子どもたち新学期も少しずつ落ち着いてきました。


娘も1年生になり


息子と一緒に同じ時間に出かけていくようになりました。



今まで幼稚園まで送迎していたので


それがなくなり「楽だなぁ」と感じる反面で


娘と毎日登園していた日々は


あたたかくてぬくもりのある時間だったんだなぁと


ふと思い出します。



ただ1年生の新学期です…


登下校の付き添いや


疲れて帰宅する娘のケア


少しばかり時間サイクルも変わったこともあり


私自身も気忙しさを感じながら過ごしています。




子どもたちが新しい環境に慣れていくのと一緒に


私も少しずつ気忙しさを脇におけるようになってきましたが



最近、またブログを書こうと思うようになったのも


その影響があるのかなと感じます。






自分にどうスイッチを入れるか



そんなわけで、


少しホッとできる瞬間が増えてきたのですが


自分が思う以上に気が張っているのか


子どもたちが登校すると


一気に力が抜けて動けなくなる…という日々が続いていました。




座ると立ち上がるまでにかかる時間がとても長い真顔


そしてダラダラとしている。




家事タスクもなかなか手がつけられなかったり


とにかく動き出しがよくありません。



でも「やるかぁ〜」と少し重い腰をあげてみると


案外スイスイ動いている自分になる。



今までもそういうことはよくあったのですが


最近ふと



動き出した自分と


動き出す前の自分の違いはなんだろう?



と思いました。




どうしようかなぁ、やりたくないなぁ。

動きたくないなぁ…

でもやりたいなぁ、やらなきゃなあ…



そんな風に


どっちつかずになっていることが多くて


それがダラダラ過ごしてしまうキッカケ


になっているように感じました。





全てに白黒つける必要もないのかもしれませんが


やるか

やらないか


どちらかのスイッチを自分で押すこと。




ダラダラすると決めて思いっきりダラダラする


やると決めて小さく動いてみる




行動を起こすか起こさないかの違いはあると思うのですが


自分の意思がそこにあるのかないのか


大きいように感じています。






ダラダラすると“決めて”やってみて



中途半端にダラダラしていると


罪悪感や焦燥感のようなものが出てくるなぁと


以前からやんわりと感じていました。




その罪悪感や焦燥感を感じながら


ダラダラしたり休んでいても


体は休まっているようでも


心は逆に疲れていくというか…


更にネガティブに陥りやすいなと感じていました。




こんなに時間を無駄にしてしまった、とか


結局なにもできなかったな、とか




そんな思いがより疲れさせているんだと思います。




思い切って


自分の意思で「ダラダラする」と決めてやってみました。


生産性もないし物事が1ミリも変わることはないのだけれど


意外と充実度が高いと感じました。



どうしよう…とどっちつかずのダラダラよりも


言い方悪いですが



「ダラダラした!なんか気が済んだ」



みたいな変な納得感がありました。




逆に、小さくてもいいから


「やる」と決めて動き出せば


案外、身体はスイスイと動くもので


それがまた次の選択と行動につながっていくのかなと思います。




今、どうする?



という自分への問いかけが


やるかやらないかの選択の一歩で


それをまず自分から引き出すことだな、と感じながら



今日も少しだけ部屋の片付けと整理をしています。