オフコースのドラマーだった大間ジローさんがパーソナリティを務めるFM秋田の番組 大間ジロー J's NEXT で、オフコースのアルバムコンプリートコレクションの発売(2020年10月)を機に去年11月から始まった「オフコース強化月間」の放送から、今回は12月前半分を。1日放送分では、大ブレイクのきっかけとなった「さよなら」のレコーディング時のエピソードを、8日放送分ではゲストにあんべ光俊さんを迎え、「一億の夜を越えて」「夜はふたりで」の歌詞をめぐる裏話などを披露してくれている。
【12月1日】
(「ロンド」オンエア)
77年にYASSさん初のシングルA面になったわけですが、まぁちょっと目論見がありまして、実はこれ主題歌なんだよね。日本テレビの「ひまわり」という番組で、池内淳子さん主演の主題歌になったわけだ、テレビドラマの。それでシングルを売らんがために、いろいろタイアップを探して、レコード会社の方で。それでこの歌いいなことでなったんだけど、それなりに売れたけれど、まだまだオフコースはこの時期は全面的に世の中に広まっていくっていうのはなかった。そしてそっから2年経って、僕らもしっかりしたメンバーになりつつあった時ですよ、今日は12月1日。今から41年前の1979年12月1日と言えば、なんだ。「さよなら」が出たんだよ、オフコースをこの歌が一躍世に広めるような歌になった歌なんですよね
(「さよなら」オンエア)
「ロンド」以降ですね、シングルをいろいろ出したわけですが、なかなかやっぱりヒットしないと。でもバンドは着実に、コンサートは人は増えてるのよ。あとはシングルだなと、シングルのヒットだなっていうのを、もうレコード会社からかなりプレッシャーあって、それで小田さん一念発起して頑張ったんじゃないかなぁと思うんだけど。で、曲はすごいよかった。それでオフコースはいつもの通り曲先で、曲ができてアレンジをしてスタジオでオケを録りました。それまで詞はまったくわかりませんでした。♪もう終わりだね、も何もかけらもありませんでした、レコーディングの最中は。そして詞ができたと、小田さんが。じゃぁ、歌入れをしようかということで、イントロが流れて、♪もう終わりだね、って歌い始めたとたん、私は鳥肌が立ちました。つかみがすごいついつかみで、それで♪さよなら、でしょ。それで鳥肌が立ってこの歌はヒットするなという予感がしたわけですよ
案の定ね、オフコース最大のシングルヒットとなりまして、この歌がきっかけでさ、オフコースは世に出るわけだけど、これに関していろんな意見、もう諸説あります。いろんな人の、評論家の意見とか、音楽評論家の意見とか、メンバーの意見もありましたが、今オレは思うにやっぱり小田さんはすごいなと、正解だったなと。よくこういう詞を書いてきてくれたと、やっぱり小田さんってすごいねぇ、って今また改めて思いますね、その時も思ったんだけどさ。やっぱりね、小田和正、すごい人ですね、はっきり言って。よく書いたと思います。今日はね12月1日、あれから41年なんです。ということで「さよなら」の制作秘話をお届けしました。
【12月8日】(ゲスト、あんべ光俊)
O)初期のシングルは職業作詞家の作品もあったけれども、オフコースのメンバー以外では初めての外部アーティストとしてのバンドの作品を手がけた男、このアーティストこそあなたです。その曲はYASSさんの「一億の夜を越えて」なんですよ。東京の新大久保のフリーダムスタジオというところで私たちが「We are」のレコーディングをやっておりました。そこにふらりと現れた。どういうふうな頼まれ方をしたんだっけ?
A)以前の2人のオフコースっていうのは、合唱っていうか、「赤い鳥」とかね、そういうみなさんと同じようにコーラスから始まったような感じがあつでしょ、あのアコースティックな感じ。それからロックのいろんなアプローチが、3人が加わったことによってできて、アレンジする楽しさっていうのかな、それがお二人にもできてきたと思うんですよね。その流れで「一億の夜を越えて」ていうもろロックのサウンドがガーンとできて、そこで何て言うかな、歌詞まで行けてない感じがあったのかもしれないですよね。たまたまオレがそこに行って、それで前座とか日本1週半ぐらいやらせていただいて、グループ全体がね成長期にあってて、そこを見てたもんだから、これはこうなんじゃないのってのが、なんかできそうな感じで言ったんじゃないのかね、ボロッと。それでやってみっか、みたいな感じになったんじゃないのかな
O)そしたら、あんべ書いてみる?、みたいな話になったんだよね、いきなり
A)そうなんだね、それで階段でなんか書いたんだな、確かね
O)その場で書いたの?
A)その場で30分ぐらいで書いたんじゃないかなぁ。それで、じゃ歌ってみっか、みたいな感じで、おっいいじゃんみたいな。記憶があいまいだからね、そんなような感じだったきがするよね
O)オレが覚えてんのは、やたら「一億の夜」、「一億」というフレーズと、「一億の夜を越えて」っていうのがすごい斬新で、♪つっ走るだけ一億の夜を越えて~、ってバッチリ合ってんだよね、サビに。それがもう鳥肌立って、オレ、鳥になっちゃったんだよね(笑)。ホントにね、これはハマッたな、っていうね
A)あれはすぐできたから、やっぱすぐできる曲っていうのはいいんだよ
O)すごいね、あれこれ考えないでスッと出てきたんだ。それでYASSさんとの交流もそっから始まったんだよね
A)ただその、「雨よ激しく」とかね、一連の男っぽい歌っていうのすごい好きだったので、それがとても相性がよかったんじゃないかなぁって
(「一億の夜を越えて」オンエア)
O)かっこいいねぇ
A)オレもびっくりしたもんね、おぉ、こんなのができちゃった、みたいなね
O)「夜はふたりで」(詞がYASSさんと共作)はどうやってできたんですか?
A)あれはね、曲がすごくサウンドもよかったんですよね。それで、これどうだっていうことで。実はオレ、その「夜はふたりで」の詞をほとんど、自分用にとっててあったんですよ、♪白いシーツの海で泳ぎ疲れ眠るとき、って。これまたピタって合うなってことで、でまたYASSさんのきれいなね声で歌うとちょっとエロい感じもなんか違うく昇華して、すごくなんかいい感じじゃないかなっと思って作ったんですけどもね。そしたらなんかYASSさん家に帰ったら、なんかちょっとエロすぎだっていう、まぁそれぞれ人の感性ってあるから一概になんとも言えないですよね、あっそういうことかなと思いながらもね、オレはさっきも言ったようにYASSさんの声で歌うとすんごいいいからっていうことで、そしたらYASSさんも渋々歌った感じがあったんですけども、こないだね、僕のコンサートにゲストで出てもらった時なんかその話をしたら、「今オレすごい好きなんだよ、この歌」って言ってましたね。
O)オレも当時はディレクションやってて、♪白いシーツの海で泳ぎ疲れた、ってすごいなって思って(笑)
(「夜はふたりで」オンエア)
(あんべさんの出演はここまで)
(武道館の)直前の大阪フェスティバルホールはよく覚えています。フェスはね、フェスって言ってたんですけど、すごい好きな会場で、たぶん私は武道館と同じぐらい大阪フェスティバルホールが大好きだったですね。で、ノッたんだよね、また最後だということで大阪のノリがすごいよくてね、ウワッーみたいなね、すごいノッちゃって、あぁこれで5人で大阪来るのはもうないなと思いながらね、悲しくなる話になりますけどね、そんな思いも自分でもありながらね、コンサートを務めた思い出します。このアルバムはね、自分にとってもちょっとこうあるんですよ。、この年末のこの時期にそぐわない話になるかもしれませんが、来週もですね、今度はYASSさんの目線でね、YASSさんの曲をメインにお送りしたいなと今ふと思いました。
(引用は以上)
「さよなら」のレコーディング時の話は以前の放送とダブり気味だったけれど、「一億の夜を越えて」「夜はふたりで」の歌詞をめぐるあんべさんの話を聞くのは僕は初めて。「一億」の歌詞がすぐにできたなんて意外だなぁ。階段で書いたというのもなんかいいなぁ。やっぱりYASSさんの世界観とは違う歌詞なんだけれど、曲にはすごくマッチしている。「夜は」の方はあんべさんが自分のためにストックしてあった歌詞だったというのも意外。よく惜しげもなく差し出せるなと思いつつ、曲との出会いでこの歌詞が合うとひらめいたということか。ただその曲は先日のYASSさんが自らのラジオ番組で語っていたようにホール&オーツの曲をイメージしていたと、あんべさんは気付いていただろうか。
【13日の備忘録】
休肝日2日目。朝=ご飯1膳、ベーコンとエリンギのソテー、リンゴ、昼=寿司ランチ、夜=豚バラと白菜のレンジ蒸し、ミニトマト。体重=60.8キロ。