株式会社テクノコーポレーション -36ページ目

日本の強み

テクノコーポレーション代表のHです。昨日の台風にはいやになってしまいましたよね。


東京に暮らし始めて30年以上経ちますが、あんな雨風は初めての経験でした。


自宅の植木鉢は、全滅でした。プランターの日々草も、かわいそうなことになっていました。



さて、ついに軽自動車でリッター30キロが発売開始になりました。ダイハツからです。


ハイブリットでもないのに、すごい技術力ですよね。


私は普段、日産のノートに乗っているのですが、かなりエコな運転で、リッター13~4キロです。


このダイハツの「ミライース」なる軽自動車は、実測でどれくらい走るのか興味深々。



そもそも、わが日本は無資源国です。限られたエネルギーを工夫に工夫を重ねて節約し、自動車でも電化製品でも、省エネ製品を開発してきましたよね。


これは他国には真似できない技術力ですよね。


ここは、日本のコア・コンピタンスです。すばらしい強みだといえます。


国力が落ちた落ちたと、マスコミは嬉しそうに書きたてますが、まだまだこの日本という国家には底力がありますよね。この強みをもっと活かせば、「ジャパンアズナンバーワン」と、また賞賛されるはず。


一時、日本のリストラされた技術者が、「これまでに研究・開発してきた情報を、履歴書に添付して応募してください」との中国企業の求人に、泣く泣く応募している日本人技術者が大勢おりました。


たしかNHKの特集番組でしたが、私は心の中で「やめろー!」と叫んでいました。こんな形で、日本の技術が中国に流出しているのか・・・。と悲しくなりました。その技術者は、書類選考で不採用。中国企業は、タダで技術を手に入れたのです。これも中国の戦略なのでしょうから、非難はできませんよね。


というわけで、わが株式会社テクノコーポレーションも頑張らなくては。


台風がきた

テクノコーポレーション代表のHです。


1200年に一度の大震災・100年に一度の大不況・そして今日は70年ぶりの台風首都直撃。


今年は、まさに「災い」だらけでしたよね。


災い転じて福と生す。


かならず良い事がありますよ。産みの苦しみのあとは幸福が訪れます。


さて、創業期のことは大体書いてしまったので、次は何にしようかなと。


これから考えます。


しかしすごい雨と風だ。。

起業なんて、やってみなくちゃわからない。

今日はいきなり寒かったですよね。本当に体調管理には注意しましょう。


それに、またまた大型台風。被害が最小限に止まりますように。


前回に引き続き。


リピートオーダーを意識せず、ただただ「喜んでもらえるいい仕事だ」との、思いだけが先行してしまった結果、ビジネスとしては失敗なのです。しかし、価格設定を割高にしてしまえば問題の解決になることは容易に考えられましたが、当時の私には出来なかった。なぜなら、「利益を上げることに罪悪感を感じていた」からでした。


松下幸之助大先生の本に、それについてのことが記述されておりました。「経営者失格」だと。


現在では、180度違いますが、昔はそうだったのです。


そして平成10年12月3日、現在の株式会社テクノコーポレーションを設立したのです。


シンボルマークを考えようということになって、私は正直めんどくさかったので、「これでいいや」のノリで、正方形にマルを半分入れて、「昇る朝日だ」なんて言いながら、2~3分で作りました。


今では、名刺やステッカー、封筒や社員章など、さまざまなところに使っていますが、それが裏話なのです。


そうして現在の東村山市諏訪町に移転し、現在に至ります。


創業期は、本当に毎日がスリリングでしたね。


起業して、五年後に黒字で生き残る会社は、わずか4%だそうです。96%、失敗するのだそうです。


私には、強運もありますし、間違いなく人に恵まれていました。


財務管理、労務管理、税金対策、資金調達、販売管理、この五つが出来ないと、経営者としてNGだそうです。


しかし、私には苦手でも、優秀なスタッフがおります。何とかなるものです。やってみなくちゃわかりません。


これからどんどん若い起業家が増えて、この日本が、ますます強い国になっていってほしいですよね。

痛い思いをして成長するのが、アントレプレナーなのでしょうか?

なんとなく秋の予感。テクノコーポレーション代表取締役のHです。


さて、ある寺院の天水受けの緑青を直す作業に取り掛かりました。たしかに侘び寂びとは言い難いような酸性雨によるマダラでした。


そのとき、私は薬品の分量を間違ってしまっていることに気付かないまま、それを塗布してしまったのです。。。


あわれ、緑青(酸化銅です)は溶けてしまい、ブロンズ地金がむき出しになってしまったのでした。


「あああああああーっ!!」と声に出してしまったところに、立ち会っていた副住職の方が、「住職にはいますぐ報告はしないでおくから、絶対になんとかして」と言ってくれました。


そのとき、「たしか東久留米市に岡本太郎のアトリエがあるから、そこに行けば大型ドライヤーとかあるかもしれない」と思い、調べてからアポ無しで伺ったのです。


事情を話すと、快く大型ドライヤーと、強酸性薬剤を借りることができました。それどころか、岡本太郎先生の片腕といわれた田中先生も見に来てくださったのです。


作業は大成功。副住職さんも驚いて、住職さんに報告してくださいました。


仕上がりがあまりにも良かったので、その後、その寺院の仏像のリフォームやら金箔の箔押しなど、高額の注文もいただき、みんなで喜びました。


その利益で、スズキカルタスという新車を社用車として買ったのです。忘れません。


そして、先の田中先生から、「岡本太郎の作品を、やってもらえないか?」と頼まれたのです。私は正直、いつものように「いいですよ」とは言えませんでした。なぜなら、一つの作品は何千万円、何億円もの価値があるのですから。田中先生は、「太郎の作品を、後世の人たちに伝えたい」との熱意を、我々にぶつけてくるのです。


数日考えましたが、やることにしたのです。そのかわり、絶対に失敗は許されません。川崎市美術館へ収める作品を、まず最初にやろうということになったんですよね。これらの作業スナップは、後日お見せしますね。


そうするうち、彫刻だけではなく、さまざまなものの修復依頼がまいりました。私は嬉しかったです。まだ駆け出しの小さな会社でも、こんな仕事ができるのだと。メンバーが誇らしかったです。


しかし、喜ぶのは早かった・・・。私は大きな大きなミスに気付かずにいたのでした。


リピートオーダーのことを、考えていなかったのです。一度加工すると、15~20年は効果が続くのですから。お客様は喜んでくださるので、それは素晴らしい仕事なのですが、これではダメなんだ・・・。と気付いたのです。

ブロンズの保存管理がスタート。故・岡本太郎先生との出会いになろうとは。。

どうしてこんなにあついんでしょ?暑さ寒さも彼岸までといってほしいですよね。しかし、昼夜の温暖の差が大きいので、今年のお米は美味いですよ。


というわけで。テクノコーポレーション代表取締役のHです。


前回に引き続き。


本当に資金繰りできつかったです。給料は、お恥ずかしい話ですが、信販系カードローンでなんとかしました。


毎日セールスの日々。他の三人に飛び込み営業をさせてみましたが、まったくダメでした。「ここは自分一人の力を信じて、自分自身に頼ろう」と考え、どんどんと受注を増やしました。


そうして地獄の数ヶ月を凌ぎ切ったのでした。頼れるものは、一番は自分自身の能力です。間違いありません。


自信をつけるには、「経験・知識」を積むしかありません。どちらかが無いと、ただの根拠の無い自惚れです。


そして、経験と知識が、「先入観・思い込み・固定観念」の正体なのだと思います。


そのバランスをとりながら、前進させなくては、経営戦略は絵に描いた餅となってしまいます。


このころから、販売管理・資金調達・税金対策・労務管理・財務管理を、カラダで覚えていったように思えます。



平成9年になってから、清掃業務を進めるなかで、いろんな薬剤について勉強を始めておりました。そして、フッ素を定着させる技術を得たのでした。


それから、ブロンズ像の保存管理を勉強し、学校やお寺にセールスを始めたのでした。


ブロンズ像を酸性雨から護りたいとの依頼も請けるようになり、セールスを始めて数週間で、多数の受注をいただきました。私立高校・私立中学・お寺、つぎつぎ依頼がありました。


そんなときです。ある寺院のご住職から、「ブロンズの天水うけ(雨水をうけるおおきなお椀型)が、ロクショウがきたなくなっているので直してほしい」という依頼を請けました。


私はまた懲りもせず「いいですよ、わかりました」と返事。この仕事がキッカケで、故・岡本太郎先生との出会いとなるなんて、夢にも思いませんでした。  つづく