依然としてテレビが発信するニュースの影響力は大きい。
かつて学校では、前夜放映された視聴率の高いテレビ番組を観ていないと、翌日学校に言ったときにその話題に入れず仲間はずれにされてしまうなどという現象が起こったというが、今、多様化の時代になってこういうことが起こらなくなったでも言うのだろうか?
集団の中にいる日本人。
その中にいることで安心するという集団意識は、
まだまだ根強く残っていると観たほうがよさそうだ。
例えば年末年始の日比谷公園。
ここに「派遣村」なる仮設住宅が設置され、
500人程度の派遣契約終了者の方々と見える人たちが、
炊き出しのご飯を無料で頂いているシーンがさかんに放映された。
これを企業が起した災害の被害者達の集まりというイメージでニュースは流した。
大地震で放り出された災害被害者と同じなのだという印象を植え付けた。
しかし、一定の期間が過ぎたら、今度は国の関連施設に移動したり、
そのうち、知らないうちに何処かに消えてしまうのでしょう。
一定の期間で「村」のイベントは終了する。
当り前で、日比谷公園の場所を誰かが有料で借りて、その期間イベントをやっていただけの話なのだ。
これが、社会的現象と捉えるのには無理がある。
派遣切りによって、5000人レベルの死者を出したとでもいうのだろうか?
50人の動員された人間がいればパニックは起せる!
これが集団心理の専門家の共通した認識ですね。
ともかくも‥‥
今、日本の労働事情は依然として「人手不足」なのです。
そういう私が所属する会社も、多くの人材を求めています。
メディアが流すニュースには、
五分の正解と五分の誤りが内在していることを知っておくことが大切ですね。
精神医学の世界で活躍する和田秀樹先生は、実に多くの著作を出版されている。
その中で、私が時々読み返しているのが、「数字で考えれば仕事がうまくいく」(日本経済新聞社 2004年8月初版刊)という一冊の本だ。
問題の所在を正しく把握し、どのように解決するかを考える時。あるいは、多くの人の前で話をしなければならない時。あるいは、どうしても相手を説得したいと思っている時。私達は、「数字」を上手に使うことで効果を上げることができる‥という内容の本なのですね。
漠然と売上が上がらない‥と考えているのではなく、その原因を探るのに「数字」で考えてみるというヒントが満載されています。
例えば、売上高を高めるために、私達は通常、まずは顧客数を増加させるように狙いを定めます。10人の顧客より、100人の顧客のほうが、売上高に貢献する確率は高くなります。しかし、一定程度の顧客数に達すると、今度は売上高が減少に転ずることがあります。顧客数がただ多くなれば単純に売上が上がるというわけではないのですね。
その理由は簡単で、少ないお客様に対するときに保有できるケアの時間が、顧客数が多くなればなるほど少なくなり、ある意味、ぞんざいな対応になってしまい顧客離れを起すということですね。ある事業やプロジェクトを考案するときは、適正な顧客数と適正な売上を予測し、それを目標にすることが大切だといわれる理由は、こんな数字から読み取れるというわけです。
そして、本著では、数字でものを考える時とても大切なのが「知的体力」だと和田先生は指摘しています。
知的体力は三つの力で構成されています。一つは「知性」、二つは「体力」、三つが「精神力」。
知性とは、発想力と柔軟な思考力、それにビジネスの多様な知識
体力とは、肉体的な体力のほかに、経済力も含まれる
精神力とは、失敗にへこたれない挑戦意欲の持続力
これらを総合したものが、知的体力だというわけですね。
但し、数字で考えるという本著の中で、唯一数値化できないものが、この知的体力で、この「力」は、自分の中で「心の力」として意識するしか方法がないのかも知れません。
何があっても頑張れる!
そういう気概、タフさこそ、知的体力の源泉なのかもしれませんね。
その中で、私が時々読み返しているのが、「数字で考えれば仕事がうまくいく」(日本経済新聞社 2004年8月初版刊)という一冊の本だ。
問題の所在を正しく把握し、どのように解決するかを考える時。あるいは、多くの人の前で話をしなければならない時。あるいは、どうしても相手を説得したいと思っている時。私達は、「数字」を上手に使うことで効果を上げることができる‥という内容の本なのですね。
漠然と売上が上がらない‥と考えているのではなく、その原因を探るのに「数字」で考えてみるというヒントが満載されています。
例えば、売上高を高めるために、私達は通常、まずは顧客数を増加させるように狙いを定めます。10人の顧客より、100人の顧客のほうが、売上高に貢献する確率は高くなります。しかし、一定程度の顧客数に達すると、今度は売上高が減少に転ずることがあります。顧客数がただ多くなれば単純に売上が上がるというわけではないのですね。
その理由は簡単で、少ないお客様に対するときに保有できるケアの時間が、顧客数が多くなればなるほど少なくなり、ある意味、ぞんざいな対応になってしまい顧客離れを起すということですね。ある事業やプロジェクトを考案するときは、適正な顧客数と適正な売上を予測し、それを目標にすることが大切だといわれる理由は、こんな数字から読み取れるというわけです。
そして、本著では、数字でものを考える時とても大切なのが「知的体力」だと和田先生は指摘しています。
知的体力は三つの力で構成されています。一つは「知性」、二つは「体力」、三つが「精神力」。
知性とは、発想力と柔軟な思考力、それにビジネスの多様な知識
体力とは、肉体的な体力のほかに、経済力も含まれる
精神力とは、失敗にへこたれない挑戦意欲の持続力
これらを総合したものが、知的体力だというわけですね。
但し、数字で考えるという本著の中で、唯一数値化できないものが、この知的体力で、この「力」は、自分の中で「心の力」として意識するしか方法がないのかも知れません。
何があっても頑張れる!
そういう気概、タフさこそ、知的体力の源泉なのかもしれませんね。
昨年の5月に放映された爆笑問題の爆問学問「私が愛したゴリラ」を観た。
ゲストに登場したのは、京都大学山際教授(大学院・霊長類生態学者)。
(ちなみに、毎日読ませていただいておりますブログ「50代オヤジの独言」ニックネーム加齢臭さんは、このときの放送内容をブログで再現していた記憶があります)
類人猿、特にゴリラの姿を通して人間性を学ぶ‥ということと、人間を通してゴリラを学ぶという明確な問題意識を持った山際先生の話は分かりやすかった。
とりわけ、人間と類人猿との最も大きな相違点は、喜怒哀楽の表現が、まったく違うという指摘でしたね。
「子供のゴリラは笑う。でも大人になるとゴリラは笑わない。そして泣かない。」
笑うという行為は、人間独特の感情表現で、まぁ、共同体での空間共有意識の表現方法になるわけですね。ゴリラは人間に極めて近い家族での共同生活を営むが、社会的存在ではないので、笑う必要はないのだという指摘。
爆笑問題の田中さんが、ふと漏らした言葉が気になった。
‥そういえば、サルもゴリラも、みんな一緒になって大笑いしているシーンは見たことないな。
笑い‥‥。共感の表現。(勿論ゴリラにはゴリラなりの感情表現があるらしい。)
一人が笑うと皆が笑い出すのも、人間が学習した貴重な表現方法なのだろうか?
どこか不機嫌そうなゴリラの顔を見ていて、人が笑わなくなったらどうなるんだろう‥などと考えていた。
‥そんな不機嫌な顔してないで、落語でも聞きながら笑い飛ばして、嫌なことは忘れちまいな!
せっかくだから、豊かな感情表現をしようじゃありませんか?
ゲストに登場したのは、京都大学山際教授(大学院・霊長類生態学者)。
(ちなみに、毎日読ませていただいておりますブログ「50代オヤジの独言」ニックネーム加齢臭さんは、このときの放送内容をブログで再現していた記憶があります)
類人猿、特にゴリラの姿を通して人間性を学ぶ‥ということと、人間を通してゴリラを学ぶという明確な問題意識を持った山際先生の話は分かりやすかった。
とりわけ、人間と類人猿との最も大きな相違点は、喜怒哀楽の表現が、まったく違うという指摘でしたね。
「子供のゴリラは笑う。でも大人になるとゴリラは笑わない。そして泣かない。」
笑うという行為は、人間独特の感情表現で、まぁ、共同体での空間共有意識の表現方法になるわけですね。ゴリラは人間に極めて近い家族での共同生活を営むが、社会的存在ではないので、笑う必要はないのだという指摘。
爆笑問題の田中さんが、ふと漏らした言葉が気になった。
‥そういえば、サルもゴリラも、みんな一緒になって大笑いしているシーンは見たことないな。
笑い‥‥。共感の表現。(勿論ゴリラにはゴリラなりの感情表現があるらしい。)
一人が笑うと皆が笑い出すのも、人間が学習した貴重な表現方法なのだろうか?
どこか不機嫌そうなゴリラの顔を見ていて、人が笑わなくなったらどうなるんだろう‥などと考えていた。
‥そんな不機嫌な顔してないで、落語でも聞きながら笑い飛ばして、嫌なことは忘れちまいな!
せっかくだから、豊かな感情表現をしようじゃありませんか?
私達が見る人間の生き様には、
皆、裏と表があって‥‥。
どちらに視点を当てるかで、ものの見方や考え方は凄く変わる。
立川談春さんのエッセイ「赤めだか」では、
談志さんのもとに前座修行に入った談春さんの物語が綴られているが、
その中で興味深い談志(イエモト)さんの言葉があった。
例えば、忠臣蔵。この主人公は四十七士。
忠義を重んじて主君の仇を討つ物語で有名だが、
実際に浅野家の家臣は300人前後はいたらしい。
つまり、47人は仇討ちに参加したが、250人程度の家臣はどこかに逃げちゃったということ。
落語の世界は、この逃げちゃった家臣に焦点を当てる
というお話。
そういえば、1967年に映画公開されたダスティン・ホフマンの出世作「卒業」。
サイモンとガーファンクルの奇麗な歌声でも有名になった作品だった。
物語の最後に、恋人エレンを教会の結婚式場から奪ってしまうシーンが、当時の男の生き様をよく現していて、共感性が高かった。
(ホフマン演じる主人公は、キャサリン・ロス演じる恋人の母親とオイタしたのに、最後は目的を達成するために強硬手段をとるわけだけど、観客はこの行為を喝采し安堵したのでしたね)
現代的な勝利の方程式。この映画には、自分が悪いことしても、本来の目的に立ち返り、恋人を奪い取るほうが偉いみたいな空気があったが、ここでも、結婚式場から自分のフィアンセを奪われてしまった「哀れむべき男」にフォーカスしてみると、このドラマはまったく違ったものになるわけですね。
まぁ、落語は、この花嫁を奪われてしまった男の側に立って見るということでしょう。
とかく世間は、善悪をつけたがる。
でも、ものの道理には、裏もあれば表もある‥という当り前のことが案外気づかない。
話の面白さ、不可解さ、馬鹿馬鹿しさ‥落語の世界から学ぶものは、プレゼンテーションの極意と人生の裏表ですね。
皆、裏と表があって‥‥。
どちらに視点を当てるかで、ものの見方や考え方は凄く変わる。
立川談春さんのエッセイ「赤めだか」では、
談志さんのもとに前座修行に入った談春さんの物語が綴られているが、
その中で興味深い談志(イエモト)さんの言葉があった。
例えば、忠臣蔵。この主人公は四十七士。
忠義を重んじて主君の仇を討つ物語で有名だが、
実際に浅野家の家臣は300人前後はいたらしい。
つまり、47人は仇討ちに参加したが、250人程度の家臣はどこかに逃げちゃったということ。
落語の世界は、この逃げちゃった家臣に焦点を当てる
というお話。
そういえば、1967年に映画公開されたダスティン・ホフマンの出世作「卒業」。
サイモンとガーファンクルの奇麗な歌声でも有名になった作品だった。
物語の最後に、恋人エレンを教会の結婚式場から奪ってしまうシーンが、当時の男の生き様をよく現していて、共感性が高かった。
(ホフマン演じる主人公は、キャサリン・ロス演じる恋人の母親とオイタしたのに、最後は目的を達成するために強硬手段をとるわけだけど、観客はこの行為を喝采し安堵したのでしたね)
現代的な勝利の方程式。この映画には、自分が悪いことしても、本来の目的に立ち返り、恋人を奪い取るほうが偉いみたいな空気があったが、ここでも、結婚式場から自分のフィアンセを奪われてしまった「哀れむべき男」にフォーカスしてみると、このドラマはまったく違ったものになるわけですね。
まぁ、落語は、この花嫁を奪われてしまった男の側に立って見るということでしょう。
とかく世間は、善悪をつけたがる。
でも、ものの道理には、裏もあれば表もある‥という当り前のことが案外気づかない。
話の面白さ、不可解さ、馬鹿馬鹿しさ‥落語の世界から学ぶものは、プレゼンテーションの極意と人生の裏表ですね。
昨夜のNHK教育テレビ。ETV特集。
戦後思想の流れの中で、最も強い影響力を持つ吉本隆明さんの講演会の模様が放映された。
テーマは「芸術言語論」
80歳を超えた巨人が講演会に登場するなんて大丈夫? 番組表を見た時、瞬間的にそう思ったが、足腰が弱っていたため車椅子であったことと、目が悪くなっていることの二つを除いては、若き日とほとんど変わらない。頭脳は年齢とは関係ないものだとつくづく思った。私は熱くなるものを感じた。
講演の内容は全て放映されたわけではないので何ともいえないが、文学、音楽、思想、政治、文化、マスコミ、言語、民族‥‥などなどの実に多様な分野を分析してきた巨人が、その様々なジャンルを貫く普遍性について語りつくそうとしたものだったでしょうか?
様々な異質なものに貫かれた普遍性‥。
特に「言葉」あるいは「言語」について語られた部分は印象的でしたね。
言語の本質とは、
自己表出としての言語と
指示表出としての言語に分けられる
自己表出とは、自分の内なる対話、あるいは、美しい花を見てつい、漏らしてしまうような感嘆の言葉に代表される言葉。「幹」と「根」の部分に相当する。
一方、他者あるいは社会との対話、コミュニケーションは指示表出に分類される。このゾーンの言葉は、現代では言語表現のバリエーションが多様に創造され豊かになっている。ここは「枝」と「葉」の部分か‥。
この自己表出の「幹」と「根」に、言語の沈黙性があり、この沈黙の中に、表出される言語全てを貫く普遍性が隠されているのだ‥‥ということ。
表出とは、自然と人間の交通路。
人間が表出すると自然は変化する。
芸術言語は、人の宿命を指差す
そして芸術の価値‥‥。
芸術の価値とは、自己表出の中心にある沈黙の中にある!
言葉による多くの刺激を受け、私の中にある「言葉達」がざわめいていたのだけは確かでした。
戦後思想の流れの中で、最も強い影響力を持つ吉本隆明さんの講演会の模様が放映された。
テーマは「芸術言語論」
80歳を超えた巨人が講演会に登場するなんて大丈夫? 番組表を見た時、瞬間的にそう思ったが、足腰が弱っていたため車椅子であったことと、目が悪くなっていることの二つを除いては、若き日とほとんど変わらない。頭脳は年齢とは関係ないものだとつくづく思った。私は熱くなるものを感じた。
講演の内容は全て放映されたわけではないので何ともいえないが、文学、音楽、思想、政治、文化、マスコミ、言語、民族‥‥などなどの実に多様な分野を分析してきた巨人が、その様々なジャンルを貫く普遍性について語りつくそうとしたものだったでしょうか?
様々な異質なものに貫かれた普遍性‥。
特に「言葉」あるいは「言語」について語られた部分は印象的でしたね。
言語の本質とは、
自己表出としての言語と
指示表出としての言語に分けられる
自己表出とは、自分の内なる対話、あるいは、美しい花を見てつい、漏らしてしまうような感嘆の言葉に代表される言葉。「幹」と「根」の部分に相当する。
一方、他者あるいは社会との対話、コミュニケーションは指示表出に分類される。このゾーンの言葉は、現代では言語表現のバリエーションが多様に創造され豊かになっている。ここは「枝」と「葉」の部分か‥。
この自己表出の「幹」と「根」に、言語の沈黙性があり、この沈黙の中に、表出される言語全てを貫く普遍性が隠されているのだ‥‥ということ。
表出とは、自然と人間の交通路。
人間が表出すると自然は変化する。
芸術言語は、人の宿命を指差す
そして芸術の価値‥‥。
芸術の価値とは、自己表出の中心にある沈黙の中にある!
言葉による多くの刺激を受け、私の中にある「言葉達」がざわめいていたのだけは確かでした。