(天使のまばたきを激写!!😆)

 

 

 

 

「感覚に従って生きる」というのは、

 

思考から一度離れ、

 

五感を活用し、

 

自分の体に意識を集中し、

 

 

体はどう感じているか?

 

 

をキャッチしていく生き方だ。

 

 

 

正確には、「心」と「体」を感じていくんだけど、

 

「心を感じる」っていうのは、

 

抽象的で最初はつかみづらいので、

 

まずは、

 

 

体に表れる反応

 

 

を見ていくのがファーストステップだ。

 

 

 

 

「体に表れる反応」というのは、

 

例えば、

 

お腹が重くなるとか、

 

すぐにでも動きたくなるとか、

 

胸が締め付けられる感じがするとか、

 

体が軽くなる感じがするとか、

 

そういう、本当に、

 

 

体で感じ取れる感覚

 

 

のことだ。

 

(詳しくはクリアリングの記事を読んで)

 

 

 

 

 

これらは、僕たちに最も基本的な、

 

 

快・不快

(心地よさ・心地悪さ)

 

 

を教えてくれていて、

 

 

この快・不快の感覚が

 

ベースとなって人間は、

 

 

好き・嫌い

 

 

が生まれてくるのだ。

 

 

 

 

これは、

 

 

人間という

生物の仕組み

 

 

であり、人間の発達過程だから、

 

誰しもがこうなっている。

 

 

 

 

 

生まれて間もない赤ちゃんが、

 

まずは精一杯「五感」と「五体」を

 

働かせて、この世界を知覚する。

 

 

 

すると、五感を通して

 

 

好ましい感覚=快

 

好ましくない感覚=不快

 

 

があることに氣がつき

 

 

好ましい感覚がもたらされているときは、

 

笑ったり、機嫌がよかったりして、

 

好ましくない感覚がもたらされているときは、

 

 

泣いて訴える

 

(自分で好ましくない感覚を

どうにかすることができないから)

 

 

という選択になる。

 

 

 

 

 

ちなみに、赤ちゃんは自我が芽生えるまでは、

 

「思考」という働きがほぼないので、

 

この時点では、

 

 

ほぼ感覚のみで

生きている

 

 

ということになる。

 

(泣いたら嫌われるとか

お母さんの負担を減らそうとか

考えないよね。笑)

 

 

 

 

 

この感覚全集中のときに

 

「五感」と「五体」をフル活用して、

 

 

体の感覚を開いていく

 

 

のだ。

 

 

 

 

そして、自我が芽生えてくると、

 

「好ましい感覚をもたらすもの」

 

 

好き

 

 

になり、

 

「好ましくない感覚をもたらすもの」

 

 

嫌い

 

 

になっていく。

 

 

 

 

自我が芽生えてくると、

 

(世界と自分を分離した

認知が生まれてくると)

 

「思考」が生まれ、「感情」が生まれる

 

 

 

 

 

長ったらしい話になったが、

 

人間の仕組み上、

 

 

 

まずは「感覚」を使って

 

「快・不快」を明確に捉えられるようにならないと、

 

「好き・嫌い」も分からないままだし、

 

 

 

やりたいこと

 

好きなこと

 

情熱が湧くこと

 

一緒にいたい人

 

好きな人

 

 

 

こういうことも一切分かることはないのです。

 

 

 

感覚が開き、

 

快不快が明確になり、

 

好き嫌いが明確になっていく。

 

 

 

 

だからこそ、

 

好きなことや

 

やりたいことが分かり、

 

自分を満たしてやることが

 

できるようになっていく。

 

 

 

 

 

 

そして、さらに言えば、

 

 

「快・不快」

 

「好き・嫌い」

 

 

に基づいてたくさん動き、

 

たくさん行動することによって、

 

 

人は、どういう結果がやってくるのかを

 

自分の目で、耳で、感覚で、

 

 

「学習」

 

 

することができる。

 

 

 

 

 

自分"だけ"を優先し続けていると、

 

ときに人を傷つけたり、

 

ときに大切な何かを失ったり、

 

さまざまな体験を通して、

 

この世界の「理」を発見していく。

 

 

 

例えば、自分が好きなおもちゃで遊びたいから

 

友達のおもちゃを無理やり取り上げたら、

 

好きなおもちゃで遊べて嬉しいはずなのに、

 

 

その友達が泣いちゃって

 

結局楽しくなくなったとか、

 

その友達に嫌われて、

 

悲しい氣持ちになったとか。

 

 

 

 

 

こうした体験を通して、

 

「人が持っているものを奪ったら、

相手を悲しませる」

 

という「人の心理」を学ぶかもしれないし、

 

 

本当に自分自身が望んでいることは、

 

そのおもちゃで遊ぶことだけじゃなく、

 

 

「友達と楽しく遊びたいんだ」

 

 

ということに氣が付くかもしれない。

 

 

 

 

 

こうした五感と五体を使った体験の先に、

 

「快不快」「好き嫌い」を超えた、

 

 

大切にしたい考え

 

大切にしたい生き方

 

 

が生まれてくる。

 

 

 

 

 

世の中には素敵な志や理念を持って

 

活動している人や、

 

愛にあふれた人格者がいるが、

 

 

かれらはみな、元を辿れば、

 

自分自身の感覚に基づいて、「快不快」を大切にし、

 

自分自身の「好き嫌い」を許可して、

 

好きなものに熱中してきた人なのだ。

 

(厳密にはその体験は今世だけには限らない)

 

 

 

 

 

長々と何が言いたいかって言うと、

 

自分自身の感覚を開いて、

 

自分の心と体を感じて、

 

「快不快」を感じ取っていくこと、

 

 

ここが全てのスタートであり、

 

感覚を使うことなしに

 

幸せも豊かさもないよ、ってこと。

 

 

 

そもそも幸せも豊かさも

 

「感じるもの」なのだから。

 

 

 

 

体を感じて、心を感じて、

 

私の「感覚」を尊重してあげましょうね。

 

 

 

 

具体的に感覚を尊重する方法は

 

クリアリングの記事で。

 

 

【決定版】人生で最も重要な「クリアリングの技術」(技術編その1)

 

【決定版】人生で最も重要な「クリアリングの技術」(技術編その2)

 

 

 

公式LINEではさらに濃い情報や

さまざまな企画を配信しています。

 

友だち追加

(ID:@dgx0086v)