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考える道具を考える

The instrument which I think

このブログサイトでは、あるテーマについて書くと、
頼みもしないのにブログの下段にAds by googleというタイトルで勝手に広告が掲載される。

「言葉」について書くと、英会話の宣伝、心理セラピストのメルマガの案内、それに何故か中国語のご案内が、もれなくついてくる。

原稿の中の何かのキーワードにヒットして、
広告出稿者の依頼内容にマッチすれば、恐らく何らかの順位付けによって、
三つの広告が選択され、自動的についてくるのでしょう。

昨日の広告には、英会話学習のご案内があった。
実に長々と、既存の英会話学校にいっても喋れるようになれないということが書いてある。

自分のブログにくっついてきたので読んでみたが、
販促プロモーションのドキュメントとしては、ストーリィが明確で、比較的分かりやすい表現にはなっていたが、要は、2万円前後のDVDテキストを購入すれば、喋れるようになりますよ‥という内容だった。

言いたいことが最初から分かっているのに、何でこんなにくどくどと書かなければならないのか?
英会話の勉強の前に、日本語の勉強すれば? といいたくなる衝動を抑えられなかった。(それなら読まなければいいじゃん? 確かに‥)

で、言葉は、英語であろうとフランス語であろうと、中国語であろうと、それぞれの成り立ちの歴史があり、意味と表現のコミュニケーションのルールがあるわけですが、英会話ができるかどうかは、自分の中の必要性と緊急性の軸で考えないと、結局喋れないで終わってしまう。それは、英語の勉強法の問題でもなく、英会話教室の問題でもなく、自分の中の必要性と緊急性の問題によってしか解決しない‥と私は思っていますね。

急な海外出張で1ヵ月海外で暮らさなければならないとなったら、必死で勉強します。誰でも。そして、どこを見ても英語でしか書いていない、喋っていない国にいけば、2週間程度で英語の基本的な会話程度は喋れるようになります。緊急度が違うからです。

緊急性のないテーマは、必要性があっても身に付かないというのが私の基本的考え方。だから、他国語を勉強したいなと思ったら、自分に緊急性のある状況を自分で作り出せばいいのですね。
長い休暇をとって、アメリカやイギリスに遊びに行く計画を立てれば、一ヵ月後に日本に帰ってきた時には、簡単な英会話はできている。

但し、そこで、やはり、日本語をきちんと話せない人間に、他国語は話せないと感じることが大切なのではないかと‥‥思うのですね。いかがでしょう?

※この文章の下には、英会話学習のAdsが三つ並んでいるはずです!


11月11日に放映されたNHK爆笑問題のニッポンの教養「日本語って“ヤバい”~日本語学・山口仲美~」を観た。

山口先生の専門は、日本語学。
奈良、平安、鎌倉時代の日本語と現代の日本語と対比させながら実に楽しく「日本語」を教えてくれる。

表題の「ヤバい」という現代の日本語。普通に解釈すれば「マズイ」「危ない」などの危機的表現の一つのようだが、現代では、「このスイーツ、美味しくてヤバい!」などと活用する場合も多くあるわけですね。「ヤバい」という言葉一つに、様々な意味合いが含まれる。これが日本語の特質だと指摘していました。
弥生言葉でいえば、「あわれなり」と同じ使い方だというのですね。何にでも使える。

日本人の感性表現言語は、「あわれ」という言葉一つで、様々な心情を意味する。マズいもまた、その伝統に繋がるものであるわけで、若者による日本語の崩壊ではないということなんです。

この番組で興味深かった指摘は、日本語の総量規制をしたほうがいいという山口先生の言葉でした。
人間の動態、感情などを現す日本語の表現が多様すぎるということ。愛情表現の一つ、接吻。くちづけといい、キスといい、口吸いといい、チューといい‥‥多すぎるということ。

だから、まずは総量を減らし、一つの行為については、一つの日本語を当てることによって、かえって深い意味合いを獲得していくことが大切だと指摘されていたのです。

なるほどね。
日本語の俳句、短歌、詩歌などは、一つの言葉で様々な心情を印象づける。
言葉の余韻‥そのためには、言葉の表現のバリエーションは、多い必要はないということですね。

この山口先生のご指摘って、結構「ヤバくない?」



2007年問題と呼ばれた団塊の世代のサラリーマンの大量退職の波は一旦終了し、次は2010年問題とか‥。

そして、世の中は、大量に「世間」に放り出された団塊の世代を、「再活用」しようという意図を持ったプロジェクトがさかんに行われようとしている。

対象となるその多くは、特定の専門能力を持った団塊の世代という言い方で括られ、語られている。やはり、団塊の世代は、「塊」でしか見られないのだろうか?

こうしたプロジェクトは、しかしながら、いったい誰が団塊の世代で、どこに住んでいて、今何をしていて、これからどうしようとしているのか、ほとんど姿が見えないのが実態なのですね。

だから、いざ、団塊の世代を集めようとすると困難を極める、ことが多いようだ。

そうなんですね。

団塊の世代は、生まれてこの方、ずっと「世代」でしかなく、その一人ひとりは、実に多様で多彩なのです。だから、括りで捉えようとすると、するりとすり抜けてしまうのが特性で、逆の見方をすれば実に扱いにくい「世代」でもあるのですね。

リタイアメントした2007年の主におじさん達の70%が、なんらかの仕事を継続したいという意思を持っているという調査もありますが、その方々は、テンデンばらばらに存在すると考えないと、こうした団塊の世代再活用論は、空論に終わることになるのです。

へへぇ。私もそういえば、団塊の世代なんでしたっけ? 忘れてましたよ!


今年、初めて野球の試合を見た。
日本シリーズの最終戦。西武が逆転で日本一になった。

今年の西武の勝因は、伸び伸び野球だったのでしょう。
試合での失敗を「責める」ことがなかったといいます。
そして、打席に立ったら第一球目から全力で振り切ることを教えた。
結果は問わない。
ホームランの数が格段に増えた。得点力も上がった。

しかし、昨日の試合は、完全に投手力の勝利だったと思う。
エース級の全員が二回ずつ投げる。3回以降のジャイアンツはノーヒットだった。
投手の責任は、点を取られないこと。
そして、守りのしっかりしたチームは、勝つ可能性が高いというセオリーが生きた試合だった。
ジャイアンツは四球で崩れた。これも守りの差。

さて、リーダーのあり方を考えた。
ワールドカップの監督を選手から拒絶された
星野式スパルタ野球の時代は終わった。

そして今回。新人監督渡辺さんのイメージは、叱らない野球。
監督はドンとしていて大久保さんらのコーチが徹底する。
コミュニケーションのあり方の構図がうまく行った例と見てもいい。

但し、古いスパルタとの違いは、徹底した情報の分析にもあったことは忘れまい。
情報分析の技術は両軍ともにあったはず。その情報を生かすかどうか‥。
科学的戦略を実践で役立たせるには、選手の良い部分を伸ばそうとする
リーダーの姿勢なのかも知れない。

実は、誰も指摘しないだろうが、
今回の勝負の分かれ目は、二番手、控え捕手の差だったのではないか?

西武球団、オメデトウございました。

手品がブームだったのは、つい先ごろまで。
素人が手品を操るには、なかなか技術がいる。

友人に手品の上手な男がる。
色々な場面で、突然手品が始まる。

小さな赤い球を取り出して、
左右の手で上に下にクロスしている間に、
赤い球は二つになり、四つになり、
最後は、8つほどが掌から溢れだしてくる。

友人曰く、手品を見せる場合、三つの原則があるそうだ。
  一つは、何をするのか説明しないこと。
  二つは、二回続けてやってはいけないこと。
  三つは、種明かしをしてはいけないこと。

ははぁ。成る程。

さっそく、百貨店に行き、マジックコーナーで、
120種類の手品ができるセットを購入した。
DVDの解説つきのそのセットは、
手品の仕掛けがいかに単純か示している。
要は、見せ方、演出の仕方次第なのだ。


簡単な練習をして友人の前で披露してみた。
私は、手品の原則を無視して、
実に丁寧に手品の種明かしを始めてしまう衝動を抑えられなかった。
手品をして相手を煙に巻くより、
手品論を展開する始末だったのです。
そして、そもそも、どの手品も、上手くいかないのでした。(当り前か‥)

その後、手品に挑戦することはありません。
思えば、私は、その友人に乗せられて、
百貨店の売上に貢献していた単なる一人の顧客に過ぎなかったのです。
手品に仕掛けられられたのは、ほかならぬ自分自身だったのです。

友人は、その百貨店の責任者なのですから。