hiroの気になるニュース -11ページ目

18年無料で勉強教える元教師、82歳になっても山間部まで歩いて出向く。

定年退職後、日々どのような生活を送るかは人それぞれだが、自分が蓄えた知識や技術を社会に役立ててもらおうとボランティア活動に勤しむ人も多い。
中国・重慶市で暮らすあるおじいさんもそんな一人。自分の教師経験を活かそうと、82歳になった今でもさまざまな場所に赴き、貧しい子どもたちに学問を教えている。

このおじいさんは重慶市の巴南区で暮らす陳恩禄さん。
中国紙重慶時報によると、陳さんは35年間教師として教壇に立った経験を持ち、定年退職後、子どもたちに学問を教えるボランティアを始めた。そしてその活動は18年間続いている。

陳さんはこれまで市内200か所余りの学校やコミュニティなどで講義を行ってきた。
講義で使用する教材はすべて自身が書いたもので、その数は1,200本以上にも及ぶ。歳を重ねた今でも毎日平均して4時間を勉強に費やす勤勉者だ。

18年もの間、ボランティア教師を続けていることだけでも驚きに値するが、陳さんの驚くところは他にもある。
それは歩行距離。これまでに徒歩で移動した距離は1,700キロ以上にも及ぶという。

8キロ歩いて海抜800メートルの場所にある小学校に出向くこともあれば、15キロ歩いてわずか14人の生徒しかいない学校の講義に赴くことも。
バスが通っていない山間部の学校などで講義するときは、2時間歩くこともざらにあるそうだ。

もちろん、陳さんはすでに高齢であり、そうした事情を考慮して学校側がさまざまな援助の手を差し伸べてくる場合も。
ただ、陳さんは学校側に余計な負担や出費をさせまいと、送迎車や補助費を断り、自分の足で向かうようにしている。

「私は山岳部の学校まで講義に向かいます。山は高く道は遠いですが、それは恐れるに値しません」と述べる陳さん。
自分に余力がある限り、貧しい子どもたちのために奔走し続けるつもりだという。

19歳女性が「最高のハグ」で自殺止める、橋の欄干で47歳女性を説得。

家族や友人、恋人など、その形はいろいろだが、人は愛情を受けることに幸せを感じ、生きていくもの。
もし、それが不足していると感じたとき、中には絶望に追い込まれてしまう人もいる。
先日、英国の高速道路にかかる橋で、欄干から足を投げ出した状態で座っている女性を、たまたま車で通りかかった19歳の女性が発見した。
1時間の説得の末、死のうとしていた47歳の女性は自殺を思いとどまり事なきを得たのだが、このとき19歳の女性は「最高のハグをしてあげる」と語りかけ、必死に諭していたという。

19歳のエマ・ニーダムさんはこの日、友人の家から車で帰宅中、英中部オールダムの高速道路上にかかる橋で異様な光景を目撃した。
母親らしき女性が橋の欄干から足を投げ出した状態で座り、その傍らで「男の子が身を投げないよう頼んでいた」(英紙デイリー・エクスプレスより)という。
状況を察知したニーダムさんは、すぐに警察へ通報。自分も急いで車を降り、自殺を思いとどまらせるために説得を始めた。

当時の状況について「彼女はとても興奮していて、私も心臓が口から飛び出しそうだった」と振り返るニーダムさん。
下を走る高速道路では多くの車が行き交う緊迫した状況の中、ニーダムさんは「彼女が座る反対側のフェンスの地面に座って、話し始めた」(英紙デイリー・メールより)。
やがて警察が高速道路を閉鎖。橋の下を走る車もいなくなり、ニーダムさんは警察とも連絡を取り続けながら、静かに女性の話に耳を傾けた。

「個人的な問題を抱えている」など、少しずつ心の中を語り始めた女性。
しかし、タバコを取り出しては「これが最後」と、なおも自殺を止めるつもりがないように話す女性に、ニーダムさんは必死に「冷静さを保ち続けた」という。
それは、明らかに動揺している女性に落ち付きを取り戻させるためでもあり、「愛を望んでいるということが分かっていた」ためでもあった。
そこでニーダムさんは「私のほうに来るなら、今までで最高のハグをするから」と語りかけたそうだ。

そんなニーダムさんの様子に、交渉に当たろうと現場に駆け付けた警察関係者も「エマのデリケートな扱いに感銘を受け」(英紙デイリー・ミラーより)、2人での会話を続けさせることに。
そしてアイコンタクトも感じ取ったニーダムさんは、女性に「安らぎを与えるため」に近付くと手を取った。
その後ずっと手を握りしめたまま、2人が約1時間の会話を重ねると、女性は橋の外へ向けていた体をニーダムさんの身に委ね、自殺を思いとどまったという。

こうして救出に成功したニーダムさんは、もちろん目一杯のハグで女性を温かく包みこんだ。
女性はニーダムさんに抱かれながら救急車で病院に運ばれ、診療を受け帰宅。
咄嗟の判断で1人の命を救ったことに、ニーダムさんは「すべてがうまくいって嬉しい」と話し、母親のスーさんも「勇気あることをした」と娘の行動を喜んでいる。

59年間文通続けた2人が感激の初対面、生活環境の変化も乗り越え交流。

見知らぬ相手に手紙を出す文通は、メールと違い相手の反応が返ってくるのは早くても数日先。
その分、直筆で書かれた一言一言に強い想いが込められるのが良さのひとつだが、一方である程度の文量と手間が必要になるため、いつの間にか音信不通になって関係が途絶えることも珍しい話ではない。
しかし米国では、59年間もの長きにわたり文通を続けてきた80歳の元兵士と69歳の元女学生がいる。そんな2人がこのほどついに初対面を果たし、話題を呼んでいるようだ。

米紙ポコノ・レコードによると、この2人は80歳で元兵士のオーヴィル・シューマッハさんと、69歳の元女学生バーバラ・ロールさん。
2人が文通を始めたきっかけは、59年前の1951年まで遡る。

当時、ニューヨークにある小学校の5年生で11歳だったバーバラ・ゴラルスキーさんは、学校の取り組みで朝鮮戦争に派兵されている兵士に手紙を書くことになった。
先生は相手をランダムに選ぶよう指示し、彼女がたまたま選んだのがシューマッハさんだ。

当時のシューマッハさんは、ネブラスカ州ハーティントンから朝鮮戦争の戦地となった朝鮮半島へ派兵されていた21歳の兵士。
1951年頃の朝鮮戦争は38度線近辺で一進一退の攻防が繰り広げられていた時期で、シューマッハさんも時には前線に駆り出されていたようだ。

そんな最中でも、ゴラルスキ―さんの手紙を受け取ったシューマッハさんは返事を書いた。
片や戦場の日々、片や生活の日常という極端に離れた現実を書き綴る手紙のやり取りから始まった文通は、シューマッハさんの帰国後も続行。
しかし、お互いが成長して生活環境が変化すれば、いろいろと忙しい時期も出てきて文通が滞ってもおかしくはない。それでも2人はクリスマスカードで近況報告を行うなど、交流を続けた。

こうして文通開始から59年の月日が流れ、少女と青年だった2人もすっかり良い年齢になり、80歳を迎えたシューマッハさんは「もし彼女に会うことがあるとすれば、今しかない」(米紙ニューヨーク・ポストより)との想いに至ったそう。
そして先日、現在もハーティントンに住むシューマッハさんは妻と娘を連れて、今はロールさんという名前になった女性に会うためにペンシルバニア州を訪問し、ついに2人は初対面を果たした。

それまで筆跡は知っていてもお互いの写真を見たことがなく、ロールさんを「小さくてぽっちゃりしてる人だと思ってた」というシューマッハさんだったが、実際に目にした彼女は69歳とは思えないほどスマート。
しかし、フィラデルフィア国際空港で目と目が合うと、分かっていたかのように「ハグを交わした」というから、59年の交流は伊達ではなかった。
「彼女に会うなんて考えてもなかった」とシューマッハさんが話せば、ロールさんも「特別な日」と、2人とも対面に感無量だったようだ。

それまでできなかったことを楽しむかのように、今後はお互いの家族と一緒にペンシルバニア州内の旅行など、いろいろな予定を組んでいるという。
ロールさんは「私たちは今、本当の知り合いになれたのよ」と語り、59年来の文通相手が“友人”になったことを喜んでいる。