#57 歌う老人 ~ 人物スナップ ① | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

 

 

先日の金曜、所用で隣町のY市にある取引銀行の支店に行った。

ある変更手続きをするだけの事なのに、例によって署名捺印が必要だった。

(いつまでこんな面倒なことを・・・)と私は不満だったものの、時は四月半ば、そこかしこに桜が咲き乱れ、春爛漫の薫風が心地良かった。

その日、駐車場のある駅前のバスターミナルから銀行に向かう途中、私は一人の「歌手」と遭遇した。

最初は、どこかのカラオケ店から歌声が漏れているのかと思った。

しかし、改めて辺りを見渡してもカラオケ店らしきものはない。

ん?と訝しがっている内に、その「歌手」が前からやって来た。

腰が直角に曲がり、強張ったような両腕をピンと伸ばして歩行器を押す老人が、歩きながら歌っている。

「♪ 泣~くな妹よ、妹~よ泣くな~」

何と言えば良いだろう、年配のカラオケ客特有の自己陶酔というか、長年に亘って歌い込んできたと思われるド演歌というか、とにかくそういう歌い方だった。決して音痴ではない。

とにかく、私達は真正面からすれ違った。

私は咄嗟にホームレスかと思い、(おっとっと)という感じで脇に退いた。それほど衣服がヨレヨレでみすぼらしく、正体不明の分厚い布を歩行器のバスケットに掛けている。ただ理由は書けないが、その歩行器のネームプレートにより、ホームレスでないことは分かった。

すれ違いざま、目が合った。

何らかのトラブルを予感して、私は内心緊張した。

だが、歌手の目を見て私はすぐ悟った。

きっと、険しく敵意に満ちた視線を飛ばしていたのは私の方であって、相手は私のことなど只の障害物としか見ていなかったに違いない。それほどにその目は虚ろで、遠慮のない感想を言うなら、(半分はもう極楽浄土に行ってるな)と思った。

 

 

 

銀行では、今後金利が上がるのでまた預金も御願いしますと言われ、旧友Aの決め台詞を借りて「余分な資金なんか一銭もないですよ」と応じた。「晴れの日に傘売りつけんな」とはさすがに言わなかった。

駅前のバスターミナルに戻ると、あの歌手がリサイタルをやっていた。

眩い陽光が溢れるバスのロータリーのベンチにどっかと座り、歩道の真ん中に歩行器を不法駐車し、缶ビールだか缶チューハイを片手に、高らかなテノールで歌っている。

「♪ 泣~くな妹よ、妹~よ泣くな~」

不運にもその場に居合わせたらしい5~6人の女性のバス待ち客は、ベンチ二つ分距離をとり、あらぬ方向を眺めながら視線を合わすまいとしている。

歌手は御丁寧に口伴奏の前奏から始めるのだが、酔いのためか記憶障害でもあるのか、壊れたレコードのように「泣~くな妹よ、妹~よ泣くな~」を繰り返す。

遅まきながら、私はその時理解した。

これは、この老人の花見なのだ。

ロータリーの周りには桜の木など一本もなかったが、老人は楽しく酔い、楽しく放歌高吟し、到底幸せとは見えない現在の境遇と調和を図っている。

バッド・タイミングとは言え、聞いてくれる不運な観客までいる。

ある意味、一種の人生の達人ではないか。

そう思った。

 

 

帰宅後、あの壊れたレコードの続きが気になったので、検索してみた。「人生の並木道」という歌だった。しかしさすがに一回り以上世代が違うので、佐藤惣之助という作詞家もディック・ミネという歌手もよく知らない。壊れたレコードの全体の歌詞はこうなっている。

 

 

  泣くな妹よ 妹よ泣くな
  泣けば幼い ふたりして
  故郷を捨てた 甲斐がない


  遠いさびしい 日暮の路で
  泣いて叱った 兄さんの
  涙の声を 忘れたか


  生きて行こうよ 希望に燃えて
  愛の口笛 高らかに
  この人生の 並木路

             

            (昭和12年(1937年)。作詞:佐藤惣之助  作曲:古賀政男)        

                                                     

 

 

                         (2024.04.13)

 

 

 

 

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