吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス -2ページ目

吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

吉岡暁 WEBエッセイ  ラストダンス
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WEBエッセイ、第3回

 

 

 

生きていれば、色々あるさ。

息を殺して泣くこともある。

 

何か大事なもの、大切なものを失うと、

その喪失に泣き、その後も、いつまでたっても、

その思い出に泣かされる。

 

またある夜、嬉しい夢をみる。

長い間願ってきたことが、とうとう成就した夢をみる。

目覚めて、夢が夢だったことを知り、

しばらく泣いて、心を静め、夜明けを待つ。


そうは言っても、

いくら泣き止もうと思っても、

静かな涙が薄い血のように滲み出て、

止まらないこともある。

そんなときは、

大きな息を繰り返し、一杯の温かい紅茶でも入れて窓辺に立ち、

こう考えてみるのも一策か。

涙は最悪のものではない、と。

もっと苦く、魂を生き腐れさせるような毒が山ほどある、と。

 

どうであれ、

生きていれば、色々あるさ。

生きているから、色々ある。

 

 

 

                                                 (2025.01.30)

 

 

 

 

 

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    満天の冬の星

 

見よ満天の冬の星

無限久遠の空(くう)也や

然あれば空の存する空や如何

マックス・プランクが拓いた暗い道に

未だ煌々と降り注ぐ大銀河

真実空(くう)の空也や

彼の満天の冬の星

 

                               (2025.01.29)

 

 

 

 

 

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詩文片紙

 

 

 

何年か前、同年輩の骨董商とこんな会話を交わしたことがある。

 

骨董商:吉岡さん、体に良い事なんかしてます?

私:いや~、座りっぱなしの仕事なんで、別に何も。

骨董商:そら、あかん。早死にします(キッパリ)

私:…………(うるせえよ)

骨董商:男の健康寿命は72才で、それ過ぎると急激にヨボヨボのボロボロになります(キッパリ)

私:…………(あんた、厚生労働省の回し者か何かか?)

骨董商:今から筋トレでもして対策しておかないと、先々泣きますよ。

私:筋トレって、そんな、この歳で(大笑)。

 

私は筋トレを始めた。

コーチはYoutubeで、スクワットだのカーフレイズだの片足立ちだの、と様々なメニューに取り組んだ。取り合えずの目安を、当時の体重68kgから適正体重の62kgに落とすこととした。

その差6kg。食事制限も含めて筋トレを続けていけば、この程度の減量は何てことない、と私は思った。

3カ月ほど経過した。

連日の筋トレにも関わらず、また、食事制限で何を食べようが食べまいが、タニタの体重計は常に66~68kgのレンジに引きこもったままだったので、私は深く失望した。

以降、私の筋トレは、止めたり再開したりを繰り返して今日に至る。

一昨日、風呂上りに、久しぶりに(ほぼ半年ぶりに)体重計を取り出して測ってみた。長い間筋トレをさぼっていたので、さぞ体重も増加しているだろうなと心配したが、結果は68kgだった。

このように、人生も筋トレも、努力あるいは怠惰が素直に現実に反映される事は滅多にない。

 

                             

                                                                                        (2025.01.28)

 

 

 

 

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この年明け、私は数十年来定期的に通っている大学病院に赴いた。

どこもかしこも白々としたマンモス病院は、もう診療時間が過ぎていると言うのに、まだ数百人ばかりの患者が広いロビーを埋めていた。多くが支払手続きの順番待ちの人達で、また容易に想像がつくだろうが過半が高齢者だった。

その人混みの中、一人の痩せた老人が人目を引いた。恐らくパーキンソン病と思われる極端なヨチヨチ歩きの歩行で、前屈みのつっかかるような勢いで前進する。

 

        

周囲が危険を察知して避けているのでまだ大事には至ってないものの、何だか今にも派手にフロアにすっ転んでしまいそうで、見ている方がハラハラする。

また老人は、右手で青いプラスチック札を高く掲げ、しきりに大声でこんなことを言っている。

「青の8番はこっちやて!こっちの方が早い!」

誰に言ってるんだ?と思ったら、私からそう遠くない席から、とんでもない音量の傍若無人な返事が返って来た。

「違うがな、そっちはお薬の列や!」

思わず声の主を目で追うと、下のイメージ写真のような、車椅子に乗った不機嫌な顔付の婆さんが不機嫌な声で叫んでいる。

「違うて!先に精算機の列の方やて!」 

苛立たし気に叫びながらも、目は心配そうに爺さんの方を追いかけている。

          

   

 

私は反射的に、(婆サン、アンタの方が元気そうだから代わりに行ってやれよ)と車椅子ユーザーに対して不謹慎なことを思ったが、その間も夫婦と思われる二人の交信は広いホールに響き渡った。

その内、少し事情が推測できるようになった。

夫の方に難聴なり認知症なりの障害があるのか、返答が返答になっていない。パニクっているような強張った表情のまま「青の8番はこっちやて!」を何度も繰り返している。

(ああ・・・)と、その場に居合わせた多くの人が納得したに違いない。

どういう事情かは知らないが、パーキンソン病と難聴なり認知症を抱えた老夫が、まだ頭はシャキッとしているものの歩行困難な老妻に付き添って来院して来た、という図なのだろう。

老々介護を通り越して、病病介護とでもいうべきか。それでも、昨今はこんな状態も別に珍しいことではなくなったと聞く。

 

       *

 

その日、この老夫婦には色々な物思いをさせられた

白状すると、私の当初の反応は(えーい、うるさいわ!)というものだ。もっと白状すると、(おめーらには恥ってものがないのか!)という腹立ちと蔑視だった。

今は違う。

あの老夫婦は、「青の8番はこっちやて!」、「違うがな、そっちはお薬の列や!」と声をかけ合って、ここまでの長い人生を渡って来たのだと思う。今も互いにパーキンソン病と車椅子の身でありながら、人目などお構いなしで(あるいはそんな余裕もなく)、あのように必死に支え合って生きているのだと思う。

とすれば、彼らは紛れもないオシドリ夫婦であり、あの場で恥知らずだったのは、ひそかに罵詈雑言を浴びせた私の方だったに違いない。

 

 

                             (2025.01.18)

          

 

 

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原稿用紙1枚ほどの仕事が来た。

「明日中に頼みます」と仲介者が言う。まあできない事はないけれど、何と言うかめんどくさい。

「これくらい、自分でやれよ」と、私がいかにも面倒臭げに言ったからだろう、(そんな事やってる暇はない)というツッケンドンな返事が返ってきた。

ああ、今年もコイツと何やかや遣り合うことになるのか・・・と、ウンザリしたのが今年の仕事始めだ。

 

        *

 

会社勤めで事務仕事をしている人なら百も承知だろうが、どんな小さな仕事でも、それに付随する書類が必要になる。詳細事項の打合わせ以外にも、見積書、受注伝票、売上伝票、納品書、請求書を作成しなければならない。

AdobeアクロバットやExcelのファイルでOKというクライアントも徐々に増えてきたとは言え、まだまだ社判をペッタンペッタン押した書式を要求するところが多い------ と、ここまで読まれ方は、(だから、日本が国際競争で生き抜くために、官民ともに遅れたデジタル化を急ぎ促進しなければならない)云々というオチを先読みされたかも知れない。

とんでもない早合点だ。齢70半ばになって日本のデジタル化の遅滞を心配するほど、私は人格者ではない。

一般的に言って、年寄は年寄なりに忙しい。と言うか、自分の尻を拭くのに精一杯だ。

色々な持病の検査数値、医療負担の増大、年金の目減り、経済的に恵まれていれば相続の準備、恵まれていなければ生活保護の申請、障害を抱えたりヨボヨボになると介護サービスの手配、老人ホームの検討、果ては墓地の確保 ----- 列記しながら自分で厭になるほど、年寄の心配事は数多く、鬱陶しい。

従って、例によって身も蓋もない言い方をすれば、日本のデジタル化遅延の挽回などというお題を振られても「知ったこっちゃねえ」としか応えられない。

 

        *

 

昨日、翻訳を終了してNative Speakerに回した。

数日内で仕上げるとのことで、ホッとした。納期を落とさずに済む。

同時にふと思った。

この翻訳と言う仕事が、各種のAI翻訳ソフトに駆逐されるまで後何年だろう?

そう遠い先の話ではないな、という気がする。

 

 

                                                               (2025.01.17)

 

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先日、旧友Aと京都で会った。

Aは数年前に足首を骨折して以来、日常的に杖をつくようになった。

その老翁然とした姿が、私にはいつまでたっても馴染まない。
(なんだ、おまえ。その爺臭い恰好は!)なんていう心の声が湧き上がる。半世紀以上の付き合いなので、こういう時、どうしても ↓ こんな風だった彼の若い時の姿が浮かぶからだ。

 

      

 

もっとも、かく言う私もAの杖を揶揄できない。

ターミナルの駅などで、エレベーターやエスカレーターまで行くのが面倒なため、階段を上り下りすると、筋肉の落ちた大腿部がテキメンに痛む。息も切れる。

自分では足早に昇っているつもりでも、その横を、制服の女子高生などが軽やかにスカートの裾を翻して追い越して行ったりする。その軽やかさが眩しい。

中には、階段を二段飛ばしで風のように駆け上がっていく男子生徒もいる。

(こら小僧! 無礼だろう)

 

 

このバスケットボールと杖の間に、中小企業主としてのAの長い人生が流れた。

しかし、こんな図式は別に珍しいものではない。あなたも私も同じだ。

みんな何らかの象徴物の間に流れる時間を生きる。そして老いる。

私のようにしつこく老いの詠嘆を繰り返す者は、こんな句を呟いたりする。

 

  嗚呼 老いたり 是れ誰の愆(あやまち)ぞや (朱熹「勧学文」

 

                                                                          (2025.01.12)

 

 

 

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一休禅師作と伝えられる有名な句に、こういうのがある。

  門松や  冥土の旅の一里塚  

      めでたくもあり  めでたくもなし

「もちろん知ってるよ」という世代もあれば、そもそも「一休って誰?」という世代もぼちぼち世間に出て来ている。

その筈で、子供の頃に ↓ こんなアニメを観て育った世代が、そろそろ定年退職する年齢になっている。

 

    

 

さて「門松や」の句。

何と言うか、いかにも皮肉屋で冷笑的な禅坊主が捻りそうな句で、私は中学生くらいの時に覚えた。これを「皮肉」や「冷笑」だけではないな、と悟ったのは、自身が年寄になってからだ。

ある意味、心に滲みる。これは、実に素直な慨嘆ではないのか?そんな風に感じた。

宗祇の絶唱と言われる下記の句も同様だ。

若い時は(擬古を気取りやがって・・・)みたいに鼻で嗤っていたが、年をとって身に滲みた。

  世にふるも 更にしぐれの 宿りかな

 

それで、今年、私は親しい仲の人達にこんな新年の挨拶を送った。

  癌も認知もかわしつつ とりあえず生きててくれ

我ながら実に素直な述懐なのに、約一名が「新年早々、縁起の悪い事言うな」と返してきた。

ユーモアの通じない奴だ。

 

                                                          (2025.01.01)

 

 

 

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ここ数年の面白ニュースを下に。

不謹慎ながら、聞いた時は憤慨するより先に噴き出してしまいました。笑い泣き

 

消防士が放火するわ、

警察官が盗みやらかすわ、

税務署員が脱税するわ、コロナ給付金の詐欺やるわ、

銀行員が貸金庫の客の金をくすねるわ、騙し取るわ、

看護師が入院患者の点滴に毒入れて殺しちまうわ、

老人ホームの介護士がよぼよぼの入居者を階段から放り投げるわ、

裁判官がインサイダー取引で捕まるわ(おまえ、重罪犯に向かって死刑宣告するときゃ一体どんな顔して言うんだ?)

 

既成社会の土台である司法や行政が、モラルハザードの白蟻湧かせてボロボロになっていくような光景です。(舌先三寸の権力亡者が集まる立法など、ハナから白蟻の巣窟みたいなものなので言うに及ばず。)

食い詰めた野良犬みたいなのが、この世の仕組みのいい加減さ、建て前の仮面のお粗末さに気づき始めたら、そりゃ、闇バイト強盗なんてものが後を絶たないのも無理ないですね。

しかしまあ、一つの時代の理念が崩れていくときは、こんなものなのかも知れません。

 

 

それにしても、ものの見事に何でもありですね。

マンガみたいな国になったと実感します

 

 

             わははは!

    

 

 

                                                            (2024.12.26)

 

 

 

 

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   君はどこまで往くのだろう

 

君はどこまで往くのだろう、

確たる志も矜持もなく、

生涯を賭ける覚悟もなく、

傍らを共に歩んでくれる愛もなく。

 

君はどこまで往くのだろう、

旅宿の夜ごとの褥(しとね)にあって、 

重く湿った掛け布団を被り、

じっと寒い朝を待つ。

 

君はどこまで往くのだろう、

縁もゆかりもない異郷の地

道も知らず、人も知らず、

そも己の行く先も知らずに。

 

                   (2024.03 頃)

 

 

 

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詩文片紙

 

 

 

    

 

また今年も暮れていきます。

ちなみに今日はクリスマス・イブ。

クリスマスが過ぎると大晦日、そこで一年の区切りがついて新しい年が来ます。

 

  大晦日 定めなき世の さだめ哉(井原西鶴)

 

年をとると、こんな句が何となく心に沁みるようになりますね。

 

今年は、翻訳7件と雑文2件の仕事をしました。

と言うか、トータルすると5カ月は仕事がなく無為徒食、要するにグータラしてました。(なんという余生の無駄遣い!)と焦りも湧きましたが、(ま、こんなもんか)という年齢を言い訳にした諦めも湧く。妙な表現をすれば、(焦燥さえも年をとる)ということでしょうか。

 

 

娘が帰省すると言ってきました。

去年同様、大晦日に来て元旦に戻るそうです。

ここで、昔よくやった『空の巣先輩芸』を一つ。

もうじき実家を巣立つ子女のいるお父さん、お母さん。

今は手間と金ばかりかかるけど可愛げもある子供達も、月日が経つと、殆どの場合、

(実家なんかに用はない。ああ、面倒いけど帰らないとうるさいし・・・)と思っています。

「たっだいま~!」と明るい声で帰って来ても、すぐ地元の友達に会いに外出します。

せめて夜の食事を豪華に、とあれこれ準備しても、話に花が咲く時間はせいぜい10分です。男親だけなら60秒持てば良い方です。

ここで、空の巣先輩芸のお馴染みのオチ。

(うちの子は、そんなことありませんよ ww)と余裕たっぷりの微笑を浮かべたそこのお父さん、お母さん。

私も、娘を送り出す前はそう信じて疑いませんでした。

 

                                                             (2024.12.24)

 

 

 

 

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