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行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 それは絶望である。
     ~キルケゴール~

 彼の著書『死に至る病』の冒頭にこういう言葉がある。その後、説明しているので、ここだけ切り取って使うと、随分意味が変わってくるかもしれないが、ここではこれだけの意味ということで使ってみた。社会を見ていると「大丈夫かな?」という事がいっぱいある。レジから見る社会もこの社会の一面を象徴的に表すに違いない。

 ぐずっている子どもが母親に抱かれて入ってきた。母親の母親、つまり子どもにとっておばあちゃんも一緒に3人で買い物に来たらしい。ずっとぐずっている。おやつを買ってもらってもぐずっている。レジで会計をしている時にもぐずるもんだから、母親とおばあちゃんも僕に向かって言い訳を。
「眠たくってねぇ。。。眠たいから、ぐずってるんですよぉ」
 僕は子どもに向け、同情のまなざしを向けざるを得なかった。パッと時計を見るとその針は夜の11時30分を指している。「そりゃ、眠たいよなぁ・・・」かわいそうに。
 こんなことは多々ある。こんな時間は子どもの時間じゃない。子どもの教育もさることながら、親の教育はもう手に負えない状態になるだけに、絶望的な気持ちになってしまうのだ。この社会はどこへ向かうのか。明るい希望はあるのだろうか。極めて悲観的になってくるのである。
 『代表的日本人』四の「中江藤樹」をまとめ、所感を述べる。

 1906年、近江の地に生まれた藤樹は「村の先生」として一生を過ごした。彼が11歳の時、孔子の『大学』と出会い、生涯を決める大志を抱いたのである。その本にはこう書かれていた。「天子から庶民にいたるまで、人の第一の目的とすべきは生活を正すことにある」藤樹は「聖人たれ」という大志を抱いたのである。
 28歳になった時に彼は村に学校を開いた。そこで教えられたのは中国の古典、歴史、作詩、書道であった。
 彼の考えの中で、特に変わった教えがあった。彼は弟子の徳と人格を重んじ、学問と知識を著しく軽んじたのだ。それについて述べている箇所を引用する。
「”学者”とは、徳によって与えられる名であって、学識によるのではない。学識は学才であって、生まれつきその才能を持つ人が、学者になることは困難ではない。しかし、いかに学識に秀でていても、徳を欠くなら学者ではない。学識があるだけの人はただの人である。無学の人でも徳を具えた人は、ただの人ではない。学識はないが学者である」

 また「積善」について述べた箇所も僕の印象に残ったので引用する。
「人はだれでも悪名を嫌い、名声を好む。小善が積もらなければ名はあらわれないが、小人は小善のことを考えない。だが君子は、日々自分に訪れる小善をゆるがせにしない。大善も出会えば行う。ただ求めようとしないだけである。大善は少なく小善は多い。大善は名声をもたらすが小善は徳をもたらす。世の人は、名を好むために大善を求める。しかしながら名のためになされるならば、いかなる大善も小さくなる。君子は多くの小善から徳をもたらす。実に徳にまさる善事はない。徳はあらゆる大善の源である。

 やはりこの人物も「徳」の大切さを最重要視している。共通のモノが見えてきた。
 サン・テグジュペリの作品。実は先日、amazonで「代表的日本人』『茶の本』を購入した時、1,500円以上でないと送料が無料にならないので、おまけ感覚で買った本である。前々から本のタイトルは知っていたが、「カレーの王子さま」の印象が強く、読むに至っていなかった。
 最初はお昼に窓際に座り、時折外の木々を見ながら読んだ。その余韻がずっと残っていたのだろう。夜、寝ようと思いベッドに入ってからもう一回読んでしまった。非常に儚いけれど、僕の心の大切な部分に気づかせてくれた。
 大人になるにしたがい、忘れていた子どもの頃の大切なモノ。子どもが読んでも楽しめるだろうが、この作品はきっと大人向けに書かれたのだろうと思う。

 「ほんとうに大切なモノは目にみえない」

 この言葉も受け取る大人の心によって「目に見えるモノにも大切なモノがある」などと言ってしまう人もいるだろう。受け取る人の気持ちがそのまま作品の感想に反映されるような鏡のような作品だと思う。
 いろいろな登場人物が出てくる。いろいろなエピソードが出てくる。特に僕が印象に残っているのが「絆」の話だ。王子さまが世話をしていたこの世で他には咲いていない一輪の花。その花に愛想を尽かし王子さまは星をでた。地球に降り立ち、ある庭を覗いた。そこには一輪しかないはずの花が庭一杯に咲いていた。王子さまはがっかりした。しかし、その後にキツネと出逢い「絆」というモノを実感する。キツネに促されもう一度、庭に咲く花々を見に行ったとき、王子さまは自分が世話した一輪の花との「絆」に気づくのだ。王子さまは庭に咲く花々に向かって言う。
「君たちと僕の花は違う。僕にとって君たちがいなくなってもたいしたことはない。でもあの一輪の花は違うんだ」と。
 僕はそれを教えてくれたキツネが好きになった。自分で「絆」を結んだくせに王子さまとの別れ際に悲しくなって泣いてしまうなんて、なんて奴だ。かわいいのだ。その他にもいろんな大切なことがこの作品から読むことができた。儚いけれどもすっきりした。その余韻を書き尽くすことは到底できない。よい作品に出逢えてよかった。当分「絆」が僕の頭から離れない。
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 『代表的日本人』三の「二宮尊徳」をまとめ、所感を述べる。

 19世紀初め、日本の農業は悲惨な状況にあった。200年に渡り続いた泰平の世があらゆる階級の人々の間に贅沢と散財の嵐をもたらし、怠惰な心を生じさせた。その被害を受けたのは耕地であった。
 本来「農業は国家存立の大本である」という言葉どおり、人々の生活は主として土に頼っている。特に日本の農業は世界で最も注目すべき農業である。それは土の塊一つ一つが丁寧に扱われ、土から生ずる芽の一つ一つが、親の愛情に近い配慮と世話とを与えられるからである。
 学校にはよく薪を背負いつつ書物を読む二宮金次郎の像がある。そこに至るエピソードが書かれていた。彼は16歳の時、両親を亡くし父方の伯父の家に引き取られた。日中は懸命に働き、その作業は真夜中まで続いていった。
 尊徳はそこで孔子の『大学』を一冊手に入れ、一日の全仕事を終えた後の深夜に、勉強につとめた。しかし、伯父は「何の役にも立たず、若者自身にも実際に役立つとは思われない勉強の為に、貴重な灯油を使うとはなにごとか」とこっぴどく叱ったのである。
 尊徳はもっともだと考え、「自分の油で明かりを燃やせるようになるまで」勉強をあきらめたのです。そして尊徳は川岸のわずかな空き地を開墾してアブラナの種を蒔き、休日をあげて自分の作物の栽培にいそしんだのである。その労働から授かった菜種を油数升と交換したのだ。そうして夜の勉強を再開したのである。しかしまたもや伯父は「おれが面倒を見てやっているのだから、おまえの時間はおれのものだ」と言って勉強を禁止したのです。
 尊徳は素直にその通りだと納得し、一日の田畑の重労働が終わった後、むしろ織りやわらじ作りに励んだのである。それ以後、尊徳の勉強は伯父の家のために、毎日、干し草や薪を取りに山に行く往復の道でなされたのである。その時の様子が、学校に建っている像なのである。
 その後、小田原藩の改革に抜擢された時も、「道徳力を経済改革の要素として重視する」という計画を提案している。彼の「土地と人心の荒廃との闘い」において、あるのは「ただ魂のみ至誠であれば、よく天地をも動かす」という信念だけであった。

 この人物については名前は聞いたことがあるが、どういう人物なのかは全く知らなかった。単に「苦労しながらもすごく勉強した人」という印象しかなかった。彼の人生や考え方、偉業を見てみると、ここにも彼の人格の高さを感じる。そして何よりも「徳」を大切にして生き、その態度で人はもちろん、大地とも接して生きた人なのだと思う。ただただ「自然」に沿って生きたのだろう。感じる部分が多々あった。
 『代表的日本人』二の「上杉鷹山」をまとめ、所感を述べる。

 上杉鷹山は十七歳の時、米沢藩の世継ぎとなった。彼が藩主となり、二年後初めて自領の米沢に足を踏み入れ、その惨状に衝撃を受けた。そして家来を集めてそこから得た貴重な教訓を説明した。

「この目で、わが民の悲惨を目撃して絶望におそわれていたとき、目の前の小さな炭火が、今にも消えようとしているのに気づいた。大事にしてそれを取り上げ、そっと辛抱強く息を吹きかけると、実に嬉しいことには、よみがえらすことに成功した。”同じ方法で、わが治める土地と民とをよみがえらせるのは不可能だろうか”そう思うと希望が湧き上がってきたのである」

 鷹山がまず最初に解決を迫られたのが財政の問題であった。彼は自身の生活を極限まで切りつめ、民の秩序と信頼を回復するよう倹約生活を16年間も続け、どうにか重い債務から脱することに成功した。
 善政は適材適所なくして布くことはできない。第一の役として「郷村頭取」と「群奉行」を設置した。彼らは「民の父母」として小藩の行政一般を担う総監督であった。鷹山は彼らに一つの指示をした。

「赤ん坊は自分の知識を持ち合わせていない。しかし母親は子の要求をくみとって世話をする。それは真心があるからである。真心は慈愛を生む。慈愛は知識を生む。真心さえあれば不可能なものはない。役人は、民には母のように接しなければならない。民をいつくしむ心さえ汝にあるならば、才能の不足を心配する必要はない」

 なんという心強い言葉か。誰しも自分の役目と自身の能力の狭間で不安をもたげる。もし鷹山のような上司がいたら、本来持っている能力を精一杯発揮できるのではないだろうか。
 第二の役として「教導出役」を置いた。彼らは教師にあたり、鷹山は「地蔵の慈悲をもち、心には不動の正義を忘れるな」と指示した。
 第三の役は「廻村横目」であり警察であった。同じく彼らにも「閻魔の正義、義憤を示し、心には地蔵の慈悲を失うな」と指示した。
 これら三つの役目が驚くほど機能し絶望視された社会に回復の希望が甦った。

 鷹山の産業改革の全体を通じて特に優れている点は「産業改革の中心に、家臣を有徳な人間に育てることを置いたところ」であった。東洋思想の一つの美点は、経済と道徳とを分けない考え方である。東洋の思想家は常に富は徳の結果であり、両者は木と実との相互の関係と同じであるとみるのである。
 
 やはり後世に名を残す偉人はその業績もさることながら、その人柄、人格の素晴らしさが印象的だ。
 あとどれだけの時間
 君と過ごせるだろう
 あと何時間?
 何分?
 何秒?
 あと数年か
 はたまた来月、来週かもしれない
 これを書き終わった途端
 僕は消えてなくなるかもしれない
 いずれにせよ
 抗いようのない秒読みは
 僕がここに在る限り止むことはない
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 『代表的日本人』一の「西郷隆盛」をまとめ、所感を述べる。

 薩摩に生まれた目玉の大きく広い肩を特徴とする太った人物、西郷隆盛は1868年、日本の維新革命にこの人なくしては不可能であったと言われる。それほどにこの人物の器量の大きさは当時他の人物とは飛び抜けており、すべてを始動させる原動力であったという。
 西郷は水戸藩の藤田東湖に弟子入りし、東湖の心に宿った理想を受け止めた。その理想とは「国家の統一」と「アジアのリーダーとしての大陸への領土拡張」であった。「国家の統一」を維新革命により形にした西郷は残る課題「大陸への領土拡張」が残されていた。
 日本が欧州の列強に対抗する為には、世界情勢を鑑みても東アジアの征服が必要と判断されたからである。しかし、西郷の言う「天」に反して戦争を起こすことは良心に反していた。しかし、図らずもある機会が訪れた。朝鮮で我が国対する侮辱的行為を行ったのである。その問題を解決する為、西郷は主席大使の任を得たのである。
 時を同じくして、岩倉具視、大久保利通らが世界巡察から帰国した。彼らは外国との戦争など考えていなかった。そしてありとあらゆる権謀術策を用い、西郷の朝鮮派遣主席大使の任を決定をなきものにしてしまったのである。彼らは「内地改良」という線で政策を進めていったのである。それにより国は文明開化一色となり、真のサムライの嘆く状況、手のつけられない柔弱、優柔不断、明らかな正義をも犠牲にして恥じない平和への執着などがもたらされたのである。岩倉らの権謀術策という「やり方」に憤慨した西郷は政府と縁を切り故郷の薩摩に引退することになった。そして西南戦争へと向かって行くのである。

「文明とは正義のひろく行われることである、豪壮な邸宅、衣服の華美、外観の壮麗ではない」
 この言葉は西郷の文明の定義である。とても印象に残った。現代の状況を見ても、日本にとても文明があるとは思えない。嘆かわしい状況である。

 西郷の生活と人生観に関しても表記があった。子どものような純粋さと、慈悲深さ、「天」の意志を感じる信心深さ、飾ることのない徳、淋しがり屋であるが故の大の犬好き。一冊の著作も残していないが彼の志は日本を健全な道徳的基盤の上に築こうとしたことがうかがい知れる。
 サッカーワールドカップ開幕まで後、2週間を切った。テレビのスポーツコーナーはボンで最終調整に入った日本代表の様子を追っている。
 僕は最近、戦時中のマスコミもこんな風だったんだろうなと思いながらスポーツコーナーを見ている。妙なテンションで「日本勝利」を連呼するアナウンサーにサッカー解説者。きっと戦争の開戦当初もこんな放送を繰り返し、国民を半狂乱の世論へと誘導していったのだろうね。
 サッカー日本代表の23名が発表され、彼らが日の丸を背負ってチャーター機でドイツ入りする姿を、赤紙が来て機関車に乗り故郷を離れていく青年に重ね合わせてしまう。
 それはさておき、戦争では人が死ぬ。スポーツの中ではいくらでも戦術を練り、国と国が威信をかけてぶつかりあうことは最高級のエンターテイメントだ。いくらでもやっていい。むしろ国際紛争の解決をサッカーで決着つければいいのに(笑)

「国家間の紛争は国連主導の元、サッカーでこれを解決する。尚、複数国家がその当事国に当たる場合は国連は速やかにサッカー大会準備委員会を設置し、大会を運営すること。複数当事国はその大会の成績によりこれを解決する」

 ハイハイ、戯れ言です

 ともかく、最近のワールドカップ報道を見ていると、薄ら寒い空気を感じる。でもサッカーは好きなので観戦したいし、日本代表をもちろん応援したい。わがままでしょうか?
 『武士道』 新渡戸稲造
 『代表的日本人』 内村鑑三
 『茶の本』 岡倉覚三

 当時、日本人が日本という国の文化・思想を西欧社会に紹介する為に英語で書かれた本である。武士道は以前読んだことがあったのだが、今回は『代表的日本人』と『茶の本』を読んだ。いずれも素晴らしい名著であった。日本を考える際、必読の書と言えるのではないだろうか。
 外国から見た日本論は多々あるが、日本人の手による日本論はいずれも深く精神性に根付き、自分の日本という国に対する愛着を再認識させてくれるものであった。
 何回読んでも堪えうる著書であるので、今後しばらくこれら本についてのまとめと所感を記していこうと思う。
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 とかく嗅覚はおざなりにされがちである。他の知覚と違って一過性の性質が強く、後から反芻することが比較的困難な感覚だからだ。
 普段生活している分には大して意識はしていない。春の日の玄関を出たときの意外な暖かさ、夏の日の夕立の後、秋の日の夕暮れに薫る焚き火、冬の日の籾くずを焼く匂い・・・。季節を感じさせる香りはその時々で再発見をしてきた。
 一転、人に対してはどうだろうか?その人が持つ薫りを見つけることができているだろうか?体臭や付けている香水の銘柄のことではなく、その人が持つその人の薫り、品格とでも言ったらよいだろうか。五感を越えた感覚器官による、感性で感じる「感覚」のことである。
 ここ数年は人の「色」を観るように心がけてきた。それに加え今後はその人がどういう「薫り」を持っている人なのかを見極めていければと思っている。そして自分自身も良い薫りを身に纏えるよう自分を律して生きていきたい。