無報酬で僕の労働力を提供している。家の手伝いをしているのだから当然と言えば当然なのだが、人によって捉え方が違うのが面白い。
「親孝行をしているね」と言う人もあれば、「早く職に就け」と言う人もいる。両方とも論理的には正しい。要は出発点であるその人の価値観によって人を見る目が決まっているのだ。
僕の価値観では「仕事」とは「お金を稼ぐ為」にあらず、それをやることによってちょっとでも人が喜んでくれたり、社会がちょっとでも良くなる方向へ向かうことを「仕事」と捉えたい。
今、僕が家の手伝いをすることで両親の休む時間をなんとか確保できている。正直もっと楽をさせてあげたい。お金で解決するものではない。気持ちのゆとりを。
両親が一生懸命働く姿を見ていると涙が出てくる。なかなか親が会社員だと見ることができない姿だと思う。僕はこの両親の子に生まれてきてよかった。
今まで「勉強」と呼んでいたことを「研究」と呼ぶことにした。以前、友人にその効用について話を聞いていた。「研究」には「勉強」という言葉にはない独特の響きがある。でも、僕にはまだ「研究」するべき対象が明確になっていなかった。
時間を使い、自分の中に沈むことによって見えてきたモノがある。例えそれが最初のスタートラインに戻ったモノだとしても、迷走し、寄り道をし、探し回った挙げ句に見つけたモノは僕の中での直感に太い背骨を与えた。
それを「研究」と名付けることで、良く仕立てたスーツを着た時のようにピリッと背筋が伸びる。そして心が躍る。
時間を使い、自分の中に沈むことによって見えてきたモノがある。例えそれが最初のスタートラインに戻ったモノだとしても、迷走し、寄り道をし、探し回った挙げ句に見つけたモノは僕の中での直感に太い背骨を与えた。
それを「研究」と名付けることで、良く仕立てたスーツを着た時のようにピリッと背筋が伸びる。そして心が躍る。
部屋の掃除をする。部屋が綺麗になり秩序が生まれる。
ゴミは掃除機で吸い取った。
掃除機の中にゴミは溜まり、混乱を増す。
掃除機のゴミを捨てる。
掃除機の中はゴミを掃き出すことにより綺麗になる。
捨てられたゴミは燃やされ灰になる。
燃やした時の影響で二酸化炭素が発生する。
積もり積もって地球温暖化を招く。
結局、部屋の掃除をすることは地球温暖化を招く。
どこかを整えれば、どこかへ皺寄せが起こる。
世界の総体は一定で、その皺の寄せ具合で秩序か混乱かが決まる。
国際協力の名の下に行う援助はどう考えればいいのだろう。
ゴミは掃除機で吸い取った。
掃除機の中にゴミは溜まり、混乱を増す。
掃除機のゴミを捨てる。
掃除機の中はゴミを掃き出すことにより綺麗になる。
捨てられたゴミは燃やされ灰になる。
燃やした時の影響で二酸化炭素が発生する。
積もり積もって地球温暖化を招く。
結局、部屋の掃除をすることは地球温暖化を招く。
どこかを整えれば、どこかへ皺寄せが起こる。
世界の総体は一定で、その皺の寄せ具合で秩序か混乱かが決まる。
国際協力の名の下に行う援助はどう考えればいいのだろう。
「今後何かの役に立つからがんばる」という言葉が腑に落ちない。何かの役に立たないことはがんばれないのかな。
例えば僕は学生の時、大嫌いだった算数や数学。今では益々出来ないが、よく「論理的思考を身につける為に」という大義をようやく与えられがんばって勉強する。論理的思考は社会に出てから役に立つからと。
僕はむしろ算数や数学は実社会では「役に立たない」モノとされて良いと思う。そんなものに集中して何年も取り組めるということに重要な意味があるのではないかと思う。社会に出るといやがおうにも実践的な技術や知識を求められる。そこから離れたところで数字の美しさに向き合う学生時代のなんと幸せなことか。
なんでも実社会に有用なモノに結びつけようとする。意味が無くてもいいじゃないか。
例えば僕は学生の時、大嫌いだった算数や数学。今では益々出来ないが、よく「論理的思考を身につける為に」という大義をようやく与えられがんばって勉強する。論理的思考は社会に出てから役に立つからと。
僕はむしろ算数や数学は実社会では「役に立たない」モノとされて良いと思う。そんなものに集中して何年も取り組めるということに重要な意味があるのではないかと思う。社会に出るといやがおうにも実践的な技術や知識を求められる。そこから離れたところで数字の美しさに向き合う学生時代のなんと幸せなことか。
なんでも実社会に有用なモノに結びつけようとする。意味が無くてもいいじゃないか。
価値あるモノとは?
善的道徳
美的審美
聖的宗教
知的論理
働きかける感性に触れるモノ
善的道徳
美的審美
聖的宗教
知的論理
働きかける感性に触れるモノ
「バファリンの半分は優しさでできています」というCMがあった。僕はこのコピーをとても気に入っている。非常に情緒的で言葉の裏にある世界を垣間見ることができる。
「涙は何でできている?」の問いに「水と塩分」と答えるほど寂しい答えはない。その涙の背後に何があるかを観ないと涙は理解できない。
「涙は何でできている?」の問いに「水と塩分」と答えるほど寂しい答えはない。その涙の背後に何があるかを観ないと涙は理解できない。
前日からの二日酔いを引きずりつつ彼女に会うために瀬戸内海を渡った。最寄り駅までの交通手段が家の車の都合が合わず、早朝に駅まで送ってもらった。目覚めは無理矢理良好。
せっかくの瀬戸大橋を渡りつつ眺める瀬戸内海を一瞥もすることなく終点高松についた。二日酔いどころか、まだ酔っぱらっていた。
あまりに早く到着しすぎて駅の2階にある喫茶店で待つことにした。無性に活字を読みたく思って、キオスクでなぜか普段は読まない日経新聞を購入。お酒の力だ。
食欲は なかったのだが、モーニングセットを頼み、新聞に目を通す。なかなか面白くいい発見ができた。が、食は進まない。
彼女と合流してからはひたすら高松の街を歩きまくった。昼食にうどんを食べて、また歩きまくった。運動をするからかだんだん体の毒素が抜けてきた。
夕方から仕事があったので残念ながらすぐに帰らなければならなかった。帰りの電車で口の中に口内炎ができていることに気づいた。胃がやられている。
なんとか仕事をこなして家に帰った。明日は大丈夫だろうと念じて眠りにつく。
せっかくの瀬戸大橋を渡りつつ眺める瀬戸内海を一瞥もすることなく終点高松についた。二日酔いどころか、まだ酔っぱらっていた。
あまりに早く到着しすぎて駅の2階にある喫茶店で待つことにした。無性に活字を読みたく思って、キオスクでなぜか普段は読まない日経新聞を購入。お酒の力だ。
食欲は なかったのだが、モーニングセットを頼み、新聞に目を通す。なかなか面白くいい発見ができた。が、食は進まない。
彼女と合流してからはひたすら高松の街を歩きまくった。昼食にうどんを食べて、また歩きまくった。運動をするからかだんだん体の毒素が抜けてきた。
夕方から仕事があったので残念ながらすぐに帰らなければならなかった。帰りの電車で口の中に口内炎ができていることに気づいた。胃がやられている。
なんとか仕事をこなして家に帰った。明日は大丈夫だろうと念じて眠りにつく。
青年海外協力隊の岡山県のOV会があった。夕方から駅前での親睦会に参加した。顔を見たことがある人もいたが、ほとんどがおそらく初対面だと思う。年齢層は比較的高く40歳代から50歳代の人が多かったようだ。
本当に不思議なもので初対面の人であっても、その人の任国を通じて共通の知人がいたりと思わぬ繋がりを発見することもできる。
本当に不思議なもので初対面の人であっても、その人の任国を通じて共通の知人がいたりと思わぬ繋がりを発見することもできる。
向山洋一氏の著書である。この著書の中で彼は現在の学級崩壊、学校崩壊などの教育現場の混乱を「教師の授業する力が低い」というポイントを挙げている。そもそも教師は大学の教育課程で「授業のやり方」は学んでいないのだ。
その問題に向き合い氏は全国の優れた教育技術・方法を集め、それを修正し、教師の共有財産にする「教育技術法則化運動」(略称TOSS)の代表を務めている。
第二次世界大戦で日本の教育界が失ったものが3つあるという。
一つは「日本の中に何十年、何百年に渡って蓄積されてきた教育のやり方、つまり教育技術・方法」が挙げられている。つまりあまりに具体的で小さな教育技術や方法よりも高い教養が求められるとされた。
二つ目は「日本人としての倫理観」である。戦争にまでいった「滅私奉公」への反省から「滅公奉私」へとなってしまったこと。
三つ目に「近未来に対する主体的学習」を挙げている。「戦争」の反省のみを繰り返し学び、大切な「これから」のことを放棄してしまったと述べている。
教師の人格が教師たる資格にはなるだろうが、実際の「教育技術」を学ぶことは何か小手先なモノに勘違いされがちである。しかし研究を重ね、修正され、伝えられてきた、又は伝えていくべき技術を学ぶことに追求するべきモノを観る。その行きつく先に「美しい授業」があるかもしれない。
その問題に向き合い氏は全国の優れた教育技術・方法を集め、それを修正し、教師の共有財産にする「教育技術法則化運動」(略称TOSS)の代表を務めている。
第二次世界大戦で日本の教育界が失ったものが3つあるという。
一つは「日本の中に何十年、何百年に渡って蓄積されてきた教育のやり方、つまり教育技術・方法」が挙げられている。つまりあまりに具体的で小さな教育技術や方法よりも高い教養が求められるとされた。
二つ目は「日本人としての倫理観」である。戦争にまでいった「滅私奉公」への反省から「滅公奉私」へとなってしまったこと。
三つ目に「近未来に対する主体的学習」を挙げている。「戦争」の反省のみを繰り返し学び、大切な「これから」のことを放棄してしまったと述べている。
教師の人格が教師たる資格にはなるだろうが、実際の「教育技術」を学ぶことは何か小手先なモノに勘違いされがちである。しかし研究を重ね、修正され、伝えられてきた、又は伝えていくべき技術を学ぶことに追求するべきモノを観る。その行きつく先に「美しい授業」があるかもしれない。
現在アルゼンチンで働いている友人から本が送られてきた。『Cronica del Pajero que da cuerda al Mundo』、邦題『ねじまき鳥クロニクル』である。そのスペイン語版である。去年の秋に『国境の南、太陽の西』のスペイン語版をもらい現在も読み進めている途中である。今回のモノはそれに比べ3倍くらいの厚みと中をパラパラっとめくってみると文字が小さい。一体読了することが出来るのか不安だが、村上春樹の作品はすべて読んでいるので、あらすじは頭にある。なんとかはなってしまうのだろう。
今年に入りスペイン語の勉強を始めた。ニカラグアにいるときよりも確実にボキャブラリーが増えている。現地にいると日常使う単語で済ませてしまう。日本で勉強すると様々なジャンルから語彙を拾う。複雑な心境だ。
今年に入りスペイン語の勉強を始めた。ニカラグアにいるときよりも確実にボキャブラリーが増えている。現地にいると日常使う単語で済ませてしまう。日本で勉強すると様々なジャンルから語彙を拾う。複雑な心境だ。