行く河の流れ -38ページ目

行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 昨日の昼から隙間なく予定が詰まっていた。何かが吸い取られていくような感覚だ。僕のペースではない。どんどん他人によって僕のスケジュール帳が埋められていく。大きな社会の歯車になるってこういうことか。ならば善い歯車の一部になれれば本望なのだが、歯車の一部からは歯車全体は見えづらい。何かが僕の中からこぼれ落ちていく。大切だと感じる何かが。
 友達を家に堂々と上げること
 シャワー付きのお風呂に入ること
 ベッドで寝ること
 とても小さい時
 とても小さい部屋にいた時の憧れ
 今の子どもは何に憧れる
 今の僕は何に憧れる
 帰りの会の後は子ども達は担任の先生と僕とに挨拶をして家に帰っていく。もの静かな子、元気で一日中しゃべっている子、宿題を忘れるばかりの子、ひょうきんな子、猫のマネが上手な子、ポケモンが大好きな子、ふとっちょの子、お手伝いがよくできる子、掃除を黙々とする子・・・。
 一人一人の顔を思い出しながら、その子のキャラクターを思い出すことができる。いつも通り「さようなら~!」とどんな子もしっかり挨拶をして帰っていく。
 教育実習の最終日だけは違っていた。いつもは普通に「さようなら」と言うのに、僕がもう明日から学校へ来ないということを知り、僕が「さようなら!気を付けて」と言うと子ども達は「さようならって言うな~!」「じゃあ、またね!」と僕。子ども達は気を遣ったわけでもないだろう。嬉しかった。
 明日も当然会えるものとしての別れの挨拶。それが予期せぬ形で最期の挨拶となってしまった時の気持ちはどんなだろう。
 すぐにすねて泣いていたあの子、無愛想なあの子、生意気なあの子、お調子者のあの子・・・。どうしてこんなに明日が不安定なのだろう。別れの挨拶ができないじゃないか!
 2005年の最後の月となった。師走である。この時期になると何度も口にする台詞がある。「もう12月か。早いなぁ」
 毎年この時期に何回この台詞を言っただろうか?一年間は何回体験しても「早い」と感じるのが普通なのだろうか?「あ~、やっと12月になった」、「やっと一年が終わる」などの台詞はあまり聞いたことがない。
 なぜ早いと感じるのか?僕はやはり去年のこの時期の印象がとても強いからだと思う。1年の最後の月に今年一年を総括する。そして来年への決意を考える。それに相まって様々な行事や忘年会。おそらく12月は忙しい中にも精神的に充実したものがある人が多いのだろう。意識的に過ごしている人が多いのだろう。
 年が改まるというのは気分的にとても好きだ。何かをやり始めたくなる。年度が替わる4月もそうだが1月という始まりを大切にするためにも12月はとても大事な助走期間であり、今年一年の締めくくりでもある。
 来年の今頃も絶対に言っている。「今年も終わりか・・・」そして再来年も。次の年に繋がる台詞となり一歩一歩前進していくような前向きな気持ちを込めて言いたいものである。
 日本の技術が世界初の挑戦をしている。宇宙航空開発機構は探査機「はやぶさ」を小惑星イトカワに着陸させ、そこから岩石を採取に成功した。残るは地球への帰還である。最後の最後にまたしても難問が待ちかまえていた。エンジンに不具合が発見されたのだ。早く復旧しないと帰還が極めて厳しくなる。
 地球から3億キロ離れた小惑星から岩石を持ち帰るという計画に「不可能」という烙印はとうに押されていた。
・新開発で低燃費のイオンエンジンを惑星探査機の主エンジン採用
・自ら集めたデータに基づき航行する自動制御
・無人探査機による岩石採取
・採取試料の地球への帰還
 これらいずれもが単独のプロジェクトとして成り立つものらしい。それだけこれらすべてのプロジェクトを成し遂げるのは奇跡的なことだと考えられていたのである。すでに4つの内3つの奇跡を成し遂げている。それらの奇跡を成し遂げるためにどれだけの困難に立ち向かったか。どれだけの問題を解決してきたか。「あと一つなんとか」と祈るような気持ちではやぶさの帰還を願うのである。日本の技術者ならやってくれるであろう。日はまた昇る。
 先日彼女から本をもらった。いわさきちひろさんの絵本である。自身の絵に小さい頃から結婚し、その当時の生活を自叙的に記した本である。彼女の描く絵からも分かるように、文章もエピソードも優しさに包まれている安心感が伝わってきた。
 その中で僕はある青年と靴のエピソードが印象に残っている。終戦後、彼女は一人の青年と出会いました。彼の服装は終戦直後ということもあって、りっぱなものではありませんでした。ちひろさんは言います。「靴を買ってあげましょうか」と。しかし彼は靴なら6足も海軍からもらったものがあるのでいらないといいます。しかしそのもらった靴は履いていません。
 「僕は一生お金のたくさん入るような仕事にはつかないつもりなんです。ですからとても靴なんて買えるようにはならないと思います。だからあの6足の靴を一生はこうと思ってたいせつにしているんです」。彼が言った言葉でした。ちひろさんはこの言葉を忘れることができないくらいの衝撃を受けたと言っています。
 このもらった絵本の中には他にもいろいろなエピソードが登場する。どれをとっても僕の心をほっとさせてくれる。この視点が大好きである。雑誌『ku:nel』のコピーである「ストーリーのあるモノと暮らし」。この本の中にはそれらが溢れていた。
 中学2年生にニカラグアでの活動体験をお話しする機会を得た。自宅からはとても遠い中学校だったがありがたい話なので喜んで引き受けた。車で学校へ向かったのだがどんどん山間を走っていく。気温が変わってきて山の色もそれと共に変わってきた。車でお気に入りの音楽を聴きながらのドライブはとても気持ちがいい。いろいろなことへ思いを馳せられる時間である。
 学校へ着き、使用する教室へ向かうと今日話を聞いてくれる生徒達がいた。軽く挨拶をしながら少し照れながら僕の方を見ている。この学校は2年生が1クラスだけ、つまり今日話を聞く生徒がこの学校の全2年生ということになる。
 現地で撮影したビデオを編集して持っていき、ワークシートも作成して考える時間を設けるようにもした。1時間があっという間に過ぎ、今日体験談を聴いた感想を書いて提出してもらった。
 その感想を読むと、皆同じような感想であった。僕が話したことをそのまま書き写しているのである。2つの点に愕然とした。まず1つ目は子ども達が決まり文句のような感想文しか書けていないこと。どの子の感想文を読んでいても、その子の言葉ではなくどの言葉も僕の心に響いてこない。つまらないのである。とても残念に思った。
 その点が2つ目に繋がるのだが、僕の話したことがこんなにも直接子ども達に入り込むのだということ。僕が話をしたことの影響力の大きさに驚いたのである。
 子ども達が書いてくれた感想文は僕の話したことの鏡なのだ。つまりは僕の話がありきたりで子ども達の心に響くものではなかったということになる。
 課題は山積みである。しかしそれら課題を前にしてこの胸の高揚感はなんであろうか。
「おい!今笑った者、手を挙げてみろ!」
 教師らしき者が皆の前に立って強圧的な物言いで指示を出した。まずは30代だろうか。責任感の強そうなスーツを着た男性が右手を挙げた。もう顔の笑みは消え、前に立つその人物を「お前はどうなんだ」と言いたげな目でじっと見据えていた。次にその隣の女性。後ろの方に座っていた初老の男性も手を挙げていた。その隣で座っていた孫娘であろうか、小さな女の子がおじいさんの顔を見上げながら、ハッと気付いたように手を挙げた。
 「なんだ、人間だけか。つまらないな」
 夢は今と同じ地平にある
 ある日起きると生まれ変わり才能と能力に溢れ
 その力で夢を達成することなんてありえない
 夢への過程は上り坂
 歩かなければ進まない
 一歩でも
 歩くスピードは人それぞれ
 歩く意志の在る者のみが夢に近づく
 夢は今と同じ地平にある
 追えども追えども捉えられない
 本当に夢とよばれるモノを達成した者は
 何を観るのだろう
 そこから観える地平には何があるのだろう
 猫がお気に入りの場所でいつものように寝ている
 窓際の赤い座布団の上
 テレビの上
 台所のテーブルの椅子の上
 布団に上手に寝床を作り、その洞穴のなか
 お気に入りのオモチャをくわえて来て
 寝ている側に置いている
 すべてがお気に入り
 猫にもこだわりがあるのかな