが与えられている。
 
レイブンズ 20-13 タイタンズ
相手の強みを消し、自らの強みを発揮できたボルティモア・レイブンズが競り勝った。史上8人目の2000ydsラッシャー、テネシー・タイタンズのRBデリック・ヘンリーのランを40yds(18回、平均2.2yds)に抑えたレイブンズは、QBラマー・ジャクソンがランで136yds(16回、平均8.5yds)を記録。7点を追う第2Q、それまでタイタンズ守備陣に阻まれていたジャクソンのランが炸裂、48ydsのラッシングTDを決めて同点とし、チームを勢い付けた。第3Q最初のドライブでもジャクソンの23ydsのランなどで敵陣深く攻め入り、勝ち越しTDにつなげた。
 
セインツ 21-9 ベアーズ
ニューオーリンズ・セインツがシカゴ・ベアーズを試合終了間際までフィールドゴール1本に抑える危なげない試合運びで順当勝ち。1stダウンはセインツ27回、ベアーズ11回、3rdダウン成功率65%と10%、総獲得ヤードは385と249、攻撃時間で38分58秒と21分02秒と数字にセインツ優勢がクッキリと表れた。ベアーズは10回のドライブのうち7回パントに終わり、敵陣に入ったのが4回、うちレッドゾーンは2回と攻め手に欠いた。
 
ブラウンズ 48-37 スティーラーズ
レギュラーシーズン開幕から11連勝の後、攻撃陣の絶不調で1勝4敗と大失速したピッツバーグ・スティーラーズの「残念な今季」を象徴するようだった。第1Qのキックオフ直後、スティーラーズは自陣22ヤードからの最初の攻撃でスナップされたボールがQBベン・ロスリスバーガーの頭上を越えてエンドゾーンに向かって転々、リカバーに走ったロスリスバーガーとRBジェイムズ・コナーがゴールライン寸前でお見合いをするような感じでボールが手に付かず、エンドゾーンに転がったボールをクリーブランド・ブラウンズのディフェンダーに押さえられ、先制のTDを与えてしまった。次の攻撃でもロスリスバーガーのパスがインターセプトされてターンオーバー、2個目のTDにつなげられるなど第1Qだけで0ー28と大差をつけられた。スティーラーズにはもはや盛り返す力は残っていなかった。

 

【フェアリーステークス(G3)】中山・芝1600M 良 16頭
1着:9番 ファインルージュ 2着:15番 ホウオウイクセル 3着:1番 ベッラノーヴァ

(馬連 9-15 6,970円=24番人気)
 
前走で初勝利か、1勝クラスで好走し、1600M以上の距離経験、8番より内枠という好走データから先月新馬戦を勝ったばかりの3番 アトミックフレア(8着、9番人気)を軸に馬連で幅広に勝負。前走は好位に付けて抜け出す競馬だったが、この日はスタートで行き足が付かず最後方からで見せ場なく流れ込んだだけ。とはいえ、ともに前走で初勝利だった2、3着も後方から追い込んでいて、15番(8番人気)は内枠以外、1番(6番人気)は距離経験以外は好走データに合致していた。
 
【ルメール複勝】
・11日(中山)
3R(5着)、4R(2着、180円)、6R(4着)、7R(2着、150円)、8R(9着)、10R(4着)、11R(1着、240円)
 投資700円、回収570円、回収率0.814(2021年通算 投資2300円、回収1370円、回収率0.597)
【川田複勝】
・11日(中京)
5R(12着)、9R(2着、210円)、10R(4着)、11R(6着)、12R(10着)
 投資500円、回収210円、回収率0.420(2021年通算 投資1800円、回収520円、回収率0.289)
 

米プロフットボール、ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)は2020シーズンのプレーオフに突入。アメリカンフットボールカンファレンス(AFC)とナショナルフットボールカンファレンス(NFC)で、それぞれ東西南北4地区優勝の4チームと、地区2位以下で成績上位のワイルドカード3チームが出場。日本時間10日はワイルドカードのチームが地区優勝チームに挑む6カードのうち、AFC1カード、NFC2カードがあった。下図ではチーム名の次にカッコ内でシード順位を示し、シード1位は初戦が免除されている。プレーオフを通じて勝ち残っているチームのうち最もシード順位の高いチームが最も低いチームと本拠地で対戦するアドバンテージが与えられている。

 

・ビルズ 27-24 コルツ

ビルズは7-10と3点を追う第2Q残り20秒で逆転のタッチダウン(TD)を決めると、第3Q、第4Qで2TDを追加、コルツの反撃を抑えて逃げ切り、プレーオフでは1995年以来の勝利を挙げた。ビルズのQBジョシュ・アレンはパス成功率74%(26/35)、324yds、2TD、インターセプト0、パサーレイティング121.6を記録、ラッシングでも11回で54ydsを稼ぎ、1TD。最終的には3点差となったが、終始安定した試合運びが光った。

 

・ラムズ 30-20 シーホークス

ラムズがNFC西地区のライバル対決を制した。先々週の試合でエースQBのジャレッド・ゴフが右手親指を骨折したラムズは、レギュラーシーズン最終週に続いて先発した代役のQBジョン・ウォルホードが試合開始早々に首を負傷して退場するアクシデントに見舞われたものの、強力守備陣がシーホークスのQBラッセル・ウィルソンに5個のサックを浴びせ、インターセプトリターンTDを決めるなどして試合の主導権を渡さなかった。ゴフもランオフェンス中心の攻撃をコントロールして地区優勝のシーホークスを破るアップセットにチームを導いた。

 

・バッカニアーズ 31-23 ワシントン

QBの不調、負傷が続いたワシントンはレギュラーシーズン終盤から控えQBとして選手登録されて1カ月のテイラー・ハイニッケが先発。2015年にミネソタ・バイキングスにドラフト外で入って計3チームを渡り歩き、2019年以降はワシントンに呼ばれるまではNFLでの所属チームがなく、エンジニアの学位を取得しようと大学に戻っていたというハイニッケ。NFLで8試合の経験しかなかったが、初のプレーオフの大舞台でパス、ラッシングで各1TDを挙げるなど一時は2点差までに追い上げる健闘で、アメリカンドリームの一片を見せてくれた。バッカニアーズはスーパーボウルを制した2002年シーズン以来となるプレーオフでの勝利。

 

【10日の備忘録】

休肝日2日目。朝=ご飯1膳、牛肉とレンコン、ニンジンの甘辛炒め、リンゴ、昼=カレー炒飯、ミニトマトと茹でブロッコリー、夜=豚バラとキャベツのレンジ蒸し。体重=60.6キロ。