行く河の流れ -18ページ目

行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 サッカー日本代表のドイツワールドカップが終わった。ブラジルに4-1の惨敗。試合を見ていてチーム力の差、個人能力の差が歴然とした試合だった。
 日本人として日本を代表して闘うチームを応援するのは当然の事としても、トップレベルのチーム、たとえばブラジル・アルゼンチン・イングランド・オランダ等の試合と比べて日本の試合は面白くなかった。韓国やメキシコのように無尽蔵のスタミナで試合終盤になってもあそこまで走ることができれば、まだ希望を託せたが、日本にはそれを期待できなかった。ゲーム終盤にはチームとしてバテてしまい全く機能しなくなっていた。
 その中にあって、フィールドプレーヤーで唯一、魂を感じることができた選手は中田英寿だけであった。試合後、ピッチに横たわりタオルで顔を覆った彼はなかなか立ち上がることができず、しばらく唇をかみしめていた。タオルの下の目は赤く腫れあがっていた。闘った者にしか分からない悔しさがあったのだろう。そして闘ったからこそ得たモノがあるのだろう。
 他の選手も悔しさをコメントしていて、落ち込んでもいるだろうが、悔しさから学ぶことができるのは闘った者のみであろう。僕には中田、川口はこのワールドカップを通じて何かを得て、先へ進んでいく気がするのだが、他の選手は悔しさを消化するのに精一杯に感じてならないのだ。まだまだ日本がワールドカップで優勝するのは先のことだろう。歴史が必要である。
 日本代表のワールドカップは終わってしまったが、いよいよ大会は決勝トーナメントに入る。今回の大会は番狂わせがほとんどない。順当に大国が勝ち進んでいる。トーナメントになればそのような大国同士の真剣勝負がはじまる。
 ワールドカップは終わったのではない。今からが本番なのだ。
 早朝、目が覚めすぐ側にあるカーテンを開ける。雨が地面に叩きつける音が耳に入ってきた。眠たいので目は開けず、しばらくその音だけを聞きながら今日は一日中雨になるだろう事を予見した。
 やるべき事は山ほどあるが、メリハリがないとなかなか手を付けられず終いになってしまうことを僕は知っている。例えば試験勉強。中学校の時には試験の一週間前になると部活動は禁止になり、授業を終えてすぐに家に帰ることができた。部活を終えて帰宅するよりも勉強する時間はたくさんあるはずなのだが、その時間をすべて勉強に使おうとすると持て余してしまい、むしろ部活をやっている時の方がしっかり勉強していたりする。
 そこで僕は授業を終えてそのまま帰ることができた日の夕方は友達と遊ぶことにした。そして夕飯時には帰宅し、そこから勉強するのだ。集中力もあがり、能率も良くなり、実際に勉強したという充実感が自信にもつながってきた。
 今日は一日中雨。午前中は学校へ行ったのだが、午後からは丸々勉強できる時間だった。少し持て余し気味だったので、中学校時代のことを思い出した。もうひと山追い込んでがんばってみよう。
 今日は二十四節気で言うところの「夏至」にあたる。昼が最も長い時期である。以前から気になっていたのだが、日本の季節を彩る「二十四節気」とはどのようなものなのかを調べてみた。
 「二十四節気」とは、太陰暦を使用していた時代に、季節を現すための工夫として考え出されたもので、一年を24等分し、その区切りに名前を付けたものである。代表的なものとして二至(冬至と夏至)二分(春分と秋分)があり、それに八節(立春、立夏、立秋、立冬)を加えたものがよく聞かれる。
 夏の節気として今後は7月7日頃にには「小暑」を迎える。蓮の花が咲く頃である。そして7月23日頃になると「大暑」である。そうでなくとも消費され消耗されがちな日々の流れの中でちょっとした気づきを持って季節を感じることを大切にしていきたい。

 今年の夏至は友人に釣りに連れて行ってもらった。僕は小学生の時以来、釣りにはあまり興味が無く行ったことがなかった。なぜ今回行ったか?それは釣るのが「鰻(うなぎ)」であるというなんとも単純な理由であった。友人は鰻釣りにはまっていてほぼ毎日行っている(笑)釣った写真を見せてもらったのだが、なんと人の手首ほどありそうな太さの鰻が釣れていた。それを食べた感想は「養殖物は食べられなくなる」ほどの食感らしい。そういう事を聞いていたので「僕も食べたいっ!」と言う下心満載で参加した。
 結果はアタリも無く惨敗(笑)しかし途中から鰻はどうでもよくなって、心地よい夜空の元、時折吹く海からの風を受けて、お菓子やビールを飲みながらワイワイ無駄話をしているのが楽しくてしょうがなかった。完全に主役であるはずの鰻はオマケに成り下がっていた。オマケがあれば、それを捌く方法を教えてもらったり、調理方法を教えてもらったりとまた更なる楽しみが増えそうなのであってもよかったのだが、それはまた今後の楽しみということで取っておこう。
 形在れば首尾良くそれを守ろうと欲し
 歪な形へと変化しようとも形で在ろうとす
 自らを窮地へと追いやり
 切望がまた自らを苦しむ
 堅固な形はいずれは崩れ
 形無き形は胎動す
 形在らず唯本来の核心を此処に得たり
 女性に向かって「ブス」と言うとき、その「ブス」とは何なのかが気になっていた。それ自体としてもう意味が通じている言葉であり、そこから語源を辿ることは意味がないのかもしれない。
 「ブス」とは漢字で書くと「附子」と書く。この「附子」とはトリカブトの塊根を意味している。トリカブトの根には猛毒のアルカロイドが含まれていて、口に含むと神経系の機能が麻痺し無表情になる。その無表情のことを「附子」というようになり「ブス」という様になったとのことである。
 僕は全く違うところに語源があると思っていた。それは「粋(いき)」と「無粋(ぶすい)」との対比の中である。「不粋」→「ぶすい」→「ぶす」→「ブス」となったのだと考えていた。
 よって、僕が好意を寄せる女性は「粋」な人ということになる。こちらの説で考えてみる。そうすると、テレビや映画、雑誌などのモデルをするような女性は論外となる。まず自分の容姿をひけらかすという感性が「粋」でない。かといって、女性であることを放棄したような人も、自分を大切にしていないようで「粋」とは感じない。またあまりに「粋」を追求しすぎている人も、過ぎたるは及ばざるがごとしで「粋」ではない。
 よって「粋」に付かず離れずの絶妙のバランスで浮き世を渡る「小粋」な人が良いなどと考えたのであった。
 日本人の「粋」という精神構造を分析した書物としては九鬼周造の『いきの構造』がある。僕が大学在学中に講義で取り上げられ、先生が説明してくれていたのだが当時まったく興味がなく、その概念は僕の頭を素通りしていった。今また改めて読むべき本として再登場してきた。・・・が、今すぐには読むことができないので読書の秋にでも読もうと思っている。
 すべてのモノに物語を
 身の回りの日用品からちょっぴりキザなスーツまで
 綴るのは僕ら自身
 ひとりひとりが自由気ままに物語の中を飛び回ればいい
 胸一杯の優しさと一握りの冒険心をもって
 あらゆるモノが勝手に動き出し
 自分とは違うところで物語を綴り始める
 それぞれの物語に温かい人の気持ちが流れ込み
 物語は悠々と語り始める
 大学3年生の時に初めて読んだ。大学4年生の時に文学演習で「村上春樹」が取り上げられ僕は『ノルウェイの森』を題材に選んだ。何回も読み込んだ。ニカラグアにいた時に持っていた友達から借りて、また読んだ。コスタリカ旅行中にも空き時間に読んだ。・・・合計何回読んだのだろう。読むたびにその時の自分を写しだす。
 その中で「僕」と「直子」のやりとりで印象的な部分を引用する。以下「直子」の台詞である。

「手紙に書いたでしょ?私はあなたが考えているよりずっと不完全な人間なんだって。あなたが思っているよりは私はずっと病んでいるし、その根はずっと深いのよ。だからもし先に行けるものならあなた一人で先に行っちゃってほしいの。私を待たないで。他の女の子と寝たいのなら寝て。私のことを考えて遠慮したりしないで、どんどん自分の好きなことをして。そうしないと私はあなたを道づれにしちゃうかもしれないし、私、たとえ何があってもそれだけはしたくないのよ。あなたの人生の邪魔をしたくないの。誰の人生の邪魔もしたくないの。さっきも言ったようにときどき会いに来て、そして私のことをいつまでも覚えていて。私が望むのはそれだけなのよ」

 「直子」は自分の存在を「覚えていて」くれることだけを望んだ。「直子」は死を選び、「僕」は世界に取り残された。しかも容赦ない時間の流れによって「僕」は「直子」との思い出せる部分がどんどん失われていくのだ。忘れたくないことであるにも関わらず。
 もう一度読み返してみたくなったが、大学時代に読んだ文庫は僕の本棚にはない。ボロボロになってしまっていたあの文庫は今、世界のどこにあるのだろうか?今はまだ読むなということか。縁があればまた僕の前に現れるかもしれない。
 小学4年生に体育でプール指導をしている。今は平泳ぎの練習である。しかしスイミングスクールなどに行っていない子にとっては平泳ぎはクロールの息継ぎと共に難関の一つである。まず足のキックが難しい。みんな蛙のように足を回せない。その次には手の?き方。さらには足と手と息継ぎのタイミング。
 僕はプールに入った。25メートルプールを横に使って14メートルを泳いでいる。泳ぎが得意な子は綺麗に手足のバランスよく泳ぎ切っている。上手だ。まだ平泳ぎで泳ぐことができない子もいる。途中で息継ぎがうまくできず立ったり、バタ足に切り替えたりして泳いでしまっている。どう指導すれば泳げるようになるのか。僕の今後の課題である。
 そんな中、必死に平泳ぎで泳いでくる子がいた。男の子だ。とても体の線は細く、運動が特に得意というわけでもない。でも僕を見かけるといっつも笑顔で話しかけてくる男の子。その子が平泳ぎをしている。・・・が、平泳ぎと言ってもほとんど潜水状態になってしまっている。足のキックがまだできていないので浮力を得られていない。それにつられ手も掻き切れていないので体が水面下にある。そのままだと苦しいので息継ぎをするときには半ば犬かきの様にして「パッ!」っと顔を上げる。口を必死に開いて目は僕の目を見ている。
 その子はとうとう14メートルを泳ぎ切った。そしてプールの半ばにいる僕の方を振り向いて
「先生~!見た~?平泳ぎで泳げたよぉ!!」
 もう側に駆け寄って抱きしめてやりたくなった。必死に僕に泳げるところを見せようとしていたのだ。その健気な気持ちに胸が熱くなる反面、自身に対する失望が襲った。僕にはまだ泳げない子を泳ぐことができるように指導する術を知らない。がんばって必死に伸びようとしている子の期待を摘んではならない。あの子の水面から息継ぎする度に見せる必死な顔を決して忘れない。
 初めて君が立った姿を見て
 僕は思わず立ち上がった
 君が必死に飛び上がろうとする姿を見て
 僕も飛び上がれそうな気がしてきた
 君が君自身を愛おしいと思えることで
 世界に本当の風が吹く
 きっと僕らは飛べる
 あの時も雨が降っていたっけ。

 君がずぶ濡れになりながらも、家族に「仕事だ」って嘘をついてまで朝の7:00に僕のアパートに来た日。僕はまだ布団の中、ドアベルが鳴るからびっくりしたんだ。

 イチローがシーズン最多安打の記録を達成した日の翌朝、フランスパンのお使いにやる時「早く帰ってきてね!」って健気に迷いもなく土砂降りの中送り出した日。フランスパンと一緒に滅多に買わないスポーツ新聞も買って帰ったんだ。

 僕がアパートを引き払う数時間前、君は喫茶店で窓に映る雨粒を見ながら「先に帰っておくね」って帰っちゃった日。君の背中に気持ちを感じたんだ。

 さっきから降り出した雨が木々の葉っぱを打つ音で僕に話しかけてくる。窓を開けると幾分冷やされた風が僕を誘う。
「あせるなよ。明日も雨だろう?」
 誰に向かって言っているのか分からないその声は、夜の雨音によってかき消され、僕の頭の中に響いていた。