お施餓鬼
林しん平です。
先日、谷中にある妻の実家の菩提寺に出掛けました。
義母と一緒に岳父の新盆前に行われた「お施餓鬼法要」に参加してきました。
初めてのせいかインパクトがすごくありましたね。
私の生まれた信州諏訪でも昔からよく「お施餓鬼」の話題が上がっており必ず父母が交代で出掛けていたことを思い出します。
ただ、今までは話だけで実際を知らず、今回初めて「お施餓鬼」なるものを実感しました。
庫裏での簡素な食事に始まり300名を越す檀家の方々の出席、住職はじめ組寺の僧侶(15名)による読経、説教そして全員塔婆を持参しての墓参りなどお寺の総力をあげてのメイン行事で日常とかけ離れたとても充実した1日でした。
これを機会に「お施餓鬼」の持つ意味について調べてみると、次のような事が分かり先人の知恵の素晴らしさと心の豊かさに触れる事ができました。
・餓鬼に食物を施すことにより6道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)のひとつである餓鬼の世界で苦しんでいる魂を救うための供養
・ご先祖さまとともに餓鬼に対して慈愛の心、救いの道を持つ供養(餓鬼は自分の力で苦しみから脱することが出来ない)
・先祖様を含むあらゆる生命、生きとし生けるもの、無縁仏などの全ての命に対しての感謝の念と供養
・私達の現実社会における餓鬼の世界の排除、自己反省(むさぼりの心など)を気付かせる機会の場
無我夢中(フローな生き方)
林しん平です。
人が何かに無我夢中となって没頭している時は、時間と疲れを忘れさせ、高いパフォーマンスが発揮され、とっても楽しく、自分らしさに包まれた素晴らしい状態になっているといわれています。
そうしたことは、皆さんも過去にいくつかの経験がおありでしょう?
「揺るがず、とらわれず」といったとても自由な心境です。
もし仕事がそのようであれば、その方は最高の幸せ者だと言えるでしょう。
じゃ、そうした無我夢中を作り出すキーワードは何でしょう。
それは「好き」という感情のようです。まさにそれはフローを指しています。
子供、孫達を見ていると、かれらは本当に好きな事を自由にやっています。
学校、社会では、この好きな事が余り評価されず、相対的な目標・得意な事が競争の中で要求され、そちらを追い求めるようになってしまいます。
この絶対的な「好き」という感情を長く忘れ、心の片隅に追いやってきた団塊の世代がやっとまた第2の人生でこのフローを求めつつあるようです。
たった1回の人生、好きな事をいっぱい考え実行し、好きな事を話し、聞いて、回りの良い所をみる習慣を持てば、好きな感情がたくさん想起されこんなハッピーなことはありません。
21世紀のキーワード「優しさ、ありがとう、感謝の心」も生まれますよね。(拍手)
メディアリテラシー
林しん平です。
毎日のように耳にする言葉に「メディア」がある。
一般的にTV、ラジオ、新聞、雑誌、などのマスメディア、マスコミ(マス・コミュニケーション)を指している事が多いだろう。
日本語だと媒体といった意味だが、情報の乗り物くらいに考えると分かりやすいですね。
対極にあるのは、私的なコミュニケーションとしての、1対1での会話、電話、手紙、メールそして私たちの身体などの「パーソナルメディア」でしょう。
メッセージを伝えるということでは、世の中の全てがメディアになりえると思うが、普段はほとんど意識していないよね。
古くからのメディア学は、伝達性能の向上といった「自然科学的なアプローチ」理論がほとんどで、そこに関係する「人間」という視点はなかったようですね。
学生時代のゼミで聞いた、マーシャル・マクルーハンの「メディアはメッセージである」という新しいメディア論の話をふと思い出しました。
あれから半世紀、インターネット、携帯電話という双方向メディアが今日われわれの生活には不可欠でありますが、情報の送り手と受け手の相互行為が円滑で健全かつ有効かどうかは、ひとえに「メディアリテラシー」の能力にかかっているかもしれません。
現在はプッシュ型メディアからプル型メディアに移行しているようですが、各人、付和雷同せず情報を主体的に取捨選択し正しく読み解きし、豊かな生活を維持していくためにメディアを上手に活用していく術をそれぞれが自己責任で養う事がこれからとても大切かと思う。