#58  認知症が見る世界  ~ 書評 | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

 

 
現役ヘルパーが描く認知症患者の生活~ (バンブーコミックス エッセイセレクション) Kindle版 吉田美紀子 (著)  形式: Kindle版
 
 
 
上記2冊のコミックをキンドル版で読んだ。
正直、感服した。
『現役ヘルパーが描く介護現場の真実』などという安っぽいサブタイトルに目を瞑れば、これは傑作だと思う。
もちろん、私自身がこの作品に登場する様々な認知症患者達の年齢に到達して、他人事とは思えないセンシティビティが湧くという背景はあるにせよ、決してそれだけではない。(それだけなら、面倒でわざわざこんな書評を起こす気にはなれない)
各エピソードの人間観察に歯ごたえがあって、読み甲斐がある。
もっと言えば、それぞれのエピソードのラストシーンで、人間存在を見事に視覚化している。
個人的な嗜好を言えば、葬儀屋の施す死化粧のように綺麗過ぎるリリシズムが所々に感じられるものの、例えそうであってもこれは優れた作品に違いない。
作者はもともと漫画家で、かつ現役の介護ヘルパーと著者紹介欄にあるが、少なくともこの作品は、よく見る献身的な介護士の現場エピソードという性質のものではないだろう。間違いなく一人の作家が、透徹した視線で人間を観察・解剖し、最後に小奇麗に死化粧を施したコミックエッセイとでも言えば良いか。
繰り返すが、これは傑作だと思う。
 
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前述の通り、そろそろ認知症の心配が頭を過る年齢の一読者としては、この作品の底流にある介護士達のプロフェッショナリズムには、正直「恐怖」を覚える。
例えば、この作品で私は「摘便」という介護用語を知った。排泄能力が低下した認知症患者の肛門に指を挿入して便を掻き出すことだ。不謹慎に響くのを百も承知で言うなら「なぜそうまでして生かしておこうとするのか?」と私は心底訝しむ。
それもヒポクラテスの誓いと言うのなら、「病者の利益」の解釈が間違っている。人間存在とは、単なる心肺機能の持続だけではない筈だ。
また医療は、アイデンティティの崩壊や自我の融解、それに伴う苛烈な不安への対処にも向けられるべきであって、死そのものは決して悪ではない。
末期的な見当識障害を抱え、記憶は断続的な細切れモザイクと化し、友人知人は言うに及ばず家族も忘れ果て、今がいつで、どこにいるのかも知らず、終には自分が誰なのかも分からず、まるでカフカの悪夢のような世界にあって、毎日動物的な生存不安に幼児のように怯え続ける ---- 拷問ではないか?
のような老人達にとって、死は救済でなくて何か。
 
もし認知症が発症したら、私ならどうするか?
日本では、自分が自分でいられる間に自分の始末をつけるには、アーネスト・ヘミングウェイのようにショットガンで自分の頭を吹っ飛ばす簡便さが得られない。しかし100万円弱の支出で、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、スペイン、イタリア等の尊厳死を認める国へ片道旅行ができる。私なら、私が私でいられるうちに、間違いなく片道旅行のエアチケットを買うだろう。ショットガンと比べて明らかに手間はかかるが、他にこれという選択肢はない。
 
                                                                              (2024.05.06)
 
 
 

 

 

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