『代表的日本人』〜中江藤樹〜 | 行く河の流れ

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行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 『代表的日本人』四の「中江藤樹」をまとめ、所感を述べる。

 1906年、近江の地に生まれた藤樹は「村の先生」として一生を過ごした。彼が11歳の時、孔子の『大学』と出会い、生涯を決める大志を抱いたのである。その本にはこう書かれていた。「天子から庶民にいたるまで、人の第一の目的とすべきは生活を正すことにある」藤樹は「聖人たれ」という大志を抱いたのである。
 28歳になった時に彼は村に学校を開いた。そこで教えられたのは中国の古典、歴史、作詩、書道であった。
 彼の考えの中で、特に変わった教えがあった。彼は弟子の徳と人格を重んじ、学問と知識を著しく軽んじたのだ。それについて述べている箇所を引用する。
「”学者”とは、徳によって与えられる名であって、学識によるのではない。学識は学才であって、生まれつきその才能を持つ人が、学者になることは困難ではない。しかし、いかに学識に秀でていても、徳を欠くなら学者ではない。学識があるだけの人はただの人である。無学の人でも徳を具えた人は、ただの人ではない。学識はないが学者である」

 また「積善」について述べた箇所も僕の印象に残ったので引用する。
「人はだれでも悪名を嫌い、名声を好む。小善が積もらなければ名はあらわれないが、小人は小善のことを考えない。だが君子は、日々自分に訪れる小善をゆるがせにしない。大善も出会えば行う。ただ求めようとしないだけである。大善は少なく小善は多い。大善は名声をもたらすが小善は徳をもたらす。世の人は、名を好むために大善を求める。しかしながら名のためになされるならば、いかなる大善も小さくなる。君子は多くの小善から徳をもたらす。実に徳にまさる善事はない。徳はあらゆる大善の源である。

 やはりこの人物も「徳」の大切さを最重要視している。共通のモノが見えてきた。