この夏の始め、我が家のカーポートの屋根に足長バチが巣を作った。
こんなことはこれまでなかった。
車に乗り込もうとするたび、いつも数匹の蜂が威嚇的に飛び回る。困った私は、ネットで駆除業者を検索してみた。料金は金額的には大したことはなかったものの、電話連絡や打ち合わせや支払処理がひどく億劫に感じられた。
(たかがハチの巣じゃないか)
私は足長バチとの戦闘を決意した。
まずあり合わせの武器を準備した。シロアリ用スプレイ、モップの柄、盾代わりのバケツの蓋。
シロアリ用スプレイは何の効果もなかった。十数匹の蜂がブワッと舞い上がり、私は慌てて玄関先まで逃げ込んだ。
(なかなか手ごわい・・・)
蜂が巣に戻るのを待って、私は右手(めて)にモップの柄を、左手(ゆんで)にバケツの蓋を持ち、ハチの巣に向かって正面攻撃をかけた。予想ではモップの柄の一突きで巣は簡単に落ちる筈だったが、落ちなかった。ハニカム構造の巣はフワフワな感触ながら、カーポートの屋根にぺったりくっついて離れない。再び蜂の群れが舞い上がり、私はバケツの蓋もモップの柄も放り出して、再び玄関先まで遁走した。
この頃になると、私は多少気がかりになった。
(う~む、いつまでもこんなことを繰り返していると、近所の目が・・・)
そこで最後の武器として長めのプラスチックポールを用い、距離をとって思い切り巣を突いた。これが功を奏して、巣はコンクリートの床に落ちた。もちろん蜂は飛び回り、私が飛んで逃げたのはこれまでと同様だが、とにかくハチの巣の除去には成功した。時間をおいて検分に行くと、壊された巣の周りにもうハチの姿はなく、私はいっそガッツポーズでもしてやろうかと思ったくらい気分が高揚したが、やはり近所の目があるのでやめておいた。
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こんな蜂との闘争を長々と記したのは、笑い話を提供するためではない。
人間にとって自然とは何か、を語りたかったからだ。
関連するエピソードとして、私はこれまでに次のような記事を書いている
他にも、近所に出没するイタチや、田舎の空き家に棲みついた狸やアライグマの話も書いた気がする。
改めてまとめれば、熊は決してプーさんではなく、飢えればヒトを捕食する。アライグマは決してラスカルではなく、鋭利な爪はヒトの皮膚など紙のように切り裂く。つぶらな瞳のイタチは鋭い牙を持ち、指など簡単に食いちぎる。足長バチに刺されると大抵病院に行けば済むが、スズメ蜂はヒトを殺す。
こういう生き物が、自然の中でヒトと棲息スペースを競い合って生きている。麗しの大自然などという概念は、絵画的幻想あるいは大都市ボケに過ぎない。
ヒトは、群れ単位でしかまともに存続できない。
従って、群れの頭数が減少すると、当然その生活スペースも減少する。減少した分を、上記の野生動物や昆虫や強靭な植生が侵食してくる。
全国850万軒の空き家も、どんどん増える熊被害も、能登地震の復興が遅々として進まないことも、結局根っこは単純にひとつだけ。
この国のヒトという種族の頭数がどんどん減っているからだ。そして、その間隙を、熊、イタチ、アライグマ、蜂、シダ、蔦、雑草、雑木が埋めていく。
地方の過疎化、老齢化に対して行政が喧伝するコンパクトシティなどという絵空事を、私は信じていない。糖尿病を悪化させると四肢の末端から腐っていくように、この国の健康状態も(ハチの巣のような、限られた大都市中心部を除き)、全国の市町村で迅速に機能不全という腐敗が進行している。七十半ばの私が、モップの柄とバケツの蓋を手に、息を切らして足長バチと格闘する図も、おそらくはこの機能不全の前兆ではないかと思われる。
(2024.07.22)